いしはまじょう

石浜城

東京都荒川区


旧国名 : 武蔵

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石浜城の説明板。
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チェブ

お城攻めを忘れる。 (2023/02/04 訪問)

前回 投稿した「中曽根城」の後、「石浜城」攻めに転戦しました。

「石浜城」は築城年数は不明です。江戸氏一族の石浜氏の拠点だったようです。
享徳の乱に伴い、千葉氏の内乱が起こります。
千葉氏だけではありません。関東の至るところで戦がありました。
千葉 実胤さんは下総を追われ「石浜城」に入りました。ざっくり、太田 道灌さんが活躍していた時代の頃です。

「中曽根城」周辺、ごみごみの住宅街と一方通行を抜け隅田川方面に向かいました。
いつもなら木々が生い茂る、こんもりした場所を目指すのですが、「石浜城」は遠くから見える『東京ガスのタンク』をロックオンし向かいます。
『石浜神社』が「石浜城」の推定地の1つです。
隅田川沿いということもあり、とても気持ちの良い所でした。
駐車場もあります。しばし、東京ガスのタンクを眺めます。
あれ、板金加工の板を溶接したのでしょうか?丸い形に整える技法すごいな~と「石浜城」を脱線。
参道の右側に「石浜城」の説明板がありました。
歩けば、いろんな説明板があります。『石浜神社』は源 頼朝さんが奥州征伐の時、戦勝祈願をしたんだとか。

拝殿の右手には、いろんな神様が祀られ、1人1人にご挨拶しました。
なんだか、若い方が多く参拝してるな、という印象です。
石濱茶寮という和風のカフェがありました。
お茶してる乙女衆に混じり、お団子とアイスクリームで一休みし、次のお城に備えます。

ん?「石浜城」は?
遺構はありません。でも、なんだか和やかな気持ちになれる「石浜城」でした。

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加藤城乃助

2023年城初め (2023/01/02 訪問)

今年初の城攻めは荒川区の石浜城に行きました。
南千住駅から徒歩で10分ちょっと。白鬚橋のすぐ横です。
石浜城の場所ははっきりとは分からないそうで、現在の石濱神社の場が有力だそうです。
参拝後、御朱印と御城印を頂いて帰りました。

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赤い城

石浜神社 (2022/10/16 訪問)

南千住駅から徒歩で15分。
石浜神社が推定地の一つです。
もちろん遺構はありません。
境内に説明板も立っていました。
石浜神社は源頼朝の奥州征討に際しての社殿を寄進したとされています。
戦国時代には宇都宮氏や千葉氏などの関東の武将が信仰していました。
もう一つの推定地は待乳山聖天ですが石浜神社の方が有力とのことです。

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昌官忠

リハビリ15城巡り②:石浜城 (2021/03/24 訪問)

足腰リハビリ15城巡り2城目は石浜城です。
京成曳舟駅より徒歩20分ちょっとで石浜神社入口(35.729142、139.808444)に着きました。

築城年次は不明ですが、中世には江戸氏一族の石浜氏が本拠を構え、1352年(文和元年)には、新田義興の追撃を受けた足利尊氏がこの地で武蔵平一揆に迎えられて追撃を退けているそうです。
室町時代中期の享徳の乱に伴って発生した千葉氏の内紛では、宗家の生き残りである千葉実胤(千葉兼胤の孫)が下総国を追われて扇谷上杉家の庇護下に入り、石浜城を拠点としたそうです。
この際、弟の自胤も赤塚城に逃れているようですが、下総回復は達成できず、扇谷上杉家の没落後は後北条氏に従って同氏一族の千葉胤村を当主に迎えたようです。
1590年(天正18年)豊臣秀吉による小田原攻めによって没落、石浜城も廃城となりました。

石浜神社は元々は現在地より50m程西側にありましたが、戦災に遭った為に一度川沿いに移転しさらに現在地に移転したそうです。
境内は比高2m程の高台になっていますが、移転して来た時に造成されたようです。また参道入り口には石浜城址の説明板が立っています。
石浜神社が移転した跡の旧地は、今は東京ガス千住整圧所となり、大きなガスタンクがいくつもあります。
白鬚橋ふもとに「明治天皇行幸對鴎荘遺蹟」がありました。
攻城時間は10分くらいでした。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 千葉実胤
築城年 康正元年(1455)
主な城主 千葉氏
遺構 消滅
再建造物 説明板
住所 東京都荒川区南千住3(石浜神社)
問い合わせ先 荒川ふるさと文化館
問い合わせ先電話番号 03-3807-9234