日本100名城

あづちじょう

安土城

滋賀県近江八幡市


旧国名 : 近江

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安土城
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ジェイド

御朱印帳がすばらしい (2023/10/19 訪問)

入山は8時30分からです。 チケット売り場で3種類の御朱印帳が販売されていますが、最初のページに「天下布武」と「大悲殿」の御朱印入りです。思わず購入しましたが、とても記念になりました。

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織田信長 (2026/01/02 訪問)

 3年ぶりの登城です。標高199mの安土山にある織田信長の居城で、中山道と伊勢街道が交差する陸路の要衝であることに加え湖上交通の要衝に位置しています。天主は5層7階(地上6階 地下1階)で、ルイスフロイスが書き遺した「日本史」には「真中には、彼らがてんしゅと呼ぶ一種の塔があり、我らヨーロッパの塔よりもはるかに気品があり壮大な別種の建築である」と書かれていました。天主台を見ると歪な形状で、実際に建っている姿を見てみたいものです。現在、南山麓から一直線に伸びる階段が大手道と呼ばれていますが、城下の位置から西南側にある百々橋口が大手だという説もあります。自分も同意見です。
野面積みの石垣もこの城の魅力です。見学路を行くだけでもすばらしい石垣に出会えますが、登城路の端から周囲を見ると各所に魅力的な石垣がありました。
前の投稿でも書きましたが、八角平や馬場平方面を見学できるようにしていただけると多くの石垣を観ることができ安土城の全容も理解できていいと思います。
 この日も多く方が見学に来ていました。天守閣のない城址の中では人気のある城址ですね。

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なお

安土城跡訪問 (2014/04/30 訪問)

安土駅から徒歩で安土城大手口へ。大手口から山頂の天主台跡を散策。帰りは、摠見寺経由で百々橋口経由で退城しました。
講談社学術文庫 復元安土城(内藤昌)は、とても参考となります。

画像に天主指図と復元案(東面)と追加しました。

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しんちゃん

天守台と破城の痕跡 (2025/11/08 訪問)

天守台直下の伝本丸取付台は調査中で立ち入ることが出来ず、その先の遺構も確認することが出来ません。調査が進んで、早く安土城を自由に散策できるようになればと思います。荒々しい野面積みの石垣ですが当時の天下人に相応しい巨大な天守台です。
個人的には真に天下統一を成し遂げた豊臣秀吉こそが最初の天下人と思っているのですが、日本の大半を支配下に治め天下統一に最も近かった織田信長も天下人と呼ばれているようです。三好長慶もそれ以前の天下人とされる場合もありますね。
天正13年(1585)に八幡山城が築かれ羽柴秀次が入城すると、安土城は廃城になり豊臣秀吉の命で石垣も崩されました。安土城は元々は観音寺城の支城が有った場所に築かれていて、戦略的にそれほど重要な位置に有るわけでもなく、天下人が秀吉に代替わりしたことを世に示す意味合いが大きかったようです。まさに破城もいろいろです。
家康ほどじゃないにしろ、秀吉も元主君の城に対して容赦無いですな。

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概要

長篠の戦いに勝利した織田信長が築き、近世城郭の祖型とされている城。五重七階の豪壮な天主を建てたが本能寺の変後に焼失し、天守台礎石群と石垣だけが残っている。桝形になっている二の丸下段の虎口や、大手門から山頂に向かう石段の大手道など、信長のこだわりと工夫が随所に見られる。

城郭情報

城地種類 山城
築城年代 天正4年(1576)
築城者 織田信長
主要城主 織田氏、明智氏
文化財史跡区分 国特別史跡(安土城跡)
近年の主な復元・整備 羽柴秀吉
天守の現況・形態 望楼型[地上6階地下1階/1579年築/焼失(火災)]
主な関連施設 一部の石垣、大手道石段、門跡、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、天守台、石垣、土塁、横堀
住所 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
問い合わせ先 安土城郭資料館
問い合わせ先電話番号 0748-46-5616