日本100名城

あづちじょう

安土城

滋賀県近江八幡市


旧国名 : 近江

投稿する
安土城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

テトミイア

聞き慣れた武将でも楽しめる (2024/09/07 訪問)

【信長の館】 障害者割引あり(割引率100%) 原寸の安土城の5階6階部分を再現。 5階部分は車椅子での観覧可能ですが、6階は外側は見れても中の部分は階段でしか登れません。 とはいえ、5階だけでも安土城の迫力を十分堪能できます。 【安土城跡】 障害者割引なし 車椅子では登れません。 私は、杖で試みましたが段差にかなりのバラつきがあるため、高さがある段は足が上がらず途中で断念。 それでも穴太衆の作った石垣はやはり圧巻。見る価値大です。

+ 続きを読む

you

麓より 往時を偲ぶ 安土山 ひぐらし鳴くは 石段の跡 (2024/08/16 訪問)

下山中にひぐらしが鳴いておりました。いとをかし。

滋賀日帰り旅行ということで午前に佐和山城→彦根城の順に訪れ、
午後から帰路途中のJR安土駅で降りて安土城へ。
当初は駅から徒歩で向かう予定でしたが、改札を抜けてレンタルサイクルの文字が目に入り即決。
サイクリングコース内には、同じく近江八幡市にある名城 観音寺城もありましたが、時間の余裕がなく
安土城→信長の館を訪れました。

約200段続く石段がこの城の代表的景観ですが、
麓にある登城口を抜ける前からその景色は広がっており、圧巻の一言です。
少し進むと右手に釣鐘があり、100名城スタンプ設置場所の一つにもなっています。
押捺→鐘ゴーンして引き続き頂上を目指します。
要所要所に本丸跡(天主)を案内する石碑が建てられているので良心的、と言いたいけれど
とにかく段差のある石段がきついです。私は軽装で登ったので、軽い靴擦れを起こしました。
頂上の天主跡には石垣のほか、礎石建物跡と思しき遺構が確認できました。
ここで撮影した写真は、飛行機雲がいいアクセントになっていてベストショットです。
当日の天気は晴れと聞いていましたが、午前中に彦根城を訪れたときには雲が広がっていたので
撮影はしつつも、晴れてたらなおよかったのになんて思ったり、、、

自転車を返して、ホームで電車を待っているときに本投稿のタイトルを考えていました。
前の投稿みたいに一歌詠んでみようと思って何を季語にもってこようか考えていると、
下山しているときに聴こえてきたひぐらしの鳴き声がよぎって「コレだ!」ってなりました。
これからは行く先々でそのお城について一歌詠むのもありかもしれないですね。
そんなに続かない気はしていますが、、、

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

チョイ寄り天下布武活動中 (2024/06/24 訪問)

 今回の近江未踏の城廻りで後藤館から伊庭御殿の移動中、安土城前の県道2号線を通りましたので、寄らなくてはと大手門跡山麓周りを訪ねました。

 駐車場:安土城大手門前の無料駐車場。

 発掘復元された大手門周りの石垣、曲輪を再確認して、大手道手前の摠見寺受付・安土城登城ゲートまで行き、大手道の石段を遠目で確認して望遠で撮影。
 大手道手前の西側上段郭と下段郭で天下布武君が夫々芝刈り活動中、天下布武幟旗を立てて小型の自動草刈り機(家庭用ルンバの芝刈り版かな?)が活躍し奇麗に郭の芝を刈っていた、雄々しい姿にさらに感動。
 
 城なび館を覗いていたら、九州から日帰りで安土城は済ませ、観音寺城の登城と百名城スタンプを求めてる方が観音寺城への訪ね方を店の方に相談されて居り、私もチャッカリ輪に入り会話、結局はタクシーで登られることに、今日中に九州に帰ればいいとの事、新幹線で日帰りできる便利さを痛感。
 
 感動は芝を刈ってる天下布武君です❣
   

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

106【関ケ原の26人】(26)井伊直政 (安土で直政が見たものは?) (2024/04/09 訪問)

(26人目)井伊直政の続き⑧です。
高天神城攻めでの水の手を断った功績で、武田滅亡後に2万石に加増された万千代は、元服し名を「直政」と改めます(この時22才)。そして1582年、信長は武田を滅ぼした家康をねぎらうため、完成したばかりの安土城へ招待します。直政は、酒井忠次・石川数正・本多忠勝とともに家康の供として安土城を訪れました。

安土城へちょうど桜が満開の時に行ってきました。その様子は4月にお伝えしましたので、今回はその時に直政の気持ちになって登城した感想をお伝えします。

下から見上げると、この大手道のまっすぐな階段の先には黄金に輝く天主がありました(写真①)。直政はまずこの光景を、ここからどんな思いで見上げたのでしょうか? きっと信長への憧れが芽生えたのではないでしょうか?

この大手道は帝(おそらく正親町天皇)を招くために造られた道ではないかと伝わっています。今では誰もが登れますが、当時はそのため誰もここからは登る事はできなかったとか? もしそれが本当なら、家康一行はおそらくこの大手道は下から見上げただけで、実際は現在の摠見寺口(写真②)から入り、仁王門(写真③④)→三重塔(写真⑤)→本堂(写真⑥)を通り登城したと思われます。摠見寺は江戸時代末期の1854年に、仁王門と三重の塔以外は火災で焼失したようで、今はこの二つのみが現存しています。途中「仏足石」もありました(写真⑦)。信長の信仰心の厚さも伺えます。

そして途中にある石垣(写真⑧は天守台石垣)、おそらく直政は石垣造りの城を見たのはこの時が初めてだと思います。そして、ここで見た事・学んだ事・そして信長への憧れは、後の箕輪城の築城に大いに影響する事になります。それは箕輪城のどの部分に現われているでしょうか? 安土城と箕輪城の両方を訪れた事がある方は、思い浮かぶものがありますよね!(あれかな?🤔)

そして一行は、天主に招待され信長に謁見し、最上階から琵琶湖を眺めます。私も天主跡(写真⑨)に立ち琵琶湖を眺めましたが、さらにこの上に5層6階の高さ32mに最上階があったので、そこから見た琵琶湖はどんな景色だったのでしょうか? その高さから見て見たい気持ちになりました(展望台でも作ってくれないかな?)

そして、夜になると江雲寺御殿にて宴がもようされます。そこで魚の臭いに怒った信長が明智光秀を皆の前で折檻するという、あの有名な事件が起きてしまうのです。直政はこの事件の一部始終を、この時いったいどんな思いで見つめていたのでしょうか? ここも気になります。

一行は、この後京都に立ち寄った後、堺へ向かいます。そして堺見物の最中に、本能寺の変が起きてしまいます。

次は、「伊賀越え」に続きます。
途中に立ち寄ったとされる山口城(宇治田原城)を訪れます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

概要

長篠の戦いに勝利した織田信長が築き、近世城郭の祖型とされている城。五重七階の豪壮な天主を建てたが本能寺の変後に焼失し、天守台礎石群と石垣だけが残っている。桝形になっている二の丸下段の虎口や、大手門から山頂に向かう石段の大手道など、信長のこだわりと工夫が随所に見られる。

城郭情報

城地種類 山城
築城年代 天正4年(1576)
築城者 織田信長
主要城主 織田氏、明智氏
文化財史跡区分 国特別史跡(安土城跡)
近年の主な復元・整備 羽柴秀吉
天守の現況・形態 望楼型[地上6階地下1階/1579年築/焼失(火災)]
主な関連施設 一部の石垣、大手道石段、門跡、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、天守台、石垣、土塁、横堀
住所 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
問い合わせ先 安土城郭資料館
問い合わせ先電話番号 0748-46-5616