日本100名城

あづちじょう

安土城

滋賀県近江八幡市


旧国名 : 近江

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安土城
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しんちゃん

天守台と破城の痕跡 (2025/11/08 訪問)

天守台直下の伝本丸取付台は調査中で立ち入ることが出来ず、その先の遺構も確認することが出来ません。調査が進んで、早く安土城を自由に散策できるようになればと思います。荒々しい野面積みの石垣ですが当時の天下人に相応しい巨大な天守台です。
個人的には真に天下統一を成し遂げた豊臣秀吉こそが最初の天下人と思っているのですが、日本の大半を支配下に治め天下統一に最も近かった織田信長も天下人と呼ばれているようです。三好長慶もそれ以前の天下人とされる場合もありますね。
天正13年(1585)に八幡山城が築かれ羽柴秀次が入城すると、安土城は廃城になり豊臣秀吉の命で石垣も崩されました。安土城は元々は観音寺城の支城が有った場所に築かれていて、戦略的にそれほど重要な位置に有るわけでもなく、天下人が秀吉に代替わりしたことを世に示す意味合いが大きかったようです。まさに破城もいろいろです。
家康ほどじゃないにしろ、秀吉も元主君の城に対して容赦無いですな。

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しんちゃん

本丸へ (2025/11/08 訪問)

織田信忠邸から本丸に続く石段をしばらく登って行き、伝・黒金門を越えて右折した先に伝・二ノ丸の石垣が見えてきます。
この二ノ丸跡が信長廟になっています。天守台の石垣の上は木々が鬱蒼と生え茂っていて、まるで密林の中の遺跡のようです。
う~ん、こんなんだったかな? 本丸周辺は立入出来る場所が限られていて三の丸や八角平方面には進むことが出来ません。天守台の上には登ることが出来ます。

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しんちゃん

羽柴秀吉邸 徳川家康邸 (2025/11/08 訪問)

羽柴秀吉邸の石垣の一部は角度に併せて石を加工してあるようです。実用本位の山城だと適当にごまかしてある部分なので、ちょっと手が込んでいて面白い。うぃきによると総奉行は丹羽長重で、秀吉は縄張奉行を務めていたようです。
安土城は国の特別史跡ですが摠見寺の管轄になっているようで麓で入山料を徴収しています。石造りの城で入山料が必要なのも安土城らしくて良い。この日は摠見寺(新)の公開も行われていたので追加料金を払って拝観して行きました。
ここは徳川家康邸跡でもあるので、家康邸の石垣は見ておかねば。安土城の金箔瓦の写真も撮って良いといわれたので撮影ましたが「城びと」に載せて良いか聞き忘れたのでやめておきますわ。金箔がしっかり残っているので貴重なお宝です。

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しんちゃん

羽柴秀吉邸 (2025/11/08 訪問)

ちょうどすぐ近くでお城EXPOをやっていたので久しぶりに安土城を訪問出来ました。近世城郭の石垣とくらべると安土城の野面積みは荒っぽく見えますが、私の中では別格です。戦国時代らしくて良いですね。
大手道の脇に前田利家邸・羽柴秀吉邸・徳川家康邸(いずれも伝)が控えていて、これだけでも十分見ごたえがあります。羽柴秀吉は低い身分から信長の重臣にまで出世し安土城内にこれだけ立派な屋敷を構えることを許され、これだけでも快挙と呼べるのですが
この後、初めて天下を統一し関白にまで出世するのだから、まさに戦国時代の申し子と言えると思います。

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概要

長篠の戦いに勝利した織田信長が築き、近世城郭の祖型とされている城。五重七階の豪壮な天主を建てたが本能寺の変後に焼失し、天守台礎石群と石垣だけが残っている。桝形になっている二の丸下段の虎口や、大手門から山頂に向かう石段の大手道など、信長のこだわりと工夫が随所に見られる。

城郭情報

城地種類 山城
築城年代 天正4年(1576)
築城者 織田信長
主要城主 織田氏、明智氏
文化財史跡区分 国特別史跡(安土城跡)
近年の主な復元・整備 羽柴秀吉
天守の現況・形態 望楼型[地上6階地下1階/1579年築/焼失(火災)]
主な関連施設 一部の石垣、大手道石段、門跡、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、天守台、石垣、土塁、横堀
住所 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
問い合わせ先 安土城郭資料館
問い合わせ先電話番号 0748-46-5616