日本100名城

あづちじょう

安土城

滋賀県近江八幡市


旧国名 : 近江

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安土城
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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「是非に及ばず 露と消えしか 安土城」

ぜひにおよばず つゆときえしか あづちじょう

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カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2011/07/13 訪問)

 ①「総石垣 近世の始まり 安土城」(そういしがき きんせいのはじまり あづちじょう)

 ②「淡の海 金箔輝く 安土城」(あわのうみ きんぱくかがやく あづちじょう)

 ③「信長の 天主も三年 安土城」(のぶながの てんしゅもみとせ あづちじょう)

 安土城へは50~60年前に初登城以来何回となく訪ねて居りますが、初登城時は今の発掘された大手道は無く東側の摠見寺への道を登って黒金門跡本丸天守台に登って行きました、又百々橋口登城路からの昇り降りで入城料は無しでした。
 現在は大手道石段の発掘、大手道沿いの屋敷郭の発掘が進み奇麗整備されて有料入城と成り、登り口は大手道のみ、百々橋口は閉鎖されて元摠見寺跡、三重の塔、仁王門からの下城は途中で大手道への迂回と成って居ます。
 黒金門跡の鏡石枡形、二の丸信長廟、本丸跡、天主台跡の礎石と総石垣の安土城を思う存分楽しむ事が出来ます、光り輝く天主閣は天正4年(1576年)1月築城開始し天正7年(1579年)5月天主閣完成し信長移り住む、天正10年(1582年)6月本能寺の変で信長は無くなり、その後焼失しています。城下から琵琶湖から金箔で光り輝き聳え立つ天主閣は3年で信長の夢とつゆと消え去りました。
 天守閣、櫓、瓦葺き、石垣を用いた織豊系城郭の始まり、城郭建造の始まりは安土城で城の大先達であります。
 
 投稿写真の1、2、3、4は2010.5.22撮影。5、6は2011.7.13日撮影です。
   

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イオ

【赤色立体地図かるた】 (2021/02/20 訪問)

魁の 天主そびえる 安土城
(さきがけの てんしゅそびえる あづちじょう)

大手道 魅せる石垣 安土城
(おおてみち みせるいしがき あづちじょう)

安土城といえば、城郭史上の魁ともいうべき壮麗な天主が真っ先に思い浮かびますが、赤色立体地図かるたとしては、まっすぐにのびる大手道とその両脇の魅せる石垣の家臣団屋敷が特徴となるでしょうか。
 

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あさやん

四度目の登城 (2024/09/15 訪問)

この日は滋賀を探索、そのついでに安土城によらせてもらった
何度来ても、ここも登り甲斐のある城、大きなお城だ
日本100名城スタンプは以前にいただいているので、御城印のみいただきました。

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概要

長篠の戦いに勝利した織田信長が築き、近世城郭の祖型とされている城。五重七階の豪壮な天主を建てたが本能寺の変後に焼失し、天守台礎石群と石垣だけが残っている。桝形になっている二の丸下段の虎口や、大手門から山頂に向かう石段の大手道など、信長のこだわりと工夫が随所に見られる。

城郭情報

城地種類 山城
築城年代 天正4年(1576)
築城者 織田信長
主要城主 織田氏、明智氏
文化財史跡区分 国特別史跡(安土城跡)
近年の主な復元・整備 羽柴秀吉
天守の現況・形態 望楼型[地上6階地下1階/1579年築/焼失(火災)]
主な関連施設 一部の石垣、大手道石段、門跡、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、天守台、石垣、土塁、横堀
住所 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
問い合わせ先 安土城郭資料館
問い合わせ先電話番号 0748-46-5616