日本100名城

あづちじょう

安土城

滋賀県近江八幡市


旧国名 : 近江

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安土城
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みんなの口コミ

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じゅんじん

17年ぶり (2025/11/08 訪問)

お城EXPOも兼ねて久しぶりの安土城でした。信長の浪漫を感じれました。お城EXPOも来年大河もあってか賑わってましたね。次回は観音寺城を登りたいです。

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ダイエティシャン

【赤色立体かるた】 (2022/06/17 訪問)

天下布武 天に祈りつ 安土城
(てんかふぶ てんにいのりつ あづちじょう)

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ヒロケン

【赤色立体地図かるた】 (2025/09/06 訪問)

先駆けの 近世城郭 安土城(さきがけの きんせじょうかく あづちじょう)

織田信長公の権威を示す天守は史上初めての五重六階・地下一階、不等辺七角形の絢爛豪華な天主で、安土山山頂に築かれました。望楼型の天守で金・黒・朱・群青で彩られた高層建築は人々を驚かせたことでしょう。
ただ、現在天主とされる天守閣の姿は天守台の構造と『信長公記』の内容から詳細に検討された姿で、本当の姿は分っていません。
安土城考古博物館のシアターで上映された映像では、4種類の姿が映し出されており、現在は2つくらいに絞られているそうです。


大手道 他に類無き 安土城(おおてみち ほかにるいなき あづちじょう)

安土城で現在、大手道と呼ばれている登城路は、幅約9mで両側に石敷きの側溝を備え、南麓から直線的に180m延びておりおり、さらに道の両側に大規模な建物が整然と並んでいたとされています。
ですが、この「伝大手道」と呼ばれる登城路は『信長公記』によると大手道とは記されておらず、通常百々橋口(旧摠見寺)から家臣等は主郭部へ至るルートが使われていたそうです。(こちらが大手道?)安土城考古博物館のシアターで上映されている映像では、帝をお迎えしたときに使用する道と紹介されておりました。また、安土城考古博物館の学芸員さんの説明では、大手道、伝羽柴秀吉公、伝前田利家公、伝徳川家康公など家臣団が居住していたとされるの屋敷跡の名称は、江戸時代に入ってからのもので当時の実態を表していないとの事です。そうですよね、いくら畿内を掌握していたとしても、敵に攻められやすい幅広の直線通路は、城造りの常識からするとかけ離れていますよね。

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にのまる

【赤色立体地図かるた】

「是非に及ばず 露と消えしか 安土城」
(ぜひにおよばず つゆときえしか あづちじょう)

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概要

長篠の戦いに勝利した織田信長が築き、近世城郭の祖型とされている城。五重七階の豪壮な天主を建てたが本能寺の変後に焼失し、天守台礎石群と石垣だけが残っている。桝形になっている二の丸下段の虎口や、大手門から山頂に向かう石段の大手道など、信長のこだわりと工夫が随所に見られる。

城郭情報

城地種類 山城
築城年代 天正4年(1576)
築城者 織田信長
主要城主 織田氏、明智氏
文化財史跡区分 国特別史跡(安土城跡)
近年の主な復元・整備 羽柴秀吉
天守の現況・形態 望楼型[地上6階地下1階/1579年築/焼失(火災)]
主な関連施設 一部の石垣、大手道石段、門跡、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、天守台、石垣、土塁、横堀
住所 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
問い合わせ先 安土城郭資料館
問い合わせ先電話番号 0748-46-5616