日本100名城

うえだじょう

上田城

長野県上田市

別名 : 尼ヶ淵城、真田城
旧国名 : 信濃

投稿する
上田城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

牛若丸

推し城の一つ (2023/11/21 訪問)

上田城は今回で4回目の登城です。
紅葉がとてもキレイでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

天守無しがアツい

徳川に破壊された天守 (2019/04/06 訪問)

公園の入り口をしばらく進み、入場券売場でチケットを買った私は、「ここに天守閣はないですか?」とスタッフに尋ねました。すると「かつてはあったと思われますが、関ヶ原の戦い後に、徳川によって取り壊されたと思われます」と回答されました

日本には数多くの城跡…城址公園はありますが、そこに天守閣まであるとは限りません。上田城にはてっきり天守閣があるものと勝手に予想していた私は、何か肩透かし喰らった気分にもなりました

南櫓・北櫓が一般公開されており、そこは2階建てで、細い木製の階段を上るという造り…つまり、少し不便な内装

その中に展示されていたものの1つが、添付画像の火縄銃。外から櫓を撮影してもよかったのですが、「たまには中にあるモノを添付画像に使いたい」と思い、こうしました

「火縄銃体験」とありますが、ここは「射撃シミュレーション」や「画面に撃つと合戦シーンが流れてくる」というわけではありません。ただ、銃を持つだけです

なので、私はまず銃の重さを確かめ、それから窓の隙間から銃口を通し、城の外にそれを向けました

徳川の侵攻を2回とも防いだ「上田合戦」では、この城にて激しい戦闘がおこなわれたわけです。そして、この櫓から、敵に向かって銃撃もあったことでしょう

なので、火縄銃を持ち、それを外に向けることで、当時の真田軍に気持ちだけなりきってみた私…でした

櫓の造りが小屋のように小さめということもあり、ここにある展示物は決して多くはありませんでした。火縄銃の他に覚えているモノは鯱(しゃちほこ)。城の装飾に使われていたようです

錆びてはいましたが、原型は留めており、「鯱って名古屋城だけじゃないんだな、名古屋城のは大きくて金色だったけど…」と思いました

櫓を見学した私は、(チケットが上田市立博物館との共通券なので)博物館へ

(上田城址公園ガイドマップより)真田氏をはじめ歴代城主の資料や上田地方の歴史・民俗・自然資料を収蔵・展示。国の重要文化財「織田信長所用韋胴服」「国友藤兵衛作反射望遠鏡」等を所蔵

館内は撮影一切NG。なのでここではなく、その近く、城址公園向かいにある観光課に展示されていた鎧(2016年大河ドラマ「真田丸」で使用された)を添付画像の1つに

本館と別館、それぞれ展示品があったが、一番度肝を抜いたのが、別館2階のVRシアター

(上田城址公園ガイドマップより)「400年前の上田城を最新映像技術VRでリアルに再現。上田城の中を空中散歩しているかのよう」

ただ椅子に座って映像を眺めているだけ。決して椅子が動いているわけではない。けれど、その動く映像により、まるで自分が遊園地の乗り物にでも乗ったかのような気分になったのです

上空から飛来する鳥のように、城の門に降り立ち、そこから中に入るごとに解説がなされていき、最後に本丸に入るも、関ヶ原の戦いにおける敗北にて、徳川に徹底的に破壊された…とされる本丸の施設

第二次上田合戦にて真田信繁(通称:幸村)・昌幸は徳川軍に勝利こそするものの(というか徳川秀忠率いる軍勢を食い止め、関ヶ原到着を遅らせた…というほうが正しいかな)、関ヶ原の戦いで西軍(つまり信繁側)が敗北したため、敗北者に…

石田三成を始めとした西軍の大将は死罪になったり流罪に処されたりし、信繁たちもピンチだったが、信繁の兄の信幸(昌幸は、どちらが勝ってもお家断絶しないよう、信幸を東軍・信繁を西軍につかせた)の嘆願により、高野山に流罪…

天守閣が破壊された後、信幸は上田城に入るも、(徳川に遠慮したからか)天守閣は再建せず、武家屋敷で執務をおこなったそう

昌幸は1612年に病死。信繁は1615年に大阪夏の陣で戦死。しかし、信幸はその後も生き続け、名前を「信之(父昌幸との決別を表しているそう)」に改めます。そして1658年、93歳という大長寿を全うした…

それにしても、戦後の上田城徹底破壊には、家康の信繁親子、そして真田軍への恐れが十分に垣間見える気がします。小牧長久手の戦いを代表するように、戦上手で名の知れた家康

その徳川軍のお株を奪うように、数で劣る軍勢で苦しめた…のですからね

+ 続きを読む

うさ

上田城 (2023/10/14 訪問)

たくさんの観光客の方がいらしてました。
無料駐車場も目の前にあります。資料館もあります。

+ 続きを読む

トベシュン

長野百名城巡り (2023/09/10 訪問)

長野百名城巡り 高遠城址、松本城、松代城址、上田城址、小諸城址の五城を巡ってきました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

概要

徳川軍を撃破した真田氏の城として有名だが、現在見られる櫓・堀・石垣は仙石氏によって改修されたもの。かつて7棟あった本丸の櫓のうち、南櫓と北櫓は移築再建されたもの。西櫓だけが昔の姿のまま現存している。真田氏の時代には水堀だった、空堀の「けやき並木遊歩道」も歩きたい。

城郭情報

城地種類 梯郭式平城
築城年代 天正11年(1583)
築城者 真田昌幸
主要城主 真田氏、仙石氏、松平氏
文化財史跡区分 県宝(南櫓、北櫓、西櫓)、国史跡(上田城跡)
天守の現況・形態 不明
主な関連施設 門、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、櫓、石垣、土塁、横堀(空堀)
住所 長野県上田市二の丸
問い合わせ先 上田市文化振興課
問い合わせ先電話番号 0268-23-6361