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周辺散策 (2024/09/16 訪問)

 周辺の遺構や建築物を散策しました。大手門、大手門番所、蕗の門(移築門 円満寺山門)、竹の丸など周辺を散策しました。

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掛川古城 (2024/09/16 訪問)

 掛川城へ行ったついでに立ち寄りました。最初の掛川城ということで周辺観光にて投稿しました。掛川城からは北東へ徒歩10分くらいです。室町時代、遠江進出を狙う駿河の守護・今川氏が家臣の朝比奈泰凞の命じてこの地に築城したのが掛川城のはじまりです。龍華院大猷院霊屋のある削平地が掛川古城の本曲輪で、その東側に土塁と堀切が残っています。また徳川秀忠の母「西郷の局」の碑があります。

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りくこう

群馬屈指の堅城 岩櫃城 (2024/09/04 訪問)

沼田城へ行った後、ローカル線を乗り継ぎつつ群馬原町駅へ
大型スーパー、ドラッグストア、焼肉屋、ラーメン屋、ネイルサロンなど多くの店が並ぶ大通りを抜けると案内板があり、とても行きやすかったです。
山へ入ると、クマ出没注意の看板がありましたが、遭遇する事は無く511m地点まで行くと観光案内所、自動販売機、休憩小屋があります。
511mから先の道は不安定で、慎重に行きました。途中滑落しそうになって危なかったですが、跡地まで辿り着いた時の達成感は計り知れないものでした!
ゼロから登ってみて、堅城だった理由を肌で体感しました…こりゃ攻める方も大変だったなと
ここまで険しい道だったので大体、1時間弱は歩いたと思います。

帰りは道を間違えて遭難しそうになりましたが、それも良い経験となりました(笑)

そして名胡桃城、沼田城、岩櫃城へ行った人しか貰えないクリアファイルも貰えて良い城巡りとなりました。

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山内一豊 (2024/09/16 訪問)

 久しぶりの掛川城です。近くまで来たので寄ってきました。天守閣の修復工事後は初めての登城となります。今川氏が東遠江の拠点として朝比奈泰凞に築かせた城ですが、最初は現在の場所から北東500mほどの距離にある子角山にありました。今川氏の勢力拡大にともなう城域の拡張のため朝比奈泰能が現在の龍頭山に新城を築きました。本格的な近代城郭として整備したのは山内一豊です。遺っている遺構は多くありませんが、整備されていて気持ちよく散策できます。二の丸御殿が現存しているのはありがたいですね。荒和布櫓跡に移築されている太鼓櫓が気に入っていますが、内部が見学できないのが残念です。

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りくこう

信幸夫妻縁の城 沼田城 (2024/09/04 訪問)

名胡桃城へ行った後、バスで沼田市役所付近まで行って滝坂を登るのを避けつつ沼田城へ
城から沼田駅へ向かう際に滝坂を降りましたが、登ったらキツかっただろうなと思いました(笑)

お城自体は公園として整備され、地元の方達の良い散歩コースになっているなという印象でした。
所々に戦国無双の真田幸村、信幸、稲姫の等身大パネルが所々にあって青春時代にハマった事を思い出しました(笑)

最寄りの沼田駅はお土産店や飲食店があり、電車の待ち時間もとても過ごしやすかったです。
途中、ぐんまちゃんとお会いしました(笑)

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朝田 辰兵衛

感状山城のバーターです…💐 (2024/06/24 訪問)

感状山城からの復路,路線バスを相生市民病院前で降車して,徒歩で向かいましたが,時間を測定し忘れました。ヒルの影響で,少々貧血気味だったのかも…。
大嶋城は,相生港での水運で繁栄しただろうと,容易に想像できる立地条件です。そもそも,海中に浮かぶ島だったと,パネルに書いてありました。
いぼ取り井戸の場所はわかりにくいです。9枚目の写真をヒントに散策してください。ちょっと下ったところにあります。

にのまるさんへ…
この大嶋城はヒントではなく,大島に行って来たワケではありません。
以下に解答例を。
「それは,ひみちゅだ」
「えっ,ひみちゅなんでちゅか?」
「しょーなんでちゅよ」
「しょーなんでちゅか」
というワケで,湘南です。
ずっと昔,どこぞの売れない芸人が使ってたネタです。
もう,忘れましたが…。

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城好き

藤堂高虎築城の城 (2024/09/13 訪問)

 村上海賊の城を廻った後、最後は今治市内に入り、今治城に立ち寄りました。今治城は、10年ぶり。今回で4度目の登城となりました。
今治城の地は、瀬戸内海に面し「吹揚の浜」と呼ばれた砂丘地帯だったとか。城の山里櫓方面にはその名も「吹揚小学校」が隣接。運動会前の練習なのか、吹奏楽部と思われる子ども達が「宇宙戦艦ヤマト」の演奏をしており、曲に合わせて旗振りのパフォーマンスをしていました。
 さて、今治城の話にもどりますが、この城は築城の名手として名高い藤堂高虎が、関ヶ原の戦功で伊予半国20万国を領し、慶長7年(1602)に築城を開始。約6年の歳月をかけ、慶長13年頃にほぼ完成したとのこと。創建時には史上初の層塔型天守が建てられていたとか。層塔型は構造が簡単で建立が容易あるため、その後の天守のモデルになったのだそうです。天守は、その後慶長15年(1610)に丹波亀山城に移築されたとのこと。現在は、層塔型の模擬天守が立っており、資料館となっています。
 天守の他にも、御金櫓(おかねやぐら)、山里櫓(やまざとやぐら)、鉄御門・武具櫓(くろがねごもん・ぶぐやぐら)の中に入ることができます。櫓内は、美術館等になっています。本丸にある吹揚神社にお参りもしました。いろいろ巡れて大満足です。さすが100名城。美しい城でした。

【今治城】
開館時間  :9:00〜17:00
休館日   :12月29・30・31日
天守等観覧料:一般520円 学生260円 高齢者420円 高校生以下無料
駐車場   :乗用車1時間100円 

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ぎりょう

伊治公呰麻呂の乱の舞台を訪ねて (2024/09/16 訪問)

天候不順の三連休でしたが晴れ間をみてお隣栗原市にある伊治城跡を訪問しました。阿弖流為の時代に興味を感じて始めた征夷政策の拠点古代城柵官衙の訪問四ヵ所目です。伊治城は宮城県北栗原市の一迫、二迫の二つの河川に挟まれた河岸段丘に築かれ、胆沢築城前は多賀城の前線基地として重要な拠点でした。南北約900m、東西700mの規模で、政庁跡と北側の外郭跡の土塁が残っています。
これまでも何度か訪れたことがあるのですが、蝦夷と朝廷の三十八年争乱では、宝亀11年(780)に「伊治公呰麻呂の乱」の舞台となった場所と知って再訪しました。
栗原市築館の街中を国道4号線を北進、城生野峯岸で左折すると間もなく政庁跡や北の外郭跡に着きます。政庁跡はかつて広々としており古代城柵のイメージがありましたが、近年は住宅が建ち並び、遺跡というより広い空地にしか見えなくなりました。説明板もかなり以前からあるものです。現状が遺跡として判りにくくなっており、全体のイメージが理解できるようビジュアルなものにしてもらいたいと感じました。

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城好きのメガネ

「下田城」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
下田城は、1589年、後北条氏が豊臣氏の侵攻に備え、山中城(日本100名城)とともに大改修を行った。城主は後北条氏・譜代の家臣である清水康英が守備した。豊臣側は長宗我部元親・脇坂安治らが猛攻を繰り返す。清水康英の指揮のもと約50日間耐えるも降伏勧告を受け、開城し廃城となる。現在、曲輪、土塁、横堀が遺されている。

<アクセス>
伊豆急下田駅 徒歩20分

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城好き

今治市村上海賊ミュージアム (2024/09/13 訪問)

因島水軍城、甘崎城を経由して、村上海賊ミュージアムにも立ち寄りました。
新しくて、とってもきれいなミュージアム。
城関係の本や資料もたくさん置いてあり、ゆっくりと過ごすことができる場所です。
ミュージアムの屋上から、能島城を眺めることができました。能島城は村上三家のうち能島村上氏の居城です。
また、能島城は続百名城にも登録されています。
名城スタンプと御城印をあわせてゲットしました。

【今治市村上海賊ミュージアム】
開館時間:午前9:00〜午後5:00(入館は午後4:30まで)
休館日 :月曜日(休日の場合は翌平日)・年末年始(12/29〜1/3)
観覧料 :大人310円 高齢者250円 学生160円 高校生以下無料
駐車場 :無料

【村上三家】
 村上海賊は、14世紀中期頃から瀬戸内海で活躍をした一族。密集する島々やその間を流れる激しい潮流から、古来より航海の難所と言われる芸予諸島の、因島・能島・来島に本拠地をおいた三家からなり、連携と離反を繰り返しつつも、互いに同族意識をもっていたとのこと。
 宣教師ルイス・フロイスは、強大な力よって瀬戸内海航路を支配した村上海賊を「日本最大の海賊」と呼んだのだそう。
 

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りくこう

群馬の山城 名胡桃城訪問 (2024/09/04 訪問)

上越線 後閑駅から歩いて3~40分ほどにある山城で、駅に案内図が無料配布されているので迷わず行くことが出来ました。
馬出、三郭、二郭南虎口、二郭など保存状態がよく残っており、景色も含めて見応えがある城跡でした。
すぐ側にある案内所にてスタンプを押すと、スタッフの方が親切な方で、滝坂を避けて沼田城へ行く方法を教えて下さり、岩櫃城にも行きましたので、かなり助かりました(笑)

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城好き

大山祗神社にも行きました! (2024/09/13 訪問)

甘崎城は、城郭検定準1級の問題としても出題されたこともある城です。私はこの問題、解けませんでしたが。。。。
当日はとても天気がよく、説明の看板を見ながら当時の姿を想像しながら、じっくりと見学しました。
年に数回、干潮のときに島に渡れるとか。。。渡ってみたい!!
この場所からは確認できませんでしたが、渡ると当時の石垣をしっかりと確認できるらしいです。

見学のあと、大山祗神社に行きました。乎知命(おちのみこと)御手植と伝えられる樹齢2600年の楠の木があったり、重要文化財の御本殿があったりなど、マイナスイオンを感じる空間でした。また、全国の国宝・重要文化財の指定を受けた武具類の8割が保存されているといわれる紫陽殿、国宝館もあり、圧巻でした。瀬戸内のジャンヌダルクと言われた鶴姫の甲冑(重要文化財)も見ることができ、大満足でした。

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城好き

因島水軍城 (2024/09/13 訪問)

因島村上氏の戦国山城、青陰城を眺めることができる資料館、因島水軍城を訪れました。
因島水軍城では、因島村上氏が残した武具や遺品・古文書など歴史資料が多数展示されていました。
見学の後、近くにあるラーメン専門店 萬来軒(ばんらいけん)で尾道ラーメンを食しました。
このラーメン、とってもおいしかったです。

【因島水軍城】
開館時間:午前9:30〜午後5:00(入館時間 午後4:30まで)
     ※但し1月2日・3日は、10:00〜15:00
休館日 :毎週木曜日(祝日を除く)12月29日〜1月1日
観覧料 :大人330円 小人160円
駐車場 :無料(50台)

【因島村上家】
 因島村上氏は、中世瀬戸内海の中心にあって11万4千5百余を領有した海の大名であり数百年にたって瀬戸内海の制海を握り、幾多の合戦に参加した他、遣明船の使節達の警護などを行っていました。
 特に因島村上氏6代当主村上新蔵人𠮷充は、弘治元年(1555)、毛利氏と陶氏が戦った厳島合戦で毛利氏に加勢し勝利をもたらしました。また、天正四年(1576)7月の木津川口合戦では、毛利警護船団の一翼を担い、織田信長率いる織田水軍を壊滅させ、毛利氏の勝利に大きく貢献しました。
(因島水軍城パンフレットより)


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ランフランコ

#33 虎臥城 (2024/09/14 訪問)

天守閣はなくとも、やはりここは最高の城。

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todo94

佐久島からの帰路の攻城① (2024/09/15 訪問)

3連休の初日に所用が入っていたため、あまり遠くない行き先を思案していたところ、2024年9月の駅すぱあとのメルマガ、駅すぱあとアンテナに三河湾に浮かぶアートの島・佐久島が紹介されていたので日帰りで行くことにしました。直線距離は熱海の初島の方が近いと思いますが、うちから最もアクセスしやすいのが佐久島だと思います。高温多湿で、大汗をかきながらスタンプラリーを思う存分楽しむことができました。佐久島の渡船が発着する一色港からの帰路の途上、最初に立ち寄ったのが、此処、大浜陣屋になります。先達の皆さんに倣ってお向かいのスーパーに駐車させていただきお買い物。渥美半島産の一度も冷凍していない釜揚げしらすの新物を購入しました。帰宅後、さっそく食べてみましたが、非常に美味しかったです。大浜陣屋広場は小さな公園なのでサクッとみてくることができました。

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にのまる

18きっぷラスト(8回目) (2024/09/07 訪問)

興国寺城に行くか諏訪原城に行くか、東海道線が静岡県に入っても決められずにいたのですが、〈より行きたいのはどちらなのか?〉と自分の心に尋ねてみたところ、〈諏訪原城〉という答えが返ってきたので、片道約5時間の旅となりました。JREポイントを使い尽くしていたのでグリーン車には乗りませんでしたが、313系の転換クロスシートをはじめとして全て座れて快適でした。

金谷駅から旧東海道の石畳を歩きます。「平成の道普請」として復元してくださった石畳の道は杉木立に覆われ、時代劇の中に迷い込んだような錯覚に陥ります。編笠被って脚絆を付けて…が似合いそう。
すんなりと一歩を踏み出せたのは、この道がどこまで続いているのか、ゴールが見えなかったせいかもしれません。歩き出すとなかなかハードです。しかし旅人が歩きやすいようにと山石を敷いてくださったのですから、きついのは気のせいだと思うことにしました。“すべらず地蔵”も過ぎてようやく到着です。

前回訪問時はビジターセンターはなかったので早速入ってみました。金谷駅前の観光案内所が無人案内所になっていたので現地施設は助かります。“ご自由にお持ちください”のミニうちわもありがたかったです。
整然と並べられた出土品の鉄砲玉や地元高校生作のジオラマなど、選び抜かれたに違いない展示を楽しませていただきました。

諏訪原城で気になっていたものの一つに〈勝頼ハンコ〉があります。屋外のスチールボックスの中に続100名城スタンプと一緒に入っていた勝頼ハンコ。まだあったら押しまくりたいなぁと思っていたのですが見つけられませんでした😢

いよいよ城内探検です。
順路が示してあり、マップも説明板も備えてくださっています。
にもかかわらず逆まわりをしてしまい、わりとすぐにわけがわからなくなってしまいました(*_*)
もう、この際とことん迷うことにして歩き続けます。
ここはどこ?
どっちから来たっけ?
がずっと続き、新しい場所に出るたびに“おぉーっ!”となって、巨大迷路の中を歩いているみたいでした。

多分水の手曲輪以外は案内書にあるポイントは全て行けたのではないかなと思います。前回カモシカに遭遇して途中退散してしまい、これほど大きな城郭とは思っていなかったので、行けてよかったです。三日月堀や復元薬医門、大きな外堀、広大な曲輪と惹かれるものはたくさんありましたが、堀底のカンカン井戸がいちばんグッときました。

本曲輪東側から望んだ大井川。自然地形を利用していること、交通の要衝であったことがよくわかるポイントです。
再び石畳道を歩いて金谷駅へ戻り、電車でひと駅の島田で下車。つぎにその大井川を渡りに行きました。


【蓬萊橋】
島田駅から徒歩20分くらいです。
蓬萊橋はギネス認定の世界一長い木造歩道橋。(現在の橋脚はコンクリート)。
“越すに越されぬ大井川”を歩いて渡れるなんて!一生に一度でいいから経験してみたい!!
897.4mは関門人道トンネルよりも長い!本州から九州に渡るよりも遠い!!
ワクワク☺️が止まりません。
渡し賃100円を支払い、往復しました。
日差しは強かったけれど吹き抜ける風が気持ちよくて、長さがある分満足度も高く、いい思い出になりました。

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とばつびしゃもん

茶色い天守の城 (2024/05/05 訪問)

宿営先から徒歩で攻城。冠木橋を渡り冠木門を通り抜けるとそこは本丸。
茶色く見える復興天守へ入城。1階に設置された続日本100名城スタンプポン。天守内部は資料館。高島藩の後継者争いである二の丸騒動に関する展示が多くあり興味深く見られました。
天守を出てから本丸内を見てまわり、本丸南東部にある陸橋からうっすら見える富士山を眺める。本丸を離れて二ノ丸跡、三ノ丸跡を歩いて大手門があったとされる場所まで行くが遺構は確認できず。
本丸へ戻り、2時間の攻城を終える。

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まつたく

宿泊したい

福山城に宿泊できるらしい。どなたか宿泊した体験を教えてもらえないだろうか?

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とばつびしゃもん

穴城と呼ばれる城 (2024/05/04 訪問)

13年ぶりに登城。三の門近くの有料の第1駐車場に駐車し登城開始。
三の門料金所から二の丸を経由し、黒門橋を右に進み水の手展望台へ。眼下に千曲川を見下ろす眺望は気持ちよい。本丸へ入って天守台に登る。天守台には柵がなく、それほど高さは感じないものの端から見下ろすと少し恐い。
「懐古園」の大きな額が目を引く三の門を抜け大手門へ。巨大な櫓門を見上げると圧倒される。
大手門横の茶店で休憩の後、駐車場に戻り75分ほどの攻城。諏訪湖畔で宿営。

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ぎりょう

中世山城発掘現場を見学 「兵六館」 宮城県富谷市西成田 (2024/09/07 訪問)

宮城県富谷市の中世山城「兵六館」跡を訪れました。富谷市文化財課は今年6月から西成田地区にある九ヵ所の遺跡の調査を行っており、この日は県考古学会の中世・近世部会に向けた発掘調査現場の見学会でしたが、会員と同行した私も見学させていただきました。
総面積14ヘクタールの調査地のうち、8ヘクタールが兵六館の城域とのことで、山城跡は樹木が伐採されとても見やすい状況になっていました。標高70mほどの山上に曲輪、腰曲輪、堀切、土塁の遺構が確認されており、主曲輪では複数の掘立式建物跡も見つかっています。自身ここ数年地域の中世山城の調査を行ってきましたが、城の縄張りの全容が確認できる発掘現場の見学は初めてのことであり、大変勉強になりました。
この地域は多賀城にも近く古くからの交通の要衝。「仙臺領古城書上」や、「安永風土記御用書立」の成田村の項にも記載が無く、運用時期や館主は不明ですが、遺構の状況から15世紀末から16世紀前半かとの説明がありました。
なお、9月29日(日)には一般向け現地説明会も予定されており、詳細は富谷市のHPで確認できます。

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