(学校の修学旅行でつけた日誌より)
今日は函館めぐりだった
五稜郭公園に着き、周りを散策したが、普通の公園ぐらいにしか感じなかった
タワーもあったが上には登らなかった
しかし、中の展示は明治維新の人物がたくさんでてきて面白かった
移動は函館市内特有の市電で移動した
こういう体験をするのも良い思い出になる
(ちなみに画像は今年(令和8年)の再訪において撮影したもの…当時のではありません)
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2026/07/03 21:25
平成12年訪問記 (2000/10/07 訪問)
(学校の修学旅行でつけた日誌より)
今日は函館めぐりだった
五稜郭公園に着き、周りを散策したが、普通の公園ぐらいにしか感じなかった
タワーもあったが上には登らなかった
しかし、中の展示は明治維新の人物がたくさんでてきて面白かった
移動は函館市内特有の市電で移動した
こういう体験をするのも良い思い出になる
(ちなみに画像は今年(令和8年)の再訪において撮影したもの…当時のではありません)
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2026/07/03 20:44
宮崎城 (2026/05/10 訪問)
【宮崎城】
<駐車場他>城山駐車場でも上ノ山駐車場どちらでもよい。
<交通手段>車
<見所>堀切・曲輪
<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅ラスト24城目。現地説明板によると1182年、宮崎城はこの地の豪族である城主宮崎太郎康長が北陸宮(以仁王の第一王子)を迎え御所を造営されたのがはじまりとされます。戦国時代には上杉氏、佐々氏、前田家の家臣などが城主となります。江戸時代には国境の関所が設けられ廃城となります。
城山駐車場に駐車し登城しました。こちらから行くと本丸の手前の曲輪は陸軍が造ったもので、そこの公園から本丸に直結で行けます。本丸は広い帯曲輪が取り巻いています。本丸から段々に二の丸・三の丸と降りて行って、切り通し道をかなり降った所に上ノ山出丸跡があります。上ノ山出丸跡がちょうど上ノ山駐車場になっています。各々の曲輪は堀切で仕切っています。二の丸の法面石垣は古いもののように感じました。
これにてこの旅終了、山城シーズンも終わり、ちょこ城を荒稼ぎできる地域を地図を眺めて、千里浜も行きたかったし、この地域に決定しました。千里浜はドライブウェイ出来ませんでしたが、またの機会として登城は計画通り遂行できました。
<旅を終えて>富山県はまだまだ山城の登城が残っていて語るには少し足りないですが、高岡市周辺の平城跡は一向宗、富山市の平城跡は地方豪族、東に行くにしたがって上杉氏の影響力が出てきて椎名氏などの上杉氏に従属する豪族の城が出てくるように感じました。加賀の大聖寺城に行ってからの、この越中国の石碑や土塁の一部しか残っていない城跡だけれども戦国時代、一向宗の影響力がこの辺りまであった事がよくわかった旅でした。
走行距離1045㎞無事走破。
<満足度>◆◆◇
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2026/07/03 20:12
さて誰の城館だったのだろう (2025/09/07 訪問)
武田○○館なる伝承地を並べてみると上杉禅秀の乱に加担した武田信満の館がはっきりしない。信満の没年とほぼ等しい頃に開基された清白寺は連方屋敷の至近にある。状況証拠的にはここが信満の館なのだろうと思う。
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2026/07/03 16:08
素敵な城さんぽ時間を過ごせました。 (2026/05/31 訪問)
蒲池城見学後、徒歩で向かいました。
柳城中学校の一角に天守台と石垣、水堀。校庭に天守台が現存するなんて羨ましすぎです。外から見上げるだけでしたが生徒さんたちは登り放題かも⁈
周辺を少し散策して御花と立花家史料館へ。御花は結婚式のため一部入場制限されていましたが、西洋館はため息が出るくらいステキで、2階から見下ろす庭園もとても素晴らしかったです。また、城下絵図や天守模型、そしていちばん見たかったずらりと並ぶ金箔押桃形兜も見られて大満足でした。
立花家史料館はお雛様セットやお人形セットなどどれもこれもかわいらしくて姫気分で見入ってしまいました😊
帰りは水辺の散歩道(城北コース)を通りつつ西鉄柳川駅へ。天神から高速バス「ふくふく号」で下関に戻りました。
朝田さん、さすが雨男さんですね!あの大雨の中、よくぞご無事で。
下関駅〜新下関を路線バス移動……遠かったでしょう?お疲れさまでしたm(_ _)m
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2026/07/03 10:27
13【秀長の因幡平定をたどる②】鳥取城(上ノ城)吉川経家と宮部継潤 (2026/05/16 訪問)
天球丸の登山口から、上ノ城を目指します。とても急斜面の登山道を登る事30分、上ノ城(久松山頂上:標高263m)へ到着しました(結構きつい😩)(写真①)。
上ノ城は、一番上から本丸・二ノ丸・三ノ丸・出丸と四段に構築された造りで(写真⑨)、見事な石垣で囲まれていました。これらの石垣は1582年、鳥取攻めの第一の戦功とされ、秀吉から因幡の地を与えられた、「宮部継潤」によって築かれました。そして継潤は、この天守台の上に三重の天守を建てたそうです(写真④⑤⑥)。
1581年(天正9)城主の山名豊国が逃げ出したため、毛利方より派遣された「吉川経家」が1,400の軍勢とともに籠城します。そこに城下の領民2,000以上が逃れて入ってきます。秀吉の米の買占めに会い、兵糧はわずか20日分しかなかったところへ、この領民が経家にとっては大きな誤算となりました。おそらく本丸には兵士が、二ノ丸・三ノ丸には領民が、所狭しとひしめき合っていたのではないでしょうか(写真⑦⑧)。
天守台から北を眺めると鳥取砂丘まで見えました(写真①②)。西には鳥取市街が広がっています(写真③)。天守台から東の方向を見ると、本陣山(太閤ヶ平)がよく見えました(写真⑩)。あの山には秀吉と秀長が陣を敷き、豊臣の旗が数多くなびいていたと思います。また眼下の雁金山城や丸山城(写真③右側)も宮部継潤によって攻められ落城、これにより海からの補給路は完全に断たれ、久松山は豊臣軍3万の軍勢に完全に取り囲まれてしまいました。そして籠城を始めて4カ月、ついに兵糧も尽きてしまいます。俗に言う「鳥取の渇え殺し」です。飢えに苦しむ家臣や領民を見ながら、吉川経家はどんな思いでここから、あの本陣山や眼下の景色を眺めていたのでしょうか?
このまま城を枕に民とともに討ち死にすべきか、いやもし我が命と引き換えにこの民の命を助ける事ができるのなら・・・。経家はこの山上で、究極の選択に悩んでいたのではないでしょうか?
次は写真⑩の本陣山(太閤ヶ平=豊臣秀吉陣跡)を目指し、途中にあるはずの豊臣秀長陣跡を探しながら、行ってみようと思います。
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2026/07/03 06:51
大人の休日俱楽部パス 飛島渡航失敗翌日・越乃Shu*kura乗車前の攻城 (2026/06/28 訪問)
大人の休日俱楽部パスが利用できる期間は、乗って楽しい列車の指定席をとるのに非常な困難が伴います。この日曜、最初は海里を狙っていたのですが、指定席が取れませんでした。越乃Shu*kuraも始発の上越妙高からの券は取れなかったのですが、長岡-十日町間の指定席が取れた次第です。列車の到着までの時間を使って長岡城の城址碑をめぐってみました。長岡城の前回攻城はコロナ禍前の8年前まで遡ります。しりとり後の攻城は今回が初めてでした。
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2026/07/03 05:33
(中国地方と兵庫県)遠征14日目:津山まなびの鉄道館 (2026/05/24 訪問)
津山城から25分くらい歩いて、津山まなびの鉄道館(35.053240、133.999520)に到着しました。
ディーゼル機関車、扇型機関車庫、転車台、ジオラマなどを見学できます。
津山城の入場券を見せたら特別入館券=240円で入館しました。
自分は鉄道マニアでなく鉄道知識もありませんが、十分楽しめます。
観光時間は15分くらいでした。
この後の当初予定は、矢筈城➡草苅氏居館(城びと未登録 岡山県津山市)➡矢筈城主草苅景継墓所(城びと未登録 岡山県津山市)を巡る予定でした。
持参している痛み止めは飲みましたが、湿布薬がない状態で山城の矢筈城登城は無理だと判断し本日の城巡りは、ここまでとしました。
当初攻城予定の城びと登録城が攻城できなかったのは、今回遠征では矢筈城は初めてになります。(何だかんだいっても今日までは登城口までは行っていました)
本日の宿泊先に向かう為、津山駅から、JR快速ことぶき&山陽本線を利用して福山駅に向かいました。
ちなみに湿布薬は福山駅のマツキヨで購入しました。ホテルの部屋入出可能時間前に福山駅に着いたため、ホテル付近で尾道ラーメンを食しました。
歩行歩数=18602歩、歩行距離=13.0Kmです。
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2026/07/03 05:28
(中国地方と兵庫県)遠征14日目:津山城 (2026/05/24 訪問)
衆楽園から徒歩15分弱で、津山城裏門入場券売場(35.063674、134.004436)に着きました。
しかし、裏門からは入城できず、あわてて表門に向かいました。
そこから、以下の順番で観光しました。
①:天守台跡(35.062777、134.004686)
津山城の営業時間=8:40~19:00、備中櫓=9:00~16:30
②:鶴山館(35.061488、134.006475)➡営業時間=9:00~17:00
②:大谷碧雲居句碑(35.061282、134.006827)
③:津山城宮川門跡(35.060963、134.006999) 石垣
④:竹下雨町句碑(35.061362、134.007643)➡左足首をひねってしまい、行ってません
津山城は今回2回目の攻城です。1回目は2019年3月16日に来ました。
前回、城内は備中櫓を含め一通り回ったつもりでしたが、鶴山館を見落としていたので、今回は鶴山館メインで攻城しました。
鶴山館に行ったら、工事中で中が見れませんでした。
津山城下城時、階段で左足首をひねってしまい、軽い捻挫の状態になりました。
今回の遠征、5/18(月)に高尾城で右ふくらはぎを痛め、右ふくらはぎが治ったら今日(5/24)は左足首軽い捻挫と負傷続きです。
津山まなびの鉄道館へ向かう道すがら薬局を捜し湿布薬を購入しようとしましたが、本日は日曜日でドラックストア含め薬局は全て閉まってました。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=矢筈城を攻城する前に、津山まなびの鉄道館へ徒歩で向かいました。
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2026/07/03 05:20
(中国地方と兵庫県)遠征14日目:衆楽園(津山藩主の別邸) (2026/05/24 訪問)
宿泊先のホテルから徒歩25分くらいで、衆楽園入口(35.069877、134.0057320)に着きました。
衆楽園は入場料は無料で7:00~18:00の間、開いています。
津山藩主の別邸だったそうです。
池を周遊するように小道があり、とても景色がいいです。
観光時間は30分くらいでした。次の攻城先=津山城へ徒歩で向かいました。
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2026/07/02 06:59
休日出勤 (2026/06/20 訪問)
この日は午後から岡山で仕事、休日出勤です。
他に用もないので早めに出かけて岡山城周辺を散策しました。
前回朝市が開かれていて見れなかった旭川沿いを歩きました。
東門跡から河川敷に降り、石垣に沿って歩きます。
この時季なので石垣も草木で隠れる部分が多く少し残念。
それでも二の丸素軒屋敷跡、さらには二の丸伊木長門屋敷内櫓跡を支える石垣を見学できます。
引き返し、遊歩道に沿って歩きせっかくなので本丸にもいきました。
この日は雨、早めの時間でもあり登城者はやや少なめでしょうか。
少し天守を眺めたあと、中には入らず月見櫓へ。
貴重な現存する建物です。
お昼も近づいてきたので月見櫓を支える石垣を見上げながら撤退しました。
車を置いていた近くに大手門跡があるのですが遺構はなさそうでした。
お昼は岡山名物のデミカツ丼、ボリューミーでもあり午後の仕事の活力になりました。
【見どころ】
・旭川沿いの石垣
・月見櫓と石垣
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2026/07/02 06:35
(中国地方と兵庫県)遠征13日目:三星城 (2026/05/23 訪問)
JR林野駅から徒歩10分くらいで、明見三星稲荷神社鳥居前(35.012799、134.146813)に到着しました。
築城年代は定かではないようですが、応保年間(1161年〜1163年)に渡辺長寛によって築かれたといわれています。
南北朝時代(1336年~1392年)には赤松氏に属していた後藤氏の本拠でしたが、南朝方の山名氏が美作に侵攻しこの城も落城しています。
後藤勝基の代の1561年(永禄4年)に宇喜多直家の息女・千代を妻に迎え、美作東部を支配するまでに勢力を広げました。
しかしその後、1575年(天正3年)に直家が主君である浦上氏を天神山城から追放し、美作への侵攻を開始すると旧浦上家臣らと結んで抵抗しましたが、1579年(天正7年)に落城しました。
美作中央病院横の明見三星稲荷神社の赤い鳥居から登れます。
曲輪等の遺構が残ってますが特に西の丸の土塁、その下の畝状竪堀群、西の丸から伸びる登り土塁が見応えがあります。
標柱や看板が登城口の分岐点や史跡跡に立っているのでわかりやすいです。
また山麓の屋敷跡には勝基の墓として五輪塔が建立されています。
二ノ丸下の灯り装置横の岩場をロープを使って登りますが、結構怖いです。また、山肌が脆く滑りやすいので、トレッキングシューズをおすすめします。
自分は電車の時間の都合で、二ノ丸までで引き返し主郭へは行っていません。
攻城時間は55分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
本日の宿泊先に戻る為、林野駅からJR姫新線で津山駅に向かいました。
歩行歩数=36182歩、歩行距離=25.3Kmです。
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2026/07/02 06:27
(中国地方と兵庫県)遠征13日目:上月城 (2026/05/23 訪問)
上月駅から徒歩10分ちょっとで、上月歴史資料館付近の遊歩道入口(34.977738、134.3246629)に到着しました。
ちなみに本日は土曜日なので、上月歴史資料館(10:00~16:00)は開いていましたが、靴を脱いでの見学だった為、靴下がグショグショの自分は遠慮しました。
築城年代は定かではないようですが、鎌倉時代末期に上月景盛が大平山に上月城を築いたのが始まりとされるようです。
1441年(嘉元年)4代景家の時、嘉吉の乱が発生し、上月氏の嫡流は滅び、上月城は播磨・備前・美作三国の境界に位置する地理的要素から攻防の的となりました。
1538年(天文7年)に尼子氏に攻略され落城した後、1557年(弘治3年)に赤松一門で「西播磨殿」と呼ばれたと伝わる政元が置塩城から入城。大内氏らとの激しい攻防戦の末、宇喜多直家によって攻め落とされます。
1577年(天正5年)織田信長の部将羽柴秀吉が福原城を攻略して上月城を攻めます。
上月城は赤松政範が籠もり宇喜多直家が救援に駆けつけますが、高倉山に本陣を構えていた羽柴秀吉によって上月城は落城し、政範は自刃して果てた。
その後、尼子勝久が入城しましたが、1578年(天正6年)毛利軍に攻められ、三木城攻めに手を焼いた秀吉軍に見放されてあえなく上月城は落城、尼子氏は滅亡しました。
現在は土塁や石垣、堀切などの遺構が残るほか、本丸に赤松氏の供養塔、麓には尼子氏の供養塔が残されています。
二ノ丸と三ノ丸の間で利神城方面の眺めます。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=三星城を攻城する為、上月駅からJR姫新線で林野駅に向かいました。
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2026/07/02 06:08
(中国地方と兵庫県)遠征13日目:福原城 (2026/05/23 訪問)
佐用駅から徒歩20分弱で、神社下(34.9961758、134.351466)に到着しました。
築城年代は定かではないようですが、建武年間(1334年〜1338年)佐用範家によって築かれたと云われています。
その後、赤松三十六衆のうち福原氏がこの城を継いだので、福原城と言われているようです。
1577年(天正5年)播磨国に侵攻した羽柴軍によって落城し、城主福原則尚は城に火を放ち高尾山円福寺で自刃しました。
落城時は城兵と城内の者すべてが斬られるという凄惨な状況だったそうです。
現在の福原城跡にある社は福原霊社と言い、城主福原氏を祀っており、頭脳明晰だった城主にあやかってお参りする人もいるそうです。
主郭の土塁の上に福原霊社があって、ここに説明板もあります。
土塁の背後は切り通し状になっていて堀切のようです。
主郭の北側に廻ると、土塁がわかり易く、また、堀跡かなと思われる窪みが土塁に沿って巡っています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=上月城を攻城する為、佐用駅からJR姫新線を利用して上月駅に向かいました。
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2026/07/02 06:03
(中国地方と兵庫県)遠征13日目:三日月陣屋 (2026/05/23 訪問)
三日月駅から徒歩10分弱で、表門・移築城門(34.989309、134.433840)に到着しました。
そこから、三日月陣屋館前(34.990779、134.431459)に向かい、物見櫓(現存)/中御門(復興)/通用門(復興)を確認した後で、広業館(移築)列祖神社(34.991074、134.430195)に向かい、三日月藩御家中寄進石鳥居と三日月藩九代藩主森俊滋奉納石灯籠を確認しました。
ちなみに本日は土曜日なので、三日月陣屋館(10:00~16:00)は開いていました。
三日月藩森氏は1676年(延宝4年)津山藩主森長武が弟長俊に、美作国勝山郡内に15,000石を分与したことに始まります。
三日月藩森氏は長俊の後、長記・俊春・俊韶・快温・長義・長篤・長国・俊滋と九代続いて明治に至ります。
快温も嗣子なく新見藩主関長誠の二男長義を養子に迎え、長義もまた赤穂藩主森忠賛の五男長篤を養子に迎えています。
三日月陣屋は津山藩森家の改易に伴って、その分家である森長俊がこの地に新規立藩し、1697年(元禄10年)に築いた陣屋です。
以降明治までの174年間、森氏によって治められましたが、廃藩置県により陣屋は解体されました。
表門、物見櫓を含む中御門や旧藩校広業館などの遺構を見て回れます。
三日月陣屋には前面に石垣と堀による仕切が残されています。
三日月陣屋館内に陳列されている瓦や鎧、発掘物などを見学しました。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=福原城を攻城する為、三日月駅からJR姫新線を利用して佐用駅に向かいました。
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2026/07/02 05:51
(中国地方と兵庫県)遠征13日目:赤松氏居館(城びと未登録 兵庫県上郡町)白旗城 (2026/05/23 訪問)
白旗山細野登山口から徒歩10分ちょっとで、南下進入口(34.912997、134.357674)に到着しました。
説明板はここ(34.913196、134.358150)にあります。
築城年代は定かではないようですが、赤松円心則村の屋敷跡と伝えられ、則村の三男の頃には守護の館が建てられたと伝えられています。
現在は空き地となっていて、説明板がある以外、何もありません。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=三日月陣屋を攻城する為、河野原円心駅から智頭急行とJR姫新線を利用して三日月駅に向かいました。
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2026/07/02 05:43
(中国地方と兵庫県)遠征13日目:白旗城 (2026/05/23 訪問)
ホテル最寄りの津山駅からJR姫新線を利用して河野原円心駅に着きました。
河野原円心駅から徒歩30分弱で、白旗山細野登山口(34.910548、134.3662896)に到着しました。
築城年代は定かではないようですが、1333年(元弘3年)頃に赤松円心則村によって築かれたと云われています。
1335年(建武2年)新田義貞が大軍を率いて白旗城を包囲しましたが、50日あまりの籠城を耐え抜き落城しなかったそうです。
しかし、1441年(嘉吉元年)嘉吉の乱では山名軍によって落城、赤松氏は城山城で一時滅亡したそうです。
登城口手前で白旗城を見ると白旗城はもやの中です。このもやは本丸に着いてもはれませんでした。
小雨が降る中カッパを着て、白旗山 細野登山口より攻城。
登城路は途中まではなだらかな道ですが、そこから先は、尾根に出るまで岩だらけの酷道が続きます。
二の丸から侍屋敷跡(伝)経由での大手段郭は多くの石積みが残りますが、こちらも崩落した石で足場が悪いので注意が必要です。
登山道が整備されているとはいえ、酷道ですのでトレッキングシューズでの登城をお勧めします。
登山口から本丸まで75分。案内標識がいたる所にあるので迷わず本丸まで行けます。
下山は55分。下山時、12回滑り4回転びました。靴もズボンもカッパも泥だらけです。
下山して登城口に着いた時は雨は止んでいました。
でもカッパの中はサウナ状態。流れる汗がしょっぱい。上下一式、廻りを気にしながら登山口で着替えました。
攻城時間は140分くらいでした。電車まで少し時間があったので、赤松氏居館(城びと未登録 兵庫県上郡町)に向かいました。
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2026/07/01 19:48
若栗城 (2026/05/10 訪問)
【若栗城】
<駐車場他>城跡公園の公衆トイレ側に駐車しました。
<交通手段>車
<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅23城目。お城の詳細は現地説明板の添付写真をご覧下さい。また補足で、主な城主が詳細は不明だが、不悪糺斎右京輔とか織田太郎左衛門とも言われ、言い伝えではこの不悪糺斎右京輔の娘が上杉軍の攻撃の時に奮戦したと説明板にあります。変わった名の姓なので、地元の成り上がり武士なのかもしれない。三方囲みの土塁が良く残っていました。この城跡が巡った城跡の中で一番立山連峰がきれいに望めました。
<満足度>◆◇◇
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2026/07/01 18:39
ダブルタイフーンに向かって…🌀🌀 (2026/06/25 訪問)
「ダブルタイフーン」という表現を使用した理由は,ドンピシャの「仮面ライダーV3」世代だからです…<笑>。
🛫福岡空港へは無事に飛びました。雨は降っていましたが,直方陣屋へも難なく移動できました。ただし,公園までのアプローチ道に落ち葉や木々が散乱しており,キャリーバッグ持ちにはしんどそうだったので,公園散策は断念しました。
直方駅ですが,直方陣屋と反対側の東側出口には,魁皇関の銅像があります。腰の雰囲気が似ています。相撲ファンの方は必見。
なお,この後,宿泊先の岩国駅前のホテルへ向かいましたが,山口県内の在来線が全て運休ということを下関駅で知りました。路線バスで新下関駅へ。新幹線で新岩国駅へ。新幹線も,途中で1時間ばかり運転見合わせがありました。新岩国駅から路線バスで岩国駅へ。錦帯橋経由でしたが,すでに真っ暗で確認できませんでした。
昌官忠さん,尼子十旗,尼子十砦,鳥取県コンプリート,おめでとうございます🎉
前回投稿にレスがなかったので,こういうノリは好かないのかな…と思いました。
クイズを出題することも可能ですので,OKの場合はレス願います。
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2026/07/01 11:27
本願寺攻めの砦 (2026/06/24 訪問)
仕事の関係で近くに来たため少し寄道をしてみました。
皆さんの書かれてる通り月江寺の門は閉められており、雨模様なので写真だけ撮って退散しました。
丁度大河ドラマで佐久間信盛が追放されるところ(攻城した際はまだ放送してなかった)が放送されていました。
討ち死にした塙直政は調べるとどちらかと言えば文官タイプで武闘派ではなかったそうです。
直政が討ち死にしたあと本願寺側がここまで勢いよく攻めたのを織田信長が自ら援軍として駆け付け2700もの首を取ったとされていますが、まさに鬼神ですね…恐ろしい…
その際に足を鉄砲で撃たれていたとのことなので想像を絶する鬼の形相だったんだろうなぁ…
それだけ必死だったんだからお前何やってんだって佐久間信盛も言われて仕方なかったのかな。
ただ高野山に追放は恐ろしすぎる(切腹より良いのか?)
いやー見るところが無いと想像で楽しめるという事がよくわかりました(笑)
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2026/07/01 10:09
12【秀長の因幡平定をたどる①】鳥取城(下ノ城)池田氏32万石の威風 (2026/05/16 訪問)
豊岡から鳥取まで1日1本の直通普通列車に乗り2時間30分、鳥取駅に到着しました(写真⑩)。鳥取県は初見参です(ここがカズさんの故郷か~🤔)。これから100名城の「鳥取城」から秀吉の本陣「太閤ヶ平」までを目指そうと思います。
到着後は「東横イン鳥取駅北口」へ宿泊しました(写真⑨)。北口は最近再開発されたような感じで、ホテルは新築できれいでした。そして翌朝、今日は長期戦となるので、無料朝食を腹いっぱい食べて、コインロッカーに荷物を預け、ペットボトル2本と汗拭きタオル3枚を駅構内のコンビニで買ってリュックに入れ、今回初めて九州では売っていないので通販で買った熊鈴を下げて、いざ出陣です!
駅前から「くる梨循環100円バス(緑コース)」に乗り「仁風閣・県立博物館」で下車しました(写真⑨)。まず「吉川経家」様に御挨拶します。経家様と久松山、いいアングルです(写真②)。どうやら自分の命と引き換えに、鳥取の民の命を救った経家様は、今でも鳥取市民のヒーローのようです。
擬宝珠橋から中ノ御門をくぐります(写真①③④)。すでにここで鳥取藩32万石の格式を感じます。この先は工事通行止めだったので、再び堀に出て北ノ御門から入り、仁風閣(仮設)で100名城スタンプを押し登城開始しました。途中に築かれている高石垣に圧倒されながら二ノ丸へ。二ノ丸には登り石垣もありました(写真⑤⑥)。
この後、上ノ城まで登る途中で気づいたのですが、この久松山(きゅうしょうざん)は、山全体が岩盤でできた花崗岩がむき出しの山で、途中に石切り場の跡のような場所がいくつもありました。築城に必要な石の調達には事欠かなかったようですね。
そして北ノ御門から登る事20分、天球丸(池田長吉の姉天球院の居所)まで登ると鳥取市街が一望できます(写真⑥)。でもあれ? 有名な巻石垣はどこ? と思ったらすぐ下に見えました(写真⑧)。知らない間に通り過ぎてしまったようです(笑)。
城を利用して健康づくりの散歩をされている方も多く見かけました。鳥取城は市民の健康つくりの場にもなっているようで、うらやましいというか住んでみたいと感じました。
ではここ天球丸から、まず上ノ城(久松山(写真①②)の山頂)を目指して、登山を開始します。次は上ノ城に続きます。
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