この日は金龍紀行として賤ヶ岳の戦いでの金森長近の陣跡に行くつもりでしたが、さすがは近畿で有数の豪雪地帯、山麓の登城口でさえ雪に覆われており、進むにつれてどんどん雪が深くなってきたため途中で登城を断念…。一日かけて柴田軍の他の陣跡もめぐる予定だったため他の城の縄張図は持参しておらず、どうしたものかと思案した結果、この日あわせてポチ制覇する予定だったニッポン城めぐりの「豊臣一族ゆかりの北近江」イベントに加えて、岐阜県から愛知県にまわって「豊臣新幹線 天下統一行き 第一章 立身の章」もあわせてポチ制覇することに決定。とはいえ一日中車を走らせてスマホをポチして回るだけではあまりに虚しいので、別の機会に行くつもりだった関ケ原の戦いでの金森長近の陣跡に(ついでに前回の取りこぼしも)行くことにしました。
脇坂安治陣(関ケ原町藤下)
松尾山北麓、名神高速南側の側道から南に入ったところに石碑と説明板が立てられています。周囲の平坦地は駐屯地でしょうか。藤堂高虎の調略により内応を約していましたが、小早川秀秋隊の内応を期に大谷吉継隊に攻めかかり、東軍の勝利に貢献したのは周知のとおり。松尾山城に続いて訪れるつもりが道路工事中で近付けなかったのを6年越しでようやく回収できました。
金森長近陣(関ケ原町関ケ原)
関ケ原合戦陣形図によれば金森長近は東山道の北側、相川のあたりに生駒一正、織田長益、古田重勝らと並んで布陣していたようで、現地に石碑や説明板は見当たりませんでしたが、この辺かなぁ…というあたりに行ってきました。それにしても、跡継ぎもちゃんといるのに御年77歳にして天下分け目の大合戦の前線で戦う長近…。やはり只者ではありません。
徳川家康岡山本陣(大垣市牧野町)
徳川家康は関ケ原本戦前日に赤坂に入り、岡山に本陣を置きました。戦時中に高射砲台が置かれたためか遺構は消滅しているものの、山頂には岡山本陣址の石碑や模擬物見台が設けられている…ようですが、現在は立入禁止になっていて確認できません。立入禁止の立札越しに岡山本陣跡の写真を撮って撤退しました。岡山本陣では遠藤慶隆と同行して金森長近と可重(慶隆の娘婿)も家康に面会しているようです。
…これでようやく昨年分の投稿を完了。もう7月だというのに…。「真田丸」は面白かったけど、やっぱりサボってる場合じゃありませんでした(笑)
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