上ノ城からの景色を満喫した後は、本陣山(太閤ヶ平)を目指しました。ここからは、軽いアップダウンが続く、よく整備された自然遊歩道を歩きます(写真①②)。
歩き始めて40分、落ちそうで落ちない倒木があり、その下をよく見ると畝状竪堀と土塁らしきものがあります(写真③④)。これが地図上にある「大防衛ライン」と思われます(地図⑧)。これはもし攻められた時の最終防御ラインであり、当時はおそらくこれは秀吉の陣と秀長の陣を密に結ぶ連絡通路も兼ねていたのではないかと推測しました。という事は、このあたりに秀長の陣があったはず🤔?
そのすぐ先に、50m先展望台の標識を見つけたので行ってみました(写真⑤⑥)。展望台から開けた景色があり、その先には丸山城が見えました。しかし久松山(鳥取城)は見えません。でも目の前にある場所まで行けばよく見えそうです。という事は・・・🤔? このあたりも陣の一部かとは思いますが、どうやら目の前の場所が、秀長が久松山(鳥取城)を眺めていた場所だという事になります(写真⑦)。おそらく直線距離で100mくらいなのですが、しかしそこに行ける道はなく、無理して掻き分けて入れば行けるのかもしれませんが、雑木や枯葉も多いのですべって滑落などしてはと思い、大事をとって断念しました(でも後で後悔😩整備してほしいなあ~)。秀長はあそこからどんな思いで、吉川経家が籠る久松山を眺めていたのでしょうか?
またそこからは、毛利方の雁金山城や丸山城に果敢に攻め込み、敵が海から川を利用して兵糧を運び込むのを阻止する、宮部継潤の姿も秀長には見えていたと思います。「でかした継潤!」秀長はあの陣から思わずそう叫んでいたのではないでしょうか?
ではこのままもう少し歩き、本陣山の山頂(秀吉陣跡=太閤ヶ平)を目指します。
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