湯山館(湯山御殿)は豊臣秀吉が有馬温泉での湯治施設として造営しましたが、慶長伏見地震で倒壊。2年後に再建されるも秀吉は訪れることなく亡くなり、江戸初期に徳川氏により取り壊されて、跡地には極楽寺と念仏寺が建てられました。秀吉の没後400年を経て、阪神淡路大震災で倒壊した極楽寺庫裏の建て替え工事に伴う発掘調査で湯山館の湯殿が確認され、太閤の湯殿館として公開されています。
神戸電鉄・有馬温泉駅から温泉街を抜けて湯山館へ。受付で入館料(一般200円)を払って太閤の湯殿館に向かうと、眼前に湯山御殿の庭園が広がっています。発掘調査で確認された遺構を埋没保存しつつ、遺構の真上に往時の庭園を再現したとのこと。館内には岩風呂や蒸し風呂が出土した状態で展示されていて、蒸し風呂の直上には浴室も復元されています。また、湯山御殿についての古文書や発掘調査による出土品、説明パネルが展示されています。
太閤の湯殿館を出て庭園の背後に見える石垣のほうに行ってみると、発掘調査で発見された湯山館の野面積み石垣が続いていて、石垣上面の帯曲輪は周囲に多聞塀をめぐらせ、北端には隅櫓の存在が確認されています。天下人の湯治施設ともなると城館さながらの構えなんですね。石垣への道沿いには豊太閤之塔が立てられていて、説明板によれば湯山館の温泉は秀吉が戯れに杖で掘ったら湧き出てきたものなんだとか。太閤の湯殿館の隣には極楽寺、道向かいには念仏寺があり、念仏寺はねねの別邸跡とのことで、やはり湯山館は極楽寺から念仏寺にかけて建てられていたようです。
秀吉は文献上確認できるだけでも有馬温泉を9回訪れており、文禄3年4月には金森長近も同行しています。湯山館の造営前なので太閤の湯殿館で目にした岩風呂や蒸し風呂に入ったわけではないものの、ひと回り以上年長の長近が秀吉を背負って入湯したとの記録もあるようで、文化人のイメージでしたがパワー系の一面もあるんですね。さすがは戦国の荒波を乗り越えてきた武将ですなぁ。また、これも湯山館の造営前ながら、豊臣秀長も体調を崩しがちになってから幾度も有馬温泉に湯治に訪れているようです。
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