久しぶりの大給城です。
この地を治めていた長坂新左衛門が最初に築城したと伝わります。しかし松平氏が松平郷から勢力をのばし3代松平信光がこの地を治めるようになります。
信光の孫である乗元が、この城を支配することを許され大給松平家の祖となりました。曲輪、石垣、土塁、堀切などがよく遺っています。松平氏初期の縄張りはわかっていません。現在みられる遺構の多くは天正期における武田氏の三河侵攻、小牧長久手の戦いなどにともなって改修されたものと推定されています。
愛知県内ではトップクラスの見応えのある山城です。
堀切は松平乗元墓所から主郭へ向かう途中、水の手曲輪の北西、主郭の西側と3ヶ所にあり、どれも見ごたえがありました。ぴーかるさんが投稿されているように西側の堀切が一番大きいと思います。他の縄張り図にはないのですが、城郭放浪記さんの縄張り図に館跡の東側に「畝状竪堀群」の記載があります。行ってみるとそれらしい地形がありました。
以前来たのが約10年前。新鮮な気持ちで散策しました。
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