おかやまじょう

岡山城

大阪府四條畷市

別名 : 御勝山
旧国名 : 河内

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忍陵神社
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イオ

古墳を改修した城 (2023/02/11 訪問)

室町期に幕府奉公衆として岡山や砂寺内を領した結城氏の城で、三好長慶が飯盛城に入ると支城として機能したようです。松永久秀に仕えた結城忠正が改宗(洗礼名アンリケ)したことが河内キリシタンのはじまりとされ、岡山はその中心地となりました。その後のことは不詳ながら、大坂夏の陣では徳川秀忠の本陣が置かれ、戦勝を祝して御勝山と呼ばれるようになったと云われます。

忍陵神社が比定地とされますが、神社の説明板や立札に城(本陣)の記述が見られる程度で、遺構は消滅しています。神社東側の参拝者用駐車場から周囲をひとめぐりすると、南側へはなかなかの高低差があり独立丘陵上であることを実感しました。なお、社殿の東隣からは古墳前期の忍岡古墳の竪穴式石室が発見されており、覆屋によって保護されています。古墳を改修した城だったんですね。

それにしても、古墳を改修した城や陣城というのはいくらでもありますが、「大坂の陣で」「徳川秀忠が」「古墳を改修して本陣を置き」「戦勝を祝して岡山を御勝山と改めた」という条件に合致する城(砦)がもうひとつある(大阪市生野区の岡山砦)というのは何やらでき過ぎのような気もします…。
 

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忍陵神社 (2023/04/08 訪問)

 忍陵神社が跡地でJR忍ヶ丘駅から徒歩10分くらいで行くことができます。遺構はないと思いますが、雰囲気は何となく感じられます。大坂の陣のときは徳川秀忠の本陣として使われ、縁起がいいことから御勝山ともいわれていたようです。

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ぴーかる

夏の陣秀忠陣城 (2021/05/03 訪問)

【岡山城】
<駐車場他>忍陵神社参拝者駐車場2台分あり。
<交通手段>車

<感想>岡山城は飯盛山城の支城として三好氏が忍陵古墳に築いたようです。大坂夏の陣では徳川秀忠の陣城となった場所で、冬の陣で秀忠の陣城となった生野区にある岡山砦があることから、この2つの将軍の陣城がのちに岡山と名付けられたようです。冬の陣は城攻めが主な戦いだったために、秀忠も大坂城の2㎞程南に陣を敷いたが、夏の陣は裸城となった大坂城は野戦メインで、10数㎞離れた安全な後方に陣を敷いている位置関係がよくわかります。
 忍陵古墳は石室が発見されて本殿横に保管されていて、格子窓から中が覗き見ることができます。城の説明は少なく、添付写真の石柱のみしか見当たらなかった。

<満足度>◆◇◇

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todo94

乗り鉄のついでに (2019/08/17 訪問)

3月に開通したおおさか東線の新大阪-放出(はなてん)間に乗るために青春18きっぷにてアプローチ。放出近くにある城を物色していたら、あるではありませんか。大坂夏の陣の徳川秀忠の陣所となった岡山城。炎天下、徒歩で赴いてみたら、祭の準備が進められていました。忍陵神社はかつて、古墳でした。古墳を陣城にするって良くあるパターンですよね。

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城郭情報

分類・構造 平山城(古墳利用)
築城主 三好長慶
築城年 永禄3年(1560)頃
主な城主 三好氏、結城ジョアン、徳川家康、徳川秀忠
遺構 消滅
住所 大阪府四條畷市岡山2-7-12