最近「you」さんや「にのまる」さんが短歌を投稿されているので、畏れながら私も一句 投稿させてただきます。
おふたりとも お見事です。わたくしは短歌の経験はほとんど無いので、内容は未熟ではありますがご容赦願います。嚆矢は「かぶらや」では無く「こうし」と読みます(意味は同じ)。
小田原城が最初に北条早雲(伊勢盛時)の手中に入ったのは明応4年(1495)~文亀元年(1501)ごろとされています。盛時はその後、文亀年間(1501~1504)には今川方の武将として戦い、三河にまで進出してきているようです。
その後は永正元年(1504)からの立河原の戦いを皮切リに、相模・武蔵に一気に攻勢をかけ、三浦氏を滅ぼして相模を平定した後は、上総にまで転戦したそうです。小田原城は関東制圧のための拠点として重要な役割を果たしたと思いますが、北条氏の本城となったのは二代目の氏綱の代からだそうです。
北条氏は五代続き、秀吉が小田原征伐を行った時には200万石もの石高を持っていたとする説もあるようです。
単独の大名としては破格の石高ですが、低い出自から身一つで天下統一を成し遂げ、天下人・関白にまで登り詰めた豊臣秀吉がいかに突出した存在であったかを改めて思い知ります。
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