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しんちゃん

詰の城 岩瀬山城 (2024/09/15 訪問)

岩瀬山城は須賀川二階堂氏の初期の居城であったとされ、二階堂氏が須賀川城を築いて移った後も支城(詰めの城)として機能していたようです。二階堂氏が伊達政宗によって滅ばされた後、奥州仕置が成され、蒲生氏、続いて上杉氏の城になりました。岩瀬山城には上杉氏の家臣・栗田刑部が置かれ鶴ヶ城(会津若松城)ひいては神指城を守る支城になったと注目しています。
本丸跡には愛宕神社があり、周囲に土塁が良く残っており南東側に虎口が付いています。南方には南館があり、周囲の五老山、妙見山などを含めた総称として岩瀬山城と呼ばれ、城域はなかなか広いです。

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しんちゃん

野口英世記念館・野口英世生家 (2024/09/16 訪問)

旧千円札の肖像でおなじみの野口英世博士は、磐梯山の麓、猪苗代湖畔の三ツ和村(猪苗代町)で生まれました。野口英世博士は米国に留学しロックフェラー医学研究所を拠点に世界で活躍する細菌学者となりました。惜しくも昭和3年、西アフリカ・アクラで黄熱病の研究中に感染し亡くなっています。
野口英世記念館には野口博士の業績や、ゆかりの品の展示がなされ、野口英世生家も見学することが出来ます。生家には野口博士が幼いころに左手に大やけどを負った運命の囲炉裏や、米国に出立する際にその決意を刻んだ柱も残っています。近くには「野口英世博士誕生地の碑」があり、妻メリーさんから納められた遺髪が埋められています。

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天守無しがアツい

井筒屋で過ごすひととき (2025/04/13 訪問)

(かさま交流館 井筒屋)
https://www.kasamaidutsuya.com/kasamacastle

笠間城へ向かうために…笠間駅からレンタサイクルを使いました。ここのバスは1時間1本…しかも午前中しかやっておらず、全くアテにならないからです🚲

「もちろん城跡は見物したい…けれどその前に100名城スタンプと御城印の確保は必須」「かさま交流館 井筒屋という場所で扱われてるのか…城の前にまずはそこに寄ろう」と考えて、城跡の前にまずそこを訪問

まず受付で御城印を購入…家紋入りの一番スタンダードな種類を選びました。館内ではWi-Fiが(パスワードさえ入力すれば)使えたので、トリマのゲージ消費…せっかくここのWi-Fiを利用させていただく…ある程度の時間いそうだったので、紅茶と少し硬めの菓子セット(2枚目)を注文

注文してからテーブルに出されるまで、10分以上の待ち時間があったので、その間に100名城スタンプを押しにいきました。井筒屋の喫茶店と反対側の建物の入口手前にスタンプは置いてあり、押してみるとインクが濃かった(1枚目右の青いスタンプ

試し押ししてからスタンプ帳にも押した…のですが、明らかに濃くなってたインク…なのでスタンプ帳の笠間城ページと隣のページに御城印帳を挟み、少しでも早く乾くようにしました

それから…(2枚目の)注文した品が提供されました。紅茶の葉は笠間オリジナルのを使ってるそうで、今まで飲んだ紅茶と少し異なる味わいがしました

オリジナル紅茶本来の味を感じるため…砂糖は敢えて入れない。ミルクは(紅茶を)半分飲んでから入れました

あくまでおやつの範囲…硬めのお菓子が程よい甘さと硬さで…紅茶は独特の味わいがして…(値段こそ750円しましたが)損した気分にはなりませんでしたね

1時間ほど井筒屋で過ごして…それから城跡へ向かいました。すぐの場所に「大石邸跡」(3枚目)という場所があり、つまり忠臣蔵で有名な大石内蔵助の祖父(良欽:よしたか)の邸宅跡。ちなみに仕えていた浅野家も赤穂転封の前は、ここ笠間に…笠間藩主をしていた

(笠間市HPより)https://www.city.kasama.lg.jp/sp/page/page000777.html

ちなみに…吉良邸討ち入りに加わった赤穂浪士の中に3人…笠間生まれがいたそう。吉田忠左衛門・小野寺十内・堀部弥兵衛…中でも堀部は最年長の76歳の爺さん…彼らもあの雪の日☃️護衛を次々に斬り倒し…吉良上野介の首をあげて…そして切腹して果てたと😭

この辺りの道は舗装されており、奥に進むとデカい石(4枚目)がありました🪨大黒石と言って、佐白山と徳蔵寺…つまりこの辺りの僧兵同士が勢力を争って戦となり、佐白山の僧兵が敗走する際に佐白山の山頂からこの石を転がして徳蔵寺側に多大な損害を出させたそう

転げ落ちた際にこの場所で止まった…と伝えられてるそうです。殺人石🪨💀😱とでも呼ぶべきこの巨大石…そもそも転がした側もよくこんな重くてデカいのを動かせたなと思えます…1人では絶対不可能にしか思えないので、大勢の僧兵が「せーの✊」して転がした…のでしょうか?にしても…すごい🫢

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しんちゃん

御薬園 会津松平氏庭園 (2024/09/17 訪問)

御薬園は旧会津藩主松平氏の別荘で国の名勝に指定されています。もと藩の薬園のあったことから「御薬園」の名で親しまれており、江戸時代中期の作庭手法を今に伝えています。中央に池を取り、中島が置かれ茶亭「楽寿亭」が設けられています。池の奥に滝が二つあり、右側が男滝、左側を女滝と称するようです。庭園にはさまざまな薬草が植えられ、効能なども記されています。
実は幕末の動乱にも一役買っており、この御薬園で試植された薬用人参(朝鮮人参。オタネ人参)が広く民間で栽培され「人参役所」なる物を設けて管理をしていたようです。天保3年(1832)には幕府の許可を得て海外に輸出されるまでになり、松平容保が京都守護職を拝命し、京都に赴く際には、この「人参方」が調達した3万両が大いに役に立ったようです。

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カズサン

【摂津 海軍操練所】兵庫県神戸市 幕末海舟・龍馬の息吹を感じる (2025/04/25 訪問)

 喜寿の祝い、郷里中学校卒関西地区の同窓(同級)の集まりの前に、浜松始発2本目乗り空き時間を2時間設けて2度目の花隈城の後、海軍操練所跡を目指す。今回の探訪は最近肉球さんが投稿されて居り今回の機会に是非訪ねたいと企画した。
 住所:兵庫県神戸市中央区新港町17

 花隈城から南に約350m程で国道2号線に出る、2号線を東に進み約400m程で2号線の南側に「みなと公園」(住所:兵庫県神戸市中央区波止場町1-5)に在る、「神戸海軍操練所・陸奥宗光顕彰碑」を見て、更に東にハーバー沿いを約250m程の角に「網屋吉兵衛顕彰碑」が在る、東通り対面のビル前に錨のモニュメントと面に「史蹟旧海軍操練所跡」と黒色鋳込まれており横のブック状石盤に碑文が在る、覗き込んで観るが設置面が高く良く読めない写せない。

 更に南に約50m程にグーグルマップ史跡マーク「神戸海軍操練所遺構」(住所:兵庫県神戸市中央区新港町16-3)と有り訪ねる、京橋エリアで阪神高速を潜った先に在り、肉球さん投稿の写真で良く分かりました、発掘で出土した石垣の残石が二ヶ所に分けて地表展示されている、周りを覆っている金網フェンスの南面に3枚の解説板(京橋エリアに残る石碑たち)(発見された海軍操練所跡・初期神戸港)(絵図・古写真で見る京橋エリア)が写真と文章で設置されている。

 喜寿の会の時間に迫っておりあまり海舟・龍馬の余韻に慕って折れませんでしたが、司馬遼太郎の龍馬がゆく、大河ドラマなどで良く見聞きした事でもあり、肉球さんのお陰で訪ねる事が出来ました、感謝です。
 
 この後は西に2号線を約1.5km程歩いて神戸駅近くのハーバーランド18階の会場へ時間前到着、郷里から、関東から、地元関西在住中学同級会を「喜寿の祝い」で約30名弱。老いを感じながら楽しく愉快に酒量は少々、近況と郷里を語り合いました。

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ぎりょう

藩政時代をとおして使われた中世城館に驚き! (2025/04/19 訪問)

歴史好き仲間とのツアー、この春も「おくのほそ道」の足跡を訪ね、「芭蕉十四泊の地」栃木県大田原市の黒羽地区に向いました。
東北自動車道を白川ICで降り、先ずは那須町芦野の「遊行柳」へ。西行が詠んだ「清水流るるの柳」は若葉を輝かせ旅人を歓迎しているようです。その後は、臨済宗妙心寺派の古刹雲巌寺、玉藻稲荷神社、那須神社、鹿子畑翆桃邸跡、展示施設「芭蕉の館」、黒羽藩主大関家・城代家老浄法寺家の菩提寺曹洞宗永平寺派大雄寺(だいおうじ)等々、当時芭蕉が訪れた名所・旧跡をくまなく訪ねることができました。
黒羽城については、三ノ丸跡にある芭蕉の館に展示されている黒羽城鳥瞰図(江戸期作)に曲輪や建物の様子、家臣屋敷、城下町まで描かれておりとても感心しました。この芭蕉の館からは二重の堀切を挟んですぐ馬出曲輪、本丸と続き、主要な遺構を確認することができます。
詳細は皆さんの過去の投稿を参照頂ければ判ると思いますが、南北1500m、東西250mは栃木県北最大規模の山城です。それが藩政時代をとおして黒羽藩一万八千石の居城としてと使われたことにも驚きを感じます。
また、前述の大雄寺には芭蕉を歓待した城代家老浄法寺図書高勝(俳号は桃雪)夫妻の墓があり、その説明書きによれば高勝の祖母月桂院殿は徳川家康の娘「シャン姫」の娘とのことにも驚きました。

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たか

駅からすぐ (2025/04/04 訪問)

奥沢城からついでに荏原氏館へ。
徳川家斉さんと和尚さんの相撲の話が説明板にありました。
和尚さんあっぱれです!

旗岡八幡神社にもお参りして説明板を読んで帰路へ。
帰りは桜並木を下りながら気分よく帰りました。

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たか

読めなかった… (2025/04/04 訪問)

九品仏(クホンブツ)駅からほどなくにある浄真寺。
もともと世良氏が小田原征伐後に廃城となって寺地としてもらい受けたと書いてあった。
仁王門の向かって左にちょこんと城址碑がありました。

わたしはあまり仏閣的なことは知らないのですが九品仏って9体の仏像がそれぞれの位があるのですね。
資料をもらい読ませてもらいました。
上品、中品、下品、さらに上生、中生、下生でそれぞれ手の形が違うんですね。
なんか興味がわいてきました。

ちなみに余談ですが閻魔様がいましたが、大人のわたしでも怖かった…

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フカチャンマン

津城復元の会 歴史講演会 「築城の名手 藤堂高虎の城づくり」

「お城博士」千田嘉博先生による講演会のお知らせです⋆͛📢⋆

日時:7月13日(日)14:00~16:00

場所:津リージョンプラザ3階お城ホール(三重県津市丸之内23-1)

参加料:無料

千田先生より、築城の名手「藤堂高虎」の城づくりの魅力をたっぷりとお話していただきます。
2部構成でシンポジウムも開催いたします。

画像を参考にして、往復はがきにて申し込みください。
皆様のご参加をお待ちしております🙇

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たか

これは麓に着くなり圧倒! (2025/03/25 訪問)

車で向かって何げなく見ると右手にそびえたつ石垣!
駐車場を通り過ぎてしまいぐるっと回って駐車場へ。
いま綺麗な資料館が出来ているんですね。
まだこれからも整備していくようなことを書かれていました。
チケットを購入して施設内を抜けていざ攻城!

横断歩道を待つのももどかしくこの石垣に早くいきたい!
遠景の写真だけ撮ったらすぐにカートで送ってくれました。
降ろしてもらったところから石段を登っていざ石垣の上へ。

さすが天空の城とか言われていますが絶景です。
下からの圧倒感もそうですがこれは絶対に見に行くべき城に間違いなしです。
しばし天守部分で遠くを眺め風を受けて最高の気分でした。
沖縄に来たらまた行こうと思います。

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たか

階段が急ではあるが整備されている (2025/03/25 訪問)

下に駐車場がありそこから登城開始。
コンクリートの階段があって急ではありましたがなんとか頂上へ。
しかし何もない。。。
なにかすこしがっかりしながら下山しました。
ただどんなところでも道の整備はしっかりとされているなと感心しました。

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たか

日本最強の城 (2025/03/25 訪問)

タイトル通り日本最強の城スペシャルで選定されました。
これは行かねばと思い、仕事の時間を調整して行ってきました。

やはり琉球のお城は石垣が凄い!
また空が青ければ石垣の白さも映えるというものです。

イベントの用意をしていたり地元の方々がお城を大事にされているのがとてもよく伝わります。
御城印もゴジラのコラボがここにはまだ残っているとのことでとてもラッキーでした。
また山城ではありますが上の方までカートで送ってもらえるので利用すると楽ちんです。

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たか

なにもない… (2025/03/26 訪問)

タイトル通り説明看板以外なにもありません。
車を横付けして写真を撮るくらいでしょうか。
わたしはその後道の駅に寄って帰りました。

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宗春

地元の友人と讃岐・阿波・淡路の城を攻めて来ました ⑥ 一宮城 (2025/04/10 訪問)

5城目は一宮城。本日既に4城目、しかも山城2城目です。いい加減疲れている所に延々と続く石段。よく整備して頂いている事は有り難いのですが、石段の幅が微妙で疲れました。普通に坂道の方が疲れないのではないでしょうか?

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カズサン

二度目の花隈城 (2025/04/25 訪問)

 今回も神戸で中学卒関西地区同窓(同級)喜寿の祝いが有り出掛け、前回の2019年平成31年1月も神戸で古稀の祝いが有り、会の前に、花隈城と兵庫城を初探訪して花隈城は喜寿の会の前に2度目の探訪として寄りました。
 JR元町駅から西に徒歩約10分で石垣に覆われた花隈公園が目に入ります、南東角、南正面、同駐車場(トイレ有利用)、南西角、登って北西角、裏正面より花隈公園内に入る、石垣か?石板か?に四方覆われて石垣の様に整われている、模擬石垣でも存在感は有り城好きにはありがたい存在です。
 上部公園西に円柱の花隈城跡碑、裏面の碑文は読みにくく写真撮影には不向き、隣に東郷元帥の神戸在住時利用した井戸を再現移設した碑がある、公園南東角に天守台の様に公園最高所が設けられている。
 公園には市民の方、保育園児も見えて賑やかで鯉のぼりも飾ってある、東隅にはあやめ池青紫の花が奇麗に咲いていた。

 花隈城と言うと荒木村重が思い起こされる、今はJR線、市街地化されて遺構は残って居ないのでしょうが?海近の丘陵先端に城郭を築いた意味合いが分かります、沖行く船の見張に山陽道行き来の見張に防御の好都合。
 地下駐車場も併設し市民利用の花隈公園で花隈城を偲ぶのも、歴史を思い起こすこともありがたい存在です。
 
 この後、肉球さんが最近投稿されていた坂本龍馬、勝海舟の神戸海軍操練所遺構、石碑廻りに寄りました。
  

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トク

【春の長崎天草を巡る⑨】(7)日野江城 (2025/04/01 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、(7城目)は「日野江城」です。

島原駅前から加津佐行のバスに乗り50分、日野江城前(または北有馬)で下車し10分程歩くと、大手門があった登城口です(写真①)。

日野江城はキリシタン大名で有名な「有馬晴信」の居城です(写真②)。かつては安土城を模した大手階段がこの大手門から二ノ丸にかけてあったそうです(写真③④)。発掘調査ではその階段の上から金箔瓦が発見されました(写真⑤)。秀吉から許された者だけが使えるこの瓦、晴信への信頼が厚かった事が想像できます。

現在は城の遺構はわずかに石垣が残るのみですが、二ノ丸には菜の花、本丸には桜が咲いていました(写真⑥⑦⑧)。原城は日野江城の出城で、日野江城は戦には不向きなため、晴信は原城を築城し、万一の戦が起きた場合に備えていたようです。本丸からはその原城が見えました(写真⑨)。

晴信はポルトガル人のヴァリニャーノが口之津に漂着すると、領内での布教を許し自らもキリシタンとなります。沖田畷の戦いでは、島津家久の加勢により首の皮1枚で龍造寺隆信に勝利しますが、ここで領国を強くしなければと痛感したようです。口之津を貿易港として開港し、ポルトガルとの交易を盛んにし、富を得て国を強くして行きました。その後、秀吉の命で朝鮮へ出兵し、九州の関ケ原では子の直純が東軍に加わったため、所領が安堵されました。

しかし1614年岡本大八事件(汚職)の責を負うため晴信は自害させられてしまいます。子の直純は江戸で家康に仕えていた事から、改易は免れ延岡城へ転封となる事で許されました。そして1618年、代わって大和五条より松倉重政が入封し、日野江城は手狭なため新たに島原城の築城に専念します。つまり一国一城令の出た1615年からの3年間、誰も領主がいなかったのです。それゆえ原城は破却されず、その後の重政の時も忘れ去られたままだったのです。原城には戦うための、櫓や塀や門や石垣などがそっくりそのまま残ってしまいます。よって1637年の島原の乱では、そこに目をつけた一揆軍は、ここに立て籠る事ができたのです。

この後、また同じバスで5分程の原城前で降り、原城と国道を挟んだ反対側(徒歩10分)の所にある有馬キリシタン遺産記念館(写真⑩)へ行きました。ここは原城のスタンプ場所です。スタンプは原城事務所でも押せますが、是非ここに来て見学された方がいいと思います。日野江城と有馬氏の歴史、原城と島原の乱についての説明など、両方の城について分かりやすく解説されています。

次は、(8城目)その原城に続きます。
 

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり③ (2025/04/26 訪問)

若宮館からの転戦です。忠霊塔の建つ本丸迄、車道がついていて広い駐車場もあったので一気に山上に乗り付けましたが、説明板は麓の交差点付近にあるので、館岡山神社経由で麓迄下って、再び登るような動きとなってしまいました。林の中にも空堀や土塁が隠れていますが、樹木が伐採された本丸を取り巻く空堀は非常に見ごたえがありました。ただし、空堀にはピンクリボンのついた木の苗がたくさん植えられていたので、この空堀の景観は将来的には拝めなくなってしまうのかなとも思います。

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Tokyobay

伝馬町牢屋敷(吉田松陰終焉の地) (2025/04/19 訪問)

前日に『留魂録』を読んで訪問。伝馬町牢屋敷跡は1/4程度が十思公園として遺っている。知ってか知らずか近隣の親子が慰霊碑をグルグルまわりながら鬼ごっこをしているのは平和の証とはいえ複雑な気持ちになる。約10年ぶりの訪問だが、この度は詳細に位置確認。まず、吉田松陰が処刑された場所は小伝馬町4番出口付近で、ここには碑が建っている。また、公園内にも有名な吉田松陰の辞世の句碑があるが、ここは丁度松陰が幽閉されていた牢屋の位置に当たる。銅鐘が工事中で案内板が隠れて分かりにくいのだが牢屋の石垣も陳列されている。
尚、現在は温泉施設のある十思スクエア 別館入口にも牢屋石垣が用いられている(それもどうかと思うが・・・)。ちなみに、別館内には小伝馬町牢屋敷展示館があり、ミニチュア模型やちょっとした展示物、工事時に発掘された井戸(移設)見学もできて必見。牢屋跡の1/3程度は元々は小学校の敷地だったようだが、それらが現在も公共施設として活用されている。近代になってからも牢屋跡は嫌われて寺や学校になったのだろうが、21世紀にもなると、さすがにそういった負の歴史も風化しているのか、温泉や高層マンションが建っているのが印象的ではある。

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しんちゃん

しとどの窟・土肥椙山巌窟 (2024/12/29 訪問)

イオさん、近畿コンプリートのトリ、お見事&ナイスゴールです。もちろん、信じてましたよ。「QBK]というよりは、田尻城にイオさんが選ばれていたのだと思います。
私も中国地方の城で、幾つか断念した城があります。その時は、その城に選ばれていなかったと思うので、城に認めてもらうためにトライ&エラーを繰り返したいと思います。
みんなGW早くていいなあ。
しとどの窟(いわや)は土肥城に向かう前に訪問しました。治承4年(1180)8月23日、石橋山の合戦に敗れた源頼朝は土肥実平の導きで椙山のこの岩屋へ隠れたと伝わります。箱根の峠道(椿ライン)の途中から道が続いていて、片道20分ほどでたどり着くことが出来ます。
椿台の付近には駐車場が有り、ここから土肥城に道が続いているようです。旧車の団体が集まっていて異様な雰囲気だったので、別ルートで攻めましたが、ここから攻略したほうが無難な気がします。
「源平盛衰記」には頼朝主従が岩屋に隠れていたところを梶原景時が見つけ、見逃したと記載がされています。

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イオ

総石垣の城? (2025/04/26 訪問)

南北朝期に玉置大宣が築いた城とされ、矢筈岳北西のピークに位置し、手取城の詰の城として機能したようです。

登城ルートは北の小谷峠から登るルートと南の鷲の川から矢筈岳を経由するルートがありますが、城郭放浪記さんによれば、矢筈岳ルートは車で林道を進めず歩きだと2時間近くかかるそうなので、小谷峠ルートで登城しました。小谷峠までは小谷林道が通じていて、以前に崩落して通行止めになっていた際に整備されたようで道幅もある綺麗な舗装道でした。ただ、整備が追いつかないのか、路面には落石がごろごろ、落ち葉も堆積し、何か所か通行に支障のない程度の土砂崩れの跡も見られました…。それでも特に問題なく小谷峠に到着。道幅の広くなったところに車を駐め、林道脇のお地蔵さんに手を合わせて(無事に戻って来られますように)登城開始。

登城口には案内表示はありませんが、小谷峠の写真①の位置から入って尾根伝いに進めば、ところどころに矢筈岳への案内表示もあり迷うことはないと思います。急斜面をほぼ真っ直ぐに登るので少々きつくはあるものの、トラロープも張られていておおむね歩きやすい道でした。そして登城口から登ること35分で北尾根の堀切に到達。堀切は二重に設けられていますが、内側は浅くなっていて意識していないと見落としてしまいそうです。

内側の堀切から5分ほど登って主郭へ。東西に細長い主郭には説明板が立てられているくらいです。結構な高所(標高750m)のはずですが、樹木が生い茂っていて眺望は全くききません。北側を除く主郭の周囲には二段の帯曲輪がめぐっていて、主郭や帯曲輪の切岸にはところどころ石垣が見られます。手持ちの本には「総石垣といっても過言ではなく」とありますが、崩落していたり土をかぶっていたり藪に沈んでいたりはするんだとしても、わかりやすい「総石垣」を期待していた身にはちょっと肩透かしでした。主郭部から西にのびる尾根には二重の堀切が、東側の矢筈岳へと続く尾根にも両端が竪堀となって落ちる堀切が設けられています。それぞれ堀の側面に石垣が施されている…にはいるんですが、これも言われてみれば、という程度。同じく紀州の国人の城である安宅勝山城の五重堀切のようなわかりやすい石垣を期待していた身には(以下同文)。とはいえ東尾根の堀切は両端に土塁を伴って深さも幅もあり、これはこれで見応えがありました。

関西最後の秘境(未投稿)城であり、矢筈岳ルートでは比高600m超・片道2時間弱とのことで大いに身構えて挑みましたが、小谷峠ルートなら比高約300m・片道約40分と普通の山城程度でした(見応えも普通でしたが)。ただ、帰りは来た道を戻るだけだからと余裕ですたすたと下るうちに違う尾根に迷い込み、15分ほど山中をさまよったりしましたので、普通の山城程度の注意は必要です(当たり前)。お地蔵さん、おかげさまで無事に戻れました。ありがとうございます。


…ということで、近畿二府四県の城びと登録城投稿コンプリートです(よね?) しんちゃんさんのアシストから、あさんが清水城、鶴ヶ城を突破して田尻城でゴール! となるはずが、まさかのアクシデント発生。ボールがゴール前で転がっているところに、たまたま一番近くに(住んで)いたのが私だったという、絵に描いたようなごっつあんゴールですが、県民の責務とかほざいた手前「QBK」とも言ってられないので、GW突入と同時に登城してまいりました。ごっつあんです!(笑)
 

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