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カズサン

大手門枡形跡と主郭周辺 (2024/12/24 訪問)

 今回の探訪は2年振り、移築復原御殿書院の完成公開を知り訪ねました。先に書院外部、書院内部、書院と石垣との眺め景色、東側6段石垣壁と投稿致しましたので、後は大手門跡、同桝形と主郭周辺の未投稿写真を掲載いたします。
 静岡市文化財課平成29年整備基本計画完成予想図(案)によると、大手門枡形周りは発掘調査の結果大手門跡を発掘し結果を大手門跡地表表示するそうです。(大手門の発掘では3間3戸または3間2戸だったそうです)
 また大手門から90度曲がって主郭への登城路は石段の復元か地表表示かを計画してる様です。また主郭内の南東横矢角には宝蔵建物跡の地表表示をも計画。
 まだまだ小島陣屋の整備が楽しみで待たれます。
 
 

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トク

日出城(2/3):日出城の石垣と瀧廉太郎 (2024/12/22 訪問)

日出城の続き(2/3)です。

本丸の下を石垣に沿って歩いてみました。海に近いためか、二段または三段の段築で積まれた穴太積の高石垣はとても見事で想像以上でした。細川忠興が延俊のために穴太衆職人(穴太理右衛門)を派遣し築かせたものだそうで、野面石や祖割石乱積に一部布積を用いた、乱積と布積の中間「布目崩し積み」と言う技法だそうです。(写真①-④)

また海岸沿いに目を向けると、石垣が少し低くなった場所には多くの折れが多用されていました。この高石垣や折れを見ると、海から攻めるのはちょっと難しそうです。これらの縄張りは、忠興が自ら考え延俊に指南したものだそうです。さすがは忠興! 多くの戦を経験して得たノウハウを伝えたかったのでしょう。妻を通して忠興と延俊の義兄弟の関係がいかに良好であったか、この石垣や縄張りからも伺えました。(写真⑤-⑧)

そしてこの石垣の下(写真⑨この下)に泳いでいるのが「城下カレイ」です。カレイは城の下から湧き出る地下水と海水が混ざり合う所で育ったものがブランドになるらしいですが、一匹数万円もする高級魚です。いったいどんな味がするのでしょうか? だからといって勝手にここで釣りをすると捕まるので皆さん気をつけましょうね!(笑)

【余談】瀧廉太郎
そしてここにも瀧廉太郎の銅像がありました!(写真⑩)。岡城の瀧廉太郎がなぜ日出に🤔? と思ったら、瀧家はもともと木下家に仕えた家柄で、父は幕末の日出藩の家老だったそうです。その後、廃藩置県となり父は東京へ行き、そこで廉太郎は生まれます。父は官僚(国家公務員)を経て、その後に転勤で豊後竹田(今の市長)となり、その時の現在の中学生だった廉太郎は岡城へよく登ったそうです。卒業した廉太郎は東京の音楽学校を経てドイツへ留学、本場で才能を開花させていたその時、肺結核を患い帰国を余儀なくされてしまいます。そしてロンドンを経由して帰国する途中の船の中で、土井晩翠と出会います。そこで彼が作詞した「荒城の月」に曲をつけてくれと頼まれ、その時に岡城の月見櫓のイメージを思い出し作曲したのではないかと言われています。帰国後は、父がその時赴任して住んでいた大分市の家(府内城のすぐそば)で療養しましたが、23才の若さで亡くなったそうです。そして何と私の実家の菩提寺と同じ萬寿寺(大友館内)に葬られ墓が立てられたそうですが、最近(2011年)になって親族の要望で、元々の瀧家先祖代々の菩提寺である日出の龍泉寺に墓は移されたとの事です。

次は周辺観光の話題に移ります。
 

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赤い城

平賀氏城館 (2024/12/08 訪問)

チェブさん、かるた画像ありがとうございます😊
なかなか小田原には行けなくなりましたがたまにある東京出張の際には小田原の蒲鉾頼まれます(笑)
車での登城、そうですね。
山の林道は心細く成りますね。
そもそも対向車が来ない前提で進むしかないし・・・。

この時季は虫も蛇も出ないので山城も攻め時です。
比較的歩きやすい関東の城、松井田城、西方城、小幡城、久米城(未登録)などお勧めです。

さて、平賀氏城館のひとつ御薗宇城のレポートです。
平賀氏の墓を通り過ぎ、民家の横にある説明板のところに車を置きます。
説明板の脇から登城路が着いていてすぐに石垣があります。
そこからすぐに虎口があり、広い曲輪に到着。
周囲は土塁に囲まれています。
と思いきや、登ってみると北側は曲輪のようです。
竹藪ですが2段になっているのがよくわかります。

鎌倉時代に出羽国の平鹿氏の一族が元寇に備えて本拠を移し築城されました。
その後安芸の国人として大内氏より偏諱を受け、その滅亡後は毛利氏家臣となりました。

平賀氏城館の3城では一番楽に歩ける城です。

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イオ

とことん一乗谷(あさみゅー) (2024/10/13 訪問)

(続き)

丸岡城(お城EXPO)から一乗谷に戻ると、「あさみゅー」こと一乗谷朝倉氏遺跡博物館を見学しました。まずガイダンスの映像を観て一乗谷ハンドブックや散策MAPを入手。探求ラボ・体験学習スペースは考古学の道具を使ったり、やきものパズルなど体験して学べる展示になっています。その奥の遺構展示室では、博物館建設前の発掘調査で発見された石敷遺構がそのまま展示されています。このあたりには一乗谷の物流の拠点となった足羽川水運の川湊があったとされることから、石敷遺構はその船着場であると考えられます。また、博物館西隣の駐車場敷地の発掘調査で確認された三代当主・朝倉貞景が建立した経堂への参道とも考えられるようです。退館後に駐車場で見てみると、経堂跡が舗装の色を変えて平面表示されていますが、なるほど石敷を西にのばした先にあたるようです。順路に掲示された説明板を読みながら石敷遺構を一周しつつ、あれこれ考えるのはなかなか楽しい時間でした。

2階中央の基本展示室では朝倉氏の歴史や文化、一乗谷城下町の暮らしが170万点に及ぶ出土品をもとに紹介されています。往時の朝倉氏の栄華を示す調度品や一乗谷に暮らす様々な職人の道具などが展示され、笏谷石の鬼瓦や石灯籠、井戸枠まで笏谷石なんだなぁ…と思ってよく見てみると、井戸跡から出土した焦げ跡のある滑車も展示されていて、一乗谷が炎上した際に焼け落ちたもののようです。ということは、井戸枠がところどころ茶色くなっているのも焼け跡なのか…。近くには武家屋敷の井戸跡から出土した16,431枚に及ぶ銅銭も展示されていて、一乗谷が炎上する中、井戸に投げ込まれたと思われます。一乗谷の繁栄と終焉を感じる展示でした。また、城下町(平面復元地区)の精密なジオラマも見どころで、建物だけでなく城下の人々の暮らしぶりまで再現されています。2階北側の特別展示室では「一乗谷の戦国グルメ」と題して出土した食器や調理具、魚の骨や貝殻などから一乗谷における食生活が紹介されていました。

2階南側には博物館内に朝倉館の一部が原寸で再現されています。入口に朝倉館全体のジオラマも展示されていますが、やはり建物内を歩き回って内装も含めて見学できるのが一番よくわかりますね。会所から中庭の花壇を眺めながら主殿、泉殿、小座敷とめぐると、泉殿からは池庭を、小座敷からは平庭を望む雅な空間になっていて、往時の朝倉氏の栄華を実感します。

博物館をひとめぐりすると、一乗谷に向かう前に館内のカフェ CARAMONで昼食を。ご当地グルメのおろしそばやソースカツ丼、伝承・復元料理のCARAMON御膳などにも心惹かれましたが、朝倉氏の繁栄を支えた朝倉宗滴にちなんだ宗滴カレーを選びました。ライスに復原町並の「落ちない石」をイメージしたハンバーグを乗せたトマトカレーで、なぜか朝倉宗滴でなく朝倉義景と小少将(たぶん)の小旗が立てられていました。なお、この後に復原町並で「落ちない石」を探してみましたが、それらしいものは見付けられませんでした。どこにあるんだろう…?

2年前のオープン当時から行ってみたいと思っていましたが、石敷遺構や朝倉館原寸再現といった独特の展示はもちろん、博物館キャラクター「シシカゲ」のモデルとなった金製の獅子目貫や、現在の将棋には存在しない「酔象」の駒など特徴的な出土品はクローズアップして紹介され、訪問日の翌週にはあわら温泉での竜王戦を前に藤井竜王と佐々木八段が見学に訪れるなど、積極的に興味を引くようよく考えられていて、期待以上に楽しませていただきました。

さて、土日祝には博物館から復原町並まで無料シャトルバスが運行していますので、駐車場に車を駐めたままシャトルバスで復原町並に向かいます(続く)。
 

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ふみくん

土塁がすごい (2024/12/29 訪問)

朝一小牧山城来ています。歴史館開館待ち

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todo94

お城EXPO2日後の沖縄攻城① 城カードゲット (2024/12/24 訪問)

>朝田辰兵衛さん クイズ、正解できてほっとしました。高知城読み札の高評価、とてもうれしく思います。
>チェブさん ピクミンネイル凄いですね。ピクミンネタ、用意していただいていたのに参加できず申し訳ありません。自宅近辺にはメキシコ料理屋がなく、那覇の国際通り近辺でタコスのデコピクミン(白と羽)、手に入れることができて喜んでいるところです。

クリスマスイブの朝、レンタカーを借り受けてまず向かったのは中城城。券売所から正門迄、無料カートで送ってもらえるようになっていました。私は歩くのが好きなので歩いてしまいましたが。現在、一の郭の城壁修復工事中です。それでも今まで訪れた時の大々的な工事よりだいぶ規模は小さくて、城の美しさをしっかりと楽しむことができました。年末の沖縄らしい曇天のおかげで石垣の写真はとても撮影しやすかったです。帰りがけ、コーヒーショップにて城カードを無事に購入することができました。

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しんちゃん

元気が一番。 (2024/05/06 訪問)

チェブさん、コメントありがとうございます。・・いやー皆さんにお会いできなかったのは心残りですが、わたしは別組でけっこう楽しくやってました。城を好きな気持ちと、かるたを楽しみたいという気持ちがあれば初見の人とも楽しくやれるものですね。
親指も完治したようでなにより・・私 普通に会場にいましたけど(汗)。
JAFの件もわかります・・最近の車はスペアタイアをつんでいないので、タイヤがバーストするとレッカー確定です。私の車はそんなに新しくないのですが、スペアタイヤが無いので冬用タイヤを一つ積んでいて、車中泊の際には立てて寝てます。


足利政氏館には二日続けて訪問しました。甘棠院の足利政氏の墓を見たかったからなのですが、やはり門は閉まっていました。仕方が無いので外から覗き見ましたが、あまり行儀が良くはないです。非公開なのかな?
昨日見た猫もいません。足利政氏館は現在、甘棠院となっており息子の高基との政争に敗れ隠居した政氏が、自分の館を永安山甘棠院として子(もしくは弟)の貞巖昌永を開山としたのが当寺の起源となっているようです。

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チェブ

今年もお世話になりました。

どうやら今年は「お城EXPO城」で、お城納めのようです。
私はだいたい車でお城攻めをしてますが、行動出来る範囲は『行った』をポチ済みです。
来年は、印象に残ったお城や再訪しようと思ったお城に行ってみようかと考えてます。

お城EXPOのカルタ大会、楽しかったですね。
私はお城の知識に乏しく、お話したら、ついていけないと思い『まずい、、、。』と焦っていたんですよ。
でも、そんな心配どこへやら。ずーっと、話しっぱなしでした。
言いたかった事をぶっ飛ばし、テンション高めで1人大騒ぎでした。
朝田辰兵衛さんに、しんちゃんさんが居るはずだと聞いた時は探しましたよ。私、教えていただいたロキソニンを忍ばせていたので、『持ってきましたよー』と見せるつもりでした(笑)
イオさんと、すごい道を走っていると、『何かあったらJAFこれるかな?』と思うことがあるって、そうそう、共感しました。
投稿にはない『そうそう、わかるー』をたくさん話したかったんですよね。
私は、にのまるさんの写真の中、加藤先生にかじりついてお話を聞いている、白い服の者です。
この後頭部を見かけたら、声かけてくださいね。

朝田さん、親指の爪は完治しましたよー。私達2人合わせて30回は『にのまるさん』て言いましたよね(笑)
赤い城さん、カルタ未入手と?お節介します。写真①、赤い城さんも選ばれているんですよ。
todo94さん、ピクミンがうちの会社の女子で流行ってるらしく、ピクミンネイルをしてきた社員がいました。
お会いしたら、こっから話しが出来るかなーと写真を写しておきました。だから、どーしたって話しなんですけどもね。

と、ながーくなってしまいましたが、投稿を通じて繋がっている皆様、良いお年をお過ごしくださいね。
ありがとうございました。

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朝田 辰兵衛

todo94さん,大正解です🎉 (2024/12/23 訪問)

出題した画像は,岡崎四郎義實公墓所背後の土塁上から眺望した富士山となります。土塁の先は空堀道と思われ,さらに先には畑が広がっていました。農作業中のご婦人に「富士山キレイなんで,撮影させていただきました」と挨拶すると,「そうなの。だから私も畑を借りて作業してるの…」と。珍しそうに私の方を見ていました。
相模岡崎城は,無量寺,野陣台,岡崎四郎義實公墓所が散策の主要ポイントだと思います。ただ,無量寺周辺には,ノミで手掘りされた道が残っていたりして,ちょっと範囲を拡大して散策することをおすすめします。

にのまるさんへ…
私のセンサーより,にのまるさんのセンサーのほうが,精度が高かったですね…<苦笑>。
武田氏館の解説の時は,チェブさんに「この読み札は,私がにのまるさんをあおって投稿させたんですよね…」と,当時を振り返っておりました。その声が一部漏れて聞こえたのだと思います。
入城招待券ということは,推し城アンケートの当選品ということですね…❓
お城川柳でもグランプリだし…。
「城びと」とのつながりの深さを感じます。
私は「しりとり」で特別賞をいただきましたが,最後までやらせていただくということが副賞に転じたようで,本名も住所も明かすことがいまだに到来していません。
 「無冠ゆえ 個人情報 リークせず」

そういえば,かるたの優秀作品発表ないですねぇ。私はtodo94さんの「高知城読み札」を推しますが…。

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ぴーかる

東野山砦の出城 (2024/12/01 訪問)

【菖蒲谷砦】
<駐車場他>高速道路の陸橋を渡ります。バリケードがロープで簡単に外せるようになっているので外して進む。砂防ダムの横<35.550410, 136.205539>の分岐から砂利道になるのでここに停めました。
<交通手段>車

<見所>堀切・土塁
<感想>日帰り湖北陣城攻め旅3城目。城びと未登録の菖蒲谷砦は東野山砦(堀秀政の陣城)の支城であったようなので東野山砦での投稿とします。
 まずは登城路から。上記駐車ポイントから分岐を左手に入ります。奥に進んで行って、行き止まり的な感じで右手藪化、左手細道、真左りの崖が何となく登れそうな感じになっているので、その崖を直登します。何となく踏み跡の道がありますのでジグザクに登って登り着いたら砦跡があります。砦跡の東斜面から登り着く感じになります。
 尾根の斜面を削った砦跡で、主郭は土塁囲み、北側に深い堀切があり、上段に副郭があります。副郭にも土塁があります。主郭の東側に武者走りがあり、主郭南側は△状の虎口と思われる削平地、細尾根が南に伸びています。副郭の北側の尾根を登って行くと東野山砦にたどり着けます。尾根道は竪土塁、ジグザグに折れのある切通し道があり、切通しは副郭の北側で堀切となって西斜面に落ちていってる所が見応えがあります。
 この東野山砦へと通じる尾根道には上記のような遺構や小さいながら▢状の土塁が残る曲輪があり東野山砦との連携した遺構が観察できます。東野山砦まで車で行けますが、落石が多く落ちていたりして道があまり良くないので距離はありますが菖蒲谷砦から続けて登ると楽しめます。

<満足度>◆◆◇
<追記>菖蒲山砦を見終えて車に戻り水分補給と装備を整えていると視線を感じ‥‥こちらをガン見している奴が。約5分このポーズでフリーズにらみ合いの末、ゆったりと山へ戻っていきました。

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しんちゃん

木造再建天守 (2013/12/13 訪問)

大洲城の前身は伊予宇都宮氏によって築かれた地蔵ヶ岳城とされています。天正13年(1585)に小早川隆景が35万石で伊予に入封し、大洲城は湯築城の支城の一つになりました。文禄4年(1595)に藤堂高虎によって近世城郭として整備され、慶長14年(1609)に脇坂安治が洲本より転封し、藤堂・脇坂の時代に近世城郭として完成したようです。
元和3年(1617)に加藤氏が入り明治まで続きますが、明治21年に天守が老朽化のために解体され、一世紀あまりを経て平成16年に木造で再建されました。

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しんちゃん

宇和島城 (2013/12/13 訪問)

今日はちょっと古い写真を投稿させていただきたいと思います。かつての宇和島城は藤堂高虎による特徴的な五角形の外郭の縄張りを持っていて、西側が海に面していた海城でありました。本丸に残る現存天守は宇和島伊達家によるものです。

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トク

日出城(1/3):木下延俊と鬼門櫓 (2024/12/22 訪問)

ここは大分県日出町(ひじまち)、日出町と言えば(日出城→鬼門櫓→城下カレイ→二階堂麦焼酎→ハーモニーランド)が有名です!(・・・🤔?)

日出城の築城者は「木下延俊」、豊臣秀吉の妻おねの兄「木下家定」の三男です。五男(弟)には、養子に出た小早川秀秋がいます。妻は細川忠興の妹(加賀)です。関ケ原の直前、姫路城主であった家定は大坂城に入るため、延俊に城代を任せます。そこに筑前と三原の兵を引き連れ関ケ原へ向かう小早川秀秋が姫路城に着き、ここで軍勢を休ませてほしいと兄延俊に懇願します。しかし延俊はこれを拒否したそうです。さらに忠興の進言で、秀秋が西軍として大軍勢を率いて向かっている事を即座に家康に報告し、自分は家康様に二心なき事を伝えたようです。秀秋が松尾山に着陣したのは前日ギリギリだったので、こういう所にも影響したのかもしれません。そして延俊は、義父細川幽斎の田辺城を攻めた小野木重勝の福知山城を仕返しにと攻めました。その両方の功績などで、関ケ原後に家康から、豊前へ転封となった細川忠興の領地の南端(杵築)と接する豊後日出の地に3万石が与えられ、日出藩を立藩したようです。(写真⑧⑨)

暘谷駅から10分程歩いて行くと、最初に鬼門櫓が目に入ってきました。鬼門櫓は一度移築されたものが元の場所に戻されているという現存櫓です。思ったより大きな櫓で驚きました。そして鬼門の方向(北東)の角が確かに厄除けのため欠けていました(写真①)。このような珍しい形の現存櫓はここだけだそうです。内部も見学できました(写真②③)。

鬼門櫓の横には歴史資料館があります(写真⑤)。ここには木下家(旧杉原家)の歴史や貴重な資料が展示されていました。ちょうど高台院(おね)の没後400年を記念して、高台院が延俊の事を我が子のようにかわいがっていたという二人の関係や、やりとりした手紙などが特別展示されていました(写真⑥:内部撮影は不可)。

資料館を出ると本丸へ渡る土橋がありました。土橋の先は日出小学校のため、ここから中の本丸へは入れません。土橋の上には、暘谷城の石碑と高欄はかまぼこ石になっていました(写真⑦)。

鬼門櫓と本丸との間の掘から、ちょうど別府湾と高崎山が見えるいいアングルがあったので、思わず撮ってしまいました(写真⑩)。

次は海岸側から本丸石垣を眺めてみようと思います。
 

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カズサン

小島陣屋東側の六段石垣壁 (2024/12/24 訪問)

 小島陣屋の東崖には六段の石垣壁で守られて真下は馬場跡で有ったそうです、しかし近年は民家が5、6軒建ち絶景の六段石垣壁を全体を通して見る事が出来ず、家と家との間の隙間から覗くだけでした。
 しかし残念な事に昨年の豪雨災害により六段石垣壁が部分崩落して現在青シートを被せてあるところ、修復作業中に成ってるところと痛々しい状況です。
 真下の馬場跡の民家は災害に遭われたようで真下全て撤去白地に成って居ました、それにより勇壮な六段石垣壁全体の姿を見る事が出来るようになりました、勇壮絶景です。馬場跡地は暫くジャリ地のままだそうです。
 
 災害に遭われた方々にはお見舞いを申し上げます。不謹慎な表現に成ってるかもしれませんがお許しください。
 
  

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カズサン

御殿書院と石垣が見える景色 (2024/12/24 訪問)

 小島陣屋の移築復原御殿書院の外周りを眺めて、書院の内部の臨時見学まで主郭下周り、藩主屋敷地周りから石垣と移築された御殿書院が被って見える辺りを撮影しながら回りました。
 今までと違う風景が見えるようになりました、写真も沢山撮り似たような写真も有るかと思いますが投稿致します。
 草も刈られてよく整備されていました。書院と石垣ホントに絵に成ります。
 
 

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しろちゃん

二重堀 (2024/12/26 訪問)

坂東ゴルフ場内

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しろちゃん

二重堀

坂東ゴルフ場内

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イオ

とことん一乗谷(上城戸・上城戸櫓) (2024/10/13 訪問)

(続き)

上城戸は城下町の南端に設けられた城戸で、長さ105m、高さ5mの長大な土塁と堀跡が遺っていますが、虎口の位置や形態は明らかになっていません。土塁の上に上ると一乗谷の城下町が遠くまで見渡せ、上城戸の巨大さを実感しました。

上城戸を見下ろす丘の上には上城戸櫓が築かれていて、詳細は不明ながら上城戸と連動して南側の防御を担っていたと考えられます。明瞭な登城道はなさそうですが、縄張図を見るに南西側から取り付けそうなので、一乗公民館を過ぎたあたりで県道から東側に入る舗装道を進み、踏み跡っぽいところをたどって直登しました。

尾根に出たところで北に進むと堀切があり、堀切を越えると上城戸櫓の主郭です。主郭の東辺から南辺には土塁がめぐり、南東部は櫓台状に分厚くなっています。上城戸側から攻め上る敵に備えて北端は堀切で遮断していました。主郭の西辺は切岸で防御し、腰曲輪が設けられています。ほとんど人の手は入っていないようで灌木と蜘蛛の巣に悩まされながらの登城であり、せめて上城戸が眼下に見えれば良かったんですが、木々の隙間にわずかに覗くのみでした(写真では何が何やら…)。

さて、駐車場に戻ったところでいい時間になったので丸岡城(お城EXPO)に向かい、お昼前に一乗谷に戻ってきて、今度はあさみゅーを見学します(続く)。


ところで……
この日の早朝は一乗谷に深く朝霧が立ち込めていて、霧に包まれた一乗谷というのも幻想的で良いなぁ…と眺めていて、ふと思い至りました。今朝なら越前大野城も「天空の城」になっているのでは!? 天空の城を謳い文句にしながら、一年にわずか数日しか天空の城状態にならない越前大野城だけに、このチャンスを逃せばもう一生目にする機会はないでしょうし、一乗谷から戌山城(天空の城展望台)まで車で20分+登城20分としても充分間に合います。しかし…一乗谷が霧だとしても大野もそうであるとは限りませんし、そうでなくても予定変更で一乗谷には半日しかいられないのに、見られるかどうかわからない「天空の城」のために一乗谷を犠牲にしてもいいのか…などと散々葛藤した挙げ句、一乗谷を選びました。その選択が間違いだったとは思いませんが、翌朝に城びとの✕で「越前大野城、今シーズン初の天空の城出現」とのポストを見て、あぁ…と頭を抱えたのは事実です(苦笑)
 

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todo94

お祝いクイズの答え (2014/09/23 訪問)

朝田辰兵衛さん ご祝辞、ありがとうございます。お祝いクイズの方は全く自信がありません。自分が訪れているのは10年前で、しかも無量寺周辺だけの散策で撤収していますから。一応、答えは相模岡崎城とさせていただきますが、いかがでしょうか。なお、私がお城EXPOに参戦したのは日曜日でしたので、残念ながらかるたのワークショップには参加できていません。皆さんの投稿で様子を伺いうらやましく思います。高知城の読み札、読み上げられたとのこと、光栄の至りです。

にのまるさんのクイズ、正解でほっとしています。地元といっても私は姨捨駅で下車したことないんですよ。鉄分濃いめのにのまるさん、さすがです。

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朝田 辰兵衛

todo94さん,沖縄県コンプおめでとうクイズです… (2024/12/23 訪問)

相模国に変更しての出題です。
todo94さん,にのまるさん,チェブさん,赤い城さん攻城済。
とある方の墓所背後の土塁上からの眺望になります。
お城名をお答えください。

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