「是非に及ばず 露と消えしか 安土城」
(ぜひにおよばず つゆときえしか あづちじょう)
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2025/08/26 14:41
【赤色立体地図かるた】
「是非に及ばず 露と消えしか 安土城」
(ぜひにおよばず つゆときえしか あづちじょう)
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2025/08/26 14:39
【赤色立体地図かるた】
「天空へ 曲輪繋ぎし 小谷城」
(てんくうへ くるわつなぎし おだにじょう)
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2025/08/26 14:37
【赤色立体地図かるた】
「田平子へ 鎮魂桜 赤木城」
(たびらこへ ちんこんさくら あかぎじょう)
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2025/08/26 12:47
歴史と味わいを五感で楽しむー駿府城公園歴史カフェ講座を開催します!
江戸時代中期、町人文化が花開き、人々の暮らしに娯楽や読み物が浸透していった時代。その出版ブームを牽引したのが、江戸のメディア王とも称された「蔦屋重三郎」です。そして、駿府で生まれ、蔦屋重三郎に才能を見いだされ、一躍人気作家となった「十返舎一九」。
静岡と深いゆかりを持つふたりの足跡を、静岡茶と和菓子を味わいながら、のんびりと学んでみませんか?初めての方にもわかりやすくご参加いただける連続講座です。お気軽にお申込みください♪
◆開催日・内容:
第1回 令和7年9月26日(金)「蔦屋重三郎が生きた時代と人々の活躍」
第2回 令和7年10月31日(金)「花開いた出版文化と戯作者・十返舎一九」
第3回 令和7年11月21日(金)「十返舎一九ゆかりの地と駿府の町」
◆開催時間:14:00~15:30
◆会場:駿府城公園 紅葉山庭園内茶室「雲海」
◆参加対象:どなたでも参加OK
◆定員:21名(応募者多数の場合は抽選)
◆参加費:4,500円(全3回 お茶と和菓子付き)
◆申込方法:専用の申込フォームまたは往復はがきよりお申し込みください。※詳細は添付画像をご覧ください。
◆申込期限:令和7年9月13日(土)※はがき必着
静かに流れる時間の中で、江戸の魅力を味わってみませんか?皆さまのご参加を心よりお待ちしております。
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2025/08/26 09:41
2025/08/26 08:04
【赤色立体地図かるた】 (2022/03/20 訪問)
山上の 石垣の都市 観音寺城
(さんじょうの いしがきのとし かんのんじじょう)
安土城に先がけた総石垣の城であるばかりでなく、広大な城域に多数の曲輪群を設けて家臣団を集住させた山上の都市ともいうべき観音寺城を詠んでみました。この石垣の都市は赤色立体地図で見てもはっきりとしてるんじゃないかな、と。
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2025/08/26 07:03
お盆帰省の城めぐり⑥ (2025/08/14 訪問)
堀田佐野城(植野城)からの転戦です。説明板と標柱のすぐそばに2台ほど乗用車がとまっていました。どう見ても民家の敷地内に説明板と標柱が立っています。奥に椿田十一面観音福地堂と福地堂の説明板が建っているので、畦道の部分は立ち入っても良さそうな感じを受けました。
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2025/08/25 23:46
【赤色立体地図かるた】
「縦横三日月 堀のデパート 丸子城」
(たてよこみかづき ほりのデパート まりこじょう)
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2025/08/25 23:05
【赤色立体地図かるた】 (2013/08/18 訪問)
「朝霧に 巨岩が浮かぶ 苗木城(あさぎりに きょがんがうかぶ なえぎじょう)」
苗木城の朝霧を見たことが無いので、ネットの写真を参考にイメージでかいてみました。絵心なんて無いので、ヘタッピ絵だけどゆるしてちょ。
「懸造 絶景無双 苗木城(かけづくり ぜっけいむそう なえぎじょう)」
勢いで書きました。すべからく勢いで書いた投稿です。
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2025/08/25 21:35
2025/08/25 21:33
清冽な水湧き立つ聖地に鎮座する二宮神社 (2025/01/12 訪問)
武蔵国二宮の二宮神社は清冽な水が湧き出るいかにも聖地に鎮座している。武蔵七党の流れをくむ二宮氏と、大石氏とが前後してこのあたりの二宮城に居住したという。付近で14世紀頃の館跡が出たそうだがさてどちらのだったのやら。
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2025/08/25 21:04
【赤色立体地図かるた??】 (2024/12/30 訪問)
「勝負飯 丸子のとろろで 丸子城(しょうぶめし まりこのとろろで まりこじょう)」
って、丸子ちがいでござる。ちなみに、あっちは「まりこ」こっちは「まるこ」でござる。ニンニン
うっかり忍者さんでした。丸子城は日枝神社の境内に築かれていました。「丸子陣城」とも呼ばれ、臨時の陣所のようなものだったとっも考えられています。扇谷上杉氏の家老・太田道灌が豊島勘解由左衛門の平塚の要害(平塚城)を攻めたてた時に其暁没落して敵なお丸子城小机城に籠る云々と・・古い文献には記載があるようです。新武蔵国風土記稿やら鎌倉大草紙やらなんやら・・
日枝神社の周辺は北に多摩川を控える平坦部で、特に要害と見られる地形ではないため、陣所跡と考えられているようです。(日本城郭大系参考)
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2025/08/25 20:48
2021.2.13登城 (2021/02/13 訪問)
寿町にある今井権現神社(東照宮)が小田原征伐時の徳川家康の陣場跡となります。
分かりづらいのですが、神社は土塁上に建っています。
また、解説板が設置されています。
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2025/08/25 19:07
2025/08/25 15:52
2025/08/25 14:51
2025/08/25 12:03
【赤色立体地図かるた】 (2019/05/16 訪問)
①「行幸橋 清正公護る 熊本城」(みゆきばし せいしょうこうまもる くまもとじょう)
②「熊本は 三種の天守 揃い踏み」(くまもとは さんしゅのてんしゅ そろいぶみ)
③「甦る 飯田五階櫓 熊本城」(よみがえる いいだごかいやぐら くまもとじょう)
④「大地震 めげずに復旧 熊本城」(だいじしん めげずにふっきゅう くまもとじょう)
⑤「復旧を 楽しみに待つ 熊本城」(ふっきゅうを たのしみにまつ くまもとじょう)
熊本城へは50、60年前にJR九州周遊券汽車の旅城廻が初登城、以来九州熊本出張の時間の合間を利用して訪ねて居ります、定年退職10年前には九州には仕事関係で年に2,3回訪ねて居りましたので、熊本城にも空いた時間を利用して訪ねて居りました。
その頃、甦る熊本城として熊本市が現存櫓以外に復元建物を次々に実現させて、馬具櫓、数寄屋丸二階櫓、西出戌亥櫓、奉行丸未申櫓、西出丸西大手門と南大手門、ついに大型建物飯田丸五階櫓、本丸御殿、竹の丸馬具櫓再復元工事中に大地震が平成28年(2016年)4月14日21時と17日1時に震度7の大地震が連続で発生、甚大な被害と成りました。次の計画であった百間櫓と西御門の復元を夢見ていた時期でも有り驚愕しました。
大地震の復旧復興は20~30年は掛かるそうですが生きてる内には全ての復旧復興を目にする事は無いでしょうが復旧の都度都度に訪ねられたら良いのかなと思っております。
熊本城の復旧復興を応援しております。
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2025/08/25 11:09
2020.12.13登城 (2020/12/13 訪問)
所沢駅の南東の北秋津地区に北秋津城址があります。
辛うじて城址とされる山林が残っており、土塁や空堀がある様ですが、宅地が進み、マンションや戸建てに囲まれて、アプローチは困難な状況です。
道路を挟んだ向かい側に日月神社があり、そこの御神木の伝説に北秋津の領主が登場していました。
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2025/08/25 06:33
お盆帰省の城めぐり⑤ (2025/08/14 訪問)
下野藤岡城からの転戦です。堀田佐野城址公園として庭園風に整備されています。グーグルマップの佐野陣屋跡のポイントには、説明板がありました。説明板のアップの写真は撮れていたのですが、城址碑を含めた全景の写真は撮影できていませんでした。高温によってミラーレス一眼レフの動作がかなり不安定にはなっていたんですよね。ということでここも再訪を期したいと思います。移築門もまだチェックしていませんしね。
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2025/08/24 22:57
破城いろいろ② 金山城・小里城・妻木城 (2024/12/18 訪問)
東濃を代表する山城を三つ、まあ他にも有りますが。「鬼武蔵」と呼ばれた森長可の死後、森家の家督は弟の忠政が継ぎました。慶長5年(1600)関ヶ原の合戦前に忠政は信濃へ移封となり、金山城は犬山城主・石川貞清の管理下に置かれ、建築物を解体して犬山へ運び込んだとされています。破城もこの時期に行われたとされ、二の丸や本丸の石垣も入念に崩してあります。駐車場となった出丸の石垣は復元されたものですが、奥の方は古い石垣が残っているそうです。秋にはイベントが有るので、また訪れる予定です。というか、できればもっと早く訪れたい。そろそろ地域限定城めぐりが始まりますね。
小里城は織田信長の岩村城攻めに際して、池田恒興が改修を施しました。岩村城落城後の天正4年(1576)織田信忠が訪れ、城の普請を行い小里光久に渡しています。城は一時、森長可の手に落ちますが、関ヶ原の合戦で小里光親は旧領3620石を回復して登城口の近くに陣屋を構えました。徳川家に仕える旗本となり陣屋を構えたことで、山上の城は不要となり破城となったようです。
元和9年(1623)小里氏は嫡子無く断絶となり、麓の陣屋も壊されました。天守台の石垣は良く残っていると思いきや、後世に修復されているようです。うまく直しよる・・往時の姿が思い浮かばない。主郭周辺の石垣は崩れていますが、自然に崩れたのか破城を受けたのかは不明です。なんにせよ金山城も小里城も同時期に破城となり、それ以降はあえて形状の変更は受けていないようです。
妻木城は明知光秀の妻・煕子さんの実家とされています。妻木氏は関ヶ原の合戦で本領を安堵され山麓に居館を築き、そこで政を行いました。山の上の城は元和年間には放棄されたようですが、石垣は崩されているように見えません。建物だけ撤去したのでしょうか?
この辺りは岩がゴロゴロしていて花崗岩の節理もあるので、見た目的に少しカオスです。
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