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しんちゃん

関東に 覇を成す為の 嚆矢の地 五代で築きし 豊穣の国 (じあまり) (2024/09/04 訪問)

最近「you」さんや「にのまる」さんが短歌を投稿されているので、畏れながら私も一句 投稿させてただきます。
おふたりとも お見事です。わたくしは短歌の経験はほとんど無いので、内容は未熟ではありますがご容赦願います。嚆矢は「かぶらや」では無く「こうし」と読みます(意味は同じ)。

小田原城が最初に北条早雲(伊勢盛時)の手中に入ったのは明応4年(1495)~文亀元年(1501)ごろとされています。盛時はその後、文亀年間(1501~1504)には今川方の武将として戦い、三河にまで進出してきているようです。
その後は永正元年(1504)からの立河原の戦いを皮切リに、相模・武蔵に一気に攻勢をかけ、三浦氏を滅ぼして相模を平定した後は、上総にまで転戦したそうです。小田原城は関東制圧のための拠点として重要な役割を果たしたと思いますが、北条氏の本城となったのは二代目の氏綱の代からだそうです。
北条氏は五代続き、秀吉が小田原征伐を行った時には200万石もの石高を持っていたとする説もあるようです。
単独の大名としては破格の石高ですが、低い出自から身一つで天下統一を成し遂げ、天下人・関白にまで登り詰めた豊臣秀吉がいかに突出した存在であったかを改めて思い知ります。

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朝田 辰兵衛

実は大島行きを計画していました…🚢 (2024/08/11 訪問)

宮崎で南海トラフ地震の前兆とも思える地震の後,小田原で地震。さすがにその2日後は,大島へ行く勇気がありませんでした…。行ったはいいが,揺れて津波注意報が発表されたら欠航となるリスク大。
しかし,第2案は計画していたものの,山城メイン。迷いましたが,羽根モノの虫は35℃超では自身の水分蒸発を避けるために飛ばなくなるので,午前中勝負で大雄山線に飛び乗りました。大雄山駅からは,関本から柄沢まで路線バス。バスを降車したらすでに猛暑。「失敗したかな…」と思いましたが,見どころの東側二重竪堀はしっかり確認できました。

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しんちゃん

そこに「愛」はないんか(笑)‥アイ〇ル~ (2024/04/06 訪問)

零汰さん、また面白いニックネームがあったら期間限定で対応しますよ。
「愛をを求められると引いてしまいますが」→私もそっちの趣味は無いです! 往年のジャンプのノリですわ。「キン肉マン」とか「北斗の拳」とか一時期は「愛」「友情」「強敵(とも)」とかコテコテのノリでしたので。私も7000万リスペクトパワーです。

なんだか良くわからなくなってきたので、とりあえず手元に置いておいた名古屋城本丸御殿の写真を載せます。往時と同様の工法を持って失われた建築物を再現することは重要な試みだと思いますが 現状、名古屋城の再建は見通しが立っていませんね。
本丸御殿からの投稿でした。

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リュウノスケ

さんじゅーろう (2024/09/04 訪問)

さんじゅーろうに会いたくて会ってきました
城は素晴らしいに尽きる 石垣は見事だったよくあの場所に作ったものだ イチオシ 年間パスみたいな作ってくれたらまたさんじゅーろーに会いに行くきっかけにもなるかな

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零汰

空堀が綺麗 (2024/07/19 訪問)

こちらの城跡は標高165m程度、道路からの比高は25mで山頂では無く中腹にあります。入口から歩くこと5分程度で城域に達します。南北50m強、東西120m程度の中に東西2郭で構成されていてる館城です。コンパクトで比高も低い上に空堀が美しい好みの城跡です、気軽に見るにはお勧めです。

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しんちゃん

浜松広報館・エアーパーク (2024/08/31 訪問)

カズサンの河口湖自動車博物館・飛行舘の写真に触発されて、またエアーパークの投稿です。オイラも「一式陸攻」見たい。
8月限定とのことなので、それまでにスマホを新調して来年の8月に見に行きたいと思います。「隼」や「彩雲」も見たいな~。大刀洗平和祈念館の震電のレプリカも見たいですね。
エアーパークは航空自衛隊の広報館なので、ジェット機などの比較的新しい機体の展示が多いです。どの期待も、それぞれ違った良さが有りますね。現在分解中の零式艦上戦闘機52型甲はここでは貴重な大戦中の機体です。写真は載っていませんが退役したF-4Jファントムも好きな機体です。エアーパーク内は「展示資料館」「全天周シアター」「展示格納庫」に分かれ、ゼロ戦が展示されているのは格納庫になります。展示資料館にはF-2戦闘機の実物大模型(モックアップ)が置かれ様々な展示がされています。そうか‥あれ、本物じゃなかったんだ(ネットで見て初めて知った)。今回は「宇宙(そら)びと」としての投稿でした。

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零汰

土塁:陣ノ内城:熊本県益城郡甲佐町 (2019/07/12 訪問)

城きちしんちゃんさん、愛をを求められると引いてしまいますが、リスペクトと羨望はありますよ、お三方共。受け手の気持ちですからね、お気を悪くさせたのでしたら申し訳ない。城キチShinは歯切れも良かったから好きだったですけどね。ひと段落している時期なのでそろそろ私も改名して心機一転するのも良いかもしれません。

陣ノ内城には2019年の夏に訪問しました。南北190m程度、東西210m程度の城跡です。その時は阿蘇大宮司の館で陣ノ内館とありました。その年に小西行長による築城の織豊系城郭として陣ノ内城と名称が変更になりました。国史跡になったのはその時だったのか分かりません。写真中の表示は何れも陣ノ内館のままになっています。おおよそ北と東の2面には大きな土塁と空堀が施されて圧倒されました。残りの2面には現在は有りませんが、発掘調査の際に埋設土塁と埋設空堀が確認されたそうです。

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しんちゃん

堀井城 周辺の城より整備が進んでいる。 (2024/04/20 訪問)

陽が短くなって来たけど、まだまだ暑いです。いつまでも「城キチShin」をやっていてもしかたないので、もとの「しんちゃん」に戻りました。‥あれ、なんか頭に着いてる、とれないぞコレ。どうやら「城びと」のシステム上の問題のようです(ウソ)。
まあ、「イナズマン」になる前の「サナギマン」のようなものですよ。甲子園で「おまえは我が野球部の秘密兵器だ」などといわれながら、ずっと出番が無く秘密のままだった御人や、仕事中ヒマでこっそり史料の解読をしている、あの人物も「イナズマン」になるのを待っている「サナギマン」です(剛力招来)。
堀井城は兵庫県小野市河合西町に築かれていた城で、元々良好な状態で堀が残っていたようですが、現在は城址公園として整備されています。「城郭放浪記」さんの情報だと承久2年(1220)に赤松景能によって築かれたとされています。現地案内板によると、中世の京街道(京都-姫路)と加古川が交差し、軍事上重要な位置にあったようです。
堀井城の南南東600mにある河合城は「嘉吉の乱」の際に赤松満祐が足利将軍・足利義教の首を持ち帰った城として知られています。堀井城は小堀城と共に、河合城の支城であったと考えられています。

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ぴーかる

日比津城 (2024/07/27 訪問)

【日比津城】
<駐車場他>大円寺駐車場あり。
<交通手段>地下鉄東山線本陣駅から徒歩

<感想>青春18きっぷで濃尾平野ちょこ城巡り第5弾4城目。城跡の説明板が無いので城びと情報から。日比津城は南北朝時代に野尻氏によって築城されたようです。遺構は残っていないようで城跡地である大円寺に野尻氏の墓碑五輪塔2基があります。お参りしました。

<満足度>◆◇◇

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カズサン

【甲斐 河口湖飛行舘】山梨県鳴沢村 南洋より回収復元日本軍機閲覧 (2024/08/24 訪問)

 河口湖自動車博物館・飛行舘が8月限定の公開開館があり、数年前から訪ねたいと願って居ました、南洋南方より回収し復元した日本軍の海軍機、陸軍機を展示されてる飛行舘を見学してきました。

 住所:山梨県南都留郡鳴沢村富士桜高原内
 駐車場:河口湖自動車博物館・飛行舘前の専用駐車場、50台位は可能。
 参考資料:河口湖自動車博物館・飛行舘HP、YouTube河口湖自動車博物館・飛行舘、グーグルマップに依る。
 
 浜松より新東名、東富士5湖道経由富士吉田・忍野SICをOUT、約5km程でゴルフトーナメントで有名な富士桜ゴルフクラブの近くで、道筋は大変便利です。

 10時開館で開館前から道筋が渋滞約20分ほど待って駐車場誘導員指示で駐車、飛行舘(1,500円)のみ見学。
 見たいと思っていた、海軍艦上偵察機彩雲、海軍一式陸上攻撃機は胴体復元中でしたが、実物大のレプリカに感激、他には海軍艦上戦闘機ゼロ戦21型、52型と陸軍一式戦闘機隼1型、2型、隼は初めての実物を見る事が出来ました。
 約1時間程見学し、土産にTシャツをゼロ戦設計図のプリント、彩雲プリントを購入。
 
 福岡のトクさんが投稿されていた、シンゴジラで公開されていた震電を機会が有れば福岡県大刀洗平和祈念館の震電レプリカを観たいとも思っています。
 
 

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国人の城→大毛利の城 (2024/07/28 訪問)

 五龍城から江の川沿いを下り、郡山城へ。五龍城では誰にも会いませんでしたが、さすがに郡山城、炎天下でもちらほら登城者の姿が。
 麓の毛利元就像を超えたところを右に行き、毛利の勢力がまだ国人規模の時期の城:本城に向かいました。途中に展望台があり、麓から見える、毛利の家紋が掲げられている所です。尼子が攻めて来たときの陣地がそう遠くない距離に見えます(吉田盆地は広くない)。本城は、郡山からいったん鞍部を経て岬状に伸びた尾根を利用しています。尾根の両側は急斜面で、背後を堀切って守ります。けっこう大きいですが、厳しい地形を利用した、国人規模と言えましょう。
 拡張された郡山城は規模で圧倒する感じ。城内最大の郭である勢溜の壇は、これだけで、本城よりも大きいです。本丸に行く道は、勢溜の壇の下を100mほども進みます。突破するのは無理。一族郎党が皆、郡山城内に居住したと。それで、300ほどもの郭が要ったのですね。
 毛利元就、一族墓所を経て、下っていくと、谷筋に内堀跡の説明板が。山麓および西の谷に堀があったのを知りませんでした。
 大毛利になり、郡山城と吉田盆地は、さすがに手狭になって、江の川下流 太田川河口に広島城を作って移っていきます。私も次に広島城に向かいました。

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カズサン

2度目チョイ寄り (2024/08/24 訪問)

 御殿場IC進入前に御殿場の深沢城に平成29年4月以来7年振りに、山梨県都留市城郭、河口湖飛行舘探訪見学の後チョイ寄りし稲穂が実る姿を眺めました。

 駐車場:無し、深沢城石碑案内板の反対側白線三角コーナー1台路駐可?(35°19'23"N 138°57'17"E h=420m)
 参考資料:グーグルマップに依る。

 立派な石碑と案内解説板を観て、裏の三日月堀、私有地民家の有る三の丸、馬出の標柱、三の丸の稲穂が実った田圃、下馬溜り標柱を見て、畦道の草刈が終わってる処で引き返し、二の丸、本丸はパス。石碑から西側の北に伸びる村道を馬伏川に架かる橋まで進行し蛇行した馬伏川と深沢城の二の丸西法面切岸側を眺めて西方向に富士山を見つけるが雲に隠れて頭は見れず、水田は金色に稲穂が実っています。

 境目の城で。今川氏、武田氏、北条氏、徳川氏と勢力範囲が代わり秀吉北条氏征伐後には廃城と成った様です。

 家内を都留市勝山城谷村城、河口湖飛行舘と連れまわしましたので、深沢城から近くで御殿場IC近い「とらや工房」で癒しの喫茶休憩しどら焼き葛餅を冷たいほうじ茶、温かいほうじ茶で頂き、隣の東山旧岸邸見学、とらや羊羹を土産に購入。
 とらや工房:静岡県御殿場市東山1022-1、広い駐車場完備。

 東名御殿場ICより東名、新東名で帰路へ、道中富士から静岡辺りまでゲリラ豪雨で前も見えないくらい、夕刻には浜松着。その時から台風10号、昨日まで静岡県は南の湿った風で天候不順、レベル4の豪雨が続きました、被害も所々発生してる様子。

 7月8月の暑さで城探訪は取り止め、9月も様子見です、10月11月頃からボツボツ始めますかね?
 
 
 

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にのまる

三万の 鋲の整列 息潜め 城兵のごと 北面守る (2024/08/06 訪問)

岡山から庭瀬城・撫川城・笠岡城と駒を進め、県境を越えて福山に到着しました。
福山城は新幹線で通るたびに目を凝らして見ていましたが、下車して足を運ぶのは7年ぶり。築城400年プロジェクトで天守(福山城博物館)北面の鉄板張りが復活してからは初めてです。
坂道をのぼりながら刻印石を愛でるその先に赤く空襲の焼け跡の残る石垣。奇しくもこの日は広島に原爆が投下された8月6日。福山空襲は8月8日だったそうですが、容赦のない真夏の日差しを浴びながら、歴史の真の語り部とは他でもない、長い年月を生き抜いてきたこの石たちなのだという思いを新たにしました。

伏見櫓を見上げ筋鉄門を潜り本丸に足を踏み入れると、湯殿・月見櫓・鏡櫓・鐘櫓がぐるりと見渡せます。近世城郭は城の時代の集大成ともいえるもので、目の前によみがえったこの光景をいつまでも記憶していたいと思いました。
そしてそれらに見守られるように静かに佇む八方よしの松。この松もまた幾多の危機を乗り越えて今ここにあるのだと知り、これから先ずっと平和の象徴としてこの場所に居続けてくれることを願いました。

木々が伐採(適正管理)され見晴らしのよくなった中に堂々と聳え立つ天守。7年前の印象とかなり異なります。さまざまな角度、方角から眺めながら、戦後20年、福山城を愛する市民の力でよみがえった天守のこのたびのリニューアルは往時の姿に近づけるものでしたが、向かうのは過去ではなく未来なのだとしみじみ思いました。幾人かいらしたお客さんがそれぞれの場所で足を止め、見上げておられます。きっとみなさん、お気に入りのポイントを見つけたのでしょう。

そしていよいよこの旅いちばんの目的である“鉄板”と対面します。
かっ…、かっこいい!
ぎりぎりまで近づいて、少し離れて、だいぶ離れて、また近づいて。
素材や工法は安全に配慮された現代式だとのことですが、遠目にはわからなかった細長い鉄板と規則正しく斜めに並んだ鋲の美しさに見入るばかりです。2,000枚の鉄板に3万個の鋲。それは“姫路城のスプリンクラー1,000個”以来の驚きの数字でした。
お腹いっぱいになるまで鉄板を眺めたあとは、愛してやまない旧天守の礎石。好きすぎて落ち着いて見ていられませんでした。
水野勝成像、阿部正弘像にご挨拶しつつ城内をまわり、福山をあとにしました。

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しんちゃん

厨二病談義 (2016/07/10 訪問)

零汰さんへ、私は心が広いので(笑)「愛」のあるニックネームであれば大丈夫ですよ。またいろいろ考えてみてください。
トクさんは心が美しい方なので、ほどほどにしたほうが良いかも。「城郭放浪記」さんは零汰さんの好きな第六天魔王ぐらいでも良いかもしれません。おそらく城好きの皆さんへの貢献度はピカ一ではないでしょうか。ん?魔王より鬼神の方が上なのかな‥
でもマンガだと魔神(デビル)より魔王(サタン)の方が偉いし、デビルマンだと妖獣ゴッドが悪魔王ゼノンの親衛隊長とかやってたし、よくわからん。
「城郭放浪記」「古城盛衰記」「余湖くんのお城のページ」御三方で三巨頭(ビッグ3)といったところでしょうか。今日は関ヶ原に関するいろんな人の論文やら動画やらを見ていたら、頭がパンクしました。なつかしい犬山城の写真を見て脳ミソを癒します。
犬山城は織田信長の叔父、織田信康によって築かれたとされています。兄・信秀との仲は良好だったようですが、息子の信清は信秀の死後、信長の姉を妻に貰い、最初は信長に従いますが、やがて反旗を翻し敗れ、甲斐に逃れて犬山鉄斎と名乗ったそうです。

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零汰

環濠:宮園城:福岡県みやま市 (2022/01/29 訪問)

この頃は環濠に対してちょっとしたブームが来ていました。今回は佐賀県に続き川を隔てた福岡県周辺の環濠地帯です。基本は佐賀県と同じくクリークに囲まれた城や館で集落を見る事は有りませんでした。佐賀県と違いその多くが消滅している事で、登録城では佐留垣城でクリークの一部を見る事が出来ますが他は消滅して石碑や表示板程度のみとなっています。おそらく消滅したその城は環濠だったと考えて良いと思います。佐留垣城やその他数城で部分的な環濠を見る事は出来ましたが大規模な環濠を見たいとやってきました。

宮園城はみやま市の東照寺の一体が城域だったそうですが実際はそれよりも広いのではと考えられているようです。現在は当時の濠を一部を除き間知石で補強されていますが平地部分は当時のままでクリーク全体を把握する事が出来ます。北側の川から取水口がついていて当時の水の流れも理解が出来ます。環濠に興味のある方にはお勧めの城跡です。

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零汰

屋山城:大分県豊後高田市 (2019/07/27 訪問)

城キチShinさん、すみませんね、50代半ばだと言うのに中二臭抜けなくて。二つ名付けるのが好きなんです。鬼神城郭放浪記さんとか、2年以上掛けて大作を連載していらっしゃる大作トクさんや、投稿が毎回毎回爽やかな爽やかモトさんとか。しかし最近は鬼神城郭放浪記さんは控えています、雲の上の方なので知ったら怒られやしないかと。

屋山城はⅠ郭が標高548mにあり、東西15~20m、南北400m程の細長い城域にⅠ~Ⅲ郭で構成されており、各々堀切で遮断されています。しかし各々の郭はフラットでは無く数か所の段が付いているので現地では三つの郭で構成されているようには感じません。こちらで時に印象的なのは写真3の勾配のキツく雨の日の登城が大変そうな大手通で両脇に竪堀が施されています。この大手道は両側に側溝を設定し、道路の中心部にムクリを付け、両側に勾配を取っています。まるで現代の道路の構造と同じで雨の日の登城の際は水はけがよかった事でしょう。実際は経年による風化で形造られたのかもしれませんが。遺構さえあれば様々な考えが浮かんできて楽しいですね。

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hitoritabi

天守跡までは結構ハードな山道でした (2024/06/08 訪問)

水筒忘れて喉はカラカラ

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hitoritabi

はるばる出雲から (2024/06/08 訪問)

遠かった

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hitoritabi

明智の町 (2024/06/08 訪問)

場内展示は充実してます
太鼓橋が印象的

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駿府城

「発掘情報館きゃっしる」の展示物を一部変更しました!

「発掘情報館きゃっしる」の展示を変更しましたので紹介します。入り口を入って左側の映像スペース付近です。

来場者100万人達成の垂れ幕を更新しました。

来場者数が100万人を突破した令和6年5月9日(木曜日)の記念式典で使用された垂れ幕を展示しています。これに加えて、オリジナルのきゃっしる新聞も一緒に展示してありますので、ぜひご覧ください。
 
駿府城跡天守台発掘調査現場では、徳川家康公が晩年を過ごした駿府城天守台を間近で見学することができます。その大きさは江戸城を超える大きさで、圧巻の迫力です。
また、発掘情報館「きゃっしる」では、駿府城の基本情報をわかりやすく解説していますので、歴史に詳しくない方でも楽しめます。
熱中症対策をしてぜひ駿府城跡天守台発掘調査現場へお越しください。

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