麓に複数の城郭建築風建物があるがそれは温浴施設と美術館で標高400mを超える山頂付近に残るのが真の岩石城。豊前筑前の国境近くの要衝だけに度重なる戦いに巻き込まれ、その度に落城している不運な城でもある。
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2024/11/19 23:09
攻められる度に落城しているのかも (2024/03/02 訪問)
麓に複数の城郭建築風建物があるがそれは温浴施設と美術館で標高400mを超える山頂付近に残るのが真の岩石城。豊前筑前の国境近くの要衝だけに度重なる戦いに巻き込まれ、その度に落城している不運な城でもある。
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2024/02/15 18:15
2022/04/27 21:12
岩石山登山と岩石城(2015年) (2015/06/13 訪問)
岩石山登山を兼ねて訪城。
JR福北ゆたか線、後藤寺線、日田彦山線を乗り継いで添田駅へ。
ここからスタートする。
登りは奥の院を経由して山頂へ向かう。湿度も高く、汗びっしょりになりながら歩く。
山頂から国見岩、八畳岩方面に足を延ばす。山頂周辺で馬場跡から南側急斜面を下って石垣跡、さらに下って古井戸、本丸の虎口跡など山城の遺構を探し、山頂展望台で昼食をとって下山。
下山後、岩石城(天守風建物の添田町美術館)に立ち寄り駅まで戻る。
岩石城は添田町の岩石山(454m)山頂を主郭とした山城。
1158年(保元3年)に平清盛が大庭景親に命じて築かせたと伝わる。
築城以降、菊池氏、大友氏、大内氏、秋月氏などに攻められ幾度となく城主を変えながらも豊前一の堅城として重要な戦略拠点として存続。 秀吉の九州征伐により天正15(1587)年4月1日、蒲生氏郷、前田利長、羽柴秀勝合わせて1万人の秀吉軍から攻められ、1日で落城。その後、小倉城の付城として存続し、1615年(元和元年)の元和の一国一城令により廃城となる。
山麓に模擬天守が建築されているが、もちろん本来の岩石城とは無関係である。
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分類・構造 | 山城 |
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天守構造 | 独立式望楼型[2重3階/1991年築/RC造模擬] |
築城主 | 大庭景親 |
築城年 | 保元3年(1158) |
主な改修者 | 細川氏 |
主な城主 | 平氏、大庭氏、大友氏、大内氏、秋月氏 |
廃城年 | 元和元年(1615) |
遺構 | 曲輪、石垣、堀切、井戸 |
再建造物 | 模擬天守(添田町美術館)、石碑 |
住所 | 福岡県田川郡添田町添田1788-2(添田公園) |
問い合わせ先 | 添田町生涯学習係 |
問い合わせ先電話番号 | 0947-82-5964 |