中世には波多野氏の家臣・荒木氏綱の居城があったとされています。近世の園部城は元和5年(1619)小出吉親が3万石で入り園部藩を立てたのが始まりとされ、陣屋の完成と共に宍人から園部に入りました。幕府より城と名乗ることを許されていませんでしたが、実質的に城としての外観を備えていたようです。
幕末の動乱の中、元治元年(1864)京都の守護を目的として幕府に築城(増築)を願い出ました。櫓門3か所や櫓9か所を増設し、実質的に本格的な近世城郭とする改修が目的でしたが許可が下りず、慶応3年(1867)徳川慶喜の了承を得るものの明治維新を迎え、なんと明治政府によって許可が下り、明治2年に上棟式が行われ櫓5つが増築され、明治の世に近世城郭に生まれ変わりました。
とはいえ、すぐに廃藩置県が行われ、園部県が置かれ県庁となるものの、すぐに園部県も廃止となり廃城となりました。
現在は隅櫓や櫓門の一部が残っています。
後ろの写真は北に100mほど行った所にある南丹市国際交流会館で外観は城郭を模しています。北西の小麦山には三層の小麦山櫓(子向山櫓)が立てられ、明治10年まで残っていたようです。なんとなく隠れ天守の雰囲気で、できれば残しておいて欲しかったですね。
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