そのべじょう

園部城

京都府南丹市

別名 : 薗部城、(園部陣屋)
旧国名 : 丹波

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安楽寺太鼓堂(園部城移築太鼓櫓)
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イオ

周辺散策と南丹お城サミット (2023/05/03 訪問)

(続き)

園部城ツアーの後、南丹お城サミットまでまだ少し時間があるので、周辺の散策をしました。

安楽寺(南丹市八木町北屋賀国府)
園部城の太鼓櫓が移築されています。2階部分に太鼓が吊り下げられ、今なお太鼓堂として現役のようです。園部城からは少々距離があるため(南東に約8.5km)、ツアーの後ではなく来る途中に朝一番で訪問しています。

小麦山(南丹市園部町小桜町)
天守代用の三重櫓が建てられていた小麦山にも登ってみました。遊歩道が整備されていて麓から5分弱で頂部に着きますが、忠魂碑や慰霊碑、門が閉ざされた花壇があるくらいで、三重櫓の痕跡は(石碑や説明板も)見られません。頂部までの道中に竪堀っぽい地形はありますが、遺構としては疑問符が付きます。ただ、藤の綺麗な時季ではあったので、頂部の藤棚の下で持参した昼食を摂りました。

ところで、ツアーでガイドさんから聞いた話では、マリオシリーズの生みの親として知られる宮本茂さんは園部のご出身で、子どもの頃に小麦山を駆け回って遊んだ記憶がマリオシリーズの根底にあるんだそうで、小麦山を散策中、スーパーマリオのテーマ曲が「テテッテッテテッテ!」と頭の中をぐるぐるしていました(笑)

徳雲寺(南丹市園部町小山東町塩田谷)
園部藩主・小出氏の菩提寺で、廟所のほか小出吉親が出石から持ってきたとされる四隅にふくろうをあしらった手水鉢など、小出氏ゆかりの品が多く伝わっています。

国際交流会館(南丹市園部町小桜町)
園部文化会館(南丹市園部町上本町南)
園部中学校(南丹市園部町横田)
これまたガイドさんから聞いた話では、三重五階の模擬天守・国際交流会館は小麦山の三重櫓をイメージしたもので、江戸期を通じての悲願だった天守(代用櫓)をようやく建てられたと思ったら、あっという間に廃城になってしまった経緯から、園部の人は天守に対する思い入れが強く、国際交流会館の他にも城郭風の建物があるとのことなので、いくつかめぐってみました。園部文化会館「アスエルそのべ」が石垣(風の壁面)の上に白壁と屋根瓦を備えているのもなかなかのものですが、もっと凄いのは園部中学校。屋上は無く全て瓦葺であるばかりか、入母屋破風には三花蕪懸魚を設け、玄関には唐破風まで! 園部中学校(城郭風建物)から園部高校(現存櫓門が正門)に進学すれば、城に囲まれた6年間になりますね。うらやましい…。

さて、あちこちめぐって園部公園に戻り、南丹お城サミット会場の国際交流会館へ。改修工事中(10月末まで)のため模擬天守の威容が拝めないのは残念ですが、水堀に見立てたプールに架かる橋を渡って入城すると、会場には小出吉親が大坂の陣で着用したと伝わる生身天満宮所蔵の鉄錆地仏二枚銅具足などが展示され、すでにミニ歴史教室が始まっていて、客席もほぼ埋まっていました。

続いての座談会では、南丹市内の園部城、埴生城、宍人城、松山城の地元の方をパネラーとして各城についてや整備の取り組みの紹介があり、松山城以外はこの日に訪れたばかりだったため、特に興味深く拝聴しましたが、質問コーナーで市長さんから、市の地域おこし助成金を活用して城を整備してもらえているのは大変ありがたいことだが、市の予算にも限りがあるため3年間しか助成することができず、継続的に整備を続けられる方策を検討していただきたい、との要望があり、山城は継続的に整備を続けないと元の木阿弥になってしまうことは各パネラーさんも重々承知のこととみえて、すでに地元の人々や子どもたちを巻き込んで、自分たちのお城という意識を持ってもらえるような活動をしておられるとのことで、どうすればお城を通じた地域おこしができるかを行政と地元の人々が連携して考え行動しているからこそ、埴生城も宍人城も素晴らしい状態で散策させてもらえていたんだなぁ、とちょっと感動してしまいました。いつもありがとうございます。

…ということで、埴生城も宍人城も園部城ツアーも周辺散策も南丹お城サミットも期待以上で、園部のお城を満喫した一日でした。ゴールデンウイークの渋滞にひるむことなく来て良かったです。
 

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イオ

園部城ツアー (2023/05/03 訪問)

江戸初期に但馬国出石から入封した小出吉親が築いた城(陣屋)で、吉親は幕府に櫓の築造を願い出るも叶わず、幕末にようやく徳川慶喜の内諾が得られたかと思うと大政奉還で反故になり、今度は明治新政府に願い出て認められ、櫓門と櫓、堀が築造されて日本で最後に築かれた近世城郭・園部城となりました。しかし、廃藩に伴ってわずか4年で廃城となっています。

小麦山東麓の台地に位置し、北側は園部川、西側は半田川、南側から東側は堀で囲んだ惣構の城(陣屋)で、明治初期の改修で櫓門3か所、櫓5基が築造されましたが、現在は城跡は園部高校と園部公園になっていて、高校敷地に櫓門(高校正門)と番所と巽櫓が現存し、太鼓櫓は八木町の安楽寺に移築されています。

ゴールデンウイーク中の城めぐりでは一昨年に渋滞に巻き込まれて大変な思いをしたので、道中渋滞しない人の来なさそうな山城に行くつもりでしたが、城びとの特集記事で5月3日に園部城で南丹お城サミットが開催され、園部城ツアーでは通常非公開の巽櫓内を見学できることを知り予定変更。ゴールデンウイーク中の京都には近づきたくないところながら、渋滞を避けるべく早朝から園部に入って近隣の埴生城や宍人城をめぐってから園部城に向かいました。

園部公園の駐車場に車を駐めて登城開始。園部城ツアー集合場所の園部高校正門に向かうと、門の手前に大きな城址碑が建てられています。高校正門は立派な櫓門で、格子窓の両脇に大砲用と思われる大きな狭間が設けられているあたり明治の築造を感じますが、二階の梁が低すぎて鉄砲や弓が扱いづらいなど、長く続いた平和の中で築城技術が失われていたことも伺えます。櫓門の隣には番所があり、土塀が巽櫓まで続いていました。

園部城ツアーは参加者が想定より多かったようで、3グループに分かれて散策することになり、まずは内堀跡の散策へ。園部公園では園部城まつりが開催されていて、ステージイベントや屋台が出て多くの人で賑わっています。公園内(本丸北西部)には、小出氏草創の小出秀政、吉政、吉親を祀った三崇社の跡地に石碑が建てられています。また、その近くには生身天満宮跡の石碑も建てられていました。園部は菅原道真の領地だったことから、太宰府に左遷される際に小麦山の別邸に道真の木像を安置して生祠としたことに由来し、太宰府や北野など天満宮(天神社)は数あれど、生前から祀られているのはここだけであり、そのため生身天満宮と呼ばれるんだとか。ただ、由緒ある天満宮も藩主には逆らえないようで、園部城(陣屋)の築城に伴って現在地に移転しています。

園部公園から南丹市役所を抜けて大手門跡に向かう途中、裃姿にちょんまげかつらの人物に遭遇。ガイドさんによれば南丹市の市長さんだそうで、歴史好きでありこの後の南丹お城サミットにも出席されるとのこと。ツアー参加者からは「殿!」という声が飛んでいました(笑) 大手門跡には特に何も遺っていませんが、細い道を北に入って行くと、道沿いに大手門北側の土塁が続いていました。櫓門や巽櫓など建物があるだけで、土塁や堀は遺っていないと思い込んでいたので、案内なしでは気付かなかったと思います。

大手門跡から釘貫門跡を経て蓮池跡(地形に痕跡を感じます)の裏手を通って園部高校に戻ります。公園駐車場の東向かいは藩主の居館跡で、石垣も往時のものと考えられるようです。そして最後に巽櫓内を見学。まず1階で園部高校の生徒さんによる紙芝居「園部城ものがたり」を観て、2階に収蔵された園部城の古図や鯱瓦・鬼瓦、小出氏ゆかりの品についてガイドさんの解説を受けました。締めくくりは、巽櫓東下のテニスコートに立ち入らせてもらっての写真撮影です。巽櫓~番所~櫓門の3つの現存建物を一枚に収めることができるベストポジションでした。

通常非公開の巽櫓に入れただけでなく、大手門の土塁にも案内してもらえましたし、園部城や小出氏について(紙芝居を含め)理解を深められましたし、テニス部の練習を中断してもらってのテニスコートからの撮影もツアーならでは、と非常に満足度の高いツアーでした。でもまだこれで終わりではありません。午後からの南丹お城サミットも覗いてみようと思います(続く)。
 

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侍ホリタン

日本史上最後に築城された名城を訪ねて (2022/05/28 訪問)

園部城は1619年園部藩初代藩主小出吉親が築城を開始したのが始まりです。この時櫓を建てる許可が幕府から得られず幕末まで陣屋扱いとなっていました。幕末の京都警備のため明治政府によりようやく櫓の普請が認められましたが、完成まもなく廃藩置県により園部藩は廃止され園部城の建物、敷地は取り壊しもしくは払い下げになりました。
現在、園部城跡は園部高校・中学の敷地となっていて櫓門等が同校の校門として使用されています。
駐車場は国際交流会館前(天守閣風の建物なのでわかりやすいです)にあります。太鼓櫓は園部城跡から10キロ先にある八木町安楽寺に移築されています。 御城印は南丹市立文化博物館と園部文化観光協会で購入できます。

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城好きのメガネ

「園部陣屋」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★☆
園部陣屋は、外様大名であった小出吉親が築城したとされる。外様大名ながら、4代英貞、5代英持と2人の若年寄を輩出。廃藩置県まで小出氏が治める。戊辰戦争では、いち早く新政府を支持。天皇の避難所として園部城を改築した。園部城が日本の城郭史で最後の建築物となる。現在、曲輪、石垣、横堀、巽櫓、太鼓櫓、櫓門、番所などの遺構が遺されている。敷地内は「京都府立園部高校」となっているため見学の際は注意が必要である。

<アクセス>
JR園部駅 徒歩20分

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 小出吉親
築城年 元和5年(1619)
主な改修者 小出英尚
主な城主 小出氏
廃城年 明治5年(1872)
遺構 曲輪、石垣、横堀、巽櫓、太鼓櫓、櫓門、番所
再建造物 城郭風建築物(南丹市立国際交流会館)、石碑
住所 京都府南丹市園部町小桜町97
問い合わせ先 南丹市役所
問い合わせ先電話番号 0771-68-0001