そのべじょう

園部城

京都府南丹市

別名 : 薗部城、(園部陣屋)
旧国名 : 丹波

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橋吉

京都府立園部高等学校 (2025/08/28 訪問)

園部城跡は、現在学校として使われているので関係者以外駐車できません。
しかし、すぐ隣に園部総合公園駐車場があるので、そこにとめるとよいでしょう。

城郭様建築が目立ちますが南丹市国際交流会館であり、園部城ではありません。
さらに、その前が堀のようになって橋が架かっています。
その堀もよく見るとプールだったりしてこれはこれで面白いです。。

国際交流会館の隣にある博物館で園部城を含めこのあたりの歴史について学習しました。

園部総合公園の南には、京都府立園部高等学校があり、ここは園部城の主要部分跡です。
現在は校門として使われている櫓門,土壁,巽櫓がみられます。

また、園部高校から700m離れた京都家庭裁判所園部支部には土塁が残っており総構えの名残を感じさせます。

さらに、南東10kmにある安楽寺には移築された太鼓楼が残されています。

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しんちゃん

明治の世に近世城郭として生まれ変わるも、すぐに廃城 (2013/09/22 訪問)

中世には波多野氏の家臣・荒木氏綱の居城があったとされています。近世の園部城は元和5年(1619)小出吉親が3万石で入り園部藩を立てたのが始まりとされ、陣屋の完成と共に宍人から園部に入りました。幕府より城と名乗ることを許されていませんでしたが、実質的に城としての外観を備えていたようです。
幕末の動乱の中、元治元年(1864)京都の守護を目的として幕府に築城(増築)を願い出ました。櫓門3か所や櫓9か所を増設し、実質的に本格的な近世城郭とする改修が目的でしたが許可が下りず、慶応3年(1867)徳川慶喜の了承を得るものの明治維新を迎え、なんと明治政府によって許可が下り、明治2年に上棟式が行われ櫓5つが増築され、明治の世に近世城郭に生まれ変わりました。
とはいえ、すぐに廃藩置県が行われ、園部県が置かれ県庁となるものの、すぐに園部県も廃止となり廃城となりました。
現在は隅櫓や櫓門の一部が残っています。
後ろの写真は北に100mほど行った所にある南丹市国際交流会館で外観は城郭を模しています。北西の小麦山には三層の小麦山櫓(子向山櫓)が立てられ、明治10年まで残っていたようです。なんとなく隠れ天守の雰囲気で、できれば残しておいて欲しかったですね。

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園部高校 (2024/06/22 訪問)

 日本最後の城として知られています。現在は京都府立園部高校となっています。巽櫓、櫓門、番所がありました。土曜日でしたが登校されている生徒さんもいたので、そっと写真を撮って退却しました。近くに天守風の建物がありますが、南丹市国際交流会館です。裁判所の前の土塁を観た後、周囲を散策しました。グーグルマップを見ていると裏の山に園部城小麦山櫓跡(三重櫓跡)の表示があり行ってみましたが、城とはあまり関係ないと思われる石碑群しかありません。

 JR園部駅から徒歩約15分で城址である園部高校に行くことができます。

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イオ

周辺散策と南丹お城サミット (2023/05/03 訪問)

(続き)

園部城ツアーの後、南丹お城サミットまでまだ少し時間があるので、周辺の散策をしました。

安楽寺(南丹市八木町北屋賀国府)
園部城の太鼓櫓が移築されています。2階部分に太鼓が吊り下げられ、今なお太鼓堂として現役のようです。園部城からは少々距離があるため(南東に約8.5km)、ツアーの後ではなく来る途中に朝一番で訪問しています。

小麦山(南丹市園部町小桜町)
天守代用の三重櫓が建てられていた小麦山にも登ってみました。遊歩道が整備されていて麓から5分弱で頂部に着きますが、忠魂碑や慰霊碑、門が閉ざされた花壇があるくらいで、三重櫓の痕跡は(石碑や説明板も)見られません。頂部までの道中に竪堀っぽい地形はありますが、遺構としては疑問符が付きます。ただ、藤の綺麗な時季ではあったので、頂部の藤棚の下で持参した昼食を摂りました。

ところで、ツアーでガイドさんから聞いた話では、マリオシリーズの生みの親として知られる宮本茂さんは園部のご出身で、子どもの頃に小麦山を駆け回って遊んだ記憶がマリオシリーズの根底にあるんだそうで、小麦山を散策中、スーパーマリオのテーマ曲が「テテッテッテテッテ!」と頭の中をぐるぐるしていました(笑)

徳雲寺(南丹市園部町小山東町塩田谷)
園部藩主・小出氏の菩提寺で、廟所のほか小出吉親が出石から持ってきたとされる四隅にふくろうをあしらった手水鉢など、小出氏ゆかりの品が多く伝わっています。

国際交流会館(南丹市園部町小桜町)
園部文化会館(南丹市園部町上本町南)
園部中学校(南丹市園部町横田)
これまたガイドさんから聞いた話では、三重五階の模擬天守・国際交流会館は小麦山の三重櫓をイメージしたもので、江戸期を通じての悲願だった天守(代用櫓)をようやく建てられたと思ったら、あっという間に廃城になってしまった経緯から、園部の人は天守に対する思い入れが強く、国際交流会館の他にも城郭風の建物があるとのことなので、いくつかめぐってみました。園部文化会館「アスエルそのべ」が石垣(風の壁面)の上に白壁と屋根瓦を備えているのもなかなかのものですが、もっと凄いのは園部中学校。屋上は無く全て瓦葺であるばかりか、入母屋破風には三花蕪懸魚を設け、玄関には唐破風まで! 園部中学校(城郭風建物)から園部高校(現存櫓門が正門)に進学すれば、城に囲まれた6年間になりますね。うらやましい…。

さて、あちこちめぐって園部公園に戻り、南丹お城サミット会場の国際交流会館へ。改修工事中(10月末まで)のため模擬天守の威容が拝めないのは残念ですが、水堀に見立てたプールに架かる橋を渡って入城すると、会場には小出吉親が大坂の陣で着用したと伝わる生身天満宮所蔵の鉄錆地仏二枚銅具足などが展示され、すでにミニ歴史教室が始まっていて、客席もほぼ埋まっていました。

続いての座談会では、南丹市内の園部城、埴生城、宍人城、松山城の地元の方をパネラーとして各城についてや整備の取り組みの紹介があり、松山城以外はこの日に訪れたばかりだったため、特に興味深く拝聴しましたが、質問コーナーで市長さんから、市の地域おこし助成金を活用して城を整備してもらえているのは大変ありがたいことだが、市の予算にも限りがあるため3年間しか助成することができず、継続的に整備を続けられる方策を検討していただきたい、との要望があり、山城は継続的に整備を続けないと元の木阿弥になってしまうことは各パネラーさんも重々承知のこととみえて、すでに地元の人々や子どもたちを巻き込んで、自分たちのお城という意識を持ってもらえるような活動をしておられるとのことで、どうすればお城を通じた地域おこしができるかを行政と地元の人々が連携して考え行動しているからこそ、埴生城も宍人城も素晴らしい状態で散策させてもらえていたんだなぁ、とちょっと感動してしまいました。いつもありがとうございます。

…ということで、埴生城も宍人城も園部城ツアーも周辺散策も南丹お城サミットも期待以上で、園部のお城を満喫した一日でした。ゴールデンウイークの渋滞にひるむことなく来て良かったです。
 

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 小出吉親
築城年 元和5年(1619)
主な改修者 小出英尚
主な城主 小出氏
廃城年 明治5年(1872)
遺構 曲輪、石垣、横堀、巽櫓、太鼓櫓、櫓門、番所
再建造物 城郭風建築物(南丹市立国際交流会館)、石碑
住所 京都府南丹市園部町小桜町97
問い合わせ先 南丹市役所
問い合わせ先電話番号 0771-68-0001