続71城目
大多喜駅より徒歩20分程度で大多喜城に到着。
大多喜駅に行くまでは電車を乗り継ぎたいへん苦労しましたが、ここまで来ればこれ以上の苦労はありません。スタンプは駅前の観光施設でゲットできます。
時間があればゆっくりと城下町を散策してもよいと思います。
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2023/11/26 20:08
2023/10/09 08:51
大多喜お城まつり (2023/10/08 訪問)
昨日(10月8日)、大多喜お城まつりが開かれ、見に行きました👍️
本多忠勝役をコント赤信号の渡辺正行さんがつとめられていました。たくさんの甲冑隊などを引き連れていて壮観でした。
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2023/09/09 00:13
本多忠勝の改修した堅城。意外と城づくり名人なようです。 (2023/05/06 訪問)
大多喜城は縄張りに本丸・二の丸・三の丸の記載が見られ
堀切などの遺構が残り、本丸跡には模擬天守が建ち、東側は断崖に
なっているようです。その先には二の丸跡と御殿跡があり大多喜高の
敷地になっているため、散策は憚られますが、再建された薬医門と
本丸跡附井戸を見学することが可能です。
やはり高校の敷地内ですので一声かけてからの方が良いでしょう。
さらに東側が三の丸跡になりますが、宅地化が進んでいるようです。
模擬天守は改修工事中で現在見学することはできません。
改修後はエレベーター付きの天守に生まれ変わるとのこと。
大多喜城の前身は根古谷城で徳川家康の関東移封に際して
本多忠勝が10万石で入城し改修したとあります。
周囲を囲む山々を天然の防壁とし、夷隅川を東南の守りとし、
川に沿って25の寺院を複雑に配し、城の守りを強化したとのことです。
戦巧者の本多忠勝らしい実践的な縄張りだったようです。
本丸には三重の天守を備え、全体で九棟の櫓を備え、それらは見張りから
攻撃まで使えるようになっており、25を超える大小様々な井戸を備えた
堂々たる堅城だったようです。二の丸の大井戸は
「本丸跡附井戸」と案内板が建ち「底知らずの井戸」として
数々の伝説を持っているそうです。
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城地種類 | 連郭式平山城 |
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築城年代 | 大永2年(1522) |
築城者 | 武田信清 |
主要城主 | 真里谷武田氏、里見氏、本多氏、阿部氏、青山氏、稲垣氏、松平氏 |
文化財史跡区分 | 県史跡(上総大多喜城本丸跡 附 大井戸・薬医門) |
近年の主な復元・整備 | 本多忠勝、阿部正次 |
天守の現況・形態 | 型式不明[3重4階/築年不明/焼失]、複合式層塔型[3重3階/1975年築/RC造模擬] |
主な関連施設 | 模擬天守、石碑、説明板 |
主な遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸 |
住所 | 千葉県夷隅郡大多喜町大多喜字二ノ丸他 |
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問い合わせ先 | 大多喜町役場 |
問い合わせ先電話番号 | 0470-82-2111 |