まんぎじょう

万喜城

千葉県いすみ市

別名 : 万木城、万騎城、富山城
旧国名 : 上総

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東尾根の遺構
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しんしんちゃん

駐車場にいる整備の方から情報をいただきました。 (2023/05/06 訪問)

万喜城は中心部が展望台になっていて、駐車場も郭跡の
ようですが、その駐車場にいた整備の方に声をかけられました。
「この城はすごいんですよ」とのこと。
東尾根先の遺構のことを教えてもらい訪問してきました。
まるで石垣のような切岸がありますね。天然のものなのでしょうか?
この御人、赤い靴さんの投稿に出てくる方と同一人物かもしれません。
ちょっとした有名人ですね。ありがとうございました。
応永19年、土岐時政がこの地に移り、築城したと伝わります。
土岐為頼は里見氏から後北条氏に鞍替えし、里見氏の攻撃を受けたが
これを退けたとあります。
天正18年8月、徳川家康関東入封後、本田忠勝から攻撃を受け、
為頼は小浜から小舟で脱出したとも、自刃したとも言われています。

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赤い城

川と尾根が守る天然の要害にさらに。 (2022/02/20 訪問)

先月行ったばかりですが、その際に出会った方に案内頂けるとのことで再訪。
南側に展開する尾根を歩きました。
倒木も多く立入禁止の看板もあるので登城の際にはご注意とそれなりの装備を。
さらにこの日は朝は雨、関東ローム層が威力を発揮。
滑りやすい細尾根はスリリングでした。
主郭である倉の台から最初の尾根を進んで行きます。
結構な高さの細尾根です。
引き返し倉の台下の巨大な岩盤堀切へ。
房総の城の特徴ですがあまりにも凄い。
これだけ削る労力ってどれほどのものなのでしょう。
近くには石積状の遺構もありました。
で、尾根部分に進んで行きます。
本来は遊歩道になっている部分も倒木で大変。
土橋を見上げながらさらに進むと東屋があります。
ここの下に曲輪がありますがその切岸がまた凄い。
垂直に岩盤が切り立っています。
東屋からさらに尾根を進むと大きな堀切。
ここも岩盤を削ったものです。
堀切の上には三角点があり、少し進むと飯綱大権現。
武者溜となっていて土塁も残ります。
さらに先の南東側の尾根の先には少し開けたような曲輪が。
ここから攻めて北的に尾根上から集中砲火できるキルゾーンのようです。
すでに満腹でしたが引き返し遊具がある郭下に。
ここにももの凄い岩盤堀切がありました。
見学に5時間超。
まだ見れていない部分もあるので次の冬に再訪したいです。

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新ろくべえ

万喜城に行ってきました (2021/04/17 訪問)

万喜城に行ってきました
模擬天守がある!と思ったら模擬天守風の展望台でした
話は変わりますが万喜城は応永19年に武田氏が作った城です。
北、東、西には夷隅川が流れていて天然の水堀となっていて、
南には複雑に入り込んでいる尾根が続き天然の要害となり、この二つが四方を守っています。
主郭には多数の曲輪が配置され、尾根の部分は垂直に削り、空堀や堀切を設け守りを固めました。
そして麓といすみ川の天然の堀に守られた平地を内宿と呼び、城主や上級武士の館があったといわれています。
万喜城の原型は15世紀の中頃から上総を支配した武田氏によって築かれた城を、
その後没落した武田氏に代わり土岐氏が入り、城と城下を整備しました。
土岐氏についてはいろいろな説がありはっきりとはしていません。
城下にある土岐氏の菩提寺海雄寺には、土岐為頼を讃えた文書が伝わっていて、
為頼は比較的多くの資料に登場しているため土岐氏の最盛期は為頼の時代であると考えられます。
そして土岐氏は万喜城を中心に夷隅地域東部を支配し、
国府台、矢竹、中滝、鶴ヶ、日在、小浜などの城は万喜城の支城として河川や海上交通を意識して
作られたといわれています。
そして戦国時代末期には北条氏の配下となり対立している里見氏やその配下の小田喜氏、
長南武田氏などから度々攻められたといわれています。
万喜城は北条氏の最前線の基地として使われています。
その後豊臣氏の北条征伐時には北条氏と運命を共にしました。
そして、万喜城は本多忠勝が入りましたが、忠勝が大多喜城に移ったため廃城となりました。

〔城情報〕
・築城年     ❘応永19年
・廃城年     ❙天正18年
・築城者     ❙武田氏(土岐氏)
・最後の城主   ❙本多忠勝
・廃城理由    ❙本多忠勝が本拠を大多喜城に移したため
・主な城主    ❙武田氏、土岐氏、北条氏、本多氏
・遺構      ❙堀、曲輪、土塁
・主な建築物   ❙模擬天守風展望台
・説明看板 、石碑❙有
・駐車場、トイレ ❙両方有
・天守      ❙無

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赤い城

騙されてはいけない (2022/01/09 訪問)

城址公園ちなっていて二郭に建つ模擬天守風の展望台がある。
見晴らしも良いのだがこれで終わってはいけない城。
妙見台方面が立入禁止になっていて引き返そうとしたが、整備の作業をされている方に声かけたところ是非見て欲しいと言われたのが倉の台下の大堀切。
主郭の倉の台切岸はどうやって削ったのか分からないほどの高さがあります。
勧められた堀切は本当に凄かった。
山を削ってます。
近くには石積もありました。
何本かの尾根にも展開している城とのことでまた行きたい城になりました。
本当に整備に感謝です。
上総土岐氏の城で小田原平定により落城しました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 土岐時政
築城年 応永19年(1412)
主な城主 土岐氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸
指定文化財 市史跡(万喜城跡)
再建造物 城郭風建物(展望台)、説明板
住所 千葉県いすみ市万木字城山(万木城跡公園)
問い合わせ先 いすみ市教育委員会
問い合わせ先電話番号 0470-62-3621