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朝田 辰兵衛

教信寺と野口神社…⛩ (2024/06/23 訪問)

加古川城から,徒歩で転戦。国道2号線とほぼ並行して走っている西国街道を極力選び,歴史を想像しながら歩きました。野口城の位置はハッキリ特定できていないため,教信寺と野口神社を巡りました。オカゲでグルメにはありつけませんでした…。

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しんちゃん

杭瀬川が! (2023/04/08 訪問)

正直、私の地元の豊橋には台風がなかなか来ないので、油断して浮かれておりました。トクさんの投稿が無ければ杭瀬川がそんなことになっているとは知る由も有りませんでした。被災された方々のご無事を祈るとともに、お見舞いを申し上げます。杭瀬川の昔の写真を見ると、じつに穏やかな小川で、こんなのどかな所が、このような災害に見舞われるとは、その時は思いもしませんでした。
トクさんのご想像の通りに、氾濫箇所は杭瀬川古戦場の周辺一帯で、①の写真は北東側から撮影しているようです。被害に会っている場所は田畑や墓所、グラウンドなどが有る平野が主ですが、住宅地も含まれているようです。また、映像を見ると池田町一帯にも幅広く被害が出ているようです。
状況が現在より少しでも回復することを願うばかりです。

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しんちゃん

和田三郎義盛 (2024/05/03 訪問)

野庭関城は現在は野庭中央公園になっています。築城者は和田三郎義盛とする伝承があるようで、遺構は残っていませんが、それだけでも来た甲斐がありそうです。公園北側付近が本曲輪であったとされ、建暦3年(1213)には和田義盛に与する武者たちが立てこもり、20日以上の籠城戦の後、壮絶な最期を遂げたとされています。

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トク

杭瀬川の氾濫

今頃になってニュースで知ったのですが、2日前に杭瀬川が豪雨で氾濫したそうです。今はもうだいぶ引いているとは思いますが。私が(6人目)「島左近」を追って訪れた時は、ここで合戦があったとは思えない程の、水量も少なく穏やかで小さな川でした。なので驚いています。被害にあわれた方々にはお見舞い申し上げます。ちなみに合戦が行われたのは1600年同じ9月です(14日)。(私はこの地方の地理にはうといので、もし写真の場所がずれていたら大変すいません)。

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しんちゃん

飛んでけスペースシャトル! (2024/09/02 訪問)

どぅもShinです。一つ断ってきますが、改名ではないです。一時的ですよ、期間限定ですよ~~(汗)。
佐賀県の環濠集落なつかしいです。奈良も多いですが、佐賀県の環濠の多さには「狂気」を感じますね。ん‥これは、環濠集落カレーを作っちゃいなヨという「振り」でしょうか? 城カレーは飽きたので、また暇になったらチャレンジします(塩)。
今日は豊橋駅前精文館に本を探しにやってまいりました(なかったけど)。駅前駐車所を降りると、見えてきました、USAのスペースシャトル。夜中にやってるアニメ「負けヒロイン」で最近有名になっています。いつの間にか豊橋のシンボルみたいな扱いになってますね。
駅や精文館をうろつくと、あちこち「負けヒロイン」に占拠されています。この辺も「聖地」の扱いになって来てるんですね、3話くらいから見てますが、作画もストーリーもしっかりしていて、なかなかの良作です。作品がしっかりしていれば特に派手なキャンペーンは必要ないですね。これくらいで十分。
今回は吉田城城下町からのレポートでした。

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零汰

佐賀平野:環濠集落

城郭と呼ばれる中に環濠集落という分類があるそうだ、何とも城郭の裾野はとてつもなく広い。それまで環濠集落なんて耳にした事は有りませんでした。

佐賀県にはクリークと呼ばれる農業用水と直結している濠に囲まれた大規模な城跡が幾つかあり、登録城にも含まれています。5年前に勢いだけで訪問しました。大きすぎて掴み所の無い印象でピンと来ませんでしたがそのままにしていました。2年前に佐賀侵攻中に佐賀平野で環濠集落を見る事となりました。

佐賀平野には150か所程度の小規模な平城や館が用水路(濠)に沿うように残っています。時代の変化により、濠を埋立たり、RC擁壁で補強したりと変化は有りますが、往時のままで残っている場所もあります。それら小規模な城跡を見た事により、5年前の大規模な城跡を漸く理解出来ました。そしてその中に環濠集落が10か所程度あり、それ対して不思議に思えました。そのうち分かる時が来るだろうと今もほったらかしいます。

写真1~5・・・大石環濠 : 写真6~9・・・余江環濠、共に佐賀県神埼市
写りの良かった場所を選びました、場所が違えども殆ど濠が廻っているだけで大差は有りません。

5月に青森の高屋敷館が環濠集落だという事でヒントは無いかと考えて訪問しましたが全く別物でした。共通しているのは濠に囲まれている集落という1点のみでした。(その他に気が付いた事は武士の時代とは逆に、濠が土塁の内側に配置されていたって事です。)

高屋敷館は分類上城郭で問題ないと思われますが、佐賀平野の環濠集落は城郭の分類なのでしょうか?もし仮に今後、用水路(濠)に囲まれた農地が宅地化され、数件の家が建ち集落化した場合は環濠集落と呼ばれてもおかしく無い気がします。その際は城郭に分類されるのでしょうか。時代が最近だから分類されないのなら現在の集落はいつの時代から有ったのでしょうか。城郭に分類されるのにはいつ頃の年代からになるのでしょうか。2年前から不思議に思えています。(分類がおかしいから何としろとか、白黒はっきりしたいとか、佐賀県にお住まいの皆様を不快にさせる意図は有りません。単純に不思議と感じていて特に解決を望んでいる訳でも有りません。)

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ぴーかる

守山崩れ (2024/07/27 訪問)

【守山城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>名鉄瀬戸線矢田駅から徒歩

<感想>青春18きっぷで濃尾平野ちょこ城巡り第5弾3城目。現地説明板によると、守山城の築城年・築城者とも詳細は不明だが1526年にはここに城があったようです。1535年にはここは清洲織田氏の城で以降最後の城主の織田信次が長島の戦いで自刃するまで清洲織田氏の城でした。また同年にここに陣を構えた徳川清康が家臣に殺害される守山崩れが起きた所でもあります。
 城跡碑・土塁跡に行くにはアパートの前に説明板と案内板がありアパートの中を通り土塁上まで行けます。土塁と宝勝寺の間に空堀が残っていますが竹林が鬱蒼として堀内には降りられません。宝勝寺が主郭跡なのですが気付かず行きませんでした。

<満足度>◆◇◇
<グルメ>地下鉄栄町駅まで戻り中日ビル「ユウゼン」にてあんかけスパに初挑戦しました。イタリア風のミートソースとは少し違う野菜の甘味のあるアンでした。隠し味に味噌?

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零汰

小山田城:大分県南海部郡 (2019/10/14 訪問)

城キチShinさん、改名おめでとうございます。その柔軟な所が多様性に繋がっているんですね、とても素敵です。私も見習って頭の中を柔らかくしていきたいと思います。←イジリ無

訪問する時には縄張り図の無い状態が多いのですが、縄張図があると少なからず助かります。極々稀にデフォルメされた縄張り図や鳥観図によって脳内がそれに引っ張られて遺構を見逃す事があります。こちらの城跡の案内板はそんな感じです。(厳密に言うとこちらの案内板は公園全体を表示しており、その目的なら特に問題は有りません。少なからず縄張図風に表現しており良く確認しなかった私に非が有りますので、決してディスるつもりでは有りません。)

栂牟礼城から西に直線距離700m、単郭で標高178m、東西に約180m南北に150m程度の城跡です。栂牟礼城との関係や築城時期は不明だそうですが、別名小山田新城とも呼ばれているようで関係は有ったかと思われます。写真2は最新の縄張り図です。分かる通りこの城は単郭ながらとても防御性に優れていて、畝堀が40本以上施されています。特に北側の畝堀は天端の直ぐ上に腰曲輪が廻っており畝堀の最終型に近い作りになっています。そう考えると戦国末期の極手前の時期に築造されたのではないでしょうか。写真は少な目です、こちらについては近くに行く際は再訪問しようと考えている城跡です。

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ちえじ

天守閣…復活! (2024/08/21 訪問)

今年の夏は、天災に振り回され
お城にも影響がありそうですが…
行きたかったお城の一つでもある、熊本城!
強行で行ってきました。
天守閣も石垣もとてもよかったです。
修復終わってないところも多々ありますが…。
次は、ゆっくり行きたいです。

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にのまる

古城山公園 (2024/08/06 訪問)

庭瀬から山陽本線糸崎行きで8駅目の笠岡で下車。
踏切のところから線路沿いではなく海の方に行き、くねくねした坂道を上って途中から車道ではない展望台に抜ける木の階段を駆け上がりました。
広い公園とサプライズ的な猿舎。そして展望台!
標高は約70メートル。昔から内海の景勝地だったそうで、遠くの方まですっきりと見渡せ爽快でした。説明板などは読んでもすぐに忘れますが、目に焼きついた景色は覚えていられます。

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にのまる

行けそうで行けない。 (2024/08/06 訪問)

元々は庭瀬城と一体の城だったという撫川城。
庭瀬城のほんとうにすぐそばなのですが、それぞれ水堀でガードされており、直線でダーッ!とは行けませんでした。
庭瀬城とは雰囲気の異なる野面積みの石垣がかっこよかったです。
次のお城に向かうため駅まで10分ダッシュしましたが、細かい区画に細い道路で、Googleマップの俯瞰図と重ねてイメージすることができず、水堀や水路にも阻まれ、方向感覚だけではなかなか辿りつけませんでした。しかしそれがリアルお城脱出アトラクションのようで、焦りながらも楽しかったです。

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モリハン

昔の史跡 (2022/03/27 訪問)

民家の間をぬって坂道を登っていくと主郭がある。
県の史跡になっていて、説明板もあるのだが、その後はほったらかしになっているのか、あるいは民家所有の畑なのかで
整備はされていない感じ。

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T-Shionoya

期待を超える松井田城 (2024/04/20 訪問)

4月後半は群馬県安中市の松井田城へ。

東山道が碓氷峠を経て信濃国へ向かう上野国の出入口。碓氷川と九十九川に挟まれた比高約130mの山の尾根に築かれた城。

1487~1566年は安中氏の城で、現在の安中郭が主要部であった模様。
武田、織田(滝川一益)支配の時代を挟み、1582年からは小田原北条氏家臣の大道寺政繁が入城。政繁により増改築されますが、秀吉の小田原征伐で落城し廃城となりました。

現在は大道寺時代の広大な土の遺構に、保存会により案内板やガイドロープが設置された城跡。

訪問時はバイパス登城口から入城し、見学ルートを反時計回りで1周。
大きなクランク状のS字状空堀を確認後、大手道へ行けば要塞感を強く発する3つの堀切。
そして最大の特徴は連続竪堀と連続空堀。いずれも手前は凹凸が不鮮明だが、奥は明確でコンディション良好。

滞在時間は約2時間強。
カメラのバッテリー残量が少なく、途中から急いだものの本丸でバッテリー切れ。
そんなトラブルがありながらも、期待を遥かに超えた私の城郭巡りの182城目でした。

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しんちゃん

〇水城‥続くんかい! (2023/01/04 訪問)

零汰さんの熱いエール(イジリ)にこたえて、一日ほど「城キチShin」と相成りました。城びと編集部にイジワルされて戻せなくなったときは責任とってくださいYo! SinではなくShinであるところがミソです。

鹿児島県民代表の零汰さんの了承を得たので、〇水城の投稿続いてしまいます(やめておけ!)。
先ほどのカレーの投稿もけっこうギリギリを攻めてましたが、今回もかなりボール寄りです。
〇水城は鹿児島県〇水市にある〇水麓の「詰の城」の役目を果たしています。「城郭放浪記」さんの記事を見ると、林道までは行って良いということなので、行ってみましたが、目の前に「骨付き肉」を吊るされたワンコ状態です。
そうなると‥周囲をキョロキョロして誰もいなければ‥罪なあんちくしょうだぜ、〇水城!

ここからは鹿児島県出水市にある出水城の投稿になります。〇水城じゃないですよ。
出水城は薩摩特有のシラス台地で構成されており、大手は北側に付いており林道に繋がっています。林道の左右に複数の郭が存在しますが、いずれも独立しており連携は難しそうです。各郭に城の名が付いており東側は北から梅ヶ殿、水夫ヶ城、小松ヶ城、捨殿ヶ城と連なっています。西側は北から名称不明の郭、住吉ヶ城と続き城山墓地公園の西側も城域となっているようです。なんとなく主要な郭には土塁が残っているような気がします。そんな気がします。
これらの特徴は鹿児島県に残る多くの城に共通することなのですが、各郭に「城」の名が付いていることから、時間稼ぎが目的だと思います。郭に「城」の名が付いていることから降伏は許されず、最後の一兵卒まで戦えということでしょうか。
特に出水城は敵方に最初に遭遇する重要な箇所で、麓での精神教育はしっかり行われていたようです。

ちなみに鹿児島県は去年3日ほど滞在して飽きちゃったので、しばらく行く予定は有りません。‥ウソです、またぜひ行きたいですね。ラーメンもうまかったし、旧集成館は整備中で入れなかったのでまた行きたいし(入場料かえせYo)。
ただその前に私にはやっておきたいことがあるんです。

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にのまる

境目七城、やっと2つ目。 (2024/08/06 訪問)

夏休みの帰省の途中です。
東京駅21:50発のサンライズ出雲でまず岡山に向かいました。
午前6時27分に岡山駅到着。出雲と瀬戸の切り離しを見届けて、ここから先は「お城双六」をしながら西へ向かいます。

1城目は山陽本線(または伯備線)2駅目の庭瀬で下車して庭瀬城。
駅から徒歩10分弱ですが、目にした瞬間から衝撃的でした。滑らかな水面と個性的な石垣をもつ水堀。その中にあるのはまるで現代版の環濠集落!!何か特別なここだけの呼称があればいいのにと思いました。

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モリハン

城址公園 (2022/08/11 訪問)

城址公園になっていますが、ほったらかしになっているのか道も草ぼうぼうです。
主郭に東屋が建っています。

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モリハン

国史跡なのに… (2024/08/13 訪問)

国史跡の勝尾城筑紫氏遺跡群を構成する支城の
一つですが、同じ葛籠城がよく整備されているのに比べて、
かなり荒れていて案内や説明板もありません。
ただ、遺構は空堀や堀切はしっかり残っています。

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にのまる

身延線完乗後に。 (2024/07/31 訪問)

富士宮駅で大宮城・富士山世界遺産センターを見学したあと再び身延線に乗車。当初の予定では下部温泉駅で下車して甲斐黄金村・湯之奥金山博物館に行くつもりでいたのですが、あいにく休館日だったためそのまま甲府まで行きました。これで身延線完乗達成したものの、まだ16時前で、このまま中央線に乗り換えて帰るのは何だか惜しい気が。
そこで思い出したのが勝山城です。
甲府市内とは言え勝山城最寄りのバス停まで行く便は朝夕の通勤通学時間のみの1日3本で、これまで甲府へは幾度となく行っているものの訪問の機会のないままでした。
これはワンチャン行けるかも?とバスナビで検索してみると16:01発の便がちょうどありました。終点からの折り返し便なのか、帰りの便も1時間半後にあります。訪問即決です。
約30分の乗車で、笛吹川を越えるとまもなく中村入口に到着。バス停から城址までは徒歩約10分でした。
小山と案内板が見えてきました。城址ポイントの小山は耕作地のようです。この中に城址碑があるのだろうかと思いましたがあたりにどなたもいらっしゃらなくて許可を得られなかったため、愛宕大権現まで散策して終了としました。
金山博物館の休館を知った時はとても残念だったのですが、おかげで思いがけず訪問することができてよかったです。

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零汰

為朝城:鹿児島県姶良市 (2019/12/24 訪問)

源為朝繋がりで為朝城の話を。鹿児島には2つの為朝城と1つの為朝陣が有ります。5年前に登録城が少なくなってマイナー城跡に行くようになった頃に訪問しました。鹿児島でメジャーな武将は島津一択、そんな中に為朝の名を持つ城跡を見つけたので考える前に早速行ってみました。

南北200m程度、東西50m程度の独立丘陵に5つの曲輪と平坦部が5か所程あります。(最近入手した縄張り図の記載が平坦部の表示となっていて名称を揃えました。)急勾配の大手道の両側には3つの平坦部と登り切った左右に土塁が配置さています。西側の崖の上には100m程の長さで2m程の高さの土塁があります。空堀があるとの事でしたが当時は気が付きませんでした、おそらく浅く曲輪の段と見間違える程度だったのだと思います。曲輪Ⅰが主郭で段が付いており背後には土塁があり、石碑が置いてありました。資料を調べてみてもこの城跡が源為朝に関係しているのか分かりません。伝説だけで名前が付いただけなのかもしれないです。

城キチSinさん、遠方から来て立入禁止は酷ですよね。鹿児島・宮崎南部であと2か所立入禁止の登録城が有りますよ。知ってはいたのですが、まさか日本の端っこに城キチが来るとは思っていませんでしたから。

九州以外でじっくり行く予定にしている3か所の一つが福島県なので先行偵察お願いします。城訪問の裾野を広げる手段に、まずは地元で気軽に出来るものをと思いまして地頭仮屋シリーズを。attuさん、shiromiさん、モリハンさん、新たな方々の投稿を見る事が出来ましたね。型に拘らず、独自の視点やアプローチで城に対して自由に発信し続けて下さると裾野が広がると思います。当然、先頭は城キチSin氏の独走で。

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朝田 辰兵衛

お土産は「横濱ハーバー」で…⛵ (2024/08/10 訪問)

とある煩悩の登城目録さんのアクセス方法を参考にさせていただきました。東横線で菊名駅へ。東口を出たところに,臨港バスのバス停があります。鶴見駅西口行きのバスに乗り,馬場谷バス停下車。バス停からは予想以上に傾斜があったため,キャリーバッグ持ちにはキツかったです。帰りに気がついたのですが,近くのローソン裏からショートカットできます。バスはかなりの本数があったので,あまり時間は気にしなくていいと思います。
竪堀は推測ですが,たぶん間違いないと思います。
横浜土産は毎回悩みどころですが,70周年のロゴが見えたので「横濱ハーバー」で。期間限定の,抹茶黒蜜味は美味でした。

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