あたぎほんじょう

安宅本城

和歌山県西牟婁郡

別名 : 安宅城、下屋敷
旧国名 : 紀伊

投稿する
①安宅本城跡(低い石垣が見えます)
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

昌官忠

(東海&関西)遠征17日目:安宅本城 (2025/05/31 訪問)

車は安宅八幡宮駐車場(33.581476、135.46418813)に置いたまま八幡山城から徒歩5分くらいで、安宅本城標識(33.579565、135.463887)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、享禄年間(1528年〜1532年)に安宅河内守によって築かれたと云われています。
安宅氏は橘姓で足利尊氏の命により淡路国沼島の海賊を退治するため、淡路国由良に居城していたそうですが、南北朝時代の初期に淡路より移り安宅本城を築いて本拠としました。
室町時代には熊野水軍を率いて淡路もその勢力に治めていましたが、1530年(享禄3年)実俊の跡目を巡り、子安定丸と弟定俊が争い安宅一族の勢力は衰退しました。
1585年(天正13年)羽柴秀吉による紀州攻めで帰参し羽柴秀長に仕えました。

道路に案内板があり、そこから低い石垣を見ることができます。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=安宅大野城(城びと未登録 和歌山県白浜町)へ向かいました。

+ 続きを読む

しんちゃん

熊野水軍・紀伊安宅氏の居館 (2025/03/30 訪問)

投降されている記事を見ると、山城ばっかりなので正直これで良いのか迷った。皆さんがんばってるなあ(八幡は行った)。
熊野水軍紀伊安宅氏の居館で、周囲には詰め城である八幡山城や支城がたくさんあります。この日のメインは赤松城だったので、体力を消費したくなかったので本城と八幡山城のみに留めています。以前からここは攻略したかった城の一つです。あとは手取城とリピートで湯浅城に行きたいですね。周囲は宅地でいつのものか解らない石垣があります。地形的に雰囲気は感じますが。

最近、4WDの購入を考えています。親切でアドバイスしてくれているのは解るけど、あそこまで書かれると正直つらい・・。対向車のことまで言われると・・お互いすれ違いポイントはチェックしてるので時にはバックしてやりすごします。本当に狭い道だと軽自動車同志でもすれ違いは不可ですわ。
基本無茶はしないようにしてるけど、途中から道がガラッとかわったりします。しょうがないからそのまま行く場合もあるんだな。以前乗っていたイストは今の車と同じ車幅だったけど、どんな道でもスイスイ行けました。車重とか馬力の比率の違いですね。
予備のセカンドカーに欲しいけど、駐車場とか自動車税とか・・母が免許返納したら購入もありかな・・。
車で城めぐりしている人達は、その人達なりの苦労もあります。でもできるだけ無茶をしないように努力しよう。
俺にぴーかるさんみたいな頑丈な膝があれば、きっつい山城をどんどんハシゴできるんだけどな~、車もヒザも無茶させてゴメンナサイ(ありがとう)。せっかくいただいたアドバイスだ、ありがたく有効に活用させていただきます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

大向出城(和歌山県西牟婁郡白浜町安宅崎) (2022/02/06 訪問)

# 大向出城(城びと未登録)は安宅本城の出城と考えられるため、安宅本城で投稿します。

大向出城は日置川河口部南岸の海に突き出した岬に位置する河口部や海上を見張るための出城で、築城者や時期など詳細は不明ながら、安宅氏の支城群のひとつとして機能したと考えられます。

県道沿いの展望所に駐車して登城開始。展望所から県道を南西に進むと、すぐに日置川河口部と大向出城のある岬が見えてきます。県道が切通道状に岬を横切るあたりに登城口があり、案内標識と説明板が建てられていました。登城口から案内標識に従って10分ほど歩くと、最大の(というか唯一の)見どころである二重堀切に至ります。二重堀切は深さも幅もあり、外側の堀切の内側には安宅氏の城の特徴である石積みが施され、竪堀状になった北端まで石積みが続いています。やや浅くなった内側の堀切を越えた先のピークに主郭が設けられていますが、削平は甘くほぼ自然地形です。現状では主郭周辺は雑木林になっていて河口部や海上は見えないので、見張台らしい場所を求めて尾根の先へ少し探索してみましたが、眺望の開けた場所は見付けられませんでした。

…ということで、安宅氏城館群をひと通りめぐってみましたが、紀伊半島南部の訪れにくい場所ではあるものの、八幡山城や安宅勝山城をはじめそれぞれに見応えのある城ですので、ぜひ一日かけてめぐってみて下さい。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

安宅勝山城(和歌山県西牟婁郡白浜町塩野) (2022/02/06 訪問)

(続き)

安宅勝山城の主郭は四方を土塁で囲み、北辺の土塁上からは安宅荘と日置川を一望することができます。ここからだと安宅本城と支城群の位置関係が一目で把握でき、昨年に安宅氏城館群をめぐっているだけに実に見応えがありました。主郭から東下の帯曲輪(東辺に石積みあり)に下り、安宅勝山城最大の見どころの東尾根の五重堀切に向かうと……なんじゃこりゃあ! 岩盤を開削した堀切だというのは承知していましたが、その際に出た石が堀切の内外に積まれていて、さながら総石垣の堀切が連続しています。東尾根は両側が急斜面の細尾根で、一番内側の堀切は深さも幅もあり、東尾根に対する徹底的な防御意識が感じられました。

南尾根の巨大な三重堀切に始まり、武者隠しの土塁と畝状空堀群、副郭の土塁に施された石積みと雁木、主郭からの眺望…。これらだけでも十分に満足でしたが、この石積みされた五重堀切はこれまでに見たことのない圧巻の光景で、直登と藪漕ぎの苦労が何倍にもなって報われました。

さて、五重堀切を越えて東尾根の先の古武之森城を訪れ、また戻ってきて南尾根から下山します。来る時に見掛けた案内表示から西斜面に降りて行くと、整備された登城道が続き、あっという間に山麓の梅園の北東最上部に着きました。直登するしかない思い込んでいたので登るときは登城道を探そうともしませんでしたが、国史跡の追加指定を目指して近年に整備されたのかな? などと、のんきなことを考えていられたのもここまで。梅園から下は道が無くなり、目印のピンクリボンはあちこちに見られるものの、とても踏み込めないような藪の中だったりで、どちらに進むべきか途方に暮れてしまいました。それでも斜面を直降しつつ、最後は倒竹を踏み砕きながら竹藪の立体迷路を突破して何とか下山しましたが、精も根も尽き果てました。やれやれ…。

…ということで、安宅勝山城の遺構は本当に素晴らしく山城好きなら間違いなく満足できると思いますが、登城道が中腹からしか整備されておらず直登・直降と藪漕ぎの覚悟が必要なため、なかなか安易にはおすすめしづらい、もったいない城でもあります。梅園の北東最上部までたどり着ければ後は問題ないんですが、どう行くのが正解なんでしょうね。あるいは国史跡に追加指定されたら登城道も整備されるのかなぁ…。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平城
築城主 安宅頼春
築城年 享禄年間(1528〜1532)
主な城主 安宅氏
遺構 曲輪、石垣、土塁
指定文化財 国史跡(安宅氏城館跡)
住所 和歌山県西牟婁郡白浜町安宅