あたぎほんじょう

安宅本城

和歌山県西牟婁郡

別名 : 安宅城、下屋敷
旧国名 : 紀伊

投稿する
大向出城(左端)と日置川河口部
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

イオ

大向出城(和歌山県西牟婁郡白浜町安宅崎) (2022/02/06 訪問)

# 大向出城(城びと未登録)は安宅本城の出城と考えられるため、安宅本城で投稿します。

大向出城は日置川河口部南岸の海に突き出した岬に位置する河口部や海上を見張るための出城で、築城者や時期など詳細は不明ながら、安宅氏の支城群のひとつとして機能したと考えられます。

県道沿いの展望所に駐車して登城開始。展望所から県道を南西に進むと、すぐに日置川河口部と大向出城のある岬が見えてきます。県道が切通道状に岬を横切るあたりに登城口があり、案内標識と説明板が建てられていました。登城口から案内標識に従って10分ほど歩くと、最大の(というか唯一の)見どころである二重堀切に至ります。二重堀切は深さも幅もあり、外側の堀切の内側には安宅氏の城の特徴である石積みが施され、竪堀状になった北端まで石積みが続いています。やや浅くなった内側の堀切を越えた先のピークに主郭が設けられていますが、削平は甘くほぼ自然地形です。現状では主郭周辺は雑木林になっていて河口部や海上は見えないので、見張台らしい場所を求めて尾根の先へ少し探索してみましたが、眺望の開けた場所は見付けられませんでした。

…ということで、安宅氏城館群をひと通りめぐってみましたが、紀伊半島南部の訪れにくい場所ではあるものの、八幡山城や安宅勝山城をはじめそれぞれに見応えのある城ですので、ぜひ一日かけてめぐってみて下さい。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

安宅勝山城(和歌山県西牟婁郡白浜町塩野) (2022/02/06 訪問)

(続き)

安宅勝山城の主郭は四方を土塁で囲み、北辺の土塁上からは安宅荘と日置川を一望することができます。ここからだと安宅本城と支城群の位置関係が一目で把握でき、昨年に安宅氏城館群をめぐっているだけに実に見応えがありました。主郭から東下の帯曲輪(東辺に石積みあり)に下り、安宅勝山城最大の見どころの東尾根の五重堀切に向かうと……なんじゃこりゃあ! 岩盤を開削した堀切だというのは承知していましたが、その際に出た石が堀切の内外に積まれていて、さながら総石垣の堀切が連続しています。東尾根は両側が急斜面の細尾根で、一番内側の堀切は深さも幅もあり、東尾根に対する徹底的な防御意識が感じられました。

南尾根の巨大な三重堀切に始まり、武者隠しの土塁と畝状空堀群、副郭の土塁に施された石積みと雁木、主郭からの眺望…。これらだけでも十分に満足でしたが、この石積みされた五重堀切はこれまでに見たことのない圧巻の光景で、直登と藪漕ぎの苦労が何倍にもなって報われました。

さて、五重堀切を越えて東尾根の先の古武之森城を訪れ、また戻ってきて南尾根から下山します。来る時に見掛けた案内表示から西斜面に降りて行くと、整備された登城道が続き、あっという間に山麓の梅園の北東最上部に着きました。直登するしかない思い込んでいたので登るときは登城道を探そうともしませんでしたが、国史跡の追加指定を目指して近年に整備されたのかな? などと、のんきなことを考えていられたのもここまで。梅園から下は道が無くなり、目印のピンクリボンはあちこちに見られるものの、とても踏み込めないような藪の中だったりで、どちらに進むべきか途方に暮れてしまいました。それでも斜面を直降しつつ、最後は倒竹を踏み砕きながら竹藪の立体迷路を突破して何とか下山しましたが、精も根も尽き果てました。やれやれ…。

…ということで、安宅勝山城の遺構は本当に素晴らしく山城好きなら間違いなく満足できると思いますが、登城道が中腹からしか整備されておらず直登・直降と藪漕ぎの覚悟が必要なため、なかなか安易にはおすすめしづらい、もったいない城でもあります。梅園の北東最上部までたどり着ければ後は問題ないんですが、どう行くのが正解なんでしょうね。あるいは国史跡に追加指定されたら登城道も整備されるのかなぁ…。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

安宅勝山城(和歌山県西牟婁郡白浜町塩野) (2022/02/06 訪問)

# 安宅勝山城(城びと未登録)は安宅本城の支城にあたるため、安宅本城で投稿します。

江戸期の軍記物「安宅一乱記」によれば、安宅勝山城は戦国中期の安宅氏の跡目争いにおいて安宅安次丸が籠った城とされますが、詳細は不明です。

安宅勝山城は安宅荘の南に聳える勝山の頂部に位置し、平地の居館である安宅本城の防衛のために築かれた支城群のひとつで、南北二段の曲輪を土塁で囲み、東西両斜面に帯曲輪を配し、南、西、東の尾根を堀切で遮断した縄張であり、国史跡「安宅氏城館跡」には含まれていませんが、現在、追加指定を目指して活動されているようです。

和歌山県にもまん延防止等重点措置が出されたため、県外への移動は控え、この日は昨年に安宅荘を訪れた際に時間切れで行けずにいた安宅勝山城(と古武之森城と大向出城)に行くことに。キンヤさんの投稿を拝見して以来、行きたい気持ちを募らせていましたが、一年越しでようやく叶えることができました。

塩野集落の日生神社(勝山城の説明板あり)の駐車場に車を駐めて登城開始。下調べでは登城道はなく急斜面を直登とのことでしたが、集落の入り口から随所に案内表示が設けられており、登城口とされる廃園となった梅園の麓までは迷うことなくたどり着けました。しかし……どこから登れと? 梅園は1mほどの高さの石垣の上にあり、すっかりシダの藪と化していて足を踏み入れられそうな隙間も見当たりません。それでも石垣をよじ登り梅園の南側に迂回して、防獣柵のセンサーから発せられる電子音(銃声やサイレン音)に追い立てられながら、直登すること30分あまりで南尾根の稜線に到着。ところどころにあるシダの藪を避けるため、ずいぶんと南に回り込んだ感覚はありましたが、尾根道を北に進んでもなかなか三重堀切に着かず、不安になりだした頃に麓で見たのと同じ勝山城の案内表示を見付けてほっと一息。そこから少し登って行くと南尾根の三重堀切に着きました。

南尾根の三重堀切は幅も深さもあり三日月状にカーブしながら竪堀として落ち込んでいて、南尾根を完全に遮断しています。三重堀切の北東上(副郭の南東下)には周囲を武者隠し状の土塁で囲んだ腰曲輪があり、三重堀切側の土塁の下には畝状空堀群が設けられています。副郭の北辺は主郭の切岸、残る三方は分厚い土塁で囲み、西部には平入虎口が、東部には土塁に上るための雁木状の石段が見られます。また、安宅氏の城の特徴として他の支城にも見られますが、安宅勝山城でも土塁内側には石積みが施されていました。西部の虎口を出ると西下には帯曲輪が広がり、北端で竪堀を西下に落としています。竪堀を越えると、主郭の西斜面に数段の腰曲輪があり、最下段は浅い土塁が取り巻いています。腰曲輪の下では浅くなった堀切が西尾根に続く尾根道を断ち切っていました。

さて、西尾根は堀切までで引き返して、いよいよ主郭に向かいます(続く)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

安宅氏本拠地 (2022/01/06 訪問)

熊野水軍の安宅氏本拠地になります。周囲に山城たくさん。国指定史跡となっています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平城
築城主 安宅頼春
築城年 享禄年間(1528〜1532)
主な城主 安宅氏
遺構 曲輪、石垣、土塁
指定文化財 国史跡(安宅氏城館跡)
住所 和歌山県西牟婁郡白浜町安宅