赤穂城は、1645年常陸国笠間から53,500石で入封した浅野長直が藩の家老で軍学師範であった近藤正純に築城設計を命じ、1648年から1661年までの13年間を費やし完成させた城です。本丸と二の丸は輪郭式に、二の丸と三の丸は梯郭式に配置し櫓10か所、門12か所、枡形5か所を設けて防備の要としています。城は、千種川が形成した三角州の先端に立地している為、典型的な平城であり、また往時は二の丸の南半分と三の丸の西側が瀬戸内海に面していたので、海城であったことも大きな特徴です。(パンフレットより抜粋)
そして、江戸城松の廊下における藩主浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に斬りつけた刃傷事件に端を発し、四十七士の吉良邸討ち入りえと続く「忠臣蔵」の舞台となった城です。
赤穂城へは11年振り3度目の訪問で、岡山の実家から豊橋に帰る際、二の丸庭園等見学していなかったところを見に立ち寄りました。
甲州流軍学の粋を尽くして築城されたという城は見応えがあり、感心させられます。また、城内にある赤穂大石神社に立ち寄り誓願成就をお祈りされるのも良いのではないかと思います。私は、「宝くじ」に当たる様にお祈りしてきました(*^▽^*)
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