日本100名城

あこうじょう

赤穂城

兵庫県赤穂市

別名 : 加里屋城、大鷹城
旧国名 : 播磨

投稿する
赤穂城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

しんちゃん

本丸・二の丸 山鹿素行 (2025/04/20 訪問)

赤穂城本丸には天守台・庭園があり、御殿や建造物等をコンクリートの上に間仕切などで再現してあります。暗渠などの排水路の跡もありました。天守台も城の規模に合わせた立派なもので、天守は築かれなかったものの、十万石の城に匹敵する天守台だと思います。
本丸門は門を二ヵ所備えた枡形を良く再現してあります。二の丸庭園の入口に設けられた門は大石内蔵助良雄の大叔父に当たる、大石頼母良重の屋敷門で、良重は藩主浅野長直の信頼を得て二の丸に屋敷を構えていたそうです。
兵学者・儒学者として有名な山鹿素行は浅野長直の千石で召し抱えられ、承応2年(1653)には赤穂城の二の丸虎口の縄張りを一部変更して、家中に兵法を指南しています。
その後、素行は幕府の忌諱に触れることとなり、寛文6年(1666)~延宝3年(1675)まで赤穂に流されることになり、大石頼母の屋敷の一角に蟄居することとなりました。ここで「武家事紀」などの書物を完成し、後の関ヶ原の陣地図などで、神谷道一氏の「関ヶ原合戦図志」に大きな影響を与えることになりました(私はそう思っています)。個人的には少し、胡散臭い所がある人のようにも見えますが・・。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

総石垣の城 (2025/04/20 訪問)

現在の赤穂城は正保2年(1645)に53500石で入封した浅野長直が近藤正純に命じて慶安元年(1648)から寛文元年(1661)まで13年をかけて完成させたとされています。縄張りは甲州流軍学によって成されたとされ、本丸の周囲に二の丸を配し、北に三の丸を配しています。
石高を上回る規模の総石垣の城として築かれ、かつては瀬戸内海に面した海城で有りました。今でも本丸・二の丸・三の丸の周囲に水堀が残っています。三の丸に三箇所(大手門・塩谷門・清水門)の枡形を有し、二の丸と三の丸の境目に一箇所、本丸の本丸門に一箇所と五つの枡形を有していました。二の丸にも二ヵ所の仕切を設け、事実上別の郭となっています。
本丸も12~13の辺をもつ複雑な形状をしていて、海側から攻めてきた敵は本丸門にたどり着く前に各辺に設けられた狭間から攻撃を受け、やられてしまいそうです。個人的には二の丸門と本丸門の間に、もう一工 夫が欲しい所です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

翡翠

赤穂城 (2024/02/17 訪問)

赤穂大石神社から赤穂城へ歩いて、すぐでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

chiroru

「赤」文字見てくださいね (2025/03/14 訪問)

ここに行くんだと決めたら、忠臣蔵関係のドラマを見たり、本を読んで予習したりして期待を膨らませていました。

JRの赤穂駅からお城までの道は「松並木」で松の廊下を思わせる街づくり、至るところに忠臣蔵です。

天守台から本丸門方向にある山には「赤」文字お目見えします!ぜひとも見てほしいです。

大手門そばの売店では赤穂のお和菓子「塩味饅頭」売ってます。

+ 続きを読む

概要

常陸笠間から入封した浅野長直が近世城郭として整備した、赤穂浪士で有名な城。千種川の三角州上に築かれた城の縄張には甲州流と山鹿流を取り入れたとされ、櫓台を石垣の塁線から突出させるなど横矢がかりが多い。当時の面影を伝える二重二階の隅櫓が再建され、他にも大石神社や武家屋敷公園が赤穂浪士ファンには人気。

城郭情報

城地種類 輪郭式平城
築城年代 文正元年(1466)〜文明15年
築城者 岡光広
主要城主 池田氏、浅野氏、森氏
文化財史跡区分 国史跡(赤穂城跡)、名勝(庭園)
近年の主な復元・整備 池田長政、浅野長直
天守の現況・形態 なし
主な関連施設 櫓、門、庭園、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、横堀(水堀)
住所 兵庫県赤穂市加里屋
問い合わせ先 赤穂市教育委員会事務局生涯学習課文化財係
問い合わせ先電話番号 0791-43-6962