小川町駅の南にある仙元山の南西に青山城址があります。
ハイキングコースとして整備されており、仙元山を目指す途中に青山城址のコース案内があり、特に迷うことなく、城址に辿り着くことができます。
町の史跡に指定されており、解説板が設置されており、郭や土塁、堀切などの遺構が確認できます。
落ち葉で埋もれて気づきませんでしたが、石積もある様です。
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2025/05/20 18:04
2025/04/16 19:37
青山城 (2025/02/16 訪問)
【青山城】
<駐車場他>仙元山みはらしの丘公園
<交通手段>車
<見所>堀切・虎口石積み跡
<感想>1泊2日埼玉大阪化計画第3弾2日目、4城目。現地説明板によると、江戸時代に書かれた「関八州古戦録」には1563年に「松山城には上田安楽齋、同朝広を還住なさしめ青山・腰越の両砦とともに堅固に相守らせ」とあり武蔵松山城の支城であったと伝えられています。
先達の方の情報を頼りに上記公園に駐車し城跡に向かいました。公園から城跡までは距離は長いですが比較的平坦な遊歩道となっており簡単に城跡手前までたどり着くことができます。城跡前から急な切岸になっていて、ここからが城跡だとすぐ分かります。切岸を登ると大堀切があります。大堀切を越えると3郭、主郭、南に折れて2郭とあります。各郭は堀切で仕切られています。主郭は長方形でコの字状に土居で囲まれています。南側の虎口跡には大きめの礫石があり石積み虎口だったことが分かります。主郭と2郭の東側下段に武者走り的な帯曲輪が平行して通っています。公園からも山の中を結構な距離を歩くので山深い中の小さな城跡ですが、しっかりとした遺構が残っていました。戻り道で途中の仙元山と庚申と浅間社跡に寄りました。おいでなせえ小川町駅前店に御城印販売しています。
<満足度>◆◆◇
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2024/03/04 07:10
元日の攻城⑨ (2024/01/01 訪問)
この城も2023年の元日、腰越城から杉山城に直行してスルーしてしまっていました。結構な時間がかかる山城だと思っていたので仕方ありません。八高線を渡って城址西側の仙元山登山口から攻城しました。「青山城址・仙元山分岐まで約35分」との表示がありますが、ちょっと大げさな気がします。分岐迄だったら私の足で10分少々でしたから。ただ、分岐から青山城本郭迄も結構歩きますけれどもね。それでも登山口から本郭の説明板まで20分はかかっていません。結構奥行きがあり、山城遺構も随所にみられるとても良い城でした。これが2024年の初山城となりました。
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2023/02/26 12:12
仙元山遊歩道の奥に城跡 (2023/02/22 訪問)
本郭内説明板に、江戸時代に書かれた『関八州古戦録』には永禄六年(1563)に「松山城へは上田安楽斉、同上野介朝広を還住なさしめ青山・腰越の両砦と共に堅固に相守らせ」たとあり、松山城の支城であったと伝えられています。と書かれている。
南東の山麓には、下里・青山板碑制作遺跡があり、緑泥石片岩の採掘・加工跡を見学出来る。遊歩道を離れれば直ぐに三の郭手前の堀切に着く。三の郭から堀切先に本郭があり、北がやや高い土塁とも思える。北に虎口らしき窪みを下がれば、土橋状の道と左右の堀があり、小さな平地が見られる程度。南西虎口下に板状の石が散乱している。先が土橋状で二の郭になり、土塁・東の下に帯郭が確認出来る。二の郭の先は大きく下がり、小さな平場が幾つか見られる。
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分類・構造 | 山城 |
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築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 青木氏、上田氏 |
遺構 | 曲輪、石垣、土塁、堀切 |
指定文化財 | 県選定重要遺跡(青山城跡) |
住所 | 埼玉県比企郡小川町青山、下里 |