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城とマスク

棚倉城築城400周年 (2024/12/23 訪問)

手打らーめんきせんで温かいラーメンを食べてから棚倉城を訪れました。雪が少し散らつく気候でしたがお城一周して歩いたらとても身体が暖まりましたね。

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カズサン

【遠江 初山宝林寺】静岡県浜松市 近藤家菩提寺 (2024/11/28 訪問)

 細江町みをつくし文化センター、堀川城、気賀関所を往復の国道362号線沿いに気賀・金指近藤家の菩提寺「初山宝林寺」が在り、丁度特別公開展示中の案内で帰路久しぶりに寄りました。

 住所:静岡県浜松市浜名区細江町中川65-2
 駐車場:宝林寺東麓にアスファルト参拝者舗装駐車場有り、トイレは拝観料(400円)受付所に在り。

 宝林寺は井伊谷三人衆の一人近藤家の菩提寺(金指近藤家、気賀近藤家)です、家康公遠州に侵攻の折り協力した近藤家、井伊直政配下に成りましたが独立して大名に取立て、江戸初期には数家に分かれて交代寄合旗本として気賀、金指を治めていました。寛文4年(1664年)旗本金指近藤家2代目当主貞用の招きで、黄檗宗の祖隠元禅師と共に明国より来日した独湛禅師によって開創された黄檗宗の寺院です。
 中心に国指定重要文化財の仏殿、釈迦三尊像・24天善神立像が祀られている。その裏に石垣と白土塀・内門に守られて国指定重要文化財の方丈が在ります、今回の特別展は方丈で有りました。仏殿の東に報恩堂が在り宗祖隠元禅師、開祖近藤貞用の報徳の堂、近藤家代々の位牌安置されてる。方丈の裏手は山裾を利用した庭園、石仏五如来、西隣には金運上昇のご利益があるという?金鳴石と阿弥陀三石仏像が在ります。
 山門は県指定文化財で国道362号線北側石階段を登った所に在ります。

 奥浜名湖 湖北五山として
 ①初山宝林寺、近藤家菩提寺
 ②龍潭寺、井伊家菩提寺
 ③方広寺
 ④摩訶耶寺
 ⑤大福寺
 が有名です。

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イオ

日本100名城かるたワークショップ (2024/12/21 訪問)

お城EXPO 2024に参城しました。お目当てはもちろん日本100名城かるたワークショップです。当日は仕事が入っていたので、行きたいのは山々だけどやっぱり無理かな…と半ば諦めていましたが、3日前に城びと編集部の「皆さまと一緒に、かるた晴れの舞台を喜び合いたいです」の言葉で心に火が点きました。かるた大会は来年以降も開催されるとしても、かるたの発売を喜び合うのは今年しかない! 絵札も読み札も思いのほかたくさん採用いただいていながら、晴れの舞台を知らんぷりするわけにはいきません!!

…ということで、朝イチで仕事先に顔だけは出して、どうしても外せない用件(かるたです(笑))が…と早々に抜け出して新幹線で横浜へ。これでワークショップの整理券が取れなかったらシャレにならんぞ、との懸念もありましたが、無事7番を確保。ひと安心したところで、まずは腹ごしらえにアネックスホールで昼食(横浜といえば崎陽軒のシウマイ弁当)を摂り、ワークショップの時間まで9年目にして初登城のお城EXPOを観て回りました。関西での出張版や特別版には参城していますが、さすがは本家本元、規模が圧倒的ですね。入念に下調べしても時間の使い方に頭を悩ますところでしょうが、前日まで休む分の仕事の穴埋めに追われていたので、全く下調べなしのぶっつけ本番、実に効率の悪い回り方になってしまいました。

城めぐり観光情報ゾーンでは、関西でのイベントでは見かけない関東の城のブースが多い(当たり前)のが印象的でした。遠征先ではどうしても(続)100名城メインになってしまいますが、いつか行ける日のために資料だけはたくさんいただきました。福山城天守北面鉄板や九鬼嘉隆の鉄甲船の模型など興味深い展示も多く、時間があればじっくり見て回りたいところですが…。定番の(続)100名城パネル展はアネックスホールでしたが、観光情報ゾーンではヨーロッパ100名城のパネルが展示されていました。興味はあるものの、(続)100名城もまだまだなのにヨーロッパなんてとても考えられないな…。公式お城グッズ売場では香川元太郎先生を偲んで特設コーナーが設けられていました。観光情報ゾーンの展示にも受け取る資料にもいたるところに香川先生のイラストが用いられていて、改めて香川先生の足跡の偉大さと失われたものの巨大さに呆然とさせられます…。日本100名城かるたのコーナーも設けられていて、幾人もの人がサンプルを眺めているのを見かけました(買って~)。

2Fに上がるとニッポン城めぐりブースの手裏剣で亀寿を射止め、3Fでは「城の自由研究コンテスト」優秀作品のレベルの高さに驚愕し(年少ながらもいっぱしの研究者だ…)、フォトコンテストには城びとでお見掛けする名前があったり、企画展示「城郭からみる日本遺産」では行ったことのある城(土丸・雨山城)の展示などもあってなかなか興味深い内容でした。4Fの城ラマ展は長篠の戦いや上田城の戦いなど「籠城戦を戦い抜いた城」の展示、「自選余湖図30選」では余湖さんが受付に座っていたので、「いつも参考にさせてもらってます」と一言お礼を言いたいところでしたが、他の方とお話中だったため断念して次へ。シン・忍者展では忍び足体験(早々に御用だ!)や手裏剣投げ(まずまずの的中率)、奪口クイズ(全問正解!)などの忍術修行を体験しました。

そうこうするうちに時間になったので、いよいよ本題の日本100名城かるたワークショップへ。この中に城びと常連の皆さんもいるんだろうけど、全員初対面だからなぁ…などと考えていると、スタッフと挨拶を交わす男性の姿が。朝田 辰兵衛さん? と思いながら様子を窺っていると隣席の女性と談笑しています。にのまるさん? チェブさん? 加藤理文先生の解説が始まり、画面に表示された城名をその男性が答えた時に「私の投稿なので」との発言があり、やっぱり朝田さんだ! と確信。解説に続いてお試しかるた取りに移る際にお声がけすると、はたして朝田さんであり、隣席の女性はチェブさんでした。チェブさん、ちょうど一年前にはかるた絡みでとち狂ったことを口走ってしまい大変失礼いたしました。

そしてお二人と同じグループでかるた取り開始。飛騨高山ツアーでのかるた大会に向けて絵札・読み札ともに二回ずつチェックしてあった私に対し、お二人を含む他の方は初見だったようですが、結果は朝田さんが10枚獲得で1位、私は6枚で2位でした。完敗です…。でも、勝ち負けよりも、城好き同士でわいわいとかるたをするのは想像通り、いや想像以上に楽しく、城びとでのレポート用に「かるたに興じる参加者」の写真を撮るつもりが、撮るのを忘れるほど私自身がかるたに興じてしまいました(それでもせめて一枚くらい撮っておけよ…)。

日本100名城かるたの企画が立ち上がった時から、これは面白そうだ、ぜひ欲しいと思って投稿もすれば応援もしてきましたが、こうしてめでたく商品化され、お試しとはいえかるた大会にも参加できて、まさに感無量です! その上、この機会に朝田さんとチェブさんにお目にかかることができましたし、行かずに後悔するくらいなら行って後悔するほうが良い、という思いで横浜行きを決めましたが、後悔どころか大満足のお城EXPOでした。うだうだと迷っていた背中を押して下さった城びと編集部の投稿には感謝しかありません。ありがとうございました。ワークショップに参加されていたにのまるさんにご挨拶できなかったのは残念ですが、来年のお城EXPOでは日本城郭協会主催でかるた大会が開催されるようですし、またの機会を楽しみにしております。そして、来年はどういう口実で仕事を休んだものか考えつつ、新幹線で帰途につきました。ああ、楽しかった…。
 

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todo94

旅立ち前の参戦 (2024/12/22 訪問)

今年は仕事納めが異様に早かったため、お城EXPOに参戦してから旅立つという年末の予定となりました。荷物になってしまうので100名城かるたは送料を支払って事前に購入しましたし、いつも無節操にもらいまくるパンフレット類もかなりセーブしたつもりです。厳選プログラムは昇太師匠と加藤先生のトーク。もやもやがキーワードでしたが、城びと未登録のチャシが数多く登場して大変そそられる内容でした。来年のトークも今から楽しみです。

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T-Shionoya

弾痕が歴史を伝える鹿児島城 (2024/11/08 訪問)

11月の屋久島観光の際に訪問した鹿児島県鹿児島市の鹿児島城。

鹿児島港を擁する鹿児島湾西岸。
稲荷川と甲突川の河口部の標高107mの城山とその東麓に築かれた城。

南北朝時代の上山氏の山城をもとに、1600年の関ヶ原の後に島津義弘から家督を継いだ家久が築城。
幕末までの島津氏12代の居城となりました。

現在、堀と石垣が残る本丸は歴史の展示・研究施設となり、2020年に御楼門を復元。二之丸には図書館や美術館などが建ち、御厩は病院に、城山はホテルと公園に変貌。

実際に訪れると、本丸と御厩南東面の石垣は一直線で壮観。
枡形の御楼門以外は非常にシンプルな城ですが、石垣に残る弾痕は西南戦争の歴史を伝えるもの。図書館と美術館の石垣にも似た凹みがありましたが、これも当時のものでしょうか。
大手口から登った城山も要塞感は薄いものの、二之丸曲輪の3面に分厚い土塁が存在。

周辺観光や休息を挟みつつ、滞在時間は約4時間。
薩摩藩77万石の鹿児島城が、私の城郭巡りの188城目となりました。

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しげ

躑躅ヶ崎館 (2024/12/22 訪問)

躑躅ヶ崎館跡に行ってきました。

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しげ

甲府城 (2024/12/22 訪問)

甲府城跡に行ってきました。

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天守無しがアツい

空城の計 (2024/12/14 訪問)

(HP)https://www.entetsuassist-dms.com/hamamatsu-jyo/

浜松駅からバスで10分…もしくは遠州鉄道で遠州病院下車そこから徒歩10-15分の場所にある浜松城🏯 城の面積はかなり広くて入口から天守まで辿り着くのにも10分ほどかかったかな🚶‍♂️

城を訪れる場合…優先すべきは御城印&(対象地なら)100名城スタンプ…それは本丸に設置されてることが多いので、どうしてもそこから巡ったほうが効率としては好ましい

なのでまず本丸の天守へ(1枚目)🏯 これは昭和中期に再建されたものであり、かつて建っていたものは、この1.5倍の大きさがあったそうです。今は三層からなる造り

入城してすぐの場所に三方ヶ原で奮戦するも惨敗して、命からがら逃げ出した家康の紹介(2枚目)がされてました。この時…30歳(数え歳で31)…実年齢以上の見た目を感じたのは気のせいでしょうか?😅

領内の城が次々と落とされ、浜松城にて戦々恐々と待ち構える徳川軍。しかし武田軍はそこを素通りして西進🐎 「領内を素通りする敵を黙って見過ごす臆病者と見做されては末代までの恥😡」と感じた家康は追撃して三方ヶ原で武田軍に遭遇

地形的に有利と踏んでここまで来た家康一行。しかし武田軍はそれを読んでおり万全の布陣で待ち構えていた…懸命に戦うも味方の武将が次々に討ち取られ命からがら撤退(その最中ウ◯コ漏らした説もある🏇💩🤣)

敵兵に迫られて絶体絶命…そこで家康はワザと城門を開けさせて…「一見すると攻めるには絶好の好機…けれどうますぎる…もしかしたら罠があるのではないか?😓」と敵に思わせるハッタリをおこなう

これは三國志において蜀軍が馬謖の作戦ミスにより大敗して、敗走中に追いつかれた時…諸葛亮がとった策(空城の計)。魏軍の司馬懿はそれを見て深読みしたがために手を出さずに撤退を命じ、蜀軍は九死に一生を得た…

諸葛亮と家康が生きた時代には1300年ほどのブランクがありますが、家康は吾妻鏡といった歴史書を愛読していたそうなので、おそらく古代中国の兵法書も読んでいて…空城の計も知っていたのでしょう

けれど「もしも相手が脳筋タイプでチャンスとばかりにそのまま攻めてきたら…」という不安が頭をよぎると、読みが外れた場合のリスクがデカすぎるので、そう簡単にこの作戦はとれません。もしもそうなっていたらここで家康は戦死…江戸幕府の設立も無かったのは濃厚なので、彼は強運の持ち主でもあった…と思えてきますね😮

2階に上がると、浜松城と周辺のジオラマ…城の変遷が映像で紹介されてました(3枚目)。それを見て初めて知ったのは…家康が城主の頃…三方ヶ原の戦いの時点での城の造りは…木造の館が幾つかあるだけの…地味な造りだったという事です🏠

その後秀吉の天下統一により家康が関東に移動させられると…次の城主は城を大改築。現在あるものより規模の大きい天守が誕生し、二の丸に櫓も整備されて現在のような敷地面積の大きい城になったそうです

2階にはその他にも…城から出土した茶碗や屋根の破片…脇差に火縄銃が展示されてました。そして昭和中期に天守が再建された時に関するものが順路の終わりに(4枚目)

再建の際には結成同盟会が作られてその活動の中心的存在に…設計図も多数寄せられておりそれも何枚か展示されてました。けれと数が多ければそれだけ設計図も多様になる…ボツになったものも多数あり、採用された設計図のもと今の天守が造られた🏯

ちなみにここにはかつて…ロープウェイや動物園が設けられていたそうです🚡🐘 当時のモノクロ写真にその時の様子が紹介されており…古き良き昭和の香りがしました。しかし時代の流れで両方とも現在は無い

3階は展望室になっており市内を一望することができました。そこにいたガイドが…「総工費は1400万円…そのうち900万が市民からの寄付金」「1400万と言っても昭和中頃の金額…今(令和6年)ならその金額では造れない😅」「ちなみに天守門(天守の手前にある門)が平成になって再建されてるが、その総工費が1億💸」と語ってました

門だけでも1億…なのですから、天守は(令和の金額にすると)10億ではないでしょうか?そして江戸期のより小さい現在の天守ですが…もしかしたら予算的にそのコンパクトサイズしか造れなかった?

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チェブ

!!!!!!の1日。 (2024/12/21 訪問)

健康診断の結果が悪く、前週の金曜日に再検査。入院する用意をしてきてくださいと、看護師さんからの諸注意に、お城EXPOには行けないかも、意気消沈で過ごしてました。すぐに結果は大丈夫だと分かり、その瞬間からお城EXPOでカルタ大会のシュミレーション。城びとオールスターの方々にお会いしたら、あれを伝えよう、これも伝えようと、テンションが舞い上がってしまいました。 

当日券を購入。12時30分に着陣。カルタの整理券には早かったので、グッズ売場でカルタを手にした時は感動しました。
1時になり整理券の列に並びました。(8番だと思っていましたが9番でした。)
整理券をもらったら一安心。ブースを周ります。私は『城の自由研究コンテスト』が好きで、研究発表を手に取り読ませていただきました。その後、ご逝去された 香川元太郎先生の本を購入しにグッズ売場へ。
カルタを忘れ、迷路絵本に引き込まれていました。(お城復元イラストじゃないんかーい。)
と、カルタ大会10分前になり会場へ。
朝田 辰兵衛さんとご挨拶ができ、言いたかった事が嬉しくて空回りしてしまいました。
加藤先生のカルタの解説は楽しく、会場が和やか。意外にも子供武将の方々が、お城に詳しくビックリしました。
さーカルタだと、席を移動すると、イオさんがお声がけしてくれて、嬉しいのなんの、声が大きくなってしまいました。
一晩経ち、先ほど『みんなの投稿』を見たら、にのまるさをんもいらっしゃっていたなんて。お話したかったです。
私、圧が強めだから、声もかけずらいですよね。

最後になりましたが、城びとスタッフの皆様、ありがとうございました。
お城を通じて、たくさんの方々と繋がれた事に、感謝しかありません。

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WEST

中津城探訪 (2024/12/06 訪問)

日本三水城で有名な中津城を訪問しました。黒田氏が築城し細川氏、小笠原氏、奥平氏と城主が変遷しながら、明治を迎えたとのこと。
アクセスは自動車で、無料の中津城第一駐車場が城内にあります。
天守は5重5階の模擬天守で、内部は奥平家歴史資料館となっています。最上階からは眺望が良く、中津川、その奥に周防灘を臨むことができます。
天守北側の本丸石垣には黒田時代、細川時代の石垣を見ることができます。

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城とマスク

秋の二本松城 (2024/09/16 訪問)

二本松バイパスドライブインで生姜焼き定食を食べてから二本松城に行きました。ちょうど菊人形祭りの準備中でした。

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カズサン

【遠江 気賀関所】静岡県浜松市 姫街道の関所 (2024/11/28 訪問)

 気賀関所は東海道の三大関所の一つ、気賀を治めていた旗本近藤家が関守を拝命していた。平成元年(1989年)に復元再建された。

 住所:静岡県浜松市浜名区細江町気賀4577
 駐車場:みをつくし文化センター駐車場他隣接の駐車場が有ります。

 来年1月に開催の小和田先生講演会チケットを購入時、隣接の気賀関所にチョット寄りました、7年前のNHK大河ドラマ女城主直虎の放映時みをつくし文化センターでドラマ館が設けられ観覧した以来の気賀関所となります。
 入所料は大人150円、70歳以上は無料。
 東口に松並木が有り冠木門を通り、本番所、人形が置かれて当時の関所を表しています、向番所は女改めて、牢屋が設置、南東角に東見番所も有り二階建ての物見櫓、西口は町木戸門で気賀の宿場と接していた。
 南に細江警察署、東にはみをつくし文化センター、旧細江町役場で現在は浜名区の行政センターが在ります。
 

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todo94

城カードゲット (2024/12/08 訪問)

成ヶ島から帰路に就く途中、洲本城に立ち寄って城カードを購入いたしました。昨年も訪れている洲本城ですので城はスルーしてもよかったのですが、せっかくの好天でしたので西の丸まで足を伸ばしてまいりました。青空と海を背景に従え石垣の上に立つなんちゃって天守はなかなか絵になります。早く石垣修復工事が終了して登り石垣を拝めるようになりますように。

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いたち

是非行ってください (2024/12/21 訪問)

今年初めてお城EXPOに行きました。小牧長久手の合戦、という一つのテーマをじっくり紐解いて行く試みが魅力的でした。最終的にナイトプログラムの中で四人の先生達によるディスカッションで、肩の力を抜いた楽しいトークでまとめ上げられました。先生方のお城に対する熱意が直接に伝わってきて、大いに刺激を受けました。横浜まで足を運んで本当に良かった!この時期は夜のイルミネーションも素敵です。行った事ないか方は来年是非行ってみてください。

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にのまる

かるた大会 (2024/12/21 訪問)

本日、予定通り横浜に行ってきました。
最大の心配ごとであったかるたワークショップの整理券を無事ゲット、15:30の開始時間までは主に1Fのブースをまわりました。それぞれのお城の最新情報を直接いただけ、とてもありがたかったです。

15:30からのワークショップは加藤理文先生の解説のあと、グループに分かれてかるた大会。ついにこの日を迎えることができたと感慨深かったです。
読み札、絵札、商品化への進捗をずっと追ってきたものの、事前購入をしていなかったので現物を見るのは初めて。本気モードで戦いに挑みましたが、自信を持って答えられるものは少なく、まだまだだなーと思った次第です。
でもすごく楽しくてあっという間に時間が過ぎてしまいました。遊び方もくふう次第でいろいろできそうですし、お城の知識も得られて、完成にこぎつけていただいたスタッフの方々には心から感謝申し上げます。
そして、同じグループで遊んでくださったみなさま、ありがとうございました。

会場にいらしたはずの城びとのみなさま、どなたがどなたなのか知るすべもなく、小心者ゆえ勘でお声かけする勇気もなくて、ご挨拶できずに失礼いたしました。

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冬の水堀散歩 (2024/12/21 訪問)

 本丸の北側から西側には水堀があります。この水堀越しに見る名古屋城天守閣と石垣が好きで、来た時に時間があれば散策しています。ここも冬の方が天守閣などがよく見えます。

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冬の外堀散歩 (2024/12/21 訪問)

 外堀通りを歩いて外堀を観て来ました。この外堀の風景は好きで、時間があれば散策しています。夏に来た時より冬の方が、葉が落ちたりしているためよく観えます。石垣や土塁も一部残っています。前に投稿したときも書きましたが、昔は名鉄瀬戸線が堀の中を走っていました。その名残も観ることができます。

 昼食は地下鉄名古屋城駅から徒歩約5分の場所にある鰻木屋さんでうな重(竹)をいただきました。

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冬の名古屋城散歩 (2024/12/21 訪問)

 今年だけで3回目の登城です。地理的にも登城しやすい場所にあり、最近では機会があれば散歩に来るようになりました。天候は曇りでしたが、思ったより寒くはなくそれなりに冬の名古屋城を楽しく散策してきました。今回は地下鉄名古屋城駅から有料の本丸、二の丸、西の丸、御深井丸を散策した後、西北の水堀周囲をぐるりと回り、東大手から外堀通りへ出て、西の堀川近くを北に進み、金シャチ横丁エリア義直ゾーン北を通り大手二之門からドルフィンズアリーナ近くを抜けて名古屋城駅に帰って来ました。見学には葉も落ちて建造物や遺構が見やすい今がいいと思っています。土曜日でしたが、朝早かったこともあり見学者も少なかったので、久しぶりに本丸御殿も見学しました。ただ時間と共に観光客は増えてきました。
 公儀普請の城だけあって石垣、堀は見応えがあります。東南隅櫓(辰巳櫓)、西南隅櫓(未申櫓)、西北隅櫓(戌亥櫓・清州櫓)が現存しています。昭和の初期には本丸には東北隅櫓もあったようですが、空襲で焼失しました。土台の石垣が残っています。
 今回は堀の中に2頭の鹿を確認できました。母と娘ですね。もう高齢だと思いますが、元気でいるところを見るとほっこりします。


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シャンシャン

田屋城跡(広島県安芸高田市) (2024/12/20 訪問)

ほぼ獣道に近い山道を登ると現れる城跡。
かつて建物が建っていた石積みの区画や川沿いの石垣がよく残っている。
山の中にある苔むした石垣はちょっとラピュタの世界を思わせる。
井戸跡もあるみたいだけど発見できず(^^;

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シャンシャン

北田城跡(広島県広島市安佐北区) (2024/12/20 訪問)

小規模な山城跡ながら見どころはいっぱい。
大きな堀切や郭もよく残ってて、わずかながら石積みも確認できた!

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