しょうりゅうじじょう

勝龍寺城

京都府長岡京市

別名 : 勝竜寺城、小竜寺城
旧国名 : 山城

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橋吉

勝竜寺公園・土塁・恵解山古墳あわせて 歴史散歩 (2025/10/29 訪問)

バイクに乗って勝龍寺城へ行ってきました。
現在は勝竜寺公園として整備されています。
西側の沼田丸跡に5台ほどの駐車場があります。
バイク用の駐輪場があるのも素敵です。

本丸は、勝竜寺城公園となっています。
公園整備に先立っておこなわれた発掘調査により数々の遺構・遺物が発見され、推測される様相を再現しています。
管理棟の2Fにすこし展示品があり、説明ビデオを見ることができます(無料)。

勝竜寺公園の北西にあるローソン奥には、細川藤孝が勝龍寺城を改修するにあたり、城下町を囲う形でつくった土塁と堀の一部が残されています。

また、勝竜寺公園から南に徒歩十数分行くと恵解山(いげのやま)古墳があります。
山崎の合戦で、明智光秀はここに本陣を置いたと言われています。
なお、恵解山古墳への途中に勝龍寺城の名の由来となった勝龍寺もありました。

勝竜寺公園・土塁・恵解山古墳あわせて1時間30分くらいでした。
歴史散歩には丁度よい距離です。
真夏だとキツイでしょうが勝竜寺公園には電動レンタサイクルも用意されています。

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しんちゃん

明智光秀が最後に拠った城。 (2013/09/07 訪問)

永禄11年(1568)三好三人衆の岩成友通が守る勝龍寺城が信長方の攻撃を受けました。さらに信長が大軍を率いて攻略に乗り出すと降伏・開城し、その後 勝龍寺城は細川藤孝に与えられました。天正6年(1578)8月に細川忠興と明智光秀の娘・お玉の結婚が行われ、ここでは二人の子宝に恵まれたようです。藤孝が丹後に移った後は矢部家定と猪子高就が城主になりますが本能寺の変の後に明智光秀に奪われました。光秀が山崎の戦いで敗走した後は、一次勝龍寺城に拠り、その後坂本城を目指して落ち延びている最中に落ち武者狩りに合い命を落としたとされています。

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茶てん23

模擬櫓 (2024/02/02 訪問)

明智光秀の娘・玉
細川ガラシャ

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WEST

勝龍寺城探訪 (2024/04/12 訪問)

勝龍寺城を訪問しました。石清水八幡宮参拝の帰りに淀駅から長岡京行きのバスに乗り、久貝バス停を下車して徒歩で向かいました。
(淀駅から長岡京行きのバスは、昼間の時間は1時間に一本です)
細川藤孝の時代には天守を備えた近世城郭とのことですが、当時のものは北門の一部の石垣のみのようです。

現在は勝竜寺城公園として整備され、模擬櫓等が建てられています。ここは桜の名所であり、春の訪問がお勧めですね。
帰りは、JR長岡京駅に向かいましたが、その途中に勝龍寺城の惣構の土塁・空堀が復元されています。立ち寄ってみてください。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平城
天守構造 御主(天守相当の櫓)[階層不明/1571年頃築/破却]
築城主 細川頼春
築城年 延元4年〔南朝〕/暦応2年〔北朝〕(1339)
主な改修者 細川藤孝
主な城主 細川氏、永井氏
廃城年 慶安2年(1649)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸
再建造物 模擬石垣、模擬櫓、石碑、説明板
住所 京都府長岡京市勝竜寺13-1
問い合わせ先 長岡京市都市整備課公園緑地係
問い合わせ先電話番号 075-955-9716