しょうりゅうじじょう

勝龍寺城

京都府長岡京市

別名 : 勝竜寺城、小竜寺城
旧国名 : 山城

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公園入口
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WEST

勝龍寺城探訪 (2024/04/12 訪問)

勝龍寺城を訪問しました。石清水八幡宮参拝の帰りに淀駅から長岡京行きのバスに乗り、久貝バス停を下車して徒歩で向かいました。
(淀駅から長岡京行きのバスは、昼間の時間は1時間に一本です)
細川藤孝の時代には天守を備えた近世城郭とのことですが、当時のものは北門の一部の石垣のみのようです。

現在は勝竜寺城公園として整備され、模擬櫓等が建てられています。ここは桜の名所であり、春の訪問がお勧めですね。
帰りは、JR長岡京駅に向かいましたが、その途中に勝龍寺城の惣構の土塁・空堀が復元されています。立ち寄ってみてください。

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とばつびしゃもん

細川藤孝が造り替えた城 (2023/05/04 訪問)

本丸北東にある神足神社に車を駐車し登城開始。
神社近くには土塁空堀跡が残る。草で覆われていたが横矢が掛かった虎口が確認できました。
そこから車で5分、本丸西にある勝竜寺公園駐車場へ移動し本丸へ。
本丸の西側以外の外部は石垣で守られ北門は桝形虎口が設けられている。山崎の戦いに敗れた明智光秀がこの北門から脱出したとか。模擬櫓2階では細川氏明智氏の関連資料や映像が見られます。
本丸を離れ、歩いて数分のところにある勝龍寺へお参り。

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宗春

丹波・但馬・播磨の名城を攻めてきました その⑥勝龍寺城【山城】 (2023/11/25 訪問)

11/24(金)に休暇を取って4連休にし、友人と名古屋から車で攻城しました。

百名城でも続百名城でもありませんが、大河ドラマ「麒麟がくる」で紹介されてから一度来てみたかったお城でした。

また名前が良いです。【勝つ龍】なんで。2年連続最下位のチームを想っての願掛けみたいなモンです。あぁ悲しい。

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AJ

大返し、からの〜 (2015/11/03 訪問)

1582年、本能寺で信長討死との報を受け、備中高松から畿内へ急行した羽柴秀吉と明智光秀が激突した山崎(京都府大山崎町)。勝敗の分れ目という意味でよく耳にする「天王山」はこの地にあります。

両軍がこの山の占領を争い、羽柴軍の手に帰したとされますが、一方で、実際にどれほど戦局を左右する場面だったかについては様々な議論があるようです。

ひとつの見方は、山の争奪戦以前に両軍の兵力差は明らかであり(多く見積もって羽柴4万、明智1万6千)、おそらくは戦略段階で大勢は決していたと見るべきというもの。

その後の人心を一新したであろう大一番。その意味では「天王山」にふさわしいのでしょうが、細部に至っては、記録を残した側、つまり勝者の側の筆が幾分滑らかすぎた(盛った?)ということもあったりするのかもしれません。

標高270メートル。淀川を挟んで男山に対し、京都盆地の西の出入口をおさえる形勝の地。付近一帯には史跡が多く残っています。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平城
天守構造 御主(天守相当の櫓)[階層不明/1571年頃築/破却]
築城主 細川頼春
築城年 延元4年〔南朝〕/暦応2年〔北朝〕(1339)
主な改修者 細川藤孝
主な城主 細川氏、永井氏
廃城年 慶安2年(1649)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸
再建造物 模擬石垣、模擬櫓、石碑、説明板
住所 京都府長岡京市勝竜寺13-1
問い合わせ先 長岡京市都市整備課公園緑地係
問い合わせ先電話番号 075-955-9716