しょうりゅうじじょう

勝龍寺城

京都府長岡京市

別名 : 勝竜寺城、小竜寺城
旧国名 : 山城

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勝龍寺城北門枡形虎口
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カズサン

猿さん城クイズの答え (2008/01/19 訪問)

 猿さん投稿写真は・・勝龍寺城の北門枡形虎口です。

 15年前に郷里の中学関西在住の同窓同級会が有り、その前日に関西在住の兄と訪ねた城跡です。

 勝龍寺城は細川藤孝が信長の命で整備し、細川忠興と明智光秀娘お玉新婚の地としても有名です、最近奈良大の千田教授のTV放映で天主の名称のはしりは安土城ではなく竜勝寺城が初めであると話されて居ました、また北門は山崎合戦後一時勝龍寺城に入り明智光秀が夜に退出した門としても有名に成って居ます。
 近年発掘調査されて綺麗に整備公園化されて見やすく成って居ます。

 城びとのお陰でデジタル写真の整理が出来、城名で検索すると年代別に取り出せる様になりました、但しデジカメ時代の2003年から本年までです。フィルムカメラ時代は手が付いていません。
 
 猿さん有難う久しぶりに勝龍寺城を振り返る事が出来ました。
 
 

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イオ

惣構めぐり (2022/10/02 訪問)

(続き)

本丸から北東に徒歩5分の神足神社には惣構の土塁と空堀、土橋が遺っています。細川藤孝の改修時に神足氏の城館を惣構に取り込んだもので、西端の土塁からは土橋から虎口にかけて横矢が掛かるようになっています。遺構は状態良く整備されていますが、訪れた時は草が茂っていて今ひとつ見づらい状態でした。神足神社を出て東側に回り込んだあたりにも、神足古墳の上に築かれた土塁が遺っています。

本丸から南に徒歩4分の勝龍寺は空海開基の古刹で、応仁・文明の乱などでは陣城として活用されましたが、細川藤孝の改修時に惣構に取り込まれ、山崎の戦いの際に焼失したと伝わります。その後再建され、この日はほてい市が開催されて人々で賑わっていました。

本丸から南東に徒歩5分、勝龍寺の南東には惣構の大手門が設けられ、大手門に架かる橋は大門橋と呼ばれています。大門橋の北詰には勝龍寺城大門橋の石碑と説明板が建てられていました。

また、JR・長岡京駅東口のロータリー前には「江戸時代の勝龍寺城本丸跡」の石碑がありますが、こちらは江戸初期に入封した永井直清が設けた陣屋(神足館)の跡地で、高槻への移封により16年間で廃されています。
 

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イオ

勝竜寺城公園 (2022/10/02 訪問)

京都盆地の南西端、小畑川と犬川の合流点に築かれた平城で、西国街道と久我畷が交差する交通の要衝に位置します。室町期に陣城として活用されていた勝龍寺を戦国後期に三好氏が恒常的な城郭化し、織田信長の上洛により三好氏が追いやられると、細川藤孝が城主となって現在見られる織豊系城郭に改修しました。藤孝の丹後移封に伴い城代が置かれましたが、本能寺の変により明智光秀の支配下となり、山崎の戦いで光秀が敗走した後は廃城となりました。

本丸と沼田丸は勝竜寺城公園として綺麗に整備されていて、本丸の周囲は水堀と土塁がめぐり、土塁の上には土塀、北東隅には模擬隅櫓が建てられています。南側虎口(南門)から本丸に入ると、正面の模擬櫓(管理棟)2階は歴史ミュージアムとして細川藤孝・忠興、明智光秀・玉を中心とする史料等が展示されていました。忠興と玉は勝龍寺城で新婚時代の数年間を過ごしたことから、本丸には細川忠興・玉(ガラシャ)像が建てられており、「ガラシャおもかげの水」と呼ばれる地下水100%の水道水を飲むことができます。本丸内には4か所の井戸が確認されており、川に囲まれた地だけに水は豊富に得られたようです。
本丸北西部の枡形虎口(北門)には石垣が設けられており、積み直しされているものの下段部分には往時の石垣が遺っています。山崎の戦いの後、勝龍寺城に撤退した光秀は坂本城を目指して北門から落ち延びたと伝わります。北門をはじめとして勝龍寺城の石垣には転用石が多く用いられていて、発掘調査で出土した石造物が北門脇に集めて展示されています。本丸西辺の巨大な土塁上には「殿主」があったと考えられ、建物土台とみられる石垣の基底部も発見されています。かつては南に張り出して南門に横矢が掛かるようになっていたようです。

本丸西隣の沼田丸も公園化されており、井戸跡と駐車場(無料・10台ほど)、広場があります。本丸と沼田丸の間には水堀と帯曲輪があったようですが、現在では堀の名残の水路が見られるくらいです。

勝龍寺城には4年半ほど前に登城していますが、当時は(今も?)お城の見どころがわかってなかったこともあり、枡形虎口や西辺土塁なんて全く記憶に残っておらず、再訪ながら思いのほか新鮮な気持ちで見て回ることができました。勝龍寺城は細川藤孝の改修により周辺の集落を含む惣構となっていますので、今回は勝竜寺城公園だけでなく惣構内もめぐってみるとしましょう(続く)。
 

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侍ホリタン

明智光秀公ゆかりの地を訪ねて(その1) (2021/12/28 訪問)

JR長岡京駅から徒歩約10分、途中に土塁、空堀跡があります。細川ガラシャ輿入れの城、山崎の戦いで敗れた明智光秀が最後の夜を過ごした城です。私が訪問した時は年末年始のお休みで中に入ることができませんでした。

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平城
天守構造 御主(天守相当の櫓)[階層不明/1571年頃築/破却]
築城主 細川頼春
築城年 延元4年〔南朝〕/暦応2年〔北朝〕(1339)
主な改修者 細川藤孝
主な城主 細川氏、永井氏
廃城年 慶安2年(1649)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸
再建造物 模擬石垣、模擬櫓、石碑、説明板
住所 京都府長岡京市勝竜寺13-1
問い合わせ先 長岡京市都市整備課公園緑地係
問い合わせ先電話番号 075-955-9716