永禄11年(1568)三好三人衆の岩成友通が守る勝龍寺城が信長方の攻撃を受けました。さらに信長が大軍を率いて攻略に乗り出すと降伏・開城し、その後 勝龍寺城は細川藤孝に与えられました。天正6年(1578)8月に細川忠興と明智光秀の娘・お玉の結婚が行われ、ここでは二人の子宝に恵まれたようです。藤孝が丹後に移った後は矢部家定と猪子高就が城主になりますが本能寺の変の後に明智光秀に奪われました。光秀が山崎の戦いで敗走した後は、一次勝龍寺城に拠り、その後坂本城を目指して落ち延びている最中に落ち武者狩りに合い命を落としたとされています。
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