愛知県碧南市にある織田信長初陣の地に行って来ました。津島社に「織田信長初陣の地 伝承地」の説明板があります。
信長公記によると信長の初陣は天文16年(1547年)、平手政秀の仕立てた紅筋の頭巾と羽織を身にまとい馬にも鎧を着せて出陣。今川方が兵を配置していた三河国の吉良大浜へ兵を進め、各所へ火を放ってその日は野営、翌日に那古野城へ帰投しています。
火をつけて荒らしまわっただけのイメージでしたが、地元ではこの戦で織田軍は大敗したと伝わっています。そのことが碧南市中部公民館前の「織田信長激戦の地(旧字十三塚)」という説明板に書かれていました。攻めてきた織田軍に対して家康方の長田重元が迎え撃ち敗走させたということが書かれています。天文16年といえば父親の松平広忠は健在で、家康(竹千代)が人質に出される年なので、説明板の家康方というのは松平方ということでしょう。ただ大敗したのは事実かもしれないと思っています。
また津島社の由緒を読むと信濃の武将で武田晴信に追われた村上義清とも直接ではありませんが縁があるようです。
名鉄碧南中央駅から津島社は西へ徒歩約5分、碧南市中部公民館は東へ徒歩約7~8分の場所にあります。
世間は3連休でしたが、諸事情により遠出は控え以前より近くの気になっていた所を散策していました。行ってみると新しい発見があるものです。
+ 続きを読む










