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しんちゃん

白河の関  (2024/09/15 訪問)

youさんお見事! 俺も年食って山城行けなくなったら短歌でもやりたいなあ。
朝田さん 秋田攻めに出発ですか? 私も熊がウロウロしているところをスイスイ泳いでいますが、最近運を使っちゃったんで気を付けないと。東北の熊はそれ以外の地域より狂暴な気がするので、怪我だけはしないで欲しいです。

白河の関の投稿です。以前チェブさんの投稿の中にも記載がありました。チェブさん見てますか~?
古くからみちのくの関門としてその名が知られ、現在の関跡は白河藩主・松平定信公によって定義づけられています。階段を登って行った白河神社の南に見事な空堀や土塁が残っています。残念なことに「城びと」の城ではありません。そういえば最近話題の「玉城」も入っていませんね。ヤ・・・
コホン、まあ「関跡」ですからね。奥の細道の関係で、白河神社の社務所には俳句の投書箱があります。私も一句・・
古関の 遺構としばし 語らしむ
‥季語が無い。これって川柳じゃん! まあいいか「お城かるた」も川柳みたいなもんだし。??

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トク

【対馬4城を巡る】(4)金田城(3/4) (2025/03/23 訪問)

(4城目)金田城の続き(3/4)です。

山頂から東家まで下った分岐点まで戻り、今度はそこから左に折れピングシ方向に向かいました(写真①)。(ピングシ山)→(二ノ城戸)→(一ノ城戸)→(大吉戸神社)→(三ノ城戸)→(登山口)のルートで帰ろうと思います。

東屋から15分程下ったピングシ山には、掘立柱建物跡群がありました。という事は、かなり多くの防人たちがここで暮らしていたようです。その建物の回りは土塁や門で固められていました(写真②③)。

ピングシ山から15分程下ると、二ノ城戸がありました。高さは5m程あります。真ん中にはおそらく門がありました。発掘調査後、再び積み直して再現されたようですが、昨年の豪雨でまた崩れてしまったようです。城戸の下は立ち入り禁止になっていました(写真④⑤⑥)。下から見上げてみたかったのですが残念です。

さらに10分程下り一ノ城戸に着きました。櫓台のように張り出して積まれた巨大な石塁がありました。そしてこの石塁の特徴は上段と下段で積み方が異なっているところです(写真⑦⑧⑨)。上段は平たく削った石を布積のように積んでいるので、後世のものと思われます。金石城もこのような積み方だったので、おそらく幕末に積まれた(積み直された)ものではないかと言われているそうです。異国船監視のためにこのように補強されたのでしょう。

またさらに5分程下ると海岸に出ました。海水は透き通っていてとてもきれいだったのですが、ハングル文字の入ったゴミが多数漂着していてちょっと残念な光景でした(写真⑩)。金石城にいた韓国の観光客たちに持って帰ってほしいくらいですね。

(4/4)に続きます。
 

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しんちゃん

道が無ければ作る。備えあれば・・ (2025/04/04 訪問)

熊が出ると評判の玄蕃尾城へいざ出陣。続百名城のくせにハードル高いじゃん。すでにだいぶ暖かくなってきていたので、城址まで行けるだろうと思っていたら、雪が道を塞いでます。でもすでに一台通った跡があるので、轍をなぞって進んだら乗り上げた。無理だ・・
バックで下がってスコップで道を広げます。まさかここでこいつが役に立つとは・・道が無いなら作るしかない・・登城前に疲れてしまうわ。
チャリのオヤジが上から降りてきて変なモノを見るような顔をしています。しばらく話をして、先に進むと、また雪が。先客は比較的小型の車で来ているようで、かなり崖側に寄せて通行しています。無茶するねえ・・自分の車では通行できないので、また雪かき。

玄蕃尾城は柴田勝家が賤ヶ岳の戦いに際して築いたという説がありますが、天正6年に越前衆によって築かれたともされています。柴田勝家の本陣が置かれた陣城ですが、通常の山城より遥かに高い完成度を持っています。虎口が6つもついていて、主郭を含んで大きな郭が4つ、主郭南には大きな堀切を隔てて馬出の郭が土橋で繋がっています。
これほどの規模の陣城を合戦の為だけに用意したとは、にわかには信じがたいですが、各所で秀吉が合戦に際して使用した陣城は主郭の周囲に土塁をめぐらし、周囲に扁平地を削っただけの比較的簡素なものが多いです。山中の合戦で勝利するためには機動力と臨機応変さが重要で、この辺が秀吉と勝家の武将としての能力の差だと思います。

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朝田 辰兵衛

恒例のクイズ返しを「赤」コンセプトで…

にのまるさん,赤い城さんにクイズ返しです。
山形県から「赤」を厳選しました。

1枚目の写真は,●●城から▲▲城を眺望しています。山頂部の建造物は(写真ではわからないですが)ほぼ赤です。直線距離で2㎞弱しか離れていません。
2枚目の写真は,なんとか頑張って赤系の橋を見つけ出しました。しかし,城びと登録城ではありません。しりとり手札としてあったら楽だったのに…ということで,見つけ出して2021年に攻城しました。

なお,4/12~13で,秋田県の未投稿城6城を攻めに行きます。4/12は書き込みはしませんが,みなさんの投稿はチェックさせていただきます。秋田県はGW前までが山城攻城チャンスと考えておりますが,市街地にまでクマが出没しているので,細心の注意を要します。さらに,残雪にも…。なので,私が引き受けます。この2日間でクリアできなければ,翌週も再びチャレンジします。
東北地方,宮城県の未投稿城は1城。福島県はありません。青森県はtodo94さんに期待します。岩手県は太平洋側の方に任せたいと思います。

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しんちゃん

浅井三姉妹の郷 (2024/04/04 訪問)

三田村城は姉山合戦の頃の浅井方・三田村氏の城館です。伝正寺の境内が城址とされ、三方に土塁が残り、どちらかというと居館の様な雰囲気を漂わせています。
城址の北側国道365戦沿いに道の駅・浅井三姉妹の郷があり大河ドラマ「江」に関わる展示などもされています。正面に立つ銅像の小さいのは万福丸かと思ったら、江さんらしい・・どうやらお市の方と三姉妹ということで。
浅井長政「ワシは・・?」
万福丸 「ボクは・・?」
・・はいはい 男の扱いなんてこんなもんですよ。華やかさとか無いし。どうやら万福丸には弟がおり生存説もあるようです。だとしたらどこかに子孫の方がいるのかもしれませんね。



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you

今浜の 春告げる顔 まだ蕾 彩を添えるは 琵琶の湖 (2025/04/05 訪問)

湖北はまだ寒かったです。

泊りがけでゆっくりと滋賀のお城を巡る予定でしたが、
長浜城は待ちきれませんでした。
どうしても桜が見たかった。
この日は何分咲きだったんですかね?
満開もよいですけど、
個人的には所々蕾が残っている方が春の訪れを感じれて好きです。

移築された大手門、搦手門は時間がなくて見れなかったのでまた次回。
秋頃に紅葉を観に訪れたいですが、
このお城を一年通して彩っているのはやっぱり琵琶湖かなと。

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todo94

【城びと未登録】結石山(ゆいしやま)城(長崎県対馬市) (2025/03/30 訪問)

グーグルマップで撃方山城を検索した際に目に入った城です。頂上付近まで車で登れて駐車場も整えられているということでしたので、対馬滞在の最後に立ち寄ることにいたしました。豊臣秀吉が朝鮮出兵に際して築いた城で、国道を挟んで撃方山城と向かい合っています。主郭からは朝鮮半島を望むことができました。日本人にとっては韓国人が大挙して押し寄せてくる韓国展望所より、おすすめの穴場スポットといえそうです。

今回の対馬は、金田城、黒瀬観音堂、韓国展望所、撃方山城、結石山城をめぐって終了となりました。移動距離が長く、対馬に泊を取らない場合はこれで精いっぱいという感じです。本当は厳原の対馬藩お船江跡にも行きたかったんですけれどもね。トクさんのように、いつかは対馬に泊を取ってみたいなあと思っています。「対馬トレッキングガイドブック」もいただいてあることですし。九州百名山の白嶽に興味津々です。

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赤い城

朝田さん、正解☺️ (2019/03/03 訪問)

そうです、相馬中村城が正解です。
左側の鉢巻石垣は見どころの一つです。
登城は2019年、まだ高速道路には放射線量の表示が出ていました。

中村城の石碑に「日本100名城」と彫ってあったのですが城郭協会とは別の団体で選ばれたのかな?

朝田さん、次は神奈川ですね。
コンプリートのお知らせ、楽しみに待ってます😃

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にのまる

台山と藩主御殿と城下町と。 (2025/01/26 訪問)

日出城から路線バスで行きました。
(12:06発のバスに乗ったのですが念のため大分交通の時刻表で確認したところ、この時間のバスはR7.04.01の改正で廃止になっているようでした。)

最初に城山公園へ。
眺めの素晴らしさ、気持ちよさに、戦のない時代のお城っていいなぁとしみじみ思いました。四国の最西端、佐田岬が見えて感動しました!
今回の旅でじわじわと大分県の魅力にはまっていったのですが、ますます大分県のファンになりました。石造仏公園も興味深かったです。

城下町散策は相当な坂道を覚悟の上でしたが、日本にもこんなにすてきなテーマパークのような町並みがあるんだ!と感激でした。

城下町資料館や一松邸近くにある展望台へ足を延ばし青空と海に映える天守を望んでいると、この天守の存在が杵築城の歴史を人々に伝える糸口になっていると感じ、模擬天守が果たす役割の大きさを思いました。

最後に山麓の藩主御殿跡へ行って長かった城旅終了。バスセンターから杵築駅に向かいました。杵築駅周辺にはコンビニもスーパーもなくて空腹のまま帰るのかー( ; ; )と思っていたら待合室に売店があって助かりました。


以下、備忘録ですが、
8泊9日で行ったところは
1)鞠智城〈初〉
2)熊本城〈再〉
3)島原城〈初〉
4)原城〈初〉
5)鹿児島城〈初〉
6)横山城〈初〉
7)知覧城〈初〉
8)志布志城〈初〉
9)佐土原城〈初〉
10)綾城〈初〉
11)延岡城〈再〉
12)佐伯城〈再〉
13)臼杵城〈再〉
14)角牟礼城〈初〉
15)大分府内城〈再〉
16)大友館〈初〉
17)日出城〈初〉
18)杵築城〈初〉
でした。

列車旅も堪能できたし、やればできる!という自信もついたので、行ってよかったです。

宿泊は出発時には初日の熊本の東横インしか取っていない無計画ぶりでしたが、結果として
熊本・鹿児島・宮崎・大分の駅前の東横インに2泊ずつ泊まれました。直前キャンセルの空室に運よく滑り込めた感じです。

当初の目的の【九州の未訪の100名城・続100名城11城をまわる】は8城達成で、平戸城・福江城・金田城の3城が残りました。→→→続きは後日。

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しんちゃん

多数の看板が懇切に立つが、登城道が無い。 (2025/04/06 訪問)

一本松城は南北朝時代には存在していたようです。建武元年(1334)8月、波佐一本松城を中心にした「波佐谷の合戦」が二度あり、戦死者が多数出たとされ、「千人塚」「剣の墓」が城の西側に現存しているようです。
現在残っている遺構は、より高度なもので戦国時代のものと思われます。遺構は良く残っていて、各所に丁寧に案内板が立てられていますが登城道は有りません。自然地形にそって谷筋を進んで行きますが、足元はぬかるんでいます。比較的新しい案内板が各所に立ちますが、城址は手つかずのままで、一部ヤブ化しているので竪堀を登って取りつきます。散策しながらネイティブな遺構を楽しめますが、見学用に整備されていないので気を付けないと少し危ない。どう見ても万人向けでは無いです。
登城道を整備する予算が無いのか、道そのものを軟弱と称してあえてつけていないのか(花山薫ですか?)。この状態での保存を決めた人もなかなかの変態です。よほどの城好きでないと入ってこれません。
谷筋から竪堀を登って行くと、周囲には畝状の竪堀群があり、一本一本がなかなか大きいです。まず南側の遺構を散策に行くと、横矢掛のための郭があって、堀切が付いています。近くには珍しい水溜めの施設もあります。
主郭には南側から直接登りましたが、北側に回り込むと登り道が付いているようです。とはいえ、かなり細い、やはり万人向けとは言い難い。

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火ノ島豊後守正宗

甲府城 (2025/04/10 訪問)

正79城目。
武田神社,要害山城を攻略して駅前の甲府城跡に参内しました。
メチャクチャ利便性がよい名城ですね。桜が咲き乱れており大変綺麗でした。
ひとつ残念なのは、富士山がかすんで見えなかったことぐらいですかね。

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火ノ島豊後守正宗

要害山城 (2025/04/10 訪問)

続80城目。
武田神社から徒歩で40分程度で登城口に到着。ここから30分以上かけて山頂にやってきました。かなり疲労困憊ですが、本丸跡で食べたおにぎりがたいへん美味しかったです。
昨日の八王子城よりはちょっと楽かなっと思いました。

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火ノ島豊後守正宗

武田神社 (2025/04/10 訪問)

正78城目。
甲府駅から30分ごとに出ているバスで10分程度で到着できます。
アクセスには何も困ることはないでしょう。
武田信玄の居城跡です。桜吹雪が大変綺麗でした。

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しんちゃん

尼子氏の大軍を退けたとされるが (2025/04/05 訪問)

松江市島田町の弥山には、戦国時代に尼子氏の大軍と戦った加賀正利の城址が有るとされています。とはいえ弥山の山頂には小さなお堂と扁平地が有るだけで、とても尼子氏の大軍を退けた城には見えません。
応海寺から道が続いていて、途中の分岐から急坂を登って行って、城址に向かいます。途中に霊場があり、石仏が置かれていますが、少し荒れています。倒れている石仏を起こしてあげて、泥を払ったところ、ご利益があったのか、翌日吉田郡山城で望月千代女を登用できました。仏様ありがとう!良い城(46)の日になりました。なんのこっちゃら・・

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しんちゃん

戦う城の顔。 (2025/04/07 訪問)

姫路城は関ヶ原の合戦の後に城主となった池田輝政によって近世城郭として完成しました。まだ豊臣氏との火種が残っており、美しいだけではなく戦う城としての無骨さも持っています。
大天守の最上階の四隅には隠し窓が計八か所あります。平成の大修理の際に、土塀を撤去したところ見つかったもので、築城時のものとされています。現在は木枠で塞がれていますが、大天守を外から見ると、最上階のみならず至る所に、小さな小窓が見られます。
結果的に埋められたわけですが、これらの狭間から鉄砲が付きだしている姿を想像するとなかなか壮観です。

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朝田 辰兵衛

続・赤い城さんクイズ

赤い城さん,大ヒントありがとうございましたm(__)m

東北地方でこのような景色があるお城は滅多にありません。しかも,特徴的な赤い橋。さらに,私が未訪。
赤い城さんは,ほぼ日本海側は名城以外未訪。
福島県,宮城県あたりに狙いをつけました。
みなさんの書き込みをカンニングして,ようやく見つけだすことができました❢
「相馬中村城」いかがでしょうか…❓

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天守閣など (2025/04/10 訪問)

 桜のシーズンということもあるのでしょうが、平日にもかかわらず多くの観光客が訪れていました。9割くらいが外国の方ではないでしょうか。昭和の頃、登城したときはもっと空いていた記憶があります。現在の天守閣は徳川時代に再建された天守台石垣の上に豊臣時代の天守閣を大坂夏の陣図屏風絵などを参考にして建てらえたものです。以前は徳川時代の天守ではないことに違和感を覚えていましたが、何回も来ていると馴染んでしまいました。

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堀と石垣 (2025/04/10 訪問)

 この城の魅力は高石垣と堀だと思っています。ここへ来ると城の周りを堀に沿って歩くのですが、今回は時間の都合もあり一部だけ散策しました。

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櫓特別公開と豊臣石垣館 (2025/04/10 訪問)

 大阪城の櫓2025特別公開と今年4月1日にオープンした「大阪城豊臣石垣館」へ行って来ました。櫓の特別公開は3櫓公開と2櫓公開の時期があり、どうせ行くなら3櫓公開の日に行こうということで今日登城してきました。大手口多聞櫓、千貫櫓と乾櫓です。外からは登城するたびに観ていましたが、中に入るのは初めてでした。天守閣はめっちゃ混んでいましたが、公開されている櫓を訪れる観光客は少なかったです。
 豊臣秀吉が築いた大阪城は大坂の陣で落城した後、徳川幕府によって豊臣の権威を消し去るために大量の盛り土で地中の埋められてしまいます。その上に現在の大阪城を築城しました。ただ徳川の大阪城は豊臣期の本丸と二の丸の範囲となっていて城域が大幅に縮小したようです。「大阪城豊臣石垣館」は豊臣秀吉が築いた当時の石垣が公開されています。素朴な野面積みの石垣に歴史を感じます。

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トク

【対馬4城を巡る】(4)金田城(2/4) (2025/03/23 訪問)

(4城目)金田城の続き(2/4)です。

東南部石塁から10分ほど登ると東屋(あずまや)がありました。いったんここで休憩します(写真①)。ここはピングシ経由で、一ノ城戸・二ノ城戸・三ノ城戸へ行く道との分岐点です。しかしそちらは後回しとし、城山山頂を先に目指す事にします。

金田城は登城前に地形をよく頭に入れ、自分が滞在できる時間から見たいポイントと体力などを考えて、よく計画を練ってから登城され方がいいと思います。やみくもに行き当たりばったりで行くと、軍道以外はこの広大な山は分かりにくく、道に迷ったり予想外に時間がかかったりします。携帯の電波もつながりにくいので迷うと大変です。これは観光情報館でもらったパンフレットの地図と私の通ったルートです。よければ参考にして下さい(写真⑩)。

東屋から続けて軍道を登る事30分、山頂近くには明治時代に築かれた砲台と基地の跡がありました。ここも石塁の内側なので何かしらのものはあったと思いますが、明治時代に大規模に改修されたようで、砲台や弾薬庫や兵員宿舎跡などがあり、古代の遺跡は残っていませんでした(写真②③)。

ここには28cm口径の大砲が2基4門あったそうです(写真④)。砲台の観測所から海を眺めてみました(写真⑤)。浅茅湾の先には朝鮮海峡が見えました。二つの半島の間の水平線上です。あそこには普段なら韓国(釜山)がはっきり見えるはずですが、この日は黄砂が多く、かすかにしか見えなかったのが残念です。ここからあの海峡を通過するロシア艦隊を砲撃しようとしていたようです。ドラマ「坂の上の雲」の最後のシーンだった日本海海戦を思い出してしまいました。ここから釜山まではもうわずか40kmです(福岡までは130km)。まさに国境ですね!

さらに砲台から山頂まで登ります。わずか5分の道ですが険しい山道です(写真⑥)。そしてやっと山頂に到着しました!(写真⑦)。登山口をスタートしてからここまで、私は健脚ではなく、休み休みでじっくり見ながらゆっくり登るタイプなので、2時間もかかりました。でももう最高の眺めです! 浅芽湾がきれいに見えました(写真⑧)。はるばるここまで登ってきてよかったと思う瞬間です。しかし風がとても強く下は断崖絶壁!(写真⑨)。必死に木や岩にしがみついて写真を撮りました。吹き飛ばされると命はないので注意して下さい。

そして砲台の観測所(写真⑤)まで下り、コンビニで買ったおにぎりとお茶で20分昼食休憩をとりました。この雄大な景色を眺めながら食べたおにぎりは、とても美味しかったです😊。飲物・食物は厳原市内で買って来た方がいいです。市街地を出るとコンビニどころか自販機すらありませんので(東横インの裏にファミマがありました)。

次は東屋まで下り、ここからは後半戦。ピングシ山から城戸へ向かって進もうと思います。(3/4)に続きます。
 

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