散策していると多くの石垣を観ることができます。追加で投稿させていただきます。
今回は大松山城など広範囲で散策しましたが、心残りは下太鼓の丸跡へ行けなかったこと、御城主であるさんじゅーろー様に会えなかったことですね。
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2024/12/19 22:55
2024/12/19 22:33
大松山城 (2024/12/19 訪問)
天守閣方面からは水の手門跡を下りて道なりに進んで行くと案内標識があり迷わずに辿り着けます。
縄張り図通り本丸、二の丸、三の丸と二の丸と三の丸の間の堀切、井戸跡などを観ることができます。周囲には腰曲輪も確認できます。説明板には「本丸と二の丸の間にも堀切が存在した可能性が高くなっています」と記載がありました。今は埋まってしまってほぼ平坦になっています。登城路は比較的整備されていて散策しやすくなっています。以前備中松山城を訪れたときには時間の関係もあり断念したので、いつかは行きたいと思っていました。
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2024/12/19 22:24
聖天山歓喜院 斎藤別当実盛ゆかり (2024/05/05 訪問)
聖天山歓喜院は当地の庄司であった斎藤別当実盛公が本尊・妻沼聖天を治承三年(1179)に祀ったのが始まりとされています。本殿である「歓喜院聖天堂」は宝暦10年(1760)に再建され、非常に煌びやかな装飾が施され国宝に指定されています。
境内には実盛公の銅像が置かれ、春の穏やかな気候と相まって、これから死地に赴く前とは思えないほどの、穏やかで落ち着いた雰囲気を醸し出していました。
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2024/12/19 22:18
水の手門跡より (2024/12/19 訪問)
今回の目的のひとつは大松山城方面を散策することでした。水の手門跡から坂を下りて行くと橋がかかった堀切があります。進んで行くと番所跡、車井戸、相畑城戸跡、せいろうが壇跡などがありました。「せいろうが壇」というのは何かわかりませんでしたが、削平地となっていて曲輪の跡と思われます。岡山県古代吉備文化センターのHPには井桜ヶ壇の文字が使われていました。井桜ということは櫓でもあったのでしょうか。その後、天神社跡となっている天神の丸跡、大池から大松山吊り橋近くの切通および番所跡付近を散策しました。切通、番所跡には石垣も残っていました。こちらも登城路は整備されていて歩きやすいと思います。
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2024/12/19 21:59
平城でありながら、防御は堅い。 (2024/05/06 訪問)
菅谷館は源頼朝に仕えた御家人・畠山重忠の館跡とされています。長享2年(1488)菅谷原において山内上杉家と扇谷上杉家の合戦が行われ、山内上杉顕定方の太田資康(太田道灌嫡子)によって改修がされ、戦国時代の城郭として再興されました。
平城でありながら、堀や土塁で防御を固め、横矢がかりなどの仕掛けも充実した、高度な縄張りに仕上がっています。
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2024/12/19 21:54
水谷勝宗 (2024/12/19 訪問)
久しぶりの備中松山城です。この城の魅力は岩盤の上に築かれた石垣と、現存12天守のなかで唯一山城にある天守閣だと思っています。天守閣はしかも2重2階という小ぶりで、いい雰囲気を醸し出しています。天候にも恵まれ、のんびりと散策しました。
季節によっては観光客が多く訪れる人気の城址ですが、師走のこの時期は少なかったですね。前に登城したのは10年以上まえでしたが、ふいご峠駐車場からの登城路は道幅も広くなり歩きやすくなっていました。
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2024/12/19 19:08
大河内城 (2024/11/23 訪問)
【大河内城】
<駐車場他>松坂市大河内城地区市民センター前駐車場または搦手門前に住民の方が駐車場として5台分程の広場を開放してくださっています。市民センターの扉前に地図・縄張り図のコピー、御城印が入ったクリアファイルがあり、もらえます。ありがたく頂戴。
<交通手段>車
<見所>堀切
<感想>日帰り伊勢山城攻め旅ラスト7城目。現地説明板によると大河内城は1415年に北畠満雅が阿坂城で室町幕府に反旗を翻したとき、築城して弟の顕雅を籠城させたとあります。以降顕雅は大河内氏と名乗り北畠氏の諸流となり北畠氏を支えます。大河内城の戦いで織田信長軍が攻めてきた時には北畠具教は多気の霧山城から大河内城に本拠地を移して籠城戦をします。織田軍は落城させることができず和睦し織田信雄を養子に入れます。
市民センターから歩くと阪内川が南北に流れていて天然の要害さが良く伝わってきます。北の大手口から登って南の搦手口へ出ました。当時は丘陵地全体が城だったようですが現在は主要部が神社として整備されています。主要部は主郭の東側が二の丸と広い馬場があり、北側は谷に、西側は堀切があり西の丸があります。西の丸は帯曲輪で取り巻いています。主要部は期待より小さい感じを受け、安濃城跡より小規模な感じを受けました。これにてこの旅終了、本格的山城の阿坂城はもっと冬枯れになったら行くつもり。走行距離296㎞無事走破。
<満足度>◆◆◇
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2024/12/19 17:16
撮影の難しさに同情 (2024/12/14 訪問)
続きです。市場城は本丸、二の丸の石垣、空堀もチェックポイントですが、枡形門、竪堀群も見逃しては行けない遺構の一つです。
本丸から坂道を下ると畝状竪堀群が見えます。見た時はすげーと思いましたが、撮影が難しい😓 皆さんにわかるようにとるにはどうすればいいかわかりませんでした。朝田さんの気持ちがわかります。まあ結局頑張って数枚撮りました。
その後は枡形門が見えます。枡形門は自然の地形と人口の石垣を活かしたものとなっています。
その後は御屋敷跡に辿り着きますが、そこは跡よりもとにかく紅葉が綺麗でそっちに目がいってました。屋敷跡にもわずかに石垣が残っていました。当時のものかはわかりません。
市場城は桜と紅葉が一緒に見えるため、自然を楽しむのもいいと思います。だいたい11月から12月がベストシーズンだと思います♪
評価★★★★☆
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2024/12/19 16:44
角牟礼城探訪 (2024/12/05 訪問)
角牟礼城を訪問しました。この城は戦国時代に大友軍が島津軍を退けた難攻不落の山城で有名です。また、城跡には文禄・慶長期の縄張りや穴太衆の石垣が残っているとのことで楽しみにしていました。
登城前に豊後森藩資料館を訪れ、パンフレットを入手しました。資料館では角牟礼城に関する展示もしてありますので、時間があれば寄るのも良いかと思います。お城の理解が深まると思います。
麓からの登城もできるとのことですが、今回は三の丸駐車場まで自動車で移動しての登城です。二の丸跡に向けて大手門跡に近づくと立派な穴太積石垣が迎えてくれます。この城跡の見どころの一つですね。
次に二の丸西曲輪を経ていよいよ本丸跡に着きます。ここまで三の丸駐車場から約15分程度の登城でした。
登城時は本丸跡は整備中で一部立入禁止となっていました。整備期間は確認できませんでした。
なお、自動車での三の丸駐車場までのルートは豊後森藩資料館の方に案内図をもとに丁寧に説明してもらいました。ただ、途中から道路が狭く対向車とのすれ違いに苦労するとのことで注意が必要です。
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2024/12/19 10:41
本丸内部の景観 (2024/11/24 訪問)
本丸外周の景観の続きです。
電車での城探訪の徒歩で足の筋肉痛、足裏の痛みが発生しだしましたが、城の中にいる高揚感、一体感で痛みも忘れて、名古屋城北東周辺、二の丸周辺、本丸外周を眺めて、本丸北東の搦手東御門跡から本丸に入る、大天守閣、小天守閣には現完成在入れませんが大勢の人で賑わっており特に外国人観光客の多さにもびっくり、天守南から日陰に成った大小天守を眺めて、復元された本丸御殿へ、4時半でも列に成って順番待ち状態、本丸御殿は第一期完成、第二期完成、第三期完成ファイナルの度に訪ねて内部見学はしており、本丸御殿の写真集も購入しており、御殿の外周の眺望を楽しむ、御殿の屋根越しの大小天守閣の写真を撮り奥に進むと湯殿御殿は別受付らしく、係りの方に声を掛けられて入館し、もう一人の方と2人でガイドの方を占有する状態で詳しく説明を聞きました、終わりにラッキーでした、湯殿御殿と黒木御殿セットで説明見学を受ける、主御殿の方は人が多く混んでる状態がつなぎ目で確認できます。御殿は5時のチャイムが鳴り終了。(説明ありがとうございました)
湯殿御殿を出て本丸内部より南西隅櫓を眺め、本丸南側の内側石垣に円形の石積みが数か所あり、石垣職人の粋な扱いなのか?私としては新発見。
5時過ぎに名古屋城から名城線、名鉄名古屋線で金山から豊橋、JRで浜松、遠鉄電車で自宅へと1時間半無事帰宅、2,3日足の筋肉痛、足裏の痛みが有りましたが晩秋の終りに電車、徒歩で楽しい時間を過ごせました。
名古屋城三編に渡りご覧頂きありがとうございます。
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2024/12/19 09:03
小弐氏の栄枯盛衰(3/3):浦ノ城 (2024/12/09 訪問)
小弐氏の続き(3/3)です。
「浦ノ城」は、前回お伝えした岩門城(岩門合戦)で弟の景資を滅ぼした兄「小弐経資」の居城です。弘安の役の翌年、弟景資が岩門城を築くと同時に、兄経資は大宰府政庁を守る目的で、1282年この浦ノ城を築城しました。大宰府駅から北へ徒歩5分のところにある浦之城橋(写真①)を渡った丘の台地にありました。現在は公園になっていて、あまり遺構は残っていないようです(写真②③④)。今は住宅に囲まれていますが、当時はここからは大宰府天満宮・大宰府政庁・大野城が全てよく見渡せる三角形の中心場所ではなかったかと思われます(写真⑤⑥)。ちなみに、この写真①の橋からまっすぐ登ると、写真⑤に見える岩屋城や大野城まで車でも登る事ができます(離合注意)。
弘安の役の後、鎌倉幕府より恩賞として、父資能(初代)の後を継いだ長男の小弐経資(二代)には、筑前・豊前・肥前・壱岐・対馬の守護職が与えられ、小弐氏は経資の時に、ここ浦ノ城にて全盛期を迎えます。
しかし弟の景資にとって、気分がいいわけがありません。「活躍したのは、この俺だぞ!」と主張して家督争いが生じたため、北条得宗家はこの機に乗じて兄の経資をけしかけ、経資は弟の景資を岩門城にて討ち滅ぼしてしまいます。すると安達泰盛を滅ぼした北条得宗家は、知恵者の泰盛と戦強者の景資もいなくなったので、(今がチャンス!)とばかりに大宰府へ兵を送り、目の上のたんこぶの小弐氏(経資)をここで追放してしまいました。だまされたと気づいた経資は、浦ノ城を離れ肥前南部へ落ち延びたようです。経資はいったに何のために弟まで殺したのでしょうかね?🤔
その後鎌倉幕府は、鎮西探題を設置し六波羅の北条兼時を探題として派遣し、九州の御家人たちを監視しますが、その北条得宗家も51年後の1333年に足利尊氏に滅ぼされてしまいます。その後、後醍醐天皇による「建武の新政」で足利尊氏は都を追われ九州に落ち延びますが、憎き北条を滅ぼしてくれた尊氏を小弐氏(六代:頼尚)は、ここで出迎え尊氏を支えます。そして対抗する尊氏の弟の足利直義を支える肥後の菊池氏らを多々良川で破り、小弐氏は一時勢力を盛り返しました。そしてこれにより、都へ戻った足利尊氏は室町幕府を開く事ができたのです。その後、戦国時代に入ると、小弐氏は大友氏・大内氏と渡り歩きますが、最後は龍造寺氏によって完全に滅ぼされてしまったようです。
私は浦ノ城に立ち、ここから大宰府天満宮を眺めてみました(写真⑥)。今では住宅や木に囲まれて全く見えませんが、当時はここから大宰府天満宮の朱殿がよく見えたと思います。弟を殺したあげく、北条にだまされたと知った経資はどんな思いで、ここから天満宮を眺めていたのでしょうか?
以上、小弐氏の栄華と哀れな末路でした😩。
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2024/12/19 07:10
献血前の攻城で城カードゲット (2024/12/07 訪問)
小豆島から四国にわたり高松で昼食をとってから徳島に向かいました。徳島城博物館にて城カードを購入。冬の企画展「これが凄い!徳島の歴史」も拝見してまいりました。柳橋水車図屏風が一番お値段が高いそうで2億円とのこと。作者は違いますが、阿部龍太郎の「等伯」に「柳橋水車図」は出てきていたので感慨深いものがありました。献血まで時間があったので、庭園を散策した後、本丸までしっかりと足を伸ばすことができました。
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2024/12/18 23:37
吉見観音(安楽寺)蒲冠者範頼ゆかり (2024/05/06 訪問)
吉見町の源範頼館の近くに、幼いころの範頼が稚児僧として身を隠していたと伝わる吉見観音があります。伝承としては行基が聖観音像を安置し、坂上田村麻呂が堂宇を建立したとされています。本堂と三重塔は源範頼が建立したと伝わりますが、戦国時代の天文年間に武州松山城の落城に際し、これらの伽藍もことごとく消失したとされます。現在立っている三重塔は寛永年間に杲鏡法印によって再建されたものとされます。
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2024/12/18 23:00
蒲冠者 (2024/05/06 訪問)
息障院の境内は源範頼の館跡とされ周囲には土塁が残っています。吉見町の安楽寺(吉見観音)には範頼が稚児僧として長くこの地に留まったという伝承があり、本堂と三重塔を建立したと伝わっています。また、範頼の子供たちは助命され、子孫が吉見氏となり源氏の名門として続きますが、執権北条氏の時代に吉見義世が謀反の疑いで処刑され、吉見氏の嫡流は途絶えてしまいます。二代義春の弟で能登国に移った吉見頼宗の子孫が吉見氏の系統を継ぎ、能登吉見氏(もしくは武蔵吉見氏)として続いたようです。
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2024/12/18 21:32
12月21日(土)お城EXPO城にて「日本100名城かるた」ワークショップ開催!
「お城EXPO 2024」、いよいよ今度の土日です!
迫りくるのをひしひしと、ひしひしと、そりゃあもうひしひしと感じております。
今こそ分身の術を修めておかなかった自分を悔いています。
コピーロボットほしいです。
アメーバは分裂できてすごいです。
のっけから混乱状態のお見苦しさ、ご容赦ください。
皆さま、もう城びとの「お城EXPO徹底ガイド⑥見逃すな!お城EXPO 2024 の気になるイベント・ワークショップ紹介」(https://shirobito.jp/article/2036)をご覧いただけましたでしょうか?
お城EXPOのどれもこれも見逃したくないのは重々、重々承知ですが、ここはもう!
21日(土)15:30~16:30 は、我らが「日本100名城かるた」ワークショップ一択ではないでしょうか!?(暴論)
かるた監修の加藤理文先生によるかるた解説のほか、お試しかるた取りもやります!
皆さまと一緒に、かるた晴れの舞台を喜び合いたいです。お城EXPOにいらっしゃる方、ぜひ、ワークショップにもいらしてくださいませんか?
参加方法:
① 1Fインフォメーションで21日(土)13:00~配布される整理券を入手(無料。先着40名)
② 15:30少し前に会場の3F・⑰ワークショップ&セミナー会場に集合
今年は残念ながら城びとブースがないのですが、その分、城びと部員たちはこのワークショップにて気合マンマンで皆さまのお越しをお待ちしております。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
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2024/12/18 21:03
大手門二階櫓開放 (2024/11/13 訪問)
JR秋の乗り放題きっぷの2日目です。
行き先を決めないまま中央線に乗り、路線図を見ながら考えたコースは、
《高尾→小淵沢→小諸→篠ノ井→松本→高尾》です。
乗りっぱなしでも楽しいこと間違いないのですが、せっかくなので小諸で乗り換えを少し遅らせて小諸城散策に出かけました。
4度目の訪問になりますが、今回初めて大手門二階櫓の資料展示室開放日に当たり、内部を見学することができました。大手門石垣を上から見たり、いつもと違う経験ができてよかったです。
お昼休憩を目論んでいたお蕎麦屋さんは行列が出来ていたので諦めて、しなの鉄道(料金別途)で篠ノ井へ向かいました。
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2024/12/18 20:51
復興天守閣 (2024/12/14 訪問)
三十年ぐらい振りの訪問です。復興天守閣ですが、昭和の初めの建築なので、街に馴染んでる感じがしました。
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2024/12/18 18:49
浄福寺城散策2/2(主郭~畝状竪堀) (2024/11/04 訪問)
主郭からすぐに東側の尾根へ進んでしまうと,西側の竪堀を見落としがち。西側の竪堀を散策してから,東側の尾根へ進入していったほうが宜しいかと思います。ラストに畝状竪堀が待っていますョ❢
けど,うまく写っていませんでした…<泣>。たしか,赤い城さんもうまく写せてなかったと思います。
そもそも,畝状竪堀の撮影ってムズいと感じています…📷
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2024/12/18 18:28
浄福寺城散策1/2(登城口~主郭) (2024/11/04 訪問)
東京都コンプリートに向けて,残りの中で一番天候に影響されそうな城が浄福寺城でした。ホントは11月2日で攻城の計画を立てておりましたが雨天となり断念。しかし,何とか同じ遠征期間内に変更できました。
八王子駅から浄福寺付近までバスが出ておりますが,ウォーミングアップで少し歩きたいと思いました。
高尾駅北口から「美22」系統のバスで,川原宿大橋下車。約1㎞歩いて登城口の浄福寺到着。主郭の先のほうが楽しそうだったので,あまり時間をかけずに登りました…🐾
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