続日本100名城

かねやまじょう

金山城

岐阜県可児市

別名 : 美濃金山城、兼山城、烏峰城
旧国名 : 美濃

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金山城
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しんちゃん

破城いろいろ② 金山城・小里城・妻木城 (2024/12/18 訪問)

東濃を代表する山城を三つ、まあ他にも有りますが。「鬼武蔵」と呼ばれた森長可の死後、森家の家督は弟の忠政が継ぎました。慶長5年(1600)関ヶ原の合戦前に忠政は信濃へ移封となり、金山城は犬山城主・石川貞清の管理下に置かれ、建築物を解体して犬山へ運び込んだとされています。破城もこの時期に行われたとされ、二の丸や本丸の石垣も入念に崩してあります。駐車場となった出丸の石垣は復元されたものですが、奥の方は古い石垣が残っているそうです。秋にはイベントが有るので、また訪れる予定です。というか、できればもっと早く訪れたい。そろそろ地域限定城めぐりが始まりますね。

小里城は織田信長の岩村城攻めに際して、池田恒興が改修を施しました。岩村城落城後の天正4年(1576)織田信忠が訪れ、城の普請を行い小里光久に渡しています。城は一時、森長可の手に落ちますが、関ヶ原の合戦で小里光親は旧領3620石を回復して登城口の近くに陣屋を構えました。徳川家に仕える旗本となり陣屋を構えたことで、山上の城は不要となり破城となったようです。
元和9年(1623)小里氏は嫡子無く断絶となり、麓の陣屋も壊されました。天守台の石垣は良く残っていると思いきや、後世に修復されているようです。うまく直しよる・・往時の姿が思い浮かばない。主郭周辺の石垣は崩れていますが、自然に崩れたのか破城を受けたのかは不明です。なんにせよ金山城も小里城も同時期に破城となり、それ以降はあえて形状の変更は受けていないようです。

妻木城は明知光秀の妻・煕子さんの実家とされています。妻木氏は関ヶ原の合戦で本領を安堵され山麓に居館を築き、そこで政を行いました。山の上の城は元和年間には放棄されたようですが、石垣は崩されているように見えません。建物だけ撤去したのでしょうか?
この辺りは岩がゴロゴロしていて花崗岩の節理もあるので、見た目的に少しカオスです。

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あさやん

初登城 (2019/08/12 訪問)

この日、3つ目の登城。
続日本100名城のスタンプと御城印をゲット。

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トベシュン

愛知、岐阜の東海の城めぐり 吉田城・古宮城・亀山城・苗木城・美濃金山城・郡上八幡城・大垣城・小牧山城 (2025/03/28 訪問)

愛知、岐阜の東海の城めぐり 吉田城・古宮城・亀山城・苗木城・美濃金山城・郡上八幡城・大垣城・小牧山城を巡ってきました。

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しんちゃん

秋の金山城 (2024/12/07 訪問)

美濃金山城の残りの写真です。金山城に来るのは3回か4回目ですが。良い城は何度来ても良いです。この日はイベントの関係で、駐車場まで車で行けないので普段より時間がかかりましたが、たまには麓からじっくり登るのも風情があって良いかも知れません。
まだ各所に紅葉が残っていたので、秋の金山城を楽しむことが出来ました。行けるのであれば左近屋敷も訪れてみたいです。

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城郭情報

城地種類 山城
築城年代 天文6年(1537)
築城者 斎藤正義
主要城主 斎藤氏、森氏、石川氏
文化財史跡区分 国史跡(美濃金山城跡)
天守の現況・形態 複合式層塔型[2重2階/築年不明/解体]
主な関連施設 石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、井戸、移築門
住所 岐阜県可児市兼山町古城山
問い合わせ先 可児市文化財課
問い合わせ先電話番号 0574-62-1111