石垣が多く遺っている城址で、石垣を中心に投稿します。
当時城主であった森忠政は関ヶ原の戦い直前に徳川家康の命で海津城に移封されました。美濃金山城は石川光吉の領有となります。慶長6年(1601)には天守や諸櫓を一切取り壊し木曽川を下って犬山城の増築・修復に使用されたという「金山越」の伝承があります。天守台の一部が残っていますが、この上に犬山城の天守閣のような建築物があったということでしょうか。在りし日の姿を見てみたいものです。
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2026/02/23 17:41
主に石垣など (2026/02/23 訪問)
石垣が多く遺っている城址で、石垣を中心に投稿します。
当時城主であった森忠政は関ヶ原の戦い直前に徳川家康の命で海津城に移封されました。美濃金山城は石川光吉の領有となります。慶長6年(1601)には天守や諸櫓を一切取り壊し木曽川を下って犬山城の増築・修復に使用されたという「金山越」の伝承があります。天守台の一部が残っていますが、この上に犬山城の天守閣のような建築物があったということでしょうか。在りし日の姿を見てみたいものです。
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2026/02/23 17:20
主に曲輪など (2026/02/23 訪問)
1年と少しぶりに登城して来ました。
天文6年(1537)斎藤正義(妙春)が築城したと伝えられている城址です。永禄8年(1565)織田信長の家臣森可成が入城し、慶長5年(1600)まで森氏の居城でした。本丸を中心に各曲輪が残っていて野面積の石垣も各所に見ることができ楽しく散策できます。登城路は整備されていますが、立入禁止になっている水の手曲輪方面への道を整備していただけないかなと願っています。左近屋敷へは行くことはできますが、案内図では×印がついていたので散策は遠慮しました。昔、行ったことがあり入口は未整備ですが、行こうと思えば行けると思います。石垣が少しありましたね。
この日は雨上がりで、ときどき陽の光は届くことはありましたが概ね曇っていました。
名鉄明智駅からYAOバスに乗り城戸坂バス停下車、徒歩約5分で大手道の登城口に行きことができます。
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2026/01/03 17:35
| 城地種類 | 山城 |
|---|---|
| 築城年代 | 天文6年(1537) |
| 築城者 | 斎藤正義 |
| 主要城主 | 斎藤氏、森氏、石川氏 |
| 文化財史跡区分 | 国史跡(美濃金山城跡) |
| 天守の現況・形態 | 複合式層塔型[2重2階/築年不明/解体] |
| 主な関連施設 | 石碑、説明板 |
| 主な遺構 | 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、井戸、移築門 |
| 住所 | 岐阜県可児市兼山町古城山 |
|---|---|
| 問い合わせ先 | 可児市文化財課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0574-62-1111 |