(26人目)井伊直政の続き⑯です。
直政と北条氏との関わりは二度あると以前お話しましたが、その二度目の関りです。それは秀吉の小田原攻めの最中でしした。
1590年秀吉は15万の大軍をもって小田原城を囲みます。この時家康は、城の東側の山王川と酒匂川の間にある今井の地に陣を敷いたとされています。私もその陣跡へ行ってきました。小田原駅前から「城東車庫行き」の箱根登山バスに乗り10分、今井のバス停で下車し、目の前の標識がある狭い路地を入って行ったすぐの所にありました(写真①②③)。
そしてこの近くでは、小田原攻めで唯一の戦いが行われたという場所がありました。総構えのいちばん南東部分にあたる「篠曲輪」という場所です。その篠曲輪にも行ってきました。今井の家康陣跡から15分程歩いた場所です。国道1号線と山王川が交わる現在の「山王神社」が当時は篠曲輪だったようです(写真④⑤)。
秀吉と北条、両者膠着状態が続く中で、井伊直政は赤備え隊を引き連れ、独断で山王口に築かれた北条の出丸であるこの篠曲輪を攻撃し、ここを落としましたとされています。しかしすぐさま、城内から北条軍が出て来て奪還されたようです。
命令違反にもかかわらず、秀吉は怒るかと思えば、「でかした直政!」と数いる武将の中で、唯一独断で攻め入った直政の事を大いに賞賛し、何と褒美まで与えたそうです。秀吉はここで直政をますます好きになったようですね~(これはちょっと家康にとって危ない雰囲気かも・・?)。
次は、直政人生で最大の失態の話へ続きます。
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