まるこじょう

丸子城

神奈川県川崎市

別名 : 丸子陣場
旧国名 : 武蔵

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じゅんじん

日吉神社 (2023/10/28 訪問)

遺構はありません。七五三の時期でした。

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日枝神社 (2023/06/29 訪問)

 日枝神社と周辺が跡地のとのことです。遺構はないようです。
武蔵小杉駅から徒歩にて登城しました。少し道に迷って20分くらいかかってしまいました。

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赤い城

日枝神社 (2022/04/29 訪問)

再訪するほどでも無いのですが近くに来たので。
日枝神社とその周辺が城跡ですが遺構はありません。
ちょうど境内にはツツジが咲いていました。
近所の方がお散歩してたりで良い雰囲気の神社です。
太田道灌に敗れた豊島氏が籠城したとされています。
近くには徳川秀忠の休憩所として造られた小杉御殿の跡もあります。
こちらも石碑が立つのみで遺構はありません。
セットでの訪問になると思いますが想像力が肝心となりますね。

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昌官忠

南武線沿線10城巡り⑨:丸子城 (2021/04/12 訪問)

入会当初の2020/07/30に内容のない投稿(つぶやき)をしていました。今回、攻城したので再投稿します。
南武線沿線10城目は丸子城です。
新丸子駅より徒歩7~8分くらいで、日枝神社入口(35.579016、139.667650)に着きました。

丸子城は1476年(文明8年)に起きた「長尾景春の乱」にはじまる関東の争乱の中で、太田道灌に平塚城や石神井城など拠点を攻略された豊島泰経が小机城へ向かう途中で陣を置いたとされる城です(近年この説は否定されています)。
城址は現在の日枝神社から上丸子小学校にかけての付近にあったと伝えられていますが、市街化されており遺構を確認することはできません。
なお「新編武蔵国風土記稿」によれば、築城したのは古河公方・足利成氏に属する武将だったと推測されているようです。

日枝神社には川崎市重要歴史記念物に指定された古文書が、三通所蔵されているそうです。
①後北条氏発給で北条氏直が丸子郷の住民に年貢の納入を命じた天正十五年(1587)八月十八日付の文書。
②後北条氏発給で多摩川の出水により流路が変ったため、氏直が、隣郷の世田谷領沼部郷との間に生じた境界争いを裁決した天正十八年(1590)三月十六日付けの文書
③徳川氏奉行人連署奉書で、徳川家康の奉行、大久保十兵衛長安ら四人が連署した社領朱印状の下附に関する文禄四年(1595)十二月二十六日付けの文書

遺構はありません。城があったらしきものとしては、古文書があるという文化財の説明板くらいです。
攻城時間は10分くらいでした。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 不明
築城年 文明10年(1478)
主な城主 豊島氏
遺構 消滅
住所 神奈川県川崎市中原区上丸子山王町1(日枝神社)