みんなの投稿

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いんげん丸虫

男鬼入谷城 (高取山城) 滋賀県彦根市 (2024/11/23 訪問)

標高670mの山城です。
尾根上に曲輪が連なり、派生する尾根
にも明確な段曲輪、堀切がみられます。
東の3重堀切が見所なのですが、残念
ながら、伐採した木材が積まれてます。
山城あるあるですね~。
10年前に高取山城として訪城してました。
すっかり忘れてました。
城跡には3つくらい別名があるのが普通
ですよね。
有名?な比婆大神神社までコンパクト車
なら行けます。神社の背後を15分位歩い
て城跡です。

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WEST

佐伯城探訪 (2024/12/04 訪問)

佐伯城を訪問しました。このお城は江戸時代毛利氏が拠点として築城した山城とのこと。
自動車でのアクセスで、佐伯市歴史資料館の駐車場を利用しました。登城前には、この資料館でパンフレットを頂きました。
登城は三の丸櫓門からです。この櫓門は唯一現存する建物とのことで、堂々としています。本丸跡までの登城ルートは2つありますが、当時のメインルートの「登城の道」からとしました。
山頂の城郭までは麓から約20分強の工程です。全体は比較的コンパクトですが、二の丸跡、本丸跡、それらを繋ぐ廊下橋など城跡内は石垣はなかなか立派のものです。
結構、地元の方なのか登城者も少なくなく、本丸跡にて豊後水道から四国方面の眺望を見ていると声をかけられました。山城では珍しい出来事でした。
見どころの一つとして、本丸外曲輪跡の奥の斜面に雛壇状石垣があります。4段あるとのことでしたが、草に覆われていて少し分かりにくかったです。
帰りは、もう一つの「独歩碑の道」ルートを使ってのですが、こちらのほうが、なだらかで登城しやすいですね。

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カズサン

本丸外周の景観 (2024/11/24 訪問)

 二の丸北東辺りと他を散策の続きです。

 二の丸東鉄御門跡から入り東門より観覧料500円を払って入城、二の丸広場はイベント開催中、久しぶりの名古屋城ですが4時前に入り、そう時間も無いので本丸の外側周囲を南東隅櫓、本丸東門エリアを遠望し、本丸表二の門、西南櫓、大天守を眺めて御深井丸北西の西北櫓(清州櫓)を近くで見上げる、足腰の痛み、足の裏の痛みが無ければ外濠越しに眺めたいのですが今回はパス、すると外堀越しの対岸に有るはずの「ホテル名古屋キャッスル」が新しく改造されたようで、高石垣に城郭風のホテルに変わってる、以前キャッスルホテルの最上階レストランで名古屋城を眺めた事を思い出す。本丸東御門から本丸内部に入る。

 天守閣の木造復元計画はどうなって居るのでしょうか?早く再開など検討いただき、木造復元か?現天守閣の耐震改造か?登れるようにして頂きたい。
 
 本丸内部の景観に続く。
   

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駿府城

お城EXPO2024に静岡市が出展します!

令和6年12月21日(土)・22日(日)にパシフィコ横浜ノースで開催される「お城EXPO」に静岡市が出展します。「お城EXPO」とは城郭文化の振興と発展やお城好きの方々との交流を目的に開催されている日本最大級のお城の祭典です。当日は全国のお城を有する自治体や城郭関連団体のブースやイベントステージ、ここでしか聞けない専門家の貴重なトークショーなどを実施予定です。静岡市も駿府城を中心に静岡の歴史や文化をPRします!
歴史やお城が好きな方々必見です!ぜひお越しください♪

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todo94

PIKUMIN BLOOM JOURNEY TOKYO DOME CITY2024参戦翌日の攻城⑦ (2024/11/24 訪問)

新井宿城からの転戦です。大森海岸駅から立会川駅まで京浜急行を利用しました。萬福寺など、梶原景時ゆかりの場所に接してきましたが、ここは、梶原景時とは関係はなさそうです。この日最後の攻城とし、鮫洲駅から帰路に着きました。

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しろりん

琵琶湖に映える夕日と紅葉がきれい (2024/12/11 訪問)

歴史博物館の外観がコンクリート製の模擬天守になっていて「長浜城」と呼ばれています。二階と三階が展示室で二階は「湖北・長浜の歩み」がテーマで湖北長浜の歴史と文化が紹介されており、浅井三代を中心とした展示、三階は領主となった秀吉と湖北の関わりや城下町長浜経営について紹介されています。城は模擬天守ですし、最初はあまり期待はしていませんでしたが、国友の鉄砲や反射望遠鏡が見られたのが良かったです。また五階の望楼からは小谷城、横山城、虎御前山がある山々を望めますし、夕日に映える琵琶湖もとてもきれいでした😄。今年は紅葉が遅く今が見頃です。

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トク

小弐氏の栄枯盛衰(2/3):岩門城②(岩門合戦) (2024/12/09 訪問)

岩門城①の続きです。

北の曲輪に着くとここからは福岡市内が一望できました(写真①②)。ここは見張台だったと思われます。市街地の先には博多湾、左に能古島、中央に志賀島、右に立花山(立花城)まで見えました。そして帰りは、行きと異なり高津神社の方を経由して鳥居をくぐる石段を下りて帰りました。高津神社は前回お伝えした、安徳天皇を匿った原田種直が建てた神社のようです(写真④⑤)。

二度の元寇を命がけで戦い、見事勝利したにもかかわらず、九州の御家人たちには恩賞が与えられませんでした。小弐景資は安達泰盛とともに鎌倉幕府に直談判します。しかし1284年執権北条時宗が死去すると、北条得宗家は鎌倉にて、目障りとなった安達泰盛を殺してしまいます(霜月の乱)。

同じ頃、父の小弐資能が死去すると、兄経資(つねすけ)と弟景資(かげすけ)の間で家督争いが起きます。弟景資の方が人気実績とも圧倒的であったため、兄経資はそれを妬みます。この時、安達泰盛が殺された事を知った景資は仇を討つため、肥後の守護であった泰盛の子安達盛宗とともに挙兵し鎌倉へ向かおうとしました。それを知った北条得宗家は家督争いに目をつけ、肥前守護の北条時定に兄経資と手を組んで岩門城を攻め落とすよう命じ、そして兄経資は弟景資を討ち取りました(岩門合戦)。敵は北条得宗家であったにもかかわらず、まさかの兄に殺されるとは、景資はさぞかし無念だったでしょう。その景資が討たれたとされる場所には墓が立てられていました(写真⑥⑦⑧)。裂田溝公園と高津神社の途中の少し入った所にありました(標識あり)。

「小弐景資・安達泰盛・竹崎季長」、元寇で最も活躍し、日本を救ったこの3人のヒーローたちは、一体何のために戦ったのでしょうか? 小弐景資の墓の前に立つと、あまりにも可哀そうに思えてなりませんでした。

もしよければ、私の過去の投稿(竹崎城・元寇防塁)もまた見て頂き、彼らの活躍を思い出していただければと思います。『みんなの投稿→竹崎季長』で検索して下さい!

次は、その後の兄経資と小弐氏の栄枯盛衰(浦ノ城)に続きます。
 

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しんちゃん

さいたま万歳 (2024/05/06 訪問)

前日は国道沿いの道の駅に車中泊で一泊しましたが、ゾッキーやトラックの大合唱で寝不足です・・うう、うるさいたま・・。
青島城の投稿ですが、なぜか竹藪をぬけて裏側から訪問しているので「青島城址の板碑」の写真は無いです。城址に近づいていくと、ものすごい匂いがしてきます。尋常じゃないですね、う~ん・・くさいた〇・・。いやいや私、埼玉は好きですよ。適度に開けていて、適度に田舎で城めぐりにはちょうどいいです。車を停めるスペースもあるし。
どうやら「こえ」を撒いたばかりのようです。間近だとこんなに匂うんですね。いつも頑張ってくださっている農家の皆さんに改めて感謝です。城址は畑になっていて、周囲には土塁がめぐり、外側には堀があります。あと竹藪がハンパないです。

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小城小次郎

城で宴が催せる (2024/03/23 訪問)

全国でも少数の城泊可能なお城だが宿泊料金は他の城泊同様なかなかのもの。城泊開始とともになくなるかもと危惧していた時間貸制度はそのままなので空いている日は月見櫓や湯殿で今でも宴が催せる。これは嬉しい。

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しんちゃん

加賀爪氏 (2024/05/06 訪問)

高坂氏館は高坂台地の北東部、都幾川に面した部分に築かれていて、現在は高済寺の境内になっています。西側には古墳を利用した土塁が残り、江戸時代に当地を領した加賀爪氏の累代の墓が立っています。加賀爪氏は長久手の戦い・小田原攻め・関ヶ原の合戦・大阪の役と名だたる戦に従軍し功を立て 5500石を有し,江戸町奉行も務めました。江戸時代には1万3000石まで石高が上がりましたが、直澄の代に成瀬氏との間に領地問題を起こして天和元年(1681)に所領を没収され改易になってしまいました。
中世には江戸氏の流れを汲み、秩父氏の一族である高坂刑部大輔の居館があったようです。

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宗春

新城七名城デジタルスタンプラリーに参加しました ⑤長篠城 (2024/12/07 訪問)

2024年11月から2025年1月まで愛知県新城市で実施の『新城七名城デジタルスタンプラリー』に参加してきました。5城目は長篠城。

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しんちゃん

近世城郭としては短命 (2024/09/14 訪問)

案内板によると佐野城は別名「春日岡城」とも呼ばれ、延暦元年(782)藤原藤成がこの地に春日明神を祀ったことに由来するようです。慶長12年(1607)佐野氏は唐沢山城を配してここ移ったとされ、城下町も整備されましたが、慶長19年(1614)所領を没収され改易となり、佐野城も廃城になってしまいました。どうやら7年ほどしか近世城郭として機能しなかったみたいです(築上からは14年)。
佐野駅の北側の丘陵が城址公園になっていて、その周辺に外堀が巡らされていたようです。丘陵部の南から、三の丸・二の丸・本丸と続き、本丸と二の丸の間には大きな堀切が切られ、堀道となっています。
発掘調査で本丸の東武から見事な石畳の通路が発見されましたが、現在は埋め戻されています。調査に関するパネルは二の丸にある城山記念館で見ることができます。

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じゅんじん

墓地 (2024/10/19 訪問)

眺めは最高ですが、、、

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カズサン

二の丸北東辺りと他を散策 (2024/11/24 訪問)

 電車で城探訪、田幡城と志賀城を徒歩で廻った跡、足の疲れで市バスを利用して名古屋城近くの名城町下車。
 名古屋城の二の丸北東櫓台辺りで、北側の外濠、西に天守閣、本丸搦手馬出の工事作業中も遠望し、二の丸北東部に在る丑寅櫓台を近くで眺めようとするが二の丸東の駐車場辺りが工事中で二の丸東空堀に近づけず少し残念、その代わり大津通りの西側歩道が欅のトンネルが紅葉で奇麗で美しい、二の丸東御門跡から二の丸へ、午後の4時前でしたが大勢の人で混雑、外国人観光客も多く賑わってる、清正公の石曳像前も撮影順番待ち、二の丸と本丸大手馬出間の空堀の奥に黄色くなった紅葉が奇麗でした。
 足の疲れ足裏の痛みも有りましたが近くまで来たので名古屋城に寄って観なくてはの意思で素晴らしい名古屋城を廻りました、何時訪ねても楽しい時間です。

 この後は本丸外周の景観と本丸内部の景観を2編に分けて続き投稿します。
  
 

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さんちゃん

温泉街と湯築城 (2024/09/02 訪問)

月曜が定休日で御城印が買えなかったのがショックでしたが、松山城も見えいい城でした

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近江の城

滋賀県立安土城考古博物館展示リニューアル クラウドファンディング実施中! ~発掘調査や出土品の整理調査など貴重な体験も返礼品に~

安土城考古博物館を「安土城・信長・戦国魅力発信拠点」として、安土城と信長・戦国をテーマとする唯一無二の博物館を目指し展示リニューアルを行うためにクラウドファンディングを実施しています。
安土城全体の姿を、高精細フルCGにより映像で復元。映像は安土城天主と同じ八角形をしたシアターで、国内外でも珍しい五面の多面スクリーンを採用し、当時の世界に入り込んだ感覚で楽しんでいただけるような空間を作り出します。

クラウドファンディングのお礼として、信長が書いた手紙の文言を引用して作成する信長からのお礼状風感謝状や、令和7年3月実施の内覧会へのご招待、現地解説付きの安土城満喫ツアーへのご招待、安土城跡の発掘調査の活動体験、出土品整理調査体験ができるコースなどユニークなギフトが盛りだくさん。
ただご寄附をいただくだけでなく、今回のクラウドファンディングを通して、更なる安土城の価値や魅力を知ることが出来ます。

安土城の魅力を発信する拠点づくりのために、そして滋賀県を元気にするために、皆様の熱い想いのこもったご寄付をぜひ、よろしくお願います。

寄付の詳細やお支払い等については、こちらから
https://readyfor.jp/projects/azuchijohaku2024

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WEST

岡城探訪 (2024/12/04 訪問)

岡城を訪問しました。築城は1185年?とのことですが、現在の高石垣を備えた近代城郭となったのは戦国時代の中川氏からとのこと。
廃城令により、残念ながら建物は残っていませんが、訪問して目を見張るのはやはり石垣群ですね。
今回の散策は岡城一周です。本丸跡からその先の御廟所跡、下原門跡まで、その後は戻って西の丸跡から家老屋敷まで回りました。見どころとして、谷越しから見る高石垣は壮麗ですね。
訪問時は紅葉の見ごろ時期とも重なり、何度見ても飽きない景色でした。お城散策を十二分に堪能できました。
最後に江戸門跡から七曲りにて帰ろうと思いましたが、残念ながら落石により通行止めでしたので大手門跡経由で戻りました。注意してください。
登城後に感じたことは、すぐ近くまで自動車でアクセスできますので、訪問し易い山城と考えていましたが、城内は結構アップダウンがあり、少々大変でした。また、お手洗いも城内に何か所かあり、ゆっくり回ることができました。

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トク

小弐氏の栄枯盛衰(1/3):岩門城① (2024/12/09 訪問)

福岡県那珂川市にある岩門城(龍神山城)は、二度に渡る元寇(文永・弘安の役)で二度とも総大将を務め、九州の御家人たちを束ねて見事に勝利へ導いた、あの「小弐景資(しょうにかげすけ)」の居城です。

景資は、太宰小弐である父「小弐資能(すけよし)」(武藤氏から小弐氏と改名した初代)の二男として大宰府で生まれます。弘安の役の翌1282年、再びフビライに三度目の侵攻の兆しが見えたため、もしも防塁が突破された時に備え、自ら標高192mの龍神山の地に岩門城を築城し、ここを居城としたようです。

国道385号線山田交差点そばの、「裂田溝公園」(トイレ自販機あり)の駐車場に駐車し、まず岩門城を見上げました(写真①)。ここから山頂の本曲輪まで徒歩50分です。左の溝沿いを行き、右に曲がりまた左へ曲がり(標識あり)、まっすぐ登ると高津神社下です(写真②③)。軽自動車やバイクの方は、そこまで上がれそうです。

(写真③)右の神社の鳥居をくぐって急な階段を登ってもいいですが、私は左の落葉の上がきれいで楽そうに見えたので、左から登りました(写真④)。でも落葉の道はすぐそこまでで、右に折れると結局は急な傾斜が始まりました(写真⑤)。しかし三瀬城と異なりこの先落葉はなく踏ん張れたので、きついですが歩きやすかったです。

途中、高津神社からとの合流点がありました(写真⑥)。さらに登ると茶臼岩がありました(写真⑦)。こんな岩の上から矢を射掛けられたらたまりませんね! しかも回りは深い竪堀があり、やられたら一気に滑り落ちそうです(笑)。さらにその先は三の曲輪(写真⑧)、二の曲輪(写真⑨)、本曲輪(写真⑩)、北の曲輪と続きます。曲輪の間は大きな堀切で仕切られていました。これは攻めづらい城だと感じました。そしてやっと本曲輪へ到着です。

その先、岩門城②へ続きます。

P.S 高津神社下からのルートとは別に、車で背後(葬祭場)手前の石像前に車を止め尾根沿いの高低差なしの徒歩20分で楽に行けるルートもあります。写真②の赤ルートです。満足度はいまいちだったので、私は神社下から苦労して登るルートをオススメします(笑)。
 

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天守無しがアツい

短期間で消えた模擬天守 (2024/12/13 訪問)

(高天神城 参考サイト)
https://takatenjinjyo.com/

静岡県掛川市…掛川駅からタクシーで15分ほどの所に、高天神城があります🏯 本当はバスで行きたかったけど…最寄りのバス停を通るバスを見つけられなかったので、楽な手段(タクシー)を選んだ私🚕

その代わり片道3000円…往復6000円少しの出費を強いられました💸 北口の駐車場で降ろしてもらい、鳥居を潜ると…城全域の想像図という大きな案内板が(1枚目) これを見て「予想してたより城の規模がデカい🫢」と思えました

奥へと続く道は階段が石を敷き詰めた造りになったおり、少し上がっただけなのにもう腿にくる…肉体的疲れを伴いました🚶‍♂️ ある程度進むと道が2つに分かれており…片方が本丸行き…もう片方が高天神社行き⛩️ でした

城巡りに来たからには…まずは城跡…本丸を見学したかったので、そっちから行くことに🚶‍♂️ 途中にこの城の歴史…誕生から武田氏の拠点になり…それから武田勝頼と徳川家康の抗争の場となり…最後は1581年に徳川方の攻撃を受けて落城🏳️ 直後に廃城となり現在に至る…流れを紹介した年表が左手にあったので少し目を通したりもしました

本丸には天守は無く…石垣さえ存在しませんでした(2枚目)。ただし西側は土塁(少し離れた所にクランク状の土塁があり)…東側は絶壁となっており、天然の要塞。案内板の説明によると、籠城に備えて食料や武器などを収納した倉庫のような建物がこの辺りにあったそうです

この付近に石碑が色々建っており…日清戦争において掛川から出征した陸軍歩兵のものがありました。高天神城とは直接の関係は無いんじゃ…とツッコミたくもなりますが、それでも何故かあるのです😅

本丸→三の丸へ向かう途中に徳川方の居城跡が見えるスポット(3枚目)が写真付きで紹介されていました。火ケ峰砦という(3枚目右上に見える丸い球状の森)場所などがそれ…そこを拠点にここ高天神城を攻めていた

高天神城アプリというものをインストールしていれば(3枚目左下に写る)指定の場所にスマホを置いただけで…当時の様子を復元した映像が流れるそうです。けれど私はそのアプリの存在を知らない…のでそれを見ることはありませんでした

御前曲輪跡(4枚目)…ここも本丸と三の丸の間に位置し、しかもここには二層の模擬天守が存在していたそう🏯 昭和9年に建てられるもの昭和20年に落雷が発生して焼失⚡️🔥 今は(ご覧のとおり)天守台だけ残る小さな場所

本丸には天守どころか天守台さえ無かった…「やはり天守が無いとお城として満足できない…よし、こうなったら作っちゃえ😁」というノリで戦前の軍医少尉が建てたらしいのですが…史実に反するというか、史実を捻じ曲げる存在にさえなってしまうと思うので…(どうせ短期間で無くなってしまう運命だったのだし)造らないほうがよかったんじゃないですかね?😅

入口から本丸まで向かう際…実は分岐点があり、左は本丸…右は三の丸および個室が使用不能なトイレと表示されてました。まずは本丸へ向かい…再びその分岐点に戻ってきたので…今度は三の丸方面を選び…そして辿り着きました

三の丸に存在する休憩スペース(5枚目)。この城が現役だった頃は…この辺りにも食糧や武器を収納する建物があり、武田勝頼の家臣である小笠原与左衛門により、250騎という僅かな手勢で徳川軍の侵攻を迎え撃っていたそう

おそらく相手の方が数では勝っていた…けれど土塁や空堀、崖という天然の要塞を生かして、味方は少数でも…何年も耐えていたのでしょう。それでも度重なる攻撃と数の暴力に耐えきれず…武田氏滅亡の前年に落城🏳️

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しんちゃん

足立右馬充遠元 (2024/05/06 訪問)

三ツ木城はかつては雑木林となっていて周囲はドブ田に囲まれていたようです。現在周辺は城山公園として整備され、見違えるほど立派になりましたが、肝心の城址は雑木林のままのようです。城山公園と名がついていますが、今 城址に入れば、はたから見るとただの変人に見えるでしょう。そんな状況になっているんですね。
別に今さら失うものもないので、周囲の親子連れの視線を無視して雑草のなかに分け入って城址に入ります。主郭は雑木林となっていますが周囲に土塁が残っています。基本的に単郭で周囲を土塁と堀に囲まれた城址でした。
三ツ木城の城主は平治元年(1159)に右馬充に任じられた足立遠元とされ、平治の乱においては源義朝に従い、源氏が敗れた後は東国にひそみ、源頼朝が挙兵した際に隅田宿へ真っ先に駆けつけたということです。

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