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POYO58

マイナーで小さいが… (2024/12/14 訪問)

一ヶ月半ぶりのお城探訪となりました。一ヶ月半前は修学旅行で五稜郭に行きましたが、あいにくの雨と自由時間が短かったため、あまり探訪できませんでした。
山城は三ヶ月ぶりです。
市場城に行ってきました!
豊田市ということで比較的家に近かったので行ってみました。
車で途中まで行けます。駐車場は登山路の向かい側にあります。トイレもありました。
最初は長い上り坂ですが、一周するのに大体15分程度しかかからず、かなり山城にしては探訪しやすいと思います。全然疲れませんし。
市場城は1502年に鈴木親信が築き、以後は鈴木氏が支配し、1592年、家康によって廃城になるまで90年役割を果たしました。
今見られる遺構は4代の鈴木重愛が家康に命じられて改修されたものです。鉄砲の伝来の影響もあって、石垣造の城となっており、中世の城郭から、近世の城郭へと変化しました。

今回紹介するのは主に二の丸と本丸です。後ほど枡形門、畝状竪堀群の紹介をします。
二の丸には空堀、土塁、櫓台石垣が見られます。櫓台石垣は約5メートルほどの高さで野面積みとなっています。
本丸にも南部に石垣が残っていました。近年本丸は地元小学生による発掘調査が行われたそうです。

それでは次は竪堀群へと向かいます。 続く

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TNK

愛媛県初入り (2024/12/13 訪問)

夜行バスで松山へたどり着き、路面電車で湯築城のある道後温泉駅へ。
名城スタンプを押す資料館では、ボランティアのおじいさんから折り紙の兜を頂きました。
寝不足の状態で城へ登り、頂上からは向いにある松山城が!
朝のため、湯築城も道後温泉も観光客はまばら。
景色の良さに目が覚め、路面電車で松山城へ。

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小城小次郎

幻の「鞆幕府」を警固するために (2024/03/23 訪問)

3月のオフ会で訪ねた際は雨ざんざんでさんざんだったが面白かったことだけは確か。足利義昭の幻の「鞆幕府」が一時ここの常国寺にあったらしく義昭警固の一役を担った渡辺氏が頑張ってこれだけ厳重なお城を築いたのだろう。

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TNK

透き通ったお掘りの海水 (2024/12/13 訪問)

13日最後のお城は、観光客がまばらな今治城をゆっくり散策。
お掘りの水が透き通って綺麗でした。

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TNK

上陸出来ず (2024/12/14 訪問)

船運航条件の最少催行人数10人に達せず、残念ながら上陸出来ませんでした。
また今度。

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TNK

石垣修復中 (2024/12/14 訪問)

修復が終わったら、また訪れたい。
職人さん頑張って下さい!

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カズサン

電車利用で初登城 (2024/11/24 訪問)

 岡崎城松大木を伐採後のスッキリした天守閣の姿を50数年後に認視、大満足して名鉄電車、地下鉄利用で古渡城址・東別院初登城初参拝後、名城線の名城公園下車し北方向に約6、700m程の所に在る田幡城跡(金城小学校)、進行途中に多奈波太神社を通ると案内板に田幡村の名前が記載されていたので田幡城域かな?と撮影、角を北に進むと皆さん投稿写真の田幡公園、程なく金城小学校の西側校門に着く、当日は運よく名古屋市長選挙の投票日で校門は開いている、そのまま東に進行してキンヤさんが投稿紹介の東校門内側南に石碑と清正橋の石が横たわって居る、石碑には林泉寺跡と小さく左横に田幡城跡が刻まれている。
 東校門を出て北東の現在の林泉寺を確認しました。

 駐車場:特に無し、最寄駅は名城線名城公園駅か黒川駅(こちらが近い)
 参考資料:城郭放浪記さん、城びと皆さんの投稿、グーグルマップに依る。

※ 昨日イオさんの投稿を見て驚愕しました、香川画伯の訃報信じられません、早速ネットで調べて毎日新聞の情報でしたが12日に亡くなられたとの情報、画伯の書籍は32年前「復元図譜 日本の城」が最初の本だったと思いますが、学研の戦国の城シリーズ、現在は2ヶ月毎発行の歴史群像に掲載の画伯城郭イラスと目当てに購読しています。画伯とは島田市博物館主催の香川元太郎城郭イラスト展と同時開催の縄張図作画講習会に参加した時に初めての受講でした、指導頂き先に購入した「戦国の城」にはサインも頂き感謝の気持ちと記憶が残って居ります。
 謹んでお悔やみ申し上げます。安らかにお休みください。それにしても若い大変惜しまれます。合掌
 
 

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しんちゃん

おりひずみ (2024/05/06 訪問)

加納城は「武蔵志」に加納古塁として記載があるようです。城主は岩槻城主太田氏に仕え「鴻巣七騎」と称された国衆・本木氏と見られ、徳川家康の関東移封のころに帰農して行ったのではないかと考えられています。
主郭周辺の土塁や堀が民家の周辺に残っており、主郭北側の側溝は堀の名残であるようです。また三角形の公園の一角には案内板があり、城の名残がそこかしこにあります。
ついでに主郭の南西部の道路には外郭の名残である「おりひずみ」が残っています。道がカクカクしているのでなんとなくわかります。

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しんちゃん

あやめに花菖蒲 (2024/05/06 訪問)

菖蒲城は康正2年(1456)古河公方足利成氏が金田式部則綱に命じて築かせた城です。城名の由来は竣工が5月5日の菖蒲の節句の日であったこととされ、豊臣秀吉の小田原攻めの後に廃城となり、徳川家臣内藤正成が付近に栢間陣屋を築き、5700石でこの地に入りました。
城址の中心には城址碑が建ち、周囲にはあやめや花菖蒲が35000株植えられています。菖蒲はないのかな?

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しんちゃん

地球回廊 (2021/03/21 訪問)

岐阜県瑞浪市の地球回廊は令和3年3月31日を以て、老朽化のため終業しました。竹下政権のふるさと創生事業交付金の一部を使って、旧陸軍の地下壕を利用して築かれています。航空機製造の疎開工場として彫られていて、全長は240mに及びます。トンネルにも歴史が有って、原始時代の人は天然の洞穴を野生動物から身を守るために利用し、中世は金や銀を採掘するために掘り進み、近代は防空壕や疎開先として利用と‥人は進化しているのか、してないのかわからなくなりますが、中世の戦乱の時代にも襲撃を受けた人達がこうした洞穴などに逃げ込んだりしたのではないでしょうか。そういえば石田三成も関ヶ原の合戦で敗れて「大蛇(おとち)の洞窟」に潜んでいましたね。

地球回廊は広い坑内に地球の生物の歴史の展示や、全長27mにもなるディプロドクスの骨格標本などが飾られていました。
個人的には、施設として残しておいて欲しかったですが、やむをえない判断だったと思います。

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香川元太郎先生

 香川元太郎先生の訃報に接し、謹んで哀悼の意を表します。
先生の絵に出合ったのは「戦国の城 目で見る築城と戦略の全貌<上>関東編」でした。詳細な城の状況に加え、城下町や周囲の山などが描きこまれていてわくわくしながらページをめくっていたことを覚えています。先生が描くお城の世界に引き込まれ、多くの城址にも足を運ぶようになりました。今でも先生の絵は私のお城巡りの推進力です。
 本当にありがとうございました。ご冥福を心よりお祈り致します。

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しんちゃん

石見銀山遺跡とその文化的景観 龍源寺間歩 (2013/10/05 訪問)

世界遺産・石見銀山遺跡は坑道の他にも、集落全体や山城なども構成要素にふくまれていますが、やはりメインは坑道跡だと思います。
坑道は複数存在しますが、常時見学が可能なのは龍源寺間歩だけです。私は以前は洞穴などに入って探検するのも好きでした。何が出てくるのか分からないので、今は城めぐりが主体ですが、地元豊橋の「嵩山の蛇穴」に入ったこともあります。
龍源寺間歩は長さは600mほどで大久保間歩に次ぐ長さです。2007年に世界遺産に登録され、アジアでは初の鉱山遺跡とされています。入口は北側、出口は南側と別々になっています。

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朝田 辰兵衛

香川元太郎先生のご冥福をお祈りいたします… (2024/11/03 訪問)

イオさんの投稿を拝見し,香川元太郎先生の訃報を知りました。謹んでお悔やみ申し上げます。実際にお会いしたことはありませんが,お城の復元イラストは心に残ってます。「日本100名城かるた」にはお名前があるのかな…?
除細動器を植え込む手術を19日に控えていたとのこと。残念でなりません。

さて,奥牧野城ですが,完全ににのまるさんの足跡を辿らせていただきました。詳しく投稿していただき,深く感謝申し上げますm(__)m
藤野駅から舟久保までの路線バスですが,往路は9時台と11時台に運行がなく,復路は10時台~13時台まで運行がありません。なので,午後のほうが攻城リスクが少ないと判断しました。
実際には,往路は藤野駅13:12発,復路は舟久保15:32発を利用しました。舟久保バス停から奥牧野城までは,徒歩約30分です。ご参考までに。

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小城小次郎

境目って難しい (2024/03/03 訪問)

光岡城の主であった赤尾氏は豊前に勢力を張った原田氏の庶流だそうで、なるほどここが豊前の端っこなのかと妙に合点したのだが、大友氏についた途端に大内(毛利)方についた近隣諸氏に攻め落とされたらしい。境目って難しい。

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しんちゃん

出丸石垣 (2024/02/07 訪問)

「山城へ行こう2024」二日目のスケジュールが終了し、まだ明るいうちに金山城へ行くことにしました。4回目の登城になりますが、せっかく可児市に来たので寄って見ようかな‥と。じつは金山城には気になる箇所があって、前回出丸の石垣を見た際に、これは後世に積まれたものだと思ったので奥の方までは見ていませんでした。可児市の文化財課の方に伺ったところ、手前側は確かに積み直されたものだけど、奥手の方は古い石垣だということでした。
今回は予備知識があったので、出丸の奥側の石垣まで見に行っています。紅葉もまだ綺麗だったし、見に来た甲斐があったと思います。

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しんちゃん

山城へ行こう2024で登城 (2024/12/07 訪問)

今城は小規模な平山城でありながら、枡形虎口や堀切、土塁、切岸、竪堀と山城に必要な遺構をすべて備えた城として評価の高い城です。地元の方々が整備に積極的に携わってくれているので、訪れやすいところも魅力の一つです。
香川先生の訃報は非常に残念ですが、残された人たちが香川先生の分まで、城址保全や城ブームの盛り上がりを支えていくことが重要だと思います。微力ながら自分にも何が出来るのか改めて考えてみたいと思います。・・「お城かるた」を購入することもその一環になるのかな? どうなんだろう?

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しんちゃん

ご冥福をお祈りいたします。 (2024/12/08 訪問)

先ほどイオさんの投稿を見て、遅ればせながら香川元太郎先生の訃報を知りました。信じたくないし、正直ショックです。岐阜県可児市で行われた「山城へ行こう2024」では、春風亭昇太師匠らと、あれほど軽妙な掛け合いをしていたのに、4日後にお亡くなりになるとは・・
このCG全盛の時代に、手描きの絵にこだわり、温かみのある作品を世に送り続けてくれた香川先生は自分にとっては陽光のような存在でした。関係の深かった方や、関係者の方も大きなショックを受けていると思います。
これからは素晴らしい城址を歩くたびに、香川先生ならどのように描いただろうと考えると思います。
心よりご冥福をお祈りいたします。

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いんげん丸虫

五百渡城(いおと) 長野県塩尻市 (2024/11/17 訪問)

標高1234m。
高ボッチ高原へ行く林道が土砂崩れで
通行止だったのですが、今年開通しました。
五百渡橋の近くに駐車可能で、トラロープ
の設置された急斜面の細尾根を登ります。
2箇所くらいの小曲輪、薄まった堀切を
経て主郭へ、背後は両側が大きく崩れた
細尾根が続き、岸壁を20年位前から付いて
るような年期のはいったロープを使って
よじ登ります。細長い平場の先に堀切が
あります。
砦として活用されたみたいですね。
12月は雪のため通行止かな。

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シャンシャン

冬空の福山城 (2024/12/07 訪問)

冬の澄んだ青空に白色の福山城はよく映える。
これまであまり見たことのなかった城の東側と西側の石垣群を中心に見学。
高石垣も多くとても堅牢な造りで攻めづらい城であることがよくわかった!

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すけきよ堂

高知の山城にしては、整備されて登りやすい (2024/12/14 訪問)

昔は、草叢からまむしが出るので行かないほうが良いといわれていましたが、今は整備されていて、行きやすい。
二重空堀や竪堀と切岸、土塁がみやすい。

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