これも古い写真になりますが久留米城の投稿です。本丸跡に篠山神社が建てられ周囲には高石垣が残っています。天正15年(1587)豊臣秀吉の九州平定後に小早川秀包が13万石で入り、近世城郭に改修されました。関ヶ原の合戦で秀包は西軍についたため改易となり、筑後32万5千石に封じられた田中吉政は柳川城に入り、久留米城は慶長20年の一国一城令により一旦、廃城になりました。
田中氏が無嗣子改易となった後、有馬豊氏が21万石で入り、久留米城に改修を施し居城としました。二度目の改修も大規模なものだったようで、秀包時代の久留米城も見てみたい気がします。
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