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カズサン

坤櫓と富士眺望 (2025/01/10 訪問)

 登城始めで東御門より入城し、おでん売店を覗いて二の丸坤櫓へと進行、1号線BPで雪を被った富士山を車窓遠望して居ましたので、坤櫓前の石畳みで雪を被った富士山を観たいとの思い、復元された二の丸御門枡形石垣を過ぎ、桜の樹林間越しに雪を被った富士山が見えてくる、坤櫓の石畳前辺りで富士山が良く観えるポイントで雪を被った富士山を撮影、風も強く晴天で良く富士山が遠望出来ます。天守閣が建てた時代には富士山と天守閣が並んで見えた事でしょう。
 
 坤櫓には登らず、石垣モデル展示場とパネル前を通って、二の丸堀越しに坤櫓の南西角のビューポイント撮影へと向かうが坤櫓ライトアップ工事で工事足場、工事フェンスが二の丸堀南西周辺を囲ってる、ビューポイントは足場ポール越しにしか撮影できない、工事の案内注意看板には令和7年3月10日までと記載されて、桜が咲く頃には撤去されて昼の桜、夜のライトアップされてた桜と坤櫓が観える事でしょう。
 本日は雪を被った富士山を坤櫓前で眺望した事が大きな収穫でした。

 次は二の丸堀から清水御門より入城へ
  

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赤い城

真田丸出城 (2024/12/26 訪問)

大阪環状線玉造駅、地下鉄玉造駅から徒歩で数分、お馴染み真田丸です。
この日は地下鉄玉造駅からまずは真田山の三光神社へ参拝。
信繁像や大坂城へ繋がっていたと云われる真田の抜け穴を見学しました。
平日ではありましたが他にも数人の参拝客があり、信繁像と一緒に写真撮影されていました。
やっぱり人気ですね。
真田山は小高くなっていて旧陸軍の墓地があります。

真田丸の中心部は現在明星学園のグラウンドがあるあたりで心眼寺坂に顕彰碑が設置されています。
また、心眼寺には信繁の墓所があります。

特に遺構が残るわけではありませんが人気の真田ゆかりの地。
以前から行ってみたいと思っていたので訪問できて良かったです。

最後の写真はしんちゃんさんへ。
大坂城公園に設置されていました。
大阪市内には他のキャラが描かれたものも設置されているそうです。

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宗春

年末年始に帰省先でちょいと城攻めしよう その③名古屋城 (2025/01/01 訪問)

年末年始は開いていない城も多かったのですが、何とか訪問出来るところを探して攻めてみました。

3城目は名古屋城。毎年正月限定の御城印が出るので、元日に訪問する事にしています。今年も訪問出来ました。

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結城城 (2025/01/10 訪問)

電車/晴

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小山城 (2025/01/11 訪問)

電車/晴

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チェブ

調査報告『今川橋でござ候』 (2025/01/11 訪問)

前回の投稿で、『今川焼』は皆さんの所では、何と呼ばれているのか案件の調査報告をしたいと思います。

まずは、お答えいただいたトクさん、赤い城さん、イオさん、朝田辰兵衛さんありがとうございました。

全国的に『大判焼』と呼ばれるのが多いようです。
今川焼の今川は、もしや桶狭間の戦いで討ち取られた義元さんから名付けられたのかと思い、検察すると「江戸城」の神田堀に架設された橋の名前が由来でした。
今川全右衛門さんの尽力により『今川橋』が架けられ、近くで売られていたお菓子が『今川焼』なんだそうです。

JR神田駅から5分位の所に新潟のソウルフード、タレカツ丼のお店の一角に『今川焼本舗』がありました。歴史は昨年の11月にオープンしたそうです。イートインスペースで食べる事ができます。お茶と今川焼、とても美味しかったです。
少し先に『今川橋』の説明板がありました。石碑も近くにあるようです。ここに、水堀があったなんて想像ができません。

20分位歩くと『神田明神』があります。今川焼の出店があるかも、と向かいました。
、、、ありません。
POYO58さんの、写真撮りにくい案件。
まさに沢山の人が写り込んでしまいました。で、写真⑥のように人の上を写してみました(^O^)v

そしてイオさん、『御座候』が新宿高島屋にあったんですよ。
あんこがたっぷり入っていて、美味しかったです。
「姫路城」攻めの時までお預けだと思っていたので嬉しかったです。

これから今川焼を食べる時は「江戸城」を思い出そうと思います。
本日、4個完食。さすがに、しょっぱいのが食べたい、、、。

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シャンシャン

雪化粧の大垣城 (2025/01/10 訪問)

廃城令後も現存し国宝となっていたが、惜しくも空襲で焼けてしまった大垣城。
秀麗な外観天守が復元されている。
かつては10以上の櫓があり、幾重の水堀にも囲まれた壮大な城だったらしいが、今は公園の一角にコンパクトにまとまっておりとても回りやすい。
天守からは遠くにかすかに岐阜城も見える(^^)

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シャンシャン

信長由来の名城 (2025/01/10 訪問)

戦国時代に訪れた宣教師ルイス・フロイスもその豪華絢爛さに驚愕したという岐阜城。
折しも前日夜からの大雪により、なかなか大変な攻城となったが雪化粧の城を見ることができて、逆に良い思い出になった(^^)
天守からの景色も絶景で、かつて信長もこの景色を見ていたと思うと感慨深い。
近くの法華寺と妙照寺に、岐阜城から移築された門が現存している。
また岐阜城とは関係ないが、正法寺の岐阜大仏も日本三大仏の一つだけあって迫力満点!こちらもおすすめスポットの一つ。

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シャンシャン

巨大な総構の城郭 (2025/01/09 訪問)

関東では珍しい総石垣の城。
天守をはじめ門や櫓も当時のものではないがよく復元されている。
小田原城の防衛ラインは総延長9㎞にも及び、戦国時代最大の規模を誇ったそうだ。
今回は残念ながら時間がなく、見どころである大堀切は見られず・・・次回のお楽しみ。

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シャンシャン

現存本丸御殿 (2025/01/08 訪問)

二条城とともに貴重な本丸御殿が残る川越城。
御殿内の各部屋や庭もよく整備されており、現存天守ともまた違った雰囲気が味わえる。
本丸御殿以外に残っている遺構は少ないが、中ノ門堀跡は当時の堀の深さや規模が感じられる。

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斎藤妙椿 (2025/01/11 訪問)

 応仁の乱で活躍した斎藤妙椿の居館跡です。以前に来た時に空堀の印象が良く再登城しました。当時の居館跡としては大きなもので説明板では東西約150m、南北約167mの規模とありました。また「東海の名城を歩く」(吉川弘文館)によると形状は台形で東辺110m、西変180m、南編210m、北辺150mとあります。南側は可児川を天然の堀としていました。東西北は深い堀と高い土塁がめぐらされています。土塁から堀底まで最大で高さが約10m近くの堀が残っています。東側は堀底も確認でき散策することもできます。それ以外の空堀は確認できるのですが、竹藪となっていて見づらい状況でした。なんとか堀底へ行けた所もありましたが、倒竹に阻まれ散策はできません。冬ならば空堀の状況がよく見えるかと思い来ましたが、あまり変わりません。北側に土橋があり内部に入れますが、民家や畑となっています。民家のない場所もありますが、藪となっています。
 山城が多い可児市には珍しい中世の居館跡で、あまり整備はされていませんが、空堀や土塁もかなり残っていて当時の規模を知ることができます。斎藤妙椿、妙純は応仁の乱の頃は重要な役割を果たした武将だと思いますが、あまりメジャーではありません。岐阜県在住の自分としては興味がある存在です。

名鉄顔戸駅より徒歩5分くらいで行くことができます。

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シャンシャン

皇居一般参観 (2025/01/08 訪問)

皇居一般参観で皇居内から江戸城を見学!
富士見櫓の石垣や伏見櫓、蓮池濠など普段見られない個所をじっくり見ることができた。
その後、一般公開している皇居東御苑内も散策。さすがに将軍お膝元の城だけあって、本丸だけでもすごい規模。
天守台をはじめ巨大な石垣を切り込み接ぎで積み上げている様は圧巻!
石垣加工の完成形を思わせる。

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小城小次郎

北条高広・景広の奮戦の末に (2024/04/27 訪問)

大江広元の四男の四男が越後に入って越後毛利(北条)氏の祖となった。戦国時代には北条高広・景広父子が活躍したが景広は御館の乱で謀殺されて北条も北条城も奪われ、父の高広も北条には帰れなかったらしい。

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カズサン

令和7年登城始めは駿府城 (2025/01/10 訪問)

 昨年1年間駿府城への登城をしていなかったようで城探訪散策の虫も疼きはじめ今年初の登城は駿府城と決めて地道の天竜ー掛川線を経由して1号線BPで約75km程、駿府城へ出向きました。駐車場は三の丸北東角の市民文化会館地下駐車場(30分100円)を利用。
 
 市民文化会館地下駐車場から二の丸堀を東御門へ巽櫓を眺めて東御門木橋から高麗門、枡形、渡櫓門、鏡柱前には大型の門松が対に飾られている、櫓門を潜り、今更ながら渡櫓門冠木梁の中と内側の松の大木には驚愕する。
 発掘出土した本丸堀、裏から巽櫓、東御門多聞櫓を眺めて二の丸の仕切土塁・石垣(東喰違御門跡)を眺めて売店の静岡おでんを見て店は繁盛してる。
 毎度お馴染みな投稿写真ですがご勘弁を、中に入りませんでしたが外から眺めてるだけでも楽しいものです、当日今冬最高寒波の襲来とか風は冷たくカメラを持つ手も震えます、撮影用指だし手袋をしていましたが冷たい。
 
 次は坤櫓と富士山眺望へ。
   

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しんちゃん

もうワンチャン期待したい (2024/12/12 訪問)

トクさん・・私も同感です。これだけ盛り上がりを見せておいて、じつはこっそり埋戻ししています・・なんて顛末は想定していません。
とか、言いながら実は私も行政を完全には信用してはいないので万一に備えて見に行って来たわけですが、見事な手のひら返しですね。
最近、滋賀県や歴史人などの十大ニュースなどにもランキングされていたのですが、妙に順位が低かった理由もここにありそうです。

榎下城の投稿です。榎下城は旧城寺の境内となっており、上杉憲清によって築かれたとされています。大手は南側についており、かつては周囲を堀と土塁に囲まれており、今でも門の周辺に土塁が良く残っています。本堂の裏手が一段高くなっており、このあたりが主郭と見られます。
上杉憲清の子、憲直が永享の乱(1438)に関東公方・足利持氏に加担し敗れ、金沢の称名寺で自決して以来の城主については不明なようですが、戦国時代にも小机衆の拠る小机城に対しての出城の役目を果たしていたと考えられているようです。

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ぴーかる

まるごと将軍山城 (2024/12/15 訪問)

【城域3】
<登城路>尾根が4方向ぐらいの合流地点に当たるのでどこかのルートには繋がっている(踏み跡・道は無い)かとは思いますが、北尾根から入ると分かりやすい。私は1日目にたどり着き付けず、2回目で行けました。私が行ったルートは曲輪群[2-3](2-3への行き方は2-3での投稿で説明します)の南端の尾根(はじめは斜面を降ります)を南下します。平坦な尾根が続きますが分岐があります。南を向いて最初の分岐は右方向、次の分岐は左方向に進んで行くと城域3に着けます。

<見所>土塁・尾根曲輪
<感想>単独した1つの曲輪群ですが、前述の通りここから尾根が4方向程あり尾根の大きな中継要塞の役割も兼ねていたかと感じます。南東方向の尾根を削平して曲輪群を配しています。北端の曲輪が広く主郭であったろうと思われます。中心部にコ状の土塁が明瞭に残っていました。コ状土塁は曲輪群[2-2]にも似たような遺構が残っていて同じものかと思われます。南に伸びる尾根曲輪を見て尾根の上を人が行き来して城域間を繋げていた事がよく分かります。次の投稿は城域2:曲輪群[2-2]です。

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トク

冬の福岡城 (2025/01/10 訪問)

福岡市にも今年初めて雪が降りました(積雪1cm)。福岡市内の中心部で雪が積もるのは、例年せいぜい1~2回あるかないかくらいなので、今なら珍しい福岡城の雪景色が見られると思って行ってみると、着いた昼前にはすでにほぼ融けていました(残念!早すぎ~)。

帰りに三の丸の潮見櫓の移築工事現場に寄りました(写真⑧⑨)。潮見櫓ほぼ完成しているようで、今春には予定どうり公開されそうです。同じく三の丸には椿の花が綺麗に咲いていました(写真⑩)。
 

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トク

三の丸石垣の件

しんちゃん、POYO君わざわざ市役所まで問い合わせていただいたようで、ありがとうございました。まさか埋め戻されるとは思ってなかったので・・・ちょっとショックですね~。開発業者の方も保存する事で賞賛を浴び、大津市も日本城郭協会から特別表彰まで受けた、あのフィーバーは一体何だったのか? そしてなぜそうなったのか? 私には経緯がわからないのでモヤモヤという感じです。解決に時間がかかるので保存のためにいったん埋め戻しただけならまだいいですが、それともすでに土地購入者の要望で住宅が建てられていたら大変ですね。しかしよく考えてみれば、近隣住人からすればいい迷惑だと確かに思います。閑静だった住宅街に人がぞろぞろやって来ては覗かれ大騒ぎされて、これでは落ち着いて暮らす事もできない。近隣住民の猛反対なのでしょうか? 大津市はお願いする立場で強制はできないので、文化財振興課の方は、我々以上に本当は辛いのかもしれませんね。しかし粘り強く交渉される事を期待して、そしていつかは保存公開される事を願って、ここは静かに見守りたいと思います。

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朝田 辰兵衛

登城口は,「小分けそば 増田屋」さんの向かいから…🍜 (2024/12/22 訪問)

たぶん,登城口がわかりづらいと思います…。
金剛寺バス停(保土ヶ谷駅東口・横浜駅西口行き方向)のすぐ近くに,地元自治会掲示板があります。このワキから登ります。バス路線を挟んで向かいには,「小分けそば 増田屋」さんがあります。ここから約3分ほどです。
奥には立派な空堀が遺っていますので,見落とし注意です。

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宗春

年末年始に帰省先でちょいと城攻めしよう その②西尾城 (2024/12/29 訪問)

年末年始は開いていない城も多かったのですが、何とか訪問出来るところを探して攻めてみました。

2城目は西尾城。独特な御城印を頂きたくて訪問したのですが、御城印を取り扱っている「旧近衛邸」が休業だったため、入手出来ませんでした。「旧近衛邸」の営業日を誤認していました。残念。

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