刈谷城の南側に市原稲荷神社があります。
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2025/05/28 11:19
2025/03/30 21:33
今は池に囲まれた公園の刈谷城 (2025/02/14 訪問)
2月中旬に訪れた最初の城は愛知県刈谷市の刈谷城。
三河湾西側の嘗ては今以上に奥深かった衣ヶ浦の東岸、標高10m程度の丘を本丸とし水堀を挟んで二之郭や三之郭そして御殿を配置した城。
衣ヶ浦の水産資源や水運を押さえていたでしょうか。
衣ヶ浦西岸から進出してきた水野氏が、忠政時代の1533年に築城して移転。それ以来、江戸初期まで水野氏4代の居城となり、その後しばらくは分家の水野忠清や稲垣氏3代など頻繁に城主が交代。江戸後期には古河藩土井氏分家の土井氏9代が入り幕末を迎えました。
現在は本丸周辺が亀城公園として整備され、三之郭は郷土資料館や住宅地、御殿跡は小学校となった城跡。
訪問時は、まず辰巳櫓が移築されているという碧南市の妙福寺へ。柱のみの1階だけでなく、2階も改変されたようなつくり。
刈谷城では、椎の木屋敷や町口門跡から大手門跡を通り本丸へ。
絵図で馬出に見える二之郭は、堀跡にガラス張りのビルが壁のように建ち、南北に走る道路が土橋の名残?
公園化された本丸は、土塁が残るものの城のオーラは弱い印象。そこで2029年に辰巳櫓と石垣が復元完了予定とのこと。
今はまだ池に囲まれた公園である刈谷城が、私の城郭巡りの196城目となりました。
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2024/07/03 21:22
刈谷城 (2024/05/11 訪問)
【刈谷城】
<駐車場他>亀城公園駐車場随所に数十台分ありますが、休日は満車ぎみなので、刈谷市歴史博物館(御城印販売)に駐車するのがいい。
<交通手段>車
<感想>岡崎平野・知多半島ちょこ城巡りの旅5城目。刈谷城は1533年に水野忠政によって築城されました。忠政は緒川城から刈谷城に拠点を移します。水野忠政の娘である於大の方(徳川家康の生母)はこの刈谷城から松平広忠に嫁いでいきます。水野忠政の二男信元は今川氏を離れ織田氏につきますが、佐久間信盛の讒言で家康によって殺害されます。佐久間信盛の追放によって水野氏が復領し江戸時代を迎え刈谷藩が立藩します。水野氏の後は藩主が転々としますが、18世紀中頃から土井氏が明治維新まで続き廃城となります。
現地は別名の亀城公園となっています。主郭背後の土塁が明瞭に残されています。水堀も拡張されて池になっているものの、形状をよく留めています。
<満足度>◆◇◇
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
2024/01/11 16:06
刈谷城探訪 (2024/01/05 訪問)
刈谷城を訪問しました。刈谷城は別名亀城と呼ばれており、徳川家康の生母である於大の方がいらした水野家のお城です。現在は亀城公園となっています。駐車場も広く、自動車での訪問をお勧めします。
近くに刈谷市歴史博物館があり、刈谷城の立地、縄張等がジオラマ等で分かります。登城の前に立ち寄ってみるのも良いと思います。
刈谷城は明治時代にほとんどの建造物が解体されましたが、現在は公園として整備され、本丸跡、帯曲輪跡、水堀の一部を見ることができます。
また、ここでは刈谷城ARを実施しており、4箇所のスポットにて往時の姿をCGで再現してくれます。スマホにて確認してみましょう。
なお、刈谷城は隅櫓や石垣、城門他を復元計画がありますが、残念ながら現在は停滞しているようです。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 水野忠政 |
築城年 | 天文2年(1533) |
主な城主 | 水野氏、深溝松平氏、久松松平氏、稲垣氏、阿部氏、本多氏、三浦氏、土井氏 |
廃城年 | 明治4年(1871) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(水堀)、移築辰巳櫓(妙福寺〈碧南市〉) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 愛知県刈谷市城町1 |
問い合わせ先 | 刈谷市役所 |
問い合わせ先電話番号 | 0566-23-1111 |