かりやじょう

刈谷城

愛知県刈谷市

別名 : 亀城
旧国名 : 三河

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小城小次郎

本丸の土塁は案外ぶっとい (2021/09/02 訪問)

現状の遺構はわりと薄いはずだという先入観を持ったまま訪ねると、本丸を囲むぶっとい土塁には結構驚かされる。石垣を含めた再建計画は遅延気味だがなくなっているわけではないようなので今後の動向を見守りたい。

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じゅんじん

博物館 (2021/10/16 訪問)

豊臣秀次の特別展を見に行きました。常設で刈谷城の復元模型があります。お城の復元はなかなか進みませんなあ🏯

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🏯城好きのメガネ

「刈谷城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
刈谷城は徳川家康の実母・於大の方の父である水野忠政が築いたとされる。水野信元は織田信長から武田家への内通を疑われ、命を受けた徳川家康に殺害されるという非業の最期をとげる。一時的に刈谷城は、織田家の佐久間信盛の支配下に入る。その後に水の信元の末弟・忠重が城主となり水野氏の領有に復した。水野勝成が関ヶ原の戦いで功績をあげ刈谷藩として立藩する。江戸時代には、深溝松平家、久松松平家、稲垣氏3代、阿部氏2代、本多氏、三浦氏3代と頻繁に城主の交代があった。土井氏が入封し9代の支配の後、廃藩置県を経て廃城となる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR逢妻駅 徒歩20分

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姫街道

行きがけの駄賃 刈谷城 岡部元信 (2020/12/20 訪問)

刈谷城と言うと、今川義元の家臣であった猛将岡部元信が、桶狭間の敗北後に100騎程度で落として帰った城のイメージが強い。
ただ、江戸時代の刈谷城は譜代大名が入り、大きな城であったのは残された堀を見てもよくわかる。城跡は公園となり、土塁など残ってはいるが、明治以降あまりに変革が激しかったのだろう、城であった面影は薄く感じられる。せっかくの於大ブーム。刈谷城も於大が育った城としてもっとPRすればいいのにと思った。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 水野忠政
築城年 天文2年(1533)
主な城主 水野氏、深溝松平氏、久松松平氏、稲垣氏、阿部氏、本多氏、三浦氏、土井氏
廃城年 明治4年(1871)
遺構 曲輪、土塁、横堀(水堀)、移築辰巳櫓(妙福寺〈碧南市〉)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県刈谷市城町1
問い合わせ先 刈谷市役所
問い合わせ先電話番号 0566-23-1111