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赤い城

池内城 香川県さぬき市 (2024/12/22 訪問)

城びと未登録城、長尾衝上断層の駐車場に車を置けます。
東側の石段を登ると城址に着きます。
途中、左手に櫓台状の曲輪があり、手前に浅くなっていますが堀切も見られます。

山頂部が主郭、広く大部分は墓地となっています。
南西側には土塁があり、脇から竪堀が落ちていました。
腰曲輪も見ることができます。
南東側にも櫓台があり、ここも墓地となっていました。

寒川氏の居城ですが詳細は不明。
詰城の昼寝城を背後に置く平時の居館だったと思われます。

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小笠原忠政 (2025/01/09 訪問)

 明石駅から徒歩で登城すると2基の櫓が見えてきます。巽櫓と坤櫓は約400年前の築城当時から残り、全国に12基しか存在しない現存三重櫓のうちの2基です。ただ自分が好きなのは高石垣です。散策すると魅力的な高石垣を各所で見ることができます。
 以前来た時は6月だったので、一度葉が落ちた時期に期待と思っていました。近くへ来たので寄ってきました。

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衣笠氏の城 (2025/01/09 訪問)

 鎌倉時代後期から戦国時代にかけて櫨谷地域を治めた衣笠氏の居城です。戦国時代に羽柴秀吉が三木城を攻めたときに別所方に味方し、三木城落城の頃に落城したと伝えられています。
 丘陵の尾根に築かれた城で、堀切で区画して防御しています。本丸、二の丸は整備されていて三の丸は満福寺となっています。二の丸と三の丸の間に堀切がありますが、満福寺近くの登城路から進むと倒木などで見づらい状態でした。本丸の北側にも深い堀切が残っています。ぴーかるさんの投稿を参考に西の壇よりアプローチするとその堀切の底部に行くことができました。西部は容易に散策できますが、北側は倒竹で侵入が困難になっていました。西側は竪堀となって落ちています。ただ谷のような地形が隣にあり二重掘りのようにも見えました。「山城賛歌」さんのブログにある縄張りを見ると二重掘りのように描かれていましたが、自分としては城内に見ることができる縄張り図よりしっくりします。
 眺望はよく二の丸から瀬戸内海が見えました。
コンパクトながら見ごたえのある遺構が残っています。

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しんちゃん

一期一会 (2024/12/07 訪問)

POYO58さん、こちらこそコメントありがとうございます。いろいろと問題はあると思いますが坂本城の三の丸石垣の保存公開が叶うことを願っています。縄文時代の遺構ならともかく、戦国時代の城郭遺構は、その時代の人々に愛でられながら、じわじわと朽ちていくのが無常感があって良いと個人的には思います。
久々利城の投稿です。この日に岐阜県可児市で行われた「山城にいこう!2024」の講演スケジュールで初めて香川元太郎先生のお姿を拝見することが出来ました。このわずか数日後に65歳でお亡くなりになってしまったのですが、これも悲しい一期一会のようなものかもしれません。講演まで時間が空いていたので、先に久々利城を訪問しています。枡形虎口から各郭を経て、本丸背後の二重堀切まで確認してから下山しました。

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いんげん丸虫

神田城 和歌山県すさみ町 (2024/12/30 訪問)

標高86m
尾根先端のピークにあるコンパクトな
城跡です。
西の金比羅神社から数分登ると3条の
堀切を渡り2曲輪、主郭となります。
西斜面には10条の畝状竪堀群があり、
主郭の南には5条の堀切があります。
そのうちの3条は見事な竪堀として落ち
ていて凄いですね。

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ぴーかる

まるごと将軍山城 (2024/12/08 訪問)

【城域4:曲輪群[4-1]】
<登城路>たぶんですがこの曲輪群へ行くには周囲に平坦な尾根が繋がっていないと思われます。参考程度ですが、京都一周トレイルの58番(場所は先に説明)から南への谷または川に沿って南下、分岐を東方向へ行くと城跡の北側谷部まで行けます。そこから南方向へ直登して尾根に出て南下するとたどり着けます。私は城郭放浪記さんのルートで58番から東の尾根に登ってルートを辿っていくと尾根が無くなり、谷に降りて立ち往生していると、地元の仕掛け罠の猟師さんに出会って(この場所で人に出会ったの初めてと驚いていました)、詳しいGPSで現在地をピンポイントで教えてもらって、前述の北側谷部から直登して行けました。猟師さんに出会ってなければ攻略できなかったまぐれです。

<感想>曲輪以外の遺構は表面観察では見受けられなかったですが、曲輪の輪郭ははっきり残っていて城跡とすぐに分かります。西側に広めの楕円形の削平地があり土塁が残ります。そこから東方向へ伸びた曲輪があります。比較的ゆる斜面に段曲輪があったかもしれませんが、現在は埋もれてしまったか山化して分かりませんでした。この曲輪群は単独で存在していて竪堀・堀切も見受けられない事から初期の段階の遺構と思われます。焼いたり、破却した後再改修の手は加わっていないように感じました。
 城跡にちょうど立派な角の鹿と遭遇して(鈴2つ付けていたのに)至近距離まで来て、鹿が驚いて急斜面を駆け降りて逃げて(近かったので逆に向かって来られたらヤバかった)いきました、猟師さ~ん鹿ここにいますよ~。次の投稿は城域3です。

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にのまる

山城登城の体力確認 (2024/10/19 訪問)

「京王線・井の頭線一日乗車券」を使って出かけてきました。
八王子城は多分9回目で、自分の体力の確認のために本丸まで登城するのも目的のひとつになっています。(ここがキツくなったらヤバいかも…と。)
無事下山後、御主殿をひとまわりしてから20年ぶりくらいに多摩御陵に参拝、さらに東浅川宮廷駅(皇室専用駅)跡までお散歩してきました。

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赤い城

高岡城 香川県木田郡三木町 (2024/12/22 訪問)

城びと未登録の城です。
夏に一度訪れましたが激藪のため撤退、今回再訪しました。
平木尾池に沿った学園通りの空地に車を停め、歩いてすぐのところに位置します。
説明板や案内板はありません。

主郭は畑っぽいですが夏もそんな感じではなかったような。
南側に土塁が残っていました。
藪も枯れ、明瞭に見ることができます。
道路の反対側、平木尾池の北側が二郭のようです。

三木氏の居城でしたがその後安富氏が入りました。
安富氏が雨滝城に移ったあとも城番が置かれその機能を維持したとのことです。

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todo94

元日の攻城⑦ 2024年元日のリベンジその2 (2025/01/01 訪問)

正代氏館からの転戦です。ここは、2024年初城詣の地なのですが、その時は上越新幹線高架の南側には脚を伸ばしていなかったので、今回再訪した次第です。南側の方がしっかりとした駐車場が完備されているし、土塁も立派だし、石田堤のメインはこちらなのではないかと感じました。標柱や説明板が北側に設置されているので、グーグルマップはこちら側にマーキングされているのだと思いますが、個人的には南側の方がおすすめです。この日の攻城はこれにて終了。帰路の途中でガソリンを給油しましたが、日本一ガソリンが高い長野県よりリッターあたり20円ほど安くてラッキーでした。

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宗春

年末年始に帰省先でちょいと城攻めしよう その①本證寺城 (2024/12/29 訪問)

年末年始は開いていない城も多かったのですが、何とか訪問出来るところを探して攻めてみました。
最初は本證寺城。大河ドラマ「どうする家康」で見てから、いつか訪問したいと思っていて、やっと来る事が出来ました。

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POYO58

明智光秀を追う (2025/01/02 訪問)

しんちゃんさん、坂本城についてのコメントと写真、ありがとうございます。いやまさか埋め戻しだなんて… 悲しくてたまりません。明智光秀の石垣を是非とも生で見たかったです… マジで残念😭
ということで、淀古城に行ってきました。淀城から約10分ほどの住宅街の中にあります。遺構はありません!
じゃあなぜいきたかったのかというと、実はこの城山崎の戦いの際に明智光秀が築城した城だからです。明智光秀を物語るものはありませんでした。あるのは神社と標柱だけ。
まあでも歴史的に考えるとこの淀古城が明智光秀の重要拠点になっていたというのはよくわかりました。
また鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争)も明治時代初期は当時勃発していたところでもあり、多くの人が亡くなられた様です。
大阪と京都を結ぶ重要な場所であったことも推測されます。

評価★☆☆☆☆

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しんちゃん

言いにくいのですが・・

しんちゃんです。トクさんにはお伝えにくいのですが・・坂本城の三の丸の石垣は埋め戻し作業をしている状態のようです(もしくはすでに埋め戻したか)。文化財振興課の方に尋ねたところ「現在埋戻し作業を行っていますが、将来保存公開が出来れば良いと思います」とのことです。どうもトクさんの嫌な予感が的中したようですね。
国の史跡登録の申請は行っていくようですが、あれだけの石垣をそっくり埋め戻してしまうとは思いませんでした。戦国の史跡は徐々に風化が進んで来てますが、坂本城の遺構だけ人目に触れず何千年も残り続けていくのもどうかな?と思います。
トクさんやPOYO58さんのように見学の機会を得られなかった人たちのためにも、保存公開を希望します。

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栃木西方城

栃木市文化課がお城EXPO2024年に参加しました!! (2025/01/08 訪問)

栃木市文化課がお城EXPO2024年に参加しました!!初の参加ともありワクワクドキドキ、会場内はお城にまつわるブースがいっぱい(^^♪来場者のみなさまの熱気と笑顔で会場内は大盛り上がりでした。お越しいただいたみなさま誠にありがとうございました。
 また企画展「なんで西方城なるほど西方城」が栃木市蔵の街市民ギャラリーにて1月6日(月)からスタートしました。今回の企画展は、西方城跡で発見された施設や出土品等からわかるお城の歴代的価値を紹介します。そのほか企画展関連イベントをご用意しておりますので城びとの皆さま、城びとの情報を見てくださった方、ぜひお越しくださいね!お待ちしております!

企画展関連イベント
★学芸員によるギャラリートーク (展示解説) 申込不要
日 時:令和7年1月12日(日)1月18日(土)1月26日(日)
各日全て午前10時~30分程度
会 場:栃木市蔵の街市民ギャラリー(栃木県栃木市万町3-23)
対 象:どなたでも
参加費:無 料
★西方城跡現地説明会(山頂部・山麓部)要申込
日 時:令和7年1月12日(日)1月25日(土)
各日全て午後1時~午後3時30分まで (雨天中止/小雨決行)
集合場所:西方城跡駐車場
駐車は最寄りの近津神社(栃木県栃木市西方町本城544-1)をご利用いただき
集合場所まで徒歩にてお越しください
対 象:どなたでも
参加費:無 料
定 員:50名(要事前申込、先着順)
申込開始日:令和6年12月23日(月)~令和7年1月8日(水)
申込方法:TEL0282-21-2497
✉bunka02@city.tochigi.lg.jp
※申込には住所、氏名、連絡先が必要です
※くわしくは栃木市教育委員会事務局文化課文化財係までご連絡ください
※歩きやすい服装・スニーカー・飲み物をご持参ください
★歴史講座『なんで西方城 なるほど西方城』要申込
講 師 高見 哲士 (栃木市教育委員会文化課 主査)
日 時:令和7年1月25日(土)午前10時30分~1時間程度
会 場:西方公民館2階大会議室(栃木県栃木市西方町本城1)
対 象:どなたでも
参加費:無 料
定 員:60名(要事前申込、先着順)
申込開始日:令和7年1月7日(火)~令和7年1月20日(月)
申込方法:TEL0282-21-2497
✉bunka02@city.tochigi.lg.jp
※申込には住所、氏名、連絡先が必要です
※くわしくは栃木市教育委員会事務局文化課文化財係までご連絡ください

また現地説明会、歴史講座については定員制ですのでご了承ください。
詳しくは栃木市文化課ホームページにて
https://www.city.tochigi.lg.jp/site/culture/75594.html(こちらにアクセス)

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武将隊員募集!!

グレート家康公「葵」武将隊 隊員募集
徳川家康、本多忠勝の出立に伴い、
新メンバーを募集します。※出立日:令和7年2月23日(日)
応募期間:令和7年3月22日(土)迄 ※二武将が決まり次第終了いたします。
応募方法:下記リンク先をご覧になり、申込書に必要事項を記入の上、郵送下さい。
https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park/feature/aoibushoutai/bushou-boshuu
お待ちしております!!!!

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todo94

元日の攻城⑥ 2024年元日のリベンジその1 (2024/01/24 訪問)

多波目城からの転戦です。実は正代氏館は2024年の元日にも訪れています。グーグルマップのポイントを見ててっきり、正代御霊神社が正代氏館だと勘違いしていました。帰ってきてから皆さんの投稿を拝見して青蓮寺が正代氏館であると知り、愕然とするとともに投稿は差し控えた次第です。ただ、正代御霊神社の方が段差がコンクリートで突き固められてなく、館跡の佇まいを感じられるようにも思っています。とりあえず、リベンジ成功です。

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赤い城

海崎城・箱斥候所 (2024/12/15 訪問)

城びと未登録城、箱峠に駐車スペースがあり、ここから登ります。
尾根続きの紫雲出山への登山口でもあり、紫雲出山山頂までの距離表示の案内板がいくつか設置されています。
少し進むと下から見上げるだけで心が折られるような長い階段に、結構な斜度があります。
両側には石積を伴う曲輪状の削平地も連なっていますが後世の畑の跡のようです。

ようやく平坦なところへ、見晴らしも良いです。
ここが三郭、さらに急な階段があり登ると二郭に着きます。
二郭の先に堀切があり、「新田の城あと」の石碑が立っています。
その先が主郭ですが登る道は見当たらず直登、説明板などはありません。
周囲は帯曲輪が囲んでいました。

折角なので紫雲出山まで足を伸ばします。
一旦谷を下りる形になり、尾根道を進み再度登ります。
紫雲出山は香川県では人気の観光地、対岸の福山、倉敷なども見渡せます。
春は桜の名所でもあり、桜越しの瀬戸内海は美しいですよ。

一息ついて引き返しました。
一旦駐車場まで戻り、道路を挟んだ六ヶ峰にある箱斥候所に向かいます。
海崎城の出城といわれています。
道がついていますが途中で分岐、右手の登っていく方へ進みます。
藪の中、横堀状の動線を進み途中から直登。
巨石群の先の山頂部に削平地があり、ここが主郭です。
周囲は石列が一部囲んでいました。
本来は眺望も良いのでしょうが藪化していて瀬戸内海を望むことはできませんでした。

今川焼案件ですが、出雲では大判焼でした。
あいにくあんこが苦手(もみじ饅頭は食べれるけど)なのであまりその存在を気にしたことなかったです。
ちなみにこの海崎城近くでは以前レポートした「たこ判」という食べ物があります。
大判焼の形をしたたこ焼き、というか・・。

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ぴーかる

まるごと将軍山城 (2024/12/08 訪問)

【城域4:曲輪群[4-2]】
<登城路>
①曲輪群[4-3]の北端の尾根から50m程上がると西の腰曲輪に入れます。
②京都一周トレイルの東山58番の札の裏側に尾根が降りてきているので、そこを登って進むと曲輪群の北端の堀切に出ます。58番へは大山祇神社から比叡山への旧道をずっと進んで行くと着けます。

<見所>切岸・堀切・曲輪群
<感想>南北に伸びる尾根を削平した曲輪群で東側の谷への側面を水平に削平して広い帯曲輪を付けています。北端の曲輪はひと際高く、周囲を高い切岸で囲んでいます。北端の曲輪は北側と西側に堀切を備え進入を防御しています。北端の曲輪の南下段が「京都府中世城館跡調査報告書」の縄張り図3番の曲輪になり、広い曲輪で主郭であろうかと思います。3番の曲輪の西下段も広い腰曲輪で西端が曲輪群[4-3]と尾根続きに繋がっています。尾根上曲輪群の西側の帯曲輪も見応えがあって、尾根上との切岸が高く要塞感たっぷりです。尾根上曲輪群は南方向に段々と下がっていって、最後はグッと下がって深い堀切があります。ここの一帯は植林整備されていて雑木が少なく遺構が見やすいです。また他の曲輪群と少し違って腰曲輪を多く設けている事、切岸が高く段差が大きい事、V字堀切がある事等からあとから違う人物が改修した感じがあります。規模も城域1の次に大きい曲輪群で麓付近の中心的な役割をしていたと思われます。ここだけでも十分な見応えで大満足できます。主要部以外に見る余裕のある方はこの曲輪群はお勧めです。
 補足で上記京都一周トレイルの東山58番のある場所は登城路を巨石で塞ぐ虎口のようになっていて当時は城門があったように感じました。写真10枚目。次の投稿はまぐれで行けた曲輪群[4-1]です。

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朝田 辰兵衛

📷失敗もまた思い出… (2024/12/23 訪問)

産業能率大学の正門とパネルを撮影しましたが,天体観測写真のような不可解な画像になっていました。ここは,撮影してウロウロしないで秒で立ち去るにはいかないレアな場所。正門前から伊勢原駅行きのバスが出ています。続々と学生たちに遭遇。私も撮影後に学生たちとともに乗車。特別な緊張感からか,撮影に余裕が足りず,失敗したのだと思います。

取れ高がショボいので,この日の夕食で訪れた,平塚駅ビル「ラスカ」5Fにある「回転寿司みさき」を紹介します。画像は私が光を遮るような格好で撮影したためおいしく見えないですが,ネタはよかったです。シャリは初めて赤シャリを食しましたが,違和感は感じなかったです。駅ビルに入っているからか,少し値段が高めに感じたくらい。お昼は海鮮丼があります。ホントは海鮮丼が食べたかったです…。

さて,チェブさん発動の「大判焼」「今川焼」の件ですが…
新潟市内ではほとんど「大判焼」です。しかし,「今川焼」の店舗もあります。あまり気にせずにどちらでも寛容に受け入れているのではと思います。
ローカル色のある長岡,上越,佐渡ではわかりませんが…。

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POYO58

トクさんへ

僕もトクさんと同じで坂本城の石垣は見てません。僕もこの前みようと話していたのですが、発掘調査の説明後にしばらく見れなくなっている様です。市役所に聞いてみるとそんな感じでした。僕も明智光秀大好きなので早く見たいです。

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トク

石垣を見に行ったのですが・・・ (2024/11/10 訪問)

昨年11月に訪れました。2年ぶりの再訪です。前回は本丸石垣も湖水に沈み見えず、また昨年2月の三の丸石垣が発見された時の説明会にも行けなかったのですが、保存されると聞いていたので楽観気味、やっと大津まで訪れる機会があったので期待を込めて坂本まで行きました。しかし・・・

JR大津駅から堅田行バスに乗り石川町で下車すると、目の前が坂本城址公園です(写真⑨)。ここにはちょっと太めで足の短い大魔神のような明智光秀が立っています(写真②)。もうちょっとカッコイイ感じにしてくれたらいいのですが・・・

そして第一の目的地、湖水の本丸石垣を見に行ってみました。今回も何とほとんどが水没していました(ガーン😱!)またも見られず。かろうじて石垣の石の頭が見えていたのみでした(写真④⑤)。

ならば今度は第二の目的地、発見された三の丸石垣の現場の住宅地へ行こうかと思いましたが、公園にこんなビラが貼られてました(写真⑥)。これは・・・見に来るなという事ですか? やっぱり近隣住民にとってはいい迷惑なんでしょうね。実際に見たというイオさん・シンちゃん・キンヤさん・小次郎さん、POYO君、ともき君らがうらやましいです。私はいったい何しにここまで来たのだろう🤔? もう二度と見られないような雰囲気です。本当に今後保存公開されるのでしょうか?

貼ってあったポスターから当時の坂本城を想像し(写真⑦)、また琵琶湖越しにあそこに建っていた安土城を想像しながら(想像図⑧)・・・そしてむなしく帰りました・・・。
 

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