四国・淡路城巡りの旅2日目。
まずは阿波九城のひとつ撫養城(別名:岡崎城)へ。
完全な模擬天守で中は災害時の備蓄倉庫になっているらしく中には入れない。
でもすぐ横の神社の奥に元々の石垣が残されていて、こっちの方が見どころ。
山の上にあるので眼下の景色はとてもいい。
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2025/04/05 14:49
2025/04/05 13:35
国境を睨む段丘上の軍事要塞 (2024/06/22 訪問)
青梅市の今井城の方が若干知名度が高い上によく似ているので写真だけだと判別が難しい。隣の赤沢城ともども信濃川の河岸段丘上にあって信越国境最前線にあるが、国境を睨む上では赤沢城以上に軍事的色彩が強いお城なのだろう。
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2025/04/05 12:47
2025/04/05 12:08
2025/04/05 11:03
高尾城番外編 出城 (2025/04/05 訪問)
登城道の途中の民家の前を通りかかったら柴犬にすごく吠えられて、出てきた家主にこの山は個人の山なので入っちゃだめだよと言われました。誰か家主と仲良くなって主郭まで行けた人が現れたら、この記事は削除します。
最近、山火事も多いし不審がられるのも仕方ない、山城にもいきにくくなってきたなあ。
さあ松江城で桜でも見てこよう。
その前に、近くに有る城山公園も砦跡のようで、狭い主郭に土塁と堀切が付いています。主郭周囲には地元小学校の生徒達による作品が並べられています。案内板には、この城山は尼子十砦の一つ高尾城の見張所(支城)として重要な地点であったとして記載があります。あっ 馬乗り馬場 の写真撮り忘れた。
※ぴーかるさんが正式に高尾城を攻略したので、無印に変更です。
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2025/04/05 09:36
高守山城ダイレクト
現在尾根上の南東の郭と分岐の箇所にいる。正直、この城は危なそうなのでパスしようかと思ったが、人任せにするのも性に合わんので登ってみることに。
自分が登らなくても、ぴーかるさんや他のツワモノが来て、さらっと攻略しそうな気がするが。ヤブもきつそうなので最短、かつ安全なルートを探りながら攻略。いきなり、熊の巣穴のような大きな穴があった。大丈夫かこの山。未踏の山城にはたいがい熊の痕跡が有る。
これから主要部だが下側の堀切は石で補強してあるようにも見える。主郭が楽しみだ。
主要部は案外地味で二段目の郭には土塁がついていて周辺には浅いが堀切のようなものも有る。二段目の郭を経て、三段目が主郭のようだ。案内板は無いが、高森山の標識が有る。北側の郭を見て引き返すことに。
さっきの堀切の周囲の石は岩山を削ったさいに出たものか?
縄張りを見ると一段目の郭の下にも二つ郭が有るようだ。
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2025/04/05 08:51
訪問しやすいルートを発見。 (2005/04/05 訪問)
某サイトに記載のあった、無線中継施設からヤブを突っ切っていくと難渋するが、その南の入口から入って行くと簡単に入ることが出来た。
良かった、これで誰にでもオススメできる城になった、と思いきや北側の比高の低いところに熊のふんがいっぱいあった。結局城攻めは危ないレジャーで、どこまで行っても自己責任ということか。そういえば北側の大堀切を縦断していた土橋は後世のものだろうか。
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2025/04/05 07:56
豊岡城ダイレクト
豊岡城に来ている。別に誰かに言われたからではなく自分の意思で来ている。じゃなきゃこんな入りづらい城にはなかなか来れるものではない。
もう目の前が主郭だが、ここに来るまでが大変。比高はたいしたことは無いが、藪がえげつない。だが残存している遺構は素晴らしいものがある。
郭は大きく分けて三つ。見方によっては主郭の南にももう一つあるかもしれない。北郭の北西部には大きな土塁が有る。櫓台かもしれない。南に郭が続くが中郭北側には二重に堀切りがかかり土塁が残っている。おそらく主郭だと思う。
主郭内にも堀切がかかり、その先の堀切を越えると南郭が有り、高低差2mほどの二段構造になっている。
最近忘れっぽくなっているので、現地でレポートすると楽だ。遭難しても何処にいるかすぐわかるし。
追記 主郭の南も二重堀切か❓️ でも小さな郭のようにも見える。藪がキツイのでオススメできない城と書くつもりだったが、これらの遺構は藪を突っ切ってでも見る価値が有る。城キチの皆さんにオススメです。
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2025/04/05 07:26
2巡目の続100名城スタンプラリー81城目その1~一ノ城戸まで (2025/03/30 訪問)
鬼岳をトリにして福江島周遊を終えた29日は博多に泊をとりました。翌30日(日)は、福岡空港から朝一番の航空便で対馬に飛びました。美津島地区公民館にて続100名城のスタンプを捺印し、リーフレットもいただきました。2日前の久賀島での無理がたたった筋肉痛がかなりひどく残っていましたが、金田城の攻城に取り掛かります。これが4度目の金田城ですが、前回2018年、前々回2009年と全く同じルートをたどっていきました。東南角石塁を回り込む遊歩道を進んで下から見上げる石塁は圧巻の迫力です。二ノ城戸の下へは進入禁止となっていて下に下りて迫力ある姿を拝むことができませんでしたが、過去しっかりとその雄姿を楽しんでいるので良しとしましょう。一ノ城戸は昔のリーフレットの表紙に使われていたきれいな石積みが健在でした。県道の入り口から慎重に運転して駐車場所まで進み、登山口から一ノ城戸までのトータルの所要時間は40分でした。
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2025/04/05 04:04
四国・淡路城巡りの旅③ (2025/04/02 訪問)
徳島最大の山城であり、阿波九城・続日本100名城のひとつである一宮城。
登山道の麓にある、一宮神社と四国八十八ケ所霊場第13番札所の大日寺で願掛けしてから登山開始。
登山口は無人だけど城のパンフレットと続日本100名城スタンプ、御城印(有料)が置いてある。
途中、鎖に捕まりながら降りる個所もあり、山城の中でもキツイ部類に入ると思うけど絶対に行く価値あり!
山を登りながら、切岸や堀切、明神丸を経て帯曲輪を渡ると突然目の前に壮大な本丸石垣が現れる!
この苔むした武骨な石垣は凄すぎる!迫力満点!階段手前の桜も満開で、ここに桜を植えた先人に拍手を送りたい!
下山道の最後に満開の大きな枝垂れ桜もあり、山攻めの疲れも吹き飛んだ。
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2025/04/05 03:36
2025/04/05 03:22
四国・淡路城巡り① (2025/04/02 訪問)
3日間の四国・淡路の城巡りの旅に出発!
1城目は香川の引田城、続日本100名城のひとつ。
けっこうな山城だけど、登山道が整備されていて登りやすい。時折り見える景色も絶景!
この城のハイライトは何といっても北二の丸の高石垣!登山道から少し下ったところに突然現れる。
武骨な野面積みの高石垣は迫力満点!上段は整備中でシートが掛けられてるけど、完了すればさらに威容が増すと思うと楽しみ(^^)/
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2025/04/04 23:42
2025/04/04 23:02
久野城北面の竹藪が伐採され圧巻の景観 (2025/04/04 訪問)
本日は晴天予想で遠州桜城廻で久野城登城、車を北側駐車場に駐めて、気に成って居た北面の竹藪伐採整備、何と奇麗に成って居る!駐車場から北側を廻って北側の整備された大土塁下、大竪堀がスッキリして法面がはっきりとわかる、久野城に登城し始めて数拾年経ちますが初めてのご対面、また竹が伸びると今の姿を見る事が出来なくなってしまいます、早めにご登城ください。
桜の久野城を堪能するはずでしたが北面美化整備で興奮状態、良いものを観ました。
取り敢えずはご報告投稿します。
後ほど桜の久野城も投稿致します。
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2025/04/04 20:48
腰越城 (2025/02/09 訪問)
【腰越城】
<駐車場他>総合福祉センターパトリアおがわに駐車しました。
<交通手段>車
<見所>
<感想>1泊2日埼玉大阪化計画第2弾2日目、4城目。翌朝8:00に百名城の鉢形城に訪れると、タイミング悪く、この日は年一回開催される駅伝があるそうで駐車場に駐車券が必要とのこと。お城見学の旨を伝えると駐車OKでしたが、ゆっくりとお城見学が出来ないし、翌週と再来週もこちらに宿を取っていたので来る事は可能と判断し、鉢形城は見送り次の腰越城に来ました。
現地説明板によると腰越城は松山城主上田氏の家老として仕えた山田直定(1562年没)の居城と伝えられています。
腰越城跡ハイキングコースから登っていくと、城跡の搦手側から入ることになり、主郭背後の2重堀切に出ます。城跡は北東部の最高頂を主郭として、南西側にかけて曲輪が連段に連なっています。竪堀・横堀・長い腰曲輪があり、囮虎口という変わった遺構があります。囮虎口と西の郭の最南端には石垣跡の遺構が見られます。西の郭の石垣跡の場所は櫓台跡のような土塁になっていて東斜面に石垣跡が残り、かなり立派な防御設備があったように感じました。その先の尾根が超細尾根でちょっとトライしましたが、腰が抜けたみたいなり這い戻りました(怖)。小さいながらも、しっかりとした良い遺構が残っていて見応えがありました。
<満足度>◆◆◆
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2025/04/04 20:38
桜の名所🌸桜まつり (2025/04/03 訪問)
岡崎城は徳川家康の居城で、資料をもとに復元した復興天守です。天守の規模や位置はかつての天守とほぼ同じですが、資料が乏しく外観が正確に復元されてはいません。
R7.4.6まで岡崎城桜まつりが開催されており、最終日は市内を姫や武将隊や足軽とともに練り歩く家康行列が行われます。平日でも大勢の人が花見に訪れています。乙川河川敷には約150の屋台やキッチンカーが並び大変な賑わいです。
例年ソメイヨシノはポンポン咲きのように枝が見えないほど花が付くのですが、今年は花付きが今一つのような気がします。
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2025/04/04 18:19
ちょいと気分転換に富山まで… (2025/03/20 訪問)
神奈川県と山形県の圧から解放されたくて,ちょいと気分転換に富山まで来てしまいました。路面電車に揺られて,富山港線終点の岩瀬浜駅まで。ここから,キャリーバッグを転がしながら大村城散策(←チェブさんのよろこぶワードか…❓)。
瑞円寺にはパネルがあり,本堂の奥のほうまで行きたかったのですが,手前の墓地で作業をされている方がいました。不審者と思われて騒がれても面倒くさいので,これだけで終了。
精霊塚を撮影して終わろうと思っていたのですが,途中に海岸通天満宮があり,戦時中に砲弾が奉納されていて,鳥居ワキにひときわ異彩を放っていました。海岸通天満宮は公園も併設しており,フツーに子どもたちが行き交います。「教育的にどうなんだろう…」と,疑問を感じました。
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2025/04/04 14:49
かっこいい最上義光像 (2025/03/23 訪問)
(参考URL)https://www.city.yamagata-yamagata.lg.jp/kakuka/machizukuri/koen/sogo/yamagatajo/guide/about/
山形駅付近にある霞城公園。ここはかつて山形城と呼ばれ、最上義光が居城としていた場所。ここを散策してみました
中に入ってしばらく進むと…本丸一文字門(1枚目)がありました。門の右奥にさらに櫓門がある事により…中の様子が侵入兵からは見えない。つまり守りに適した造り…
ちなみに門に繋がる橋は平成17年に再建されたそうです。しかし現在は何故か…(画像をご覧のとおり)封鎖されており、先には渡れなくなってます。これは何故なのでしょうか?
最上義光像(2枚目)…昭和52年に鋳金工芸家の西村忠氏によって造られたそうです。つまり後世の人間がイメージで造った事は確かなので(義光に肖像画の類は基本無い…強いて挙げるなら慶長出羽合戦の屏風絵、明治期の人間が描いたモノクロ絵…それらは本人を見てもない人間が描いたのであてにならない)盛って造られた様子が目に浮かびます
特に「馬に乗った義光が何かを駆け上がる様子」というのが…イキってますねえ😁 ちなみに銅像の重さは3トンだそうです。それを後ろ足2本だけで支える🐴 そんな難しい銅像を完成できたのは山形鋳物の技術ならではの事…東日本大震災でもビクともしなかったわけだから…改めてその凄さが窺えます
(参考URL)https://y-sunka.org/blog/?p=3230
そして大手橋(3枚目)平成三年に木造で復元され、現在の山形城を象徴する建物となってます。この下をJRの線路が通っており…この門から外に出ると最上義光歴史館方面へと繋がるわけです。この城には天守は存在しない。けれど門は立派という印象を受けたので、直感で撮影
霞城公園は一部が水堀…その他(本丸一文字門に大手門)は空堀でした。最上義光治世期の頃は…防御機能を保つために、全て水堀だったかもしれません
最上義光歴史館にて御城印を購入。ここには(まだ時代が平成の頃に)一度来た事あったのですが、当時はまだ販売されてなかったので…それを補完する形にもなりました
4枚目右が山形城(その左は米沢城の)。通常盤と特別版があり、後者の方が(義光イラスト入りで)カッコよくはありましたが、「最初に買う時はスタンダードなものから」が私のポリシーなので、今回もそれに倣いました
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2025/04/04 09:37
「福岡城さくらまつり」と「潮見櫓一般公開」 (2025/03/29 訪問)
福岡城さくらまつりに行ってきました。桜は満開でとても綺麗でした。福岡はここ1週間好天が続き、桜も長く満開状態が続いているので、とても人出が多くにぎわっています。
さくらまつり終了後、いよいよこの天守台周辺では発掘調査が始まります。天守は本当にあったのでしょうか? 今後の行方が楽しみです。
三ノ丸北西隅では、再移築された潮見櫓の一般公開も始まっていました。外側の下見板張りや内側の床板などは新しくなっていましたが、天井の梁や瓦は再利用されていました。決め手となった木札も見る事ができました。
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