むやじょう

撫養城

徳島県鳴門市

別名 : 岡崎城、林崎城
旧国名 : 阿波

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模擬天守最上階から北方の眺め
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とばつびしゃもん

トリーデなるとが立つ城 (2023/07/17 訪問)

勝瑞城から車で約40分。妙見山公園駐車場に駐車し登城開始。
阿波九城の一つ。城址には妙見神社があり、市の防災拠点でシンボルでもある模擬天守「トリーデなると」が立つ。天守館内は無料で入館できるが城址に関する資料展示はなく、最上階からは鳴門市内と紀伊水道を一望。妙見神社の社殿奥には遺構らしき石垣が確認できる。40分ほど滞在。
涼をとろうと道の駅「くるくるなると」に立ち寄り、お目当ての金時いもソフトを目指すも激しい行列ができていたので回避。すだちのかき氷を食べてさっぱりし阿波遠征から撤収。

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しんしんちゃん

トリーデ 入れるじゃん (2023/08/13 訪問)

撫養城は阿波と淡路の押えともいえる標高62mの
妙見山に築かれています。
古くから足利将軍家ゆかりの地で城塞が築かれていたようで、
城郭体系によると、「多聞院日記」永正3年の頁に
「三好之長の執事に撫養掃部助」という人物がおり、この人物が
撫養城主、小笠原源氏である撫養殿のことを指すようです。
この地域の支配者も三好氏、長宗我部氏、豊臣家臣蜂須賀氏と
移り変わり、蜂須賀氏の時代に阿波九城として益田内膳正忠が兵300を預かり
守将を務めました。
かつての鳥居記念館が「トリーデなると」としてかつての櫓台に立ち
妙見神社が本丸跡とされ、石垣と土塁が残っています。
神社裏側の石垣が遺稿らしく和泉砂岩を加工した切石を組み合わせているようです。
城主が気持ちよさそうに寝ているので参拝は遠くから行います。
まったく動じる気配がない‥。
現状は城址公園として地域の方々によって整備されているようです。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征7日目:撫養城 (2022/07/26 訪問)

木津城からの転戦です。妙見山公園駐車場(34.178559、134.619001)に駐車しました。

築城年代は不明のようです。 古くは小笠原氏の居城であったが、1582年(天正10年)長宗我部元親によって攻略され真下飛騨守が城番として置かれたそうです。
しかし、1585年(天正13年)豊臣秀吉による四国平定で阿波一国は蜂須賀家政の領するところとなり、阿波9城の一つとして益田正忠を撫養城の城番としました。
徳川幕府の一国一城令により、1638年(寛永15年)廃城となりました。

模擬天守の「トリーデなると」がありましたが現在は閉館されているようです。
本丸には妙見神社があり、その本殿の裏には布積みの石垣が残っているそうですが、見落としました。
阿波9城のひとつです。模擬天守の写真を撮ったら速攻で撤退です。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=土佐泊城に向かいます。

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higekam

阿波九城のひとつということで登城 (2022/06/10 訪問)

完璧な模擬天守.が最上段、一段下に妙見神社、さらに一段下に曲輪跡があり最下段の駐車場も曲輪跡のよう。城跡の雰囲気は十分ある。
妙見神社の裏に石垣が残るも石組みから見て織豊期以降だろう。ここだけ石垣が残っているのも城の遺構?と疑問がある。
模擬天守は閉まっていて、期待していた鳴門海峡の遠望は果たせなかった。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 益田正忠
築城年 不明
主な改修者 不明
主な城主 小笠原氏、益田正忠(蜂須賀氏家臣)
廃城年 寛永15年(1638)
遺構 曲輪、石垣
指定文化財 市史跡(岡崎城跡)
再建造物 模擬天守(旧鳥居記念博物館)、石碑、説明板
住所 徳島県鳴門市撫養町林崎北殿町
問い合わせ先 鳴門市役所生涯学習人権課
問い合わせ先電話番号 088-686-8807