日本100名城

ふないじょう

府内城

大分県大分市

別名 : 大分城、荷揚城、白雉城
旧国名 : 豊後

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府内城
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トク

【竹中重利】(2)大分府内城 (2025/07/21 訪問)

竹中重利の続き(2/2)です。大分府内城は大友氏改易後の1597年、秀吉の命で府内(大分市)に入った福原直高(石田三成の妹婿)により、新たに築城された城です。故に大友氏とは全く関係のない城なのでお間違えなきよう。 直高はここに天守台を築きますが(写真③④)そこで1600年関ケ原へ出陣。西軍として大垣城の守備を任されますが、敗北し自害してしまいます。

関ケ原後の1601年、豊後高田から竹中重利が入り、直高が築いた天守台の上に四重の天守を建てました。ちょっと遊び心で想像図を作り妄想してみました。こんな雰囲気だったのではないでしょうか?(想像図⑩🤔)。

重利は内々堀・内堀・外堀と三重の堀を築き、内堀の外側の山里丸(現:松栄神社)に御殿を建て、御殿と本丸を廊下橋でつなぎました(写真⑤)。重利の頃は、北は海で東は大分川がある三角州に本丸があり、その本丸の北東側に天守がある悌郭式の縄張りだったようです。そして外堀で囲むように城下町を築いていきました。

その後1634年に下野国壬生より入った日根野吉明により、内堀に沿っての櫓や塀が白漆喰で塗られ、現在のような城の風貌が完成します。しかし、その後に入った大給松平氏の1743年に天守は火災で焼失、その他も1945年太平洋戦争の大分空襲で人質櫓と宗門櫓以外は全て焼失してしまいました。戦後から徐々に復興され、平成8年には廊下橋も再建されました(写真⑤)。

現在は大分城址公園となっていて、市民の憩いの場になっています。令和5年の豪雨で西ノ丸の石垣が壊れましたが、現在発掘調査を行いながらゆっくりと修復されているようです(写真⑥)。文化会館跡地も整備計画が示されていました。

重利は1615年54才で没し、松栄神社の傍らにある浄安寺に眠っています(写真⑨)。私は天守台に立ち、ぐるりと眺めてみました(写真⑦⑧)。四重の天守を完成させた重利は、どんな思いで天守からこの景色を眺めていたのでしょうか? 関ケ原以降、戦のない平和な世になった事に感謝しながら、そこから没するまでの約10年間、家督は子の重義に譲り、のんびりとここで・・・余生を過ごしていたのかもしれませんね。
 

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にのまる

すごくしつこいのですが9枚目の写真に🐈がいます。 (2025/01/25 訪問)

角牟礼城から戻ってきたその足で行きました。
24時間見学可能なので助かります。

見学の途中でスマホの電池がなくなり、モバイルバッテリーも接触不良(?)であまり写真が撮れませんでしたが、ずっと気にしていたことー、前回薄すぎたスタンプの押し直しができたのスッキリしました😊

ホテルの部屋で充電してから「えび福」さんに食事に出かけました。
今回の九州城めぐり旅、最後の晩餐です。まだ余力はあったのですが、翌々日から雨予報だったので翌日3城まわって終わりにすることにしました。

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WEST

大分府内城探訪 (2024/12/05 訪問)

大分市内の府内城を訪問しました。築城は戦国時代に福原氏が、その後竹中氏が引き継いだとのこと。当時は天守をはじめ23の櫓と5つの門がありましたが、残念ながら現存する櫓は宗門櫓と人質櫓の2基だそうです。
現在は大分城址公園としていくつかの櫓や大手門や廊下橋が再建・整備され、見どころの多いお城です。大分駅からも近いのが嬉しいです。
内堀を挟んでまず目に入るのは土塀と櫓の数々です。次に大手門を入ると奥に天守台及び本丸櫓台が見えます。天守台跡は登ることができ、上からは全体を見渡せることができます。近代建築の建物とお城の櫓類の対比が市街地のお城らしさを表していますね。
なお、廊下橋から出た松栄神社の敷地内に築城時の慶長期の石垣の遺構を見ることできます。櫓や石垣を見ながら城外を一周しても小一時間で散策できますよ。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/07/12 訪問)

大分+α城廻第1日その3
※中津城、角牟礼城と共に登城
※前日中津駅付近宿泊

城内は24時間入城が可能、西の丸西南櫓付近は修復拘置エリアで立ち入りはできなかったが、現存する人質櫓、宗門櫓や復元された廊下橋などを見ることができた(廊下橋は夜間通行不可)
また、当日夜は、廊下橋を渡った山里曲輪で、お神楽を奉納していた。石見神楽にある龍に酒を飲ませて退治する演目だったが、花火も炸裂、迫力ある神楽で、見ることができラッキーでした
なお、本丸を囲む一部の堀は埋め立てられ、本丸辺りは駐車場になっていたのが残念

【本日の交通手段は以下の通り】
 (中津駅徒歩15分)歴史博物館(9:00-17:00無休)、中津城
10:10中津駅前(路線バス)、10:50,11:05柿坂(路線バス)、11:41童話碑入口
 (徒歩3分)豊後森藩資料館わらべの館2F(9:00-16:30月休)
 角牟礼城跡散策

(わらべび館徒歩7分)13:40森町(路線バス)、13:45,14:05豊後森駅(JR:特急ゆふ)、15:29大分駅
 (徒歩15分)大分城散策 (24Hスタンプ可)

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概要

福原直高が大分湾の海際で海を背に築き、竹中重利が大幅に改修。海側の本丸を二の丸・山里丸・三の丸がL字形に囲むような縄張で、それぞれの曲輪は1つの橋で連結されている。現存する建物は宗門櫓と人質櫓のみで、その他の櫓や廊下橋は戦後に再建されたもの。

城郭情報

城地種類 梯郭式平城
築城年代 慶長2年(1597)
築城者 福原直高
主要城主 竹中氏、大給松平氏
文化財史跡区分 県文化財(人質櫓、宗門櫓)、県史跡(府内城跡)、市史跡(府内城跡)
近年の主な復元・整備 竹中重利
天守の現況・形態 型式不明[4重/1602年築/焼失(火災)]
主な関連施設 櫓、門、橋、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、櫓、堀
住所 大分県大分市荷揚町4-36
問い合わせ先 大分市企画部広聴広報課
問い合わせ先電話番号 097-537-5601