比企城郭群の一つになりますが、杉山城や菅谷館の陰に隠れている山城である小倉城を訪問してみました(。
この城が築かれたのは後北条時代で、城主は上田氏か遠山氏と伝わっているようです。
築城当時、ときがわ地区は、地域にある山林を活用した木工細工(欄間等)がさかんであったようですので、その地域防衛のために、築かれたのであると思います。
この城は、埼玉県ときがわ町と嵐山町の境界近くに位置しており、駅は遠く(最寄り駅は八高線の明覚駅。ここの観光案内所で小倉城の御城印を取り扱っています)、バス路線からも離れていることから、公共交通機関でのアクセスは難しいと思います。
車で行く場合には、嵐山渓谷を先ず目標として、その奥に進んだ処にあります。
訪問者用の駐車場は、大福寺の近くに整備されており(訪問者用のバイオトイレがあり、城のパンフレットを入れた箱もあります)、20台近くは止められると思います。
登口から、先ずは郭3に向けて登山道を進みますが、この郭3には石垣の一部が残っています。
この城の石垣は板状に割れた比較的薄い石を積み上げたものであり、高さはそれほど高いものではありません(せいぜい3~5メートルくらい)。この郭3から郭1(本郭)に向かう道は二つに分かれており、左に進み切通にかかる木橋(今は通行止)、虎口を経由してアクセスする方法と、右に進んで枡形虎口を経由してアクセスする方法があります。
いずれの虎口も比較的状態は良く、郭1の周囲を形成する土塁とともに、良く遺構を残しています。
郭1と郭2の間には、クランクを伴う大堀切がありますが、今は枯木で埋もれており、少しわかりづらい状況です。
また、郭2にも虎口と土塁が残っていますが、ここから眼下に小川町の集落を望むことができます。
ここまで述べた郭1~郭3がこの城の見所の中心になります。
年長者とともにゆっくり見たので、攻城時間は約90分。戦国時代の関東では珍しい石垣の残る城で、整備が進んでいるところですので、訪問する価値はあるように思います。
+ 続きを読む