おぐらじょう

小倉城

埼玉県比企郡

別名 : 玉川城
旧国名 : 武蔵

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Pylori

戦いの城 小倉城 (2023/05/20 訪問)

遺構の整備が進められて、実戦的な城郭が見所満載の城でした。来てよかったです。

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織田晃司

比企城館跡群のひとつ (2023/05/03 訪問)

武蔵の山城には珍しい石垣を使用する城。
郭3に石垣が集中してますが侵入禁止が多く、全ての石垣を堪能することはできません。

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T-Shionoya

小倉城で石積みを探せ! (2023/01/04 訪問)

先々週投稿した菅谷館訪問の後、まだ時間があったため埼玉県比企郡ときがわ町の小倉城へ。

外秩父の山地帯と関東平野の境界部、槻川を蛇行させる比高約70mの山を城郭とした城。

城主は2つの記録があり、小田原北条氏の重臣遠山氏とも武蔵松山城の上田氏とも。
発掘調査では1500年代の城と推定されているようです。

現在は比企城館跡群の1つとしてハイキングコース的に整備された国指定史跡。

訪問時は桝形虎口の発掘調査により北尾根が通行止めで、居館跡と考えられる大福寺から登ることに。
少し登り左へ行くと、見どころの1つである平たい石を積んだ郭3の石積みに直面。他にも郭1と3の周辺は見逃してしまいそうな石積みが点在。
また全体的に状態良く残る虎口は導線を折り曲げており、右折れの北虎口から郭1へ入ると、土塁と上段に挟まれた横矢掛かりの通路になるなど見どころが豊富。

滞在時間は約2時間。
関東にも意外と石垣があるものだと感じた小倉城が、私の城郭巡りの142城目でした。

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イタさん

国指定史跡 比企城館跡群の一つ (2023/02/21 訪問)

 パンフレットには、「今のところ戦国時代の文献資料は確認されておりません。城主は不明ですが、江戸時代の(新編武蔵風土記稿)では小田原北条氏の重臣である遠山氏、(武蔵誌)では遠山氏あるいは上田氏とも伝えています。過去の発掘調査の成果から、天文~永禄年間(1532~1570)頃に盛期を迎え、天正年間(1573~1592)後半頃に使われなくなったものと推定されます。」と載っている。

 大福寺から登ると郭3と郭1下の東帯郭の間に着く。郭3をコの字に囲む石垣は120メートルとあるが、郭3の虎口に回り込むのは通行禁止、郭内の虎口も通行禁止になっていた。郭1東虎口に架かる橋も禁止。枡形虎口は発掘調査中でした。北郭群への道にもロープが張られ、北郭群は大福寺から北に5分ほど先から北尾根を行くしかないので諦める。
 郭1の北虎口にも石積みが確認できる。郭内は北が高く2段となり、周囲の土塁も高い。東虎口と南虎口間の土塁下には石積みが確認されているが、埋め戻している、と標示されている。郭2下の腰郭手前から東に下れば郭5に着く。途中の斜面にも虎口風の遺構があり、石積みが見える。郭4の手前には大堀切・土塁跡があり、折れを伴っている。折れの上は郭2の西隅で、櫓台状の高まりになっている。郭2内は土塁がよく残り、西隅を含め木が伐採され見晴らしが良い。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 伝・遠山光景
築城年 戦国時代
主な城主 遠山氏、上田氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(比企城館跡群)
再建造物 石碑、説明板
住所 埼玉県比企郡ときがわ町田黒
問い合わせ先 ときがわ町生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0493-65-1521