詳細は不明ながら、南北朝期に玉置直虎が増賀山の頂部に築いたと伝わり、山地玉置氏代々の居城となりました。羽柴秀吉の紀州攻めに徹底抗戦するも落城し、廃城となったようです。
上山路小学校前の駐車場から登城開始。あ さんの投稿で案内されている登城口に向かうも、4月下旬ともなるとずいぶん草が伸び盛っていたため、少し北にあるもうひとつの登城口に行ってみました。沢を越えたところから沢沿いに山に入るルートで、最初は道(らしきもの)があったんですが、やがて消え失せ、やむなく沢を渡って急斜面を直登…。しばらく直登すると尾根に出る手前で登城道に合流し、あとは登城道をたどって行きました。
登城口から約20分(直登含む)で馬場と呼ばれる帯曲輪に到達。山頂の主郭からは少し離れていますが、南北に細長く続いています。馬場からも登城道は続いている…はずですが、一帯に杉の落葉が堆積していて道を見失い、ほとんど直登のようになりました。そして主郭西下の帯曲輪に取り付いて主郭へ。主郭の西側には虎口があったようですが、よくわかりません。主郭の東下にも細い帯曲輪があり、南面は急峻な崖になっていました。主郭北下には主郭との間に付曲輪を備えた曲輪が配されています。北にのびる尾根には二重の堀切が設けられ、内側の堀切の両端は竪堀となって落ちていました。
北尾根で引き返して下山する際に登城道をそのまま戻っていくと、特に迷うことも困難な箇所もなく最初に見た登城口に出てきました。最初から素直にあ さんのご案内に従っていれば無駄に直登せずに済んだのに…とも思いますが、あ さんのルートがベストであることを身をもって確認できた、ということにしておきましょう(笑)
さて、鶴ヶ城に続いて田尻城(投稿済)でごっつぁんゴールを決めると、あらぎ島を経由して清水城に向かいました。
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