つるがじょう

鶴ヶ城

和歌山県田辺市

別名 : 龍巻山鶴ヶ城、増賀城
旧国名 : 紀伊

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登城口その2(非推奨)
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イオ

あ さんのルートを推奨 (2025/04/26 訪問)

詳細は不明ながら、南北朝期に玉置直虎が増賀山の頂部に築いたと伝わり、山地玉置氏代々の居城となりました。羽柴秀吉の紀州攻めに徹底抗戦するも落城し、廃城となったようです。

上山路小学校前の駐車場から登城開始。あ さんの投稿で案内されている登城口に向かうも、4月下旬ともなるとずいぶん草が伸び盛っていたため、少し北にあるもうひとつの登城口に行ってみました。沢を越えたところから沢沿いに山に入るルートで、最初は道(らしきもの)があったんですが、やがて消え失せ、やむなく沢を渡って急斜面を直登…。しばらく直登すると尾根に出る手前で登城道に合流し、あとは登城道をたどって行きました。

登城口から約20分(直登含む)で馬場と呼ばれる帯曲輪に到達。山頂の主郭からは少し離れていますが、南北に細長く続いています。馬場からも登城道は続いている…はずですが、一帯に杉の落葉が堆積していて道を見失い、ほとんど直登のようになりました。そして主郭西下の帯曲輪に取り付いて主郭へ。主郭の西側には虎口があったようですが、よくわかりません。主郭の東下にも細い帯曲輪があり、南面は急峻な崖になっていました。主郭北下には主郭との間に付曲輪を備えた曲輪が配されています。北にのびる尾根には二重の堀切が設けられ、内側の堀切の両端は竪堀となって落ちていました。

北尾根で引き返して下山する際に登城道をそのまま戻っていくと、特に迷うことも困難な箇所もなく最初に見た登城口に出てきました。最初から素直にあ さんのご案内に従っていれば無駄に直登せずに済んだのに…とも思いますが、あ さんのルートがベストであることを身をもって確認できた、ということにしておきましょう(笑)

さて、鶴ヶ城に続いて田尻城(投稿済)でごっつぁんゴールを決めると、あらぎ島を経由して清水城に向かいました。
 

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昌官忠

(東海&関西)遠征17日目:鶴ヶ城 (2025/05/31 訪問)

龍松山城から車で40分くらいで、上山道小学校付近(33.891794、135.491936)に駐車しました。
登城口からの登城路が見つけられず、彷徨いながら見つけた登城路ですが、彷徨い時間が長く途中でタイムアップとなり断念しました。

築城年代は定かではないようですが、城主は南北朝時代に北朝方として戦功を上げた、玉置下野守直虎の名が伝わっています。
1585年(天正13年)豊臣秀吉の紀州攻めで、玉置惣左衛門太夫は秀吉軍と戦いましたが敗れ落城しました。

後で調べたら、あさんの登城口の写真と明らかに違います。
写真と同じ場所をグーグルマップで調べたらGPS座標は(33.891794、135.491936)でした。駐車場所から北に徒歩4分270mの場所でした。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=平須賀城へ向かいました。

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和歌山県の未投稿城に行く (2025/04/05 訪問)

 上山路小学校の右の道を進んでいきます。いかにもな形の切り立った山が鶴ヶ城です。写真7が登城口です。右手の池が終わったところに掛けてある網板の橋(写真8)を渡って進むと、城域まで道があります。急斜面の山腹に幅30cmほどのところや、とても急な尾根を直登で登っていく個所もありますが、藪漕ぎはありません。写真8のところを直進すると、谷頭を直登→尾根を藪漕ぎになります。
 主郭へ登っていく尾根の途中に、二段の郭があります。さらに数十m登り、主郭下にも帯郭が設けられています。斜面が急なうえに、切岸が高いです。北側に続く尾根に対し、主郭下に二の郭、その先に、岩盤を削って作った堀切があります。
 しんちゃんさんが登城道をレポートしてくれた赤松城や残るもう一つの未投稿城も予定していたのですが、清水城で転んで足首を痛めてしまい、長く歩くことになる両城はあきらめて撤収しました。近畿で残る未投稿は一つになりましたなあ。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 玉置直虎
築城年 元弘3年(1333)
主な改修者 玉置氏
主な城主 玉置氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀)
住所 和歌山県田辺市龍神村東1910
問い合わせ先 田辺市教育委員会文化振興課
問い合わせ先電話番号 0739-26-9943