浅井家が滅ぼされた後、湖北が羽柴秀吉の知行地になり長浜城と城下町が築かれました。楽市楽座や地租税の免除で商業も繁栄したようです。慶長3年(1598)太閤秀吉が逝去すると地元の人々によって豊国神社が建てられました。
江戸時代になると太閤の神格化が禁じられ、神社も取り壊されてしまいました。寛政5年(1793)「えびす宮」として建築許可を取り再建し、明治になり晴れて豊国神社に復帰しました。
その経緯で祭神は豊臣秀吉の他に加藤清正・八重事代主えびす宮・木村重成となっています。なぜか木村重成もいる・・ついでに真田親子や大谷さんもいると良かった。
境内には加藤清正由来の「虎石」がちょこんと置かれています。虎石の由来は清正の幼名虎之助になるそうです。すごい幼名だ。
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