厳島合戦の舞台として知られている城址です。公園として整備されているため、どこまでが当時の地形かわかりません。「安芸の城館」(ハーベスト出版)には「東から延びる低い丘陵先端を2本の堀切で区切り、長さ約250mを城域とする」とありました。堀切は一ヵ所確認できました。
厳島神社の他、厳島合戦関連の地を散策しています。塔の岡は陶晴賢が本陣を構えた所です。塔の岡の地名の起源となった五重塔は保存修理工事中(2026年12月20日までの予定)でした。元大浦にある厳島合戦跡の説明板は破れていて読めません。
昼飯は御茶処沖みつさんで、あなごめしをいただきました。
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