みやおじょう

宮尾城

広島県廿日市市

別名 : 宮ノ尾城、宮尾ノ城、宮ノ城、要害山城
旧国名 : 安芸

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カルビン

【城と生き物】 (2016/07/25 訪問)

宮尾要害登り口傍にいた鹿

ちょいベタかも・・・

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織田晃司

安芸の宮島 (2020/11/28 訪問)

宮島桟橋からすぐ近くにある要害山(宮尾城)

毛利元就が陶晴賢を破り中国地方の覇権に近づいた厳島合戦。

写真は僅かに残る石垣と堀切跡

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小城小次郎

【歴史×城】なんでまたこんなところで (2020/01/12 訪問)

世界遺産かつ国宝かつ特別史跡かつ特別名勝という最上級の聖地で、なんでまた日本史上に残る一大決戦なんかやっちゃったんだろう。

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くろもり

奇襲厳島 (2019/07/29 訪問)

宮島のフェリー乗り場の広場から厳島神社へ向かう途中、左手にごつい丘があり、そこを登って行くと宮尾城跡です(スニーカーで大丈夫です)。特に遺構は見当たらず、小さな曲輪跡のような平坦地があるものの、城というよりは高台から周囲を見渡すことができる砦のような印象でした。

厳島神社近くの、五重の塔と千畳閣(豊臣秀吉の命で、安国寺恵瓊[あんこくじえけい]が建立。秀吉の死により未完成)のある『塔の岡』と呼ばれる所は、陶軍の総大将・陶晴賢公が本陣を構えていた場所で、毛利方の宮尾城が良く見え、陶軍との距離が非常に近いことに驚かされました。※宮尾城跡から塔の岡も良く見えます

現在も見ることができる厳島神社の大鳥居の足が6本になったのは、天文16年(1547年)に周防・長門・石見・安芸・豊前・筑前の守護を務めた大内義隆公が建てたものからと資料から確認できるそうで、厳島神社の宝物館に義隆公が奉納した厳島神社の『木製銅字扁額』(扁額=鳥居の真ん中上に文字が書いてあるもの)を見ることができ、往時の物にとても感動しました。

厳島神社境内の出口付近に重要文化財の『反橋』があり、弘治3年(1557年)に毛利元就・隆元父子によって再建されたものとの説明がありましたので、毛利好きの方はお見逃しなく。

大河ドラマ『毛利元就』の厳島の戦いの回で、合戦に敗れた陣内孝則さん演じる陶晴賢が浜辺で力尽きるシーンはとても印象に残っています。晴賢公は島の西へ逃れ、観光客等誰も訪れないような広島大学の植物実験所のさらに奥の森で亡くなったと推測されているようで、碑もあるようです。いつの日かお参りに行きたいですが、いつになるやら・・・

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 毛利元就
築城年 天文24年(1555)
主な城主 毛利氏、己斐直之
廃城年 不明
遺構 曲輪、石垣、堀切、井戸
指定文化財 国特別史跡・特別名勝(厳島)
再建造物 説明板
住所 広島県廿日市市宮島町厳島要害山
問い合わせ先 広島県教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 082-513-5021