奥州市・長者ヶ原廃寺跡のある場所は、承安4年(1174)に16歳の源義経を京都から連れてきたという藤原秀衡の御用商人・三条吉次季春(金売吉次)の屋敷があったという伝承がありますが、調査によって奥州藤原氏かそれ以前の重要な寺院の跡と考えられています。
現在は礎石の跡が再現されており、文治5年(1189)藤原氏を滅ぼした源頼朝が鎌倉に帰る途中、時間を割いて安倍氏ゆかりの地を見学しているようです。
「吾妻鏡」にその時の様子が描かれていて、「土塀の中には何も残っていない、秋草が生い茂っているばかりで、どこに礎石が有るのかわからない」とボヤいているそうです。頼朝にそんな趣味があったとは意外ですが、現在、何気なく整列している礎石を頼朝が頑張って探していたと考えると、ありがたみが増して来ます。
角塚古墳は奥州市胆沢にある国の史跡の前方後円墳です。特にこれと言って特徴のない被葬者も良く解らない古墳ですが、春は菜の花に囲まれて、なんか良い感じです。
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