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たか

遥々来たぜ~♪ (2024/08/17 訪問)

、昨日上田に泊まってからの高遠城は遠いですね(笑)

本丸先の駐車場は閉鎖されていました。
その先にもあったのですが300円と書かれていながら誰もいないので小心者のわたしは戻って勘助曲輪の駐車場へ(苦笑)
それからトイレを経由して三の丸、二の丸を経由し本丸へ。
いろいろと見て回りたいのですがまたもや時間に追われ…
しかし高遠の戦いの説明などを見て気持ちが熱くなり結局のところ速足でぐるりと一周。

そのあとに高遠町歴史博物館でスタンプ&御城印をゲット。
これで引き返して…と安堵していたらなんと御城印が観光案内所にまだあると書いてある。
すぐにスタッフさんに聞いたら親切に地図を使って説明をしてもらいたどり着きました。
しかしここに置いてある御城印のレパートリーが半端ない(笑)
結局、歴史博物館で買った以外のものをすべて購入。
いいお値段になりましたがこれもまた旅の思い出。
満足して次の目的地へと思ったがカーシェアの時間がやばそうなのでとりあえず上田方面に。
高島城などまだ行きたかったけどまたのチャンスに。

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ぴーかる

一之瀬城:東の城と西の城 (2024/06/08 訪問)

【一之瀬城】
<駐車場他>一之瀬城東の城跡駐車場あり。トイレあり。
<交通手段>車

<見所>東の城:堀切・主郭切岸 西の城:堀切・石積み
<感想>日帰り伊勢志摩の平山城巡り旅ラスト9城目。現地説明板によると一之瀬城は南北朝時代、豪族の愛洲氏が本拠地とした城でした。1337年には後醍醐天皇の息子宗良親王を一之瀬城に迎えています。先に行った五ヶ所城の情報によると愛洲氏は宝徳年間(1449~1452年)にこの一之瀬城から五ヶ所城へ本拠地を移したようです。
 東の城:登城口に登城記録ノートとA4コピーの縄張図が置かれています。一之瀬神社の背後に主郭があります。主郭の周囲を堀で囲み、北側に深い堀切を備えています。横堀北東部から東方向に竪堀が落ちていますが、現在は少し薄くなっています。主郭の切岸は高く周囲から屹立しています。神社の場所もおそらく副郭的な広い曲輪だったろうと思われますがここから麓部分は改変されていて雰囲気は感じ取れません。尾根南端に物見櫓跡があります。
 西の城:東の城から徒歩で行きました。登城口横に向井将監館跡があります。ちょっと鬱蒼としていますが居館跡の基壇の石積みが僅かに見えます。登城口からすぐに谷下の削平地に寺院跡があります。脇の尾根上を登って行きます。尾根に2か所尾根を仕切る石積み遺構があります。防御壁・柵か何かの基壇石積みのようにも見えます。珍しい遺構です。主郭手前から連段になっていて、主郭の手前に空堀があります。石段は当時のものか?主郭の削平地はやや小さく、主郭背後から深い連続堀切があり見応えがあります。西の城は山城でした。個人的にはこちらの方が見応えがあったので両城行って十分満足できる城跡かと思います。
 これにてこの旅終了。三瀬の変、戦鬼たちの海 九鬼氏原点の地、愛洲氏(知らなかった)のなかなか見ごたえある城跡を巡り充実した1日でした。537㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

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零汰

主郭が残る (2021/04/21 訪問)

築城者を見ると樺山氏、在城者は樺山氏・伊東氏・島津氏とある。伊東氏は言わずと知れた伊東48城の伊東さん。この辺りの城跡は伊東さんと島津さんが取ったり取り返したりを繰り返しているのでちょっと良く分からない。それに島津系には樺山島津氏もいた様なので(だったかな?)毎回ながら考える事を放棄してしまう。

上米公園内の最高所を目指して歩いていくと目当ての主郭に到達します。そこに至るまではほぼ公園化の波に晒され遺構は無いようです。が、訪問時は気が付きませんでしたが二郭も残っているらしく見逃しました。主郭内の北側に土壇が有り石碑があります。虎口は東側に残っているので登ってきた階段は後世のものでしょう。主郭は高所にあり、東側には現在道路として使われている場所が当時の堀切です(写真6)。あいにく降りる場所が無かったので上から写真を撮りました。こちらも気軽に訪問出来る城跡です。

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福島正則生誕の地など (2024/08/17 訪問)

 愛知県あま市に福島正則生誕の地があります。石碑と説明板が立っています。以前投稿した加藤清正が若い頃過ごした津島市とはそれほど離れていませんね。北に徒歩5分歩くと福島正則の菩提寺菊泉院の墓所の北西隅に福島正則の供養塔ならびに正則の生涯が刻まれた記念碑がありました。また近くにあま市立正則小学校があります。この学校の名称は福島正則の名前をとってつけられたものです。

 名古屋駅と地下鉄伏見駅の中間くらいの堀川沿いに福島正則の銅像が立っています。堀川は、徳川家康が名古屋城を築く時、福島正則に命じて掘らせた川で外堀の役割を果たしていました。平時は、名古屋城や城下町に物資を運ぶ船が通っていました。名古屋の経済発展を担ってきた川です。
(余談)堀川は私が若い頃は汚い川でしたが、かなりきれいになりましたね。生活排水や産業排水なども流れ込んでいた堀川ですが、下水処理、ヘドロの除去等行い改善され今に至っています。

 このお盆の時期は交通機関は混雑するのであまり遠くへは原則として出かけません。今年はさらに南海トラフ地震臨時情報が発表されたり台風が接近したりしたため、気になっている近場の行っていない場所を中心に散策しています。

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零汰

湯口茶臼館:青森県弘前市湯口一ノ安田・・・四重掘 (2024/05/25 訪問)

こちらの城跡は平地に突き出た丘陵地に築かれていて主郭は展望所として岩木山を眺める事が出来ます。

岩木山は昨年東北絶景ツー(城巡りはしていない)の際に土砂降りの中、ヘアピンカーブ69か所目当てに行きました。画像や動画と違って普通のカーブで雨だったせいもあり8合目に着く時は飽きていました。むしろ岩木山よりも海側から岩木山入口に来る方が全然ヘアピンカーブな道路でした。

話は戻りますがこの城は全体を見るのに20分も掛からない小規模ながらも付け根には立派な立派な四重堀が設けられています。当然中々見る事の無い四重堀を上り下りしたり横断したり時折滑ったりして楽しむ事が出来ました。こちらは上質な遺構を気軽に見れる城跡だと思います。



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城好き

美しい復元天守 (2024/08/17 訪問)

電車を降りたらすぐに尼崎城天守が見えました。徒歩5分で天守までたどり着くことができました。

尼崎城は、大坂夏の陣後、西国支配の拠点として5万石で入封した譜代大名 戸田氏鉄(うじかね)によって築かれたのだそうです。昨年登城した大垣城の銅像が戸田氏鉄だったのを思い出しました。戸田氏鉄は、尼崎城から大垣城へ10万石で転封されています。城と城が歴史でつながって面白いですね。これだから城めぐりは楽しいです。
また、当時の尼崎城は3重の堀をもち、本丸には2重の付櫓を2棟付属させた複合式の四重天守と3棟の三重櫓があったのだそうです。大阪西の見張りとして重要視されていたことがここからも伺えます。そして、当時の天守は1873年の廃城令により取り壊されたのだそうです。
現在は、城址公園となっています。公園には石垣や土塀が模擬復元され、平成30年には資産家の寄贈による外観復元天守が完成したのだそうで、本日はその復元天守に登城してきました。

天守は、入場料500円でした。まずは、エレベーターで5階に上がり、順番に降りていきます。
5階 わがまち展望ゾーン
   →タブレット端末を操作して、尼崎城下の姿を確認しながら展望できます。
4階 ギャラリーゾーン
   →今回は、「乱太郎とめぐるふしぎな世界」が展示されてました。
3階 なりきり体験ゾーン
   →貸出衣装を身に付けて記念写真が撮れます。
2階 尼崎城ゾーン
   →VRで再現された尼崎城下町の映像を大画面で楽しめます。10分程度の映像でした。
1階 尼崎まちあるきゾーン
   →尼崎の魅力を紹介する映像等が楽しめます。

昼食は、阪神尼崎駅近の商店街にある『ぎょっこ志』というお店の「海老味噌白湯ラーメン」を食しました。美味しかったです。
城をめぐりながら、現地の美味しいものを食するのもいいものです。満足しました。

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しんちゃん

本丸を守る「桃(モモ)」の刻印 (2024/02/25 訪問)

徳川御三家の一つ、和歌山城の投稿です。鉄筋コンクリートで復元された天守閣も有りますが、この城の見どころは何と言っても、異なる種類の石材を使って築かれた石垣だと思います。名古屋城も砂岩や花崗岩など様々な石材を用いて築かれていますが、あまりにも石材が多種多様で、しかも混在して積まれているので、予備知識が無ければ、どこに何の石を使っているかを見分けることは不可能です。
しかし和歌山城は違います。主要部に雑賀崎周辺で取れる緑泥片岩(紀州青石)を使用し、周囲の郭や大手門周辺に加太や友ヶ島などで採取される和泉砂岩を使用しています。和泉砂岩は経年と共に風化して崩れてくるので大手門より先の一中門周辺では隅部を花崗班岩で修復してあります。異なる材質の組み合わせになりますが、色合いや形状を可能な限り合わせて有ります。和泉砂岩は隅部が崩れ、表面は剥離しているので一目でわかってしまうのですが、それでも修復者のこだわりや誠実さは十分に伝わってくるので、見ていて心地よいものがあります。研究者から城好愛好者を含む一般の人に至るまで城郭に対して重要なのは、この誠実さだと思います。
近年、城郭の復興や存続に対しても政治や活動家の思惑や駆け引きに巻き込まれるケースが多く、そこにマスコミや専門家までからんで状況が複雑化している感は有ります。個人的意見ですが、城址は可能な限り、本来のあるべき姿に戻すのが理想だと思います。

大手門は城址の北東に位置し鬼門に当たります。本丸御殿の鬼門の位置に一中門跡があり、周辺の石垣に厄除けの「桃」の刻印が有ります。地元のボランティアの方に教えていただきましたが、時々 専門家より詳しい方がいらっしゃいます(特定の城址限定で)。

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しんちゃん

能ヶ坂砦 高天神城包囲六砦 静岡県掛川市 (2021/12/31 訪問)

能ヶ坂砦は第二次高天神城の戦いで徳川家康が高天神城を包囲するために築いた六つの砦の一つで、本多豊後守康重が主将を務めたとされています。この康重公は本多豊後守家の初代とされる人物です。この砦では能が舞われることがあり、それが砦の名前の元になっているようです。先に紹介した四砦のように明確な登城道が無いので南側の麓から直登しています。ただし笹薮もひどくお勧めはできません。
「武蔵の五遁」さんは西側の谷間から登城しているようです。記事を見てみると、主要部以外にも尾根沿いに複数の郭があるようです。
「古城盛衰記」さんの記事を見ると東側にも登城口があるようです。

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しんちゃん

獅子ヶ鼻砦 高天神攻城六砦・静岡県菊川市 (2021/02/07 訪問)

獅子ヶ鼻砦の投稿です。第二次高天神城の戦いで徳川家康が高天神城を包囲するために築いた六つの城の一つです。高天神城の東方3kmあたりの半島状にせり出した台地の先端部に築かれています。城址は公園になっていて、眺望は良く頂部の郭跡は幾段かに分かれていたようです。城郭大系を参考にすると主要部の他にも北西に出郭が築かれ、東側の尾根上にも郭が配されていたようです。
主要部は訪問しやすいですが、東側は特に険しい絶壁になっているので訪問は控えた方が良いと思います。
「三河物語」には「鹿ヶ鼻」と記載が有り、「横須賀根元歴代明鑑」には他にも安威砦、風吹砦についての記述があるようです(六砦ではない)。「風吹砦」の方は地形の改変が激しく、訪問はほぼ不可能だと思います。
中村・安威・獅子ヶ鼻砦は大須賀康高(五郎左衛門)の受持とされ、成瀬吉右衛門正一を主将、日下部兵右衛門定好を副将とし、昼夜一度づつ巡回が行われ敵にも味方にも厳しい警戒態勢が行われていたとされています。おそらく味方には「気を抜くなよ」という発破をかける意味合いもあったと思います。

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ヒロケン

42年振り (2024/08/14 訪問)

日本三名城の一つといわれる熊本城へは、修学旅行以来42年振りの訪問となります。当時は、思春期で女子の気を引くことばかりで熊本城の様子など目に入らず、ほぼほぼ記憶にないのが現状ですが、熊本城天守の大きさと恰好良さ、迷路に入り込んだような石垣群が少し記憶に残っている程度でした。
平成28年の熊本地震の前に訪れる計画はありましたが、熊本地震が発生し計画倒れになっておりました。今回、トクさんの投稿を拝見し、どうしても自身の目で熊本城が見たく再訪(再訪といえるかどうか?)を決めました。

熊本城の中で一番見たかったのは宇土櫓でしたが、トクさん情報で解体保存工事が始まっているとの事で諦めてはいました。宇土櫓は現存する櫓で、国指定重要文化財。現存天守・現存櫓の中では4番目の高さを誇り3層5階地下1階、地上約19mの櫓です。完成は8年後の令和14年の予定です。
本丸御殿にも「昭君之間」の床の沈下、各広間の壁が剥がれ落ちるなどの被害があり入ることはできません。飯田丸5階櫓も石垣が一部崩落し「奇跡の一本石垣」と呼ばれていましたが、櫓は解体、石垣は復旧されておりました。重要文化財の長塀も80m程倒壊する被害がありましたが、復旧が完了しています。その他、櫓門等も被害を受け解体されております。熊本地震から8年経った今でも、愕然とするほどの被害状況が目の当たりにすることができ、地震の怖さを実感できます。

現在は、見学する箇所がかなり制限されていますが、特別見学通路が設置され、安全に見学することができます。また、大天守内も見学ができます。
トクさんが、「元気をもらいに熊本城へ」とありますが、少しづつ復旧が進み熊本城のパワーが感じられます(*^▽^*) 私も何があっても頑張るぞ!!という元気をいただくことが出来ました。

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サリー

高速から見えるあの城へ (2022/04/30 訪問)

高速から見えるたびに、いつか行こうと思ってた城。
訪れることができて、嬉しかった。
ほんとうに美しい城。青空に映える。

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赤い城

瀬戸大橋を見下ろす (2024/08/04 訪問)

瀬戸大橋架橋記念公園駐車場に車を置き登城します。
登城路も整備されているので夏でも歩きやすいです。

少し登ると西の丸ヘ、石垣が出迎えてくれます。
西の丸から土橋を渡り二の丸、さらに本丸ヘ、と進む前に石垣に沿って下の方へ。
綺麗に石垣が残っています。
やや藪ですが下りてみてよかった。
もちろん安全を確かめながらですが。

引き返し本丸ヘ、天守台跡も残ります。
さらに三の丸、中の丸まで見学して下山しました。
両郭の間には堀切もあります。
倉敷市内の正福寺には下津井城の門が移築され現存しています。
こちらも貴重な遺構ですね。

元は瀬戸内海を押さえる海城で下津井港を掌握するための機能を持っていました。
今は公園の一部、瀬戸大橋を望む絶景が見られます。
この日は晴れてたけどやや霞んでました。
これも瀬戸内の特徴ですが。

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たか

初心者ではありますが… (2024/08/16 訪問)

言わせてください!
ここは絶対に行ってほしい城址です!

まず御城印。
着いたのが16時すぎで仁科神社社務所が開いてない。
これはここまで来たのにと落胆していたらなんと…自分で取って付属の袋にお金を入れて賽銭箱に入れてくださいとのこと。
なんてすばらしい!お城を愛する人間に悪い人はいないとの神の言葉(笑)
とても素敵な御城印をゲットして散策へ。

阿部神社や御神木を見ながら湖畔へ行くと阿部渡(あべっと)や機織り淵などの説明板でまた感激!
堀や土塁の形跡もありつつ水城?は初めて見たのでまたそれも感激!
塩の交易で豪族では珍しい力を持っていた仁科家、それを信玄が逃すわけもなくしっかりと掌握して手を加えてかなりの規模にまで発展したとのこと。

あと木崎湖の中から発見されたという「えぐり舟」という栗材をくり抜いて作られた舟もあり、普通とは違うお城巡りでした。
こんな発見があるとますます楽しくなってきます!
ぜひ皆さんも訪れてみてください。
裏の湖畔でキャンプもできるみたいですよ。

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しんちゃん

ラララ スギヤマ~♪ (2024/05/06 訪問)

杉本城の駐車場は城址の北側にあり、登城口まで少し距離があります。以前訪問した時は続百名城になる前だったので、お寺に車を留めさせてもらって、城址まですぐだったのですが‥「急がば回れ」というやつです。
駐車場の手前にも堀らしきものがありますが、ここも城域だったのでしょうか? タンポポの綿毛がふわふわ舞っています。
大手の前の出郭のくぼみにも、何か花らしきものが植わってます。地元の人のオシャーなセンスを感じます。先の投稿で到達した井戸郭からは本郭が良く望めます。直登しようと思えば簡単にいけますが、ここはルートにそって北側に迂回しながら本郭を目指します。これも急がば回れというやつですか。登城の過程でも、万遍なく楽しませてくれます。これから本郭 メインディッシュを楽しみに進みます。

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たか

信濃路を… (2024/08/16 訪問)

飯山城登城から南下し松代城へ。
着いたとたんさあ困った。
今回の予定は時間が限られているのに見るものが多すぎる…
とりあえずスタンプ押して松代城を堪能することに集中。

スタンプ押しながら真田邸を見ながら「絶対今度は時間をつくるぞ」と心を鬼にして車に案内所で買った御城印とセットで置いていざ登城。
いきなりの太鼓門に思わず感嘆が漏れる。
その渡る橋も説明板を読むと以前に架け替えた跡が4回残っているとのこと。
すでに時間との戦いということすら忘れてじっくりと確認。
太鼓門をくぐると枡形虎口でこれも石垣含めて素晴らしい。
本丸に入ると銀杏の木があろうともしっかりと得意の妄想で中心にあった説明板の通りのお屋敷が想像されます。

櫓跡に登るとこれまた土塁と石垣のコラボ&遠景も素敵!
最後に北不明門を通り駐車場へ。
いやーとてもいいお城でした。

余談ですが本日女学生の方々が来られていてなんだか嬉しかった。
おじさんだけが楽しむんじゃなく、いろんな視点で見学していて、とてもいいなと感じました。

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たか

台風から逃れて信州へ (2024/08/16 訪問)

いい関東直撃するとニュースで出てこれは休みを取ってすぐに西に向かうべきと判断しやってきました(笑)
まずは飯山城。

この日は台風の影響もあるように聞いていたのですが全然大丈夫。
むしろ晴れていて西の丸では子供たちが遊んでいてほのぼのとしています。
案内所で御城印を買おうと行ったら不在でした。
時間によっていない時があるんですね。

案内所の外には説明用のジオラマ&映像がありこれは非常にわかりやすくとてもいい。
そして本丸からの二の丸、三の丸という掟破りの登城(笑)
しかし整備の状況がとても素晴らしい。
このお城に対する気持ちがとても伝わってきます。
あとの予定も詰まっているのでさっと見ようなんてとんでもない。
隅々まで散策し、北門から駐車場へ。
買えなかった御城印は「高橋まゆみ人形館」で入手。
女性の店員さんにやさしく対応頂き感謝。
いや~最初から良い旅になりそうです。

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朝田 辰兵衛

城主の墓がある東林寺にも行きました🐾 (2024/06/08 訪問)

東林寺には,谷地城主白鳥十郎長久の墓があります。本堂の裏には,土塁と堀跡がくっきりと遺っていました。ピンの位置から南東へ約300mの場所です。
どちらかといえば,ピンの位置を探すほうが難しかったです。「こんな住宅地に…?」と,一瞬とまどいます。

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しんちゃん

浦上久松丸 (2024/04/20 訪問)

兵庫県には山下城が二つありますが、こちらは加西市の方になります。一説には赤松則祐の家臣であった浦上七郎兵衛行景の居城だとされ、観応2年(1351)光明寺合戦の際に、赤松則祐に従って赤松直義の軍と戦ったとされています。
本丸にある案内板によると、「播磨鑑」には浦上久松の居城であると記され、天文元年(1532)頃に築城され永禄9年(1566)ごろに別所氏の兵站拠点基地として改修され、天正6年(1578)まで機能していたと考えられているようです。
浦上久松は加西市史によると「別所家無二の与力」であったとされています。
本丸の西側下段に二の丸が配され、本丸の北西には大堀切があります。二の丸の西側には西本郭と見られる郭があり、他にも多数の郭が有ったようです。

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零汰

唐山東城:福岡県粕屋郡宇美町 (2020/10/01 訪問)

山城に行く際に頂上若しくは最高所での景色を見るのも楽しみの一つだと思います。
色んな山城で景色を見ましたが360°のパノラマが見る事が出来たのは今のところこちら唐山東城だけです。
グーグルマップには唐山城とありますが正式名称には東が入ります。
東があるので当然西もありますがそちらには行ってみた事は有りません。

写真1はグーグルの画像ですが6m程度x12m程度の小さな主郭が鮮明に映っています。
福岡調査報告書の筑前で真っ先に出てくるこの城跡は遺構は殆ど残っていないようです。
写真4は曲輪の様に見えますが改変らしく縄張り図には記載が有りません。

こちらは城跡よりも展望所との認識が大きいようで私が訪問した際も2組3名の女性が来ていました。
主郭では独りの女性はバズーカカメラ片手に佇んでいて50過ぎの年寄りは遠慮がちにそそくさと写真を撮りました。

築城者とかは現地の看板に記載が有りましたが聞いた事の無い人でどっかの支城らしい。
だが深く考えずともそこに城跡がある、そこでは素晴らしい景色が見れる、それでいいじゃないか。

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しんちゃん

天ヶ谷の城平 つづき (2021/02/13 訪問)

御前崎市の地味に良い城、「天ヶ谷の城平」続いちゃいます。
ほぼ謎の城ですが、武田軍の手が入っていると言われる遺構はなかなか見ごたえがあります。「地味に良い城」という言葉が良く似合う城で、二の郭の南側には虎口があり、そこから先にも遺構が残っています。南東側は行き止まりになっていて、南西は尾根沿いに堀切や郭が残っています。

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