今年もまたトクの終戦の日前の恒例、平和について考える旅(1/3)です。お城に関係ない話が3回ほど続きますが、申し訳ありません。よければまた一昨年・昨年同様お付き合い願えればと思います。1回目は「宇佐平和資料館」です。
大分県宇佐市柳ヶ浦地区、この広大な宇佐平野は大分県の米の一大生産地です。1587年12万石で豊前中津に入った黒田官兵衛の時代も、ここは豊前の米所でした。しかしそれから350年後の昭和13年(1939年)、この地には海軍航空隊の基地が造られます。
ここに造られた基地は、当初昭和16年(1941年)までは空母「翔鶴・瑞鶴」搭乗員の真珠湾攻撃までの訓練基地として使用されたようです。そして昭和20年(1945年)には、「桜花」という特攻機(一式陸攻という爆撃機にぶら下がる爆弾を積んだグライダー)の発進基地となりますが、その情報をつかんだ米軍により3月18日の出撃直前に大空襲を受け、一式陸攻や桜花の搭乗員と基地の整備兵など、約320名の方が亡くなられたそうです。その時の爆弾池や弾痕跡が今でも残っていました。それから4~5月の2カ月間、今度は零戦を主体とした神風特別攻撃隊の発進基地となり、154名の方がここから沖縄に向けて飛び立ち、帰らぬ人となられたそうです。その方々の名前が刻まれた慰霊碑がありました。またその碑の前には「掩体壕」と言われる、本土決戦に向け、空襲から零戦を守るために造られたコンクリートの構造物が、今でも10基ほど残っていました。
これらを後世に伝えるため、仮設の宇佐平和資料館が基地跡地南側の四日市地区に、現在建てられています。その資料館には、あの岡田准一さん主演の映画「永遠の0」の映画の撮影で実際に使用された、零戦21型(岡田准一さんが実際に乗られ、最後のラストシーンに使われた機)が保管されていました。
これらの基地の様子が後世に伝えられ、平和利用されていく事を願いたいです。
(2/3)へ続きます。
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