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todo94

PIKUMIN BLOOM JOURNEY TOKYO DOME CITY2024参戦翌日の攻城② (2024/11/24 訪問)

御殿山城からの転戦です。六郷神社がその故地になります。六郷神社には梶原景時寄進の神橋、伝源頼朝寄進の手水石や、狛犬、六郷橋親柱などの文化財がありました。

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赤い城

遺構は残らず (2024/11/23 訪問)

津田八幡神社の背後の山上が城跡です。
神社裏手、津田寺の駐車場を利用しました。
駐車場から登城路がありますがちょっとわかりにくい。

少し登ると削平地がありますが曲輪跡の名残なのかは不明です。
さらに登ると山頂部へ、何も刻まれていない石碑がポツンと立っていました。
採石により主郭部もほとんど消滅し、北側は断崖となっています。

主郭からは眺望も良く、登った甲斐はあったかな。
登るのはちょっとだけど。

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しんちゃん

花崎城山公園 (2024/05/05 訪問)

花崎城は鷺宮粟原城の出城とされています。上杉謙信の小田原攻めの後の永禄4年(1561)8月、木戸宮内少輔は千余人で北条方の粟原城を攻め落とし、花崎城にも攻撃を掛けました。栗原城主の細萱民部少輔光仲が小田原城に詰めていたため、花崎城には11歳の光仲の長子・半左衛門泰秀がいましたが落城したとのことです。
城址は中央を東武鉄道の伊勢崎線が通っていて、南側が花崎城山公園になっています。記憶では公園の中に遺構(?)が残っており、南に空堀がかかっていて、東と北は水堀になっていたと思います。公園として整備されていますが城址としての雰囲気を感じさせてもらえるのは有難いです。

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しんちゃん

赤埴上城の周辺 奈良県宇陀市 (2024/11/09 訪問)

赤埴上城の周辺の写真です。北の郭は南に虎口が付いていて南と東に土塁が残っています。北の郭の北側の切岸には謎の石列が有ります。
虎口を抜け南に進むと、ここにも謎の石列があります。登城道から登って、最初に目にするやつです。
城址は丘陵の上側ということになっていますが、麓の扁平地も気になります。丘陵の上は広く、居館等を置くスペースも十分あるので、麓の扁平地は城址とは関係がないのかも知れませんが、杉の植林のために扁平されたのか、城址を利用しているのか、境界がはっきりしないのも事実ではないでしょうか。こういうの見ているとモヤモヤしてきます。

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しんちゃん

山城に行こう!2024 ぎふオシロフェス (2024/12/07 訪問)

「山城に行こう!2024 ぎふオシロフェス」に行ってきました。城びとでも既に何人か投稿されているようです。初日はタイヤをスノータイヤに履き替えていたので岐阜県に着いた時には午後になっていました。
多治見でタイルマンを拝んだ後、今城と久々利城に行って通行証をゲット。久々利城訪問は時間の都合で後日に回して、通行証2枚を持って会場へ。
通行証2枚持参で、特典の「縄張りキャップ」と交換できますが、色が2種類あって悩む。本当は両方欲しいけどベージュを選択し、初日はこれで終了。道の駅「可児ッテ」で一晩過ごします。
翌日は朝一で久々利城を訪問して会場にいくと、すでにかなりの行列が出来ています。世の中にこれだけ山城好きがいるとは・・普段、山であまり人に会わないので正直意外でした。まあ、山城にもよるのですが。
午前10時半より学芸員と例の御三方によるシロトークを拝聴し、午後14時からは御三方と香川元太郎氏による「城好きおやじ三人組と香川元太郎が描く”城”の歩き方」を拝聴しました。
御三方とは、落語家の春風亭昇太師匠と、日本城郭教会学術委員会副委員長の加藤理文氏、滋賀県立大学名誉教授の中井均氏です。
昇太師匠は東海大学に復学されていて、いま4年生で、学割が効くらしいです。教室に昇太師匠がいるってなんか楽しそうです。講演の内容もなかなか楽しめました。
ひとしきりプログラムが終了した後は、余った時間で金山城に行って、二日間の予定は終了です。

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ぴーかる

家城城 (2024/11/23 訪問)

【家城城】
<駐車場他>駐車場はなし。<34.622273, 136.323069>から道なりに東へ100m程行くと1台だけ停めれる待避所があるのでそこに停めました。そのまま東に進むと<34.624277, 136.327135>の地点くらいに空き地へ降りる分岐がありますが、チェーンがかかっていたり(11/16に行ったら雨だったので下見に来たときは)登城日の11/23にはチェーンは外されていました。
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>日帰り伊勢山城攻め旅2城目。家城城の築城は正中年間(1324~1326年)に家城氏によって築城されました。家城氏は北畠氏の古くからの家臣で、戦国時代には家城之清という大河内城の戦いで奮戦した槍の名手がいます。
 城跡へは上記の南側の山林道から行くとショベルカーが置いてある空き地がありますのでそこから北側にすぐ3重堀切があります。城跡は主郭を中心に南側に3重堀切、北側に2重堀切があり、東西に帯曲輪が縦断しています。主郭は小さな削平地で中心の西端に櫓台の土壇が僅かに残されていて礫石も僅かに散らばっています。
 城跡の南の上方向に南家城城というのがあるようなので、山全体が城塞化していたと思われます。駐車ポイントから城跡までの間に扇状の削平地と石垣があり、砂防の石垣とも居館跡とも判別不能な古い石垣が残されていました。

<満足度>◆◆◇

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いんげん丸虫

老沢城 栃木県鹿沼市 (2024/11/10 訪問)

比高100m位の山城です。
3角形の主郭に東西に堀切があり、
派生する尾根に平場、曲輪があります。
砦的な規模ですね。
獣避け柵を開け、藪こきしながら、
15分位の直登です。

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ケビンツヨ

搦手 (2024/11/17 訪問)

ガイダンス施設は11月上旬までで冬季閉鎖中…
何事も先達のあらまほしきこと
搦手からの日本海が哀愁をさそう…
気を取り直して、道の駅でてっくい丼と花沢温泉で源泉かけ流し。

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カズサン

もみじまつり前日-5/8 大戸櫓台と粟積櫓台編 (2024/11/15 訪問)

 もみじまつり前日-4/8 天守台編の続きです。

 大戸櫓台と粟積櫓台は本丸の北側東よりの突出た先端に在り、粟積櫓は小天守とも云われて城下北側より見上げ聳える櫓でした、大戸櫓は粟積櫓の西に隣接し北の守りの要です。立体模型で確認すると両櫓とも2階建てでL字型、粟積櫓と本丸東石垣塁北端の月見櫓とは18番門を挟んで接しています。
 紅葉は粟積櫓台前の銀杏が黄色く色付き、裏中門辺りの楓の林上部は赤く色づき天守台、天守曲輪方向はもみじの見頃でした、ただ曇りに小雨まじりでしたので絶景とは言えないが晴れて居れば大絶景でしょう。

 もみじまつり前日-6/8 石垣長塁と諸門の1/2編に続く。
  

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ケビンツヨ

紅葉 (2024/11/17 訪問)

霊園の先に広い駐車場あり
四稜郭よりも断然防御力が上、樹木が多く縄張りを感じ取れないのが残念
温暖化の影響か11月中旬でも紅葉がキレイでした

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ケビンツヨ

薬研堀 (2024/11/16 訪問)

函館空港から滑走路の下を通って歩いて20分
土塁越しに海と函館山を眺めながら古人にひたる

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カズサン

もみじまつり前日-4/8 天守台編 (2024/11/15 訪問)

 もみじまつり前日-3/8 天守曲輪編の続きです。

 津山城の天守台は一二三段の頂部本丸の西側に突出た天守曲輪に守られ中心部に穴蔵を備えて東に付櫓台、付櫓台の北側に石階段が備わってる、天守穴蔵石階段横にハートの石が在り「愛の奇跡」として触れたカップルは恋が成就と言われ密かな観光スポットに成っているとか。
 この上に層塔型の5層5階(4層は木製庇)地下1階造り大天守閣が載っていたと言われる、明治初期まで残って居ましたので明治初期の廃城令取り壊しが悔やまれます。写真や資料が残って居ますので天守閣の復元も可能でしょうが経済的な問題を解決しないと難しい事でしょう。
 復元模型、最近のCG映像をYouTubeで楽しむ事が出来ます。
 この層塔型天守閣は小倉城の天守閣絵図を用いて建てられたと言われており、天守最上階に小倉城主細川氏より贈られた西洋式半鐘朝顔の釣り鐘が設置されていたとの事です。
 天守台から南、西、北を望む事が出来大変見晴らしがよく、北側やや東側の裏中門上空当たりの楓の紅葉は見ものでした。
 
 もみじまつり前日-5/8 大戸櫓台と粟積櫓台編に続く。
 

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todo94

PIKUMIN BLOOM JOURNEY TOKYO DOME CITY2024参戦翌日の攻城① (2024/11/24 訪問)

2週前にYOASOBIのドームツアーで東京ドームに来たばっかりなのにまたしてもやって来てしまった翌日、ちょこっと東京の城めぐりをしてみました。御殿山庭園には来たことがあるのですが、御殿山の説明板はノーチェックだったのです。朝田辰兵衛さんが行かれた御殿山下台場は、大河ドラマ「龍馬伝」の2010年7月31日に訪れています。

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赤い城

片志城 徳島県徳島市 (2024/11/23 訪問)

城びと未登録城です。
高田綱清の城とされていますが詳細は不明。
勝占神社背後の山上が城跡のようです。

神社への登り口に駐車して登っていきます。
これが結構急坂、本格山城登城のためのトレーニングにもなる感じ。
神社にお参りし、右手から山上を目指します。
ここはそんなに登りませんが遺構もなさそうです。

下山し、お昼は徳島ラーメンに。
徳島ラーメンには主に茶系、白系、黄系と3系統に分けられます。
有名なのは茶系、肉と生卵のトッピングが特徴でご飯のおかずにもなるラーメンかと思います。
この日は老舗で人気店のいのたにさんで頂きました。

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トク

対新羅最前線基地(3/3):怡土城 (2024/11/28 訪問)

怡土城(いとじょう)は、天智天皇が対新羅の最前線基地「雷山神籠石」を築いてから約80後の奈良時代に入った756年、新羅が再び不穏な侵攻の気配を見せたため、孝兼天皇はさらに防備を固めようと、中国より帰国しその直後に九州へ下り大宰府小弐となった「吉備真備」(写真⑦⑧)に命じて、高祖山の北頂に築城された中国式山城であると、続日本紀には記されています。

またそれから530年後の鎌倉時代には、同じ高祖山の南頂に、原田種継が鎌倉幕府(北条時宗)の命で、元の侵攻に備え元寇防塁とともに高祖城(たかすじょう)を築いています。また豊臣秀吉が筑前を制圧した1588年、高祖城主であった原田信種(写真⑨)は所領を没収されましたが、加藤清正の家臣となり朝鮮出兵に同行したそうです。

高祖神社入口は、怡土城の鳥居口にあたり、石碑がありました(写真①②)。ここから徒歩で怡土城に登城して、第一望楼から第五望楼まで行けば往復5時間はかかりますよと博物館の方に言われ、ならば本格的な登山の準備が必要で、私の体力では無理だと思い断念しました。代わりに博物館で見た怡土城の説明の一部を紹介させていただきます(写真⑤⑥)。しかし過去の投稿を見て、零汰さんやRyuさんが走破されていたのには感心しました。

この糸島付近は、最近では朝の連続テレビ小説「おむすび」(地元の橋本環奈さん主演)の舞台でもあり、地元は盛り上がっているようです。

またこの一帯は、弥生から大和時代には「伊都国」があったと魏志倭人伝には記されている場所で、「伊都国歴史博物館」には銅鏡などの出土品(国宝)が数多く展示されていました(漢の倭の奴国か?)(写真③④⑩)。また怡土城や雷山神籠石の説明ビデオもあり、城の様子が分かりやすく解説されていますので、登城される前に寄って見られる事をオススメします。
 

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しんちゃん

君の名は・・ (2024/12/07 訪問)

この間、東海四県をコンプしたばかりですが、また岐阜県に来ています。すでにネタばれな気がしますが・・。
多治見国長邸の投稿は3回目になりますが、ご容赦を。多治見国長は美濃国守護土岐頼貞の同族で、頼貞の十男・頼兼とともに後醍醐天皇の呼びかけに応じ(日野資朝の招きによる)、蜂起します。しかし計画は一族の密告により露見し、京都錦小路高倉の館を六波羅探題の3千騎の軍勢に包囲され非業の最期を遂げました。

さて一枚目の写真の正体ですが、アラフィフ世代の方は既にお気づきかもしれません。
君の名は・・ そう! タイルマンです! 今日は29(にく)の日ではありませんが、ご容赦を。
タイルマンとは「キン肉マン」に登場するフランスの超人で、新幹線を東京駅から博多駅まで推し飛ばす怪力の持ち主で、心の中には熱い正義の魂が宿っています。劇中での活躍は少々残念ではありますが、多治見市のタイル業界の若手と地域活性化を目指す若手たちがタッグを組んで「タイルマンを造る会」を結成し、ここにタイルマンが降臨した次第です。
多治見国長邸とは500m程度しか離れておらず、新旧の多治見市のヒーローゆかりの地を一緒に見ることが出来ます。タイルマンの像はJR多治見駅の近くの立体駐車場の脇に設置されています・・駅前じゃないんかい。
あと・・フィッシャーズの像をタイルマンの脇に設置してくれると個人的にパーフェクトです。「フィッシャーズを造る会」の皆さん、出番ですよ。

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しんちゃん

本田氏の館跡 (2024/05/05 訪問)

本田城は鎌倉時代から室町時代にかけて築かれたとされています。城主本田氏は畠山重忠の重臣本田次郎親垣恒の後裔とされ、戦国時代には本田長繁のころに深谷上杉氏憲に従ったようです。空堀や土塁の一部が残っているとのことで、撮影の許可を頂きにあがりましたが、留守なので、ちょっとだけ覗かせていただきました。

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しんちゃん

扇谷上杉氏 (2024/05/04 訪問)

今さらGWの頃の写真を持ちだしてきて申し訳ない。まあ、成り行きということで勘弁して。
深大寺城は武蔵野段丘の上に築かれていてます。「川越記」などの戦記物には天文6年、扇谷上杉朝定が13歳の若さで父・朝興の跡を継ぎ、北条氏に備えて、この城を再興したと記されているようです。
第三郭は現在テニスコートになっていて、二郭と一郭の間に堀切があり土橋がかかっています。一郭は城址の雰囲気を良く残していて、周囲に土塁も残っています。

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スティクラ

東京駅に寄ったついでに散策 (2024/12/08 訪問)

東京駅到着後に少し時間があったため、皇居周辺を散策。
イチョウ並木がキレイで、風もほとんどなかったため、水鏡がとてもキレイでした。
桜田門とかも行きたかったが、時間がなく断念…。

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T-Shionoya

南側が見逃せない武節城 (2024/09/28 訪問)

今回も道の駅を併設した三河山間部の城。
翌週の講演会&武節城ウォークの予習で訪れた愛知県豊田市の武節城。

美濃・信濃との国境エリアで、街道の交差点となる三河の山里。
その平地部へ南から突き出た比高約50mの尾根の先端部に築かれた城で、狼煙による情報伝達を担った模様。

1500年代初期に田峰城主の菅沼定信が支城として築き、1575年には長篠の戦いに敗れた武田勝頼が落ち延びたと伝わります。
その後、徳川方の奥平氏の城となり、1590年の奥平信昌の関東移封に伴い廃城とのこと。

現在は農地や墓地、そして本丸物見台には城山神社が鎮座。
訪問時、雨が降ったり時々日が射したりの空の下、北西側の登城路からスタート。中腹のゲートボール場跡地の平地は道の駅の案内図になく、後から削平されたものでしょうか。
全体的に要塞感は薄いものの、本丸南側の空堀は大きく、本丸東隅部や外曲輪の南側は横矢を掛ける構造にも見える興味深いポイント。

南側が見逃せない印象の武節城が、私の城郭巡りの187城目となりました。

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