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ケビンツヨ

紅葉 (2024/11/17 訪問)

霊園の先に広い駐車場あり
四稜郭よりも断然防御力が上、樹木が多く縄張りを感じ取れないのが残念
温暖化の影響か11月中旬でも紅葉がキレイでした

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ケビンツヨ

薬研堀 (2024/11/16 訪問)

函館空港から滑走路の下を通って歩いて20分
土塁越しに海と函館山を眺めながら古人にひたる

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カズサン

もみじまつり前日-4/8 天守台編 (2024/11/15 訪問)

 もみじまつり前日-3/8 天守曲輪編の続きです。

 津山城の天守台は一二三段の頂部本丸の西側に突出た天守曲輪に守られ中心部に穴蔵を備えて東に付櫓台、付櫓台の北側に石階段が備わってる、天守穴蔵石階段横にハートの石が在り「愛の奇跡」として触れたカップルは恋が成就と言われ密かな観光スポットに成っているとか。
 この上に層塔型の5層5階(4層は木製庇)地下1階造り大天守閣が載っていたと言われる、明治初期まで残って居ましたので明治初期の廃城令取り壊しが悔やまれます。写真や資料が残って居ますので天守閣の復元も可能でしょうが経済的な問題を解決しないと難しい事でしょう。
 復元模型、最近のCG映像をYouTubeで楽しむ事が出来ます。
 この層塔型天守閣は小倉城の天守閣絵図を用いて建てられたと言われており、天守最上階に小倉城主細川氏より贈られた西洋式半鐘朝顔の釣り鐘が設置されていたとの事です。
 天守台から南、西、北を望む事が出来大変見晴らしがよく、北側やや東側の裏中門上空当たりの楓の紅葉は見ものでした。
 
 もみじまつり前日-5/8 大戸櫓台と粟積櫓台編に続く。
 

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todo94

PIKUMIN BLOOM JOURNEY TOKYO DOME CITY2024参戦翌日の攻城① (2024/11/24 訪問)

2週前にYOASOBIのドームツアーで東京ドームに来たばっかりなのにまたしてもやって来てしまった翌日、ちょこっと東京の城めぐりをしてみました。御殿山庭園には来たことがあるのですが、御殿山の説明板はノーチェックだったのです。朝田辰兵衛さんが行かれた御殿山下台場は、大河ドラマ「龍馬伝」の2010年7月31日に訪れています。

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赤い城

片志城 徳島県徳島市 (2024/11/23 訪問)

城びと未登録城です。
高田綱清の城とされていますが詳細は不明。
勝占神社背後の山上が城跡のようです。

神社への登り口に駐車して登っていきます。
これが結構急坂、本格山城登城のためのトレーニングにもなる感じ。
神社にお参りし、右手から山上を目指します。
ここはそんなに登りませんが遺構もなさそうです。

下山し、お昼は徳島ラーメンに。
徳島ラーメンには主に茶系、白系、黄系と3系統に分けられます。
有名なのは茶系、肉と生卵のトッピングが特徴でご飯のおかずにもなるラーメンかと思います。
この日は老舗で人気店のいのたにさんで頂きました。

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トク

対新羅最前線基地(3/3):怡土城 (2024/11/28 訪問)

怡土城(いとじょう)は、天智天皇が対新羅の最前線基地「雷山神籠石」を築いてから約80後の奈良時代に入った756年、新羅が再び不穏な侵攻の気配を見せたため、孝兼天皇はさらに防備を固めようと、中国より帰国しその直後に九州へ下り大宰府小弐となった「吉備真備」(写真⑦⑧)に命じて、高祖山の北頂に築城された中国式山城であると、続日本紀には記されています。

またそれから530年後の鎌倉時代には、同じ高祖山の南頂に、原田種継が鎌倉幕府(北条時宗)の命で、元の侵攻に備え元寇防塁とともに高祖城(たかすじょう)を築いています。また豊臣秀吉が筑前を制圧した1588年、高祖城主であった原田信種(写真⑨)は所領を没収されましたが、加藤清正の家臣となり朝鮮出兵に同行したそうです。

高祖神社入口は、怡土城の鳥居口にあたり、石碑がありました(写真①②)。ここから徒歩で怡土城に登城して、第一望楼から第五望楼まで行けば往復5時間はかかりますよと博物館の方に言われ、ならば本格的な登山の準備が必要で、私の体力では無理だと思い断念しました。代わりに博物館で見た怡土城の説明の一部を紹介させていただきます(写真⑤⑥)。しかし過去の投稿を見て、零汰さんやRyuさんが走破されていたのには感心しました。

この糸島付近は、最近では朝の連続テレビ小説「おむすび」(地元の橋本環奈さん主演)の舞台でもあり、地元は盛り上がっているようです。

またこの一帯は、弥生から大和時代には「伊都国」があったと魏志倭人伝には記されている場所で、「伊都国歴史博物館」には銅鏡などの出土品(国宝)が数多く展示されていました(漢の倭の奴国か?)(写真③④⑩)。また怡土城や雷山神籠石の説明ビデオもあり、城の様子が分かりやすく解説されていますので、登城される前に寄って見られる事をオススメします。
 

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しんちゃん

君の名は・・ (2024/12/07 訪問)

この間、東海四県をコンプしたばかりですが、また岐阜県に来ています。すでにネタばれな気がしますが・・。
多治見国長邸の投稿は3回目になりますが、ご容赦を。多治見国長は美濃国守護土岐頼貞の同族で、頼貞の十男・頼兼とともに後醍醐天皇の呼びかけに応じ(日野資朝の招きによる)、蜂起します。しかし計画は一族の密告により露見し、京都錦小路高倉の館を六波羅探題の3千騎の軍勢に包囲され非業の最期を遂げました。

さて一枚目の写真の正体ですが、アラフィフ世代の方は既にお気づきかもしれません。
君の名は・・ そう! タイルマンです! 今日は29(にく)の日ではありませんが、ご容赦を。
タイルマンとは「キン肉マン」に登場するフランスの超人で、新幹線を東京駅から博多駅まで推し飛ばす怪力の持ち主で、心の中には熱い正義の魂が宿っています。劇中での活躍は少々残念ではありますが、多治見市のタイル業界の若手と地域活性化を目指す若手たちがタッグを組んで「タイルマンを造る会」を結成し、ここにタイルマンが降臨した次第です。
多治見国長邸とは500m程度しか離れておらず、新旧の多治見市のヒーローゆかりの地を一緒に見ることが出来ます。タイルマンの像はJR多治見駅の近くの立体駐車場の脇に設置されています・・駅前じゃないんかい。
あと・・フィッシャーズの像をタイルマンの脇に設置してくれると個人的にパーフェクトです。「フィッシャーズを造る会」の皆さん、出番ですよ。

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しんちゃん

本田氏の館跡 (2024/05/05 訪問)

本田城は鎌倉時代から室町時代にかけて築かれたとされています。城主本田氏は畠山重忠の重臣本田次郎親垣恒の後裔とされ、戦国時代には本田長繁のころに深谷上杉氏憲に従ったようです。空堀や土塁の一部が残っているとのことで、撮影の許可を頂きにあがりましたが、留守なので、ちょっとだけ覗かせていただきました。

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しんちゃん

扇谷上杉氏 (2024/05/04 訪問)

今さらGWの頃の写真を持ちだしてきて申し訳ない。まあ、成り行きということで勘弁して。
深大寺城は武蔵野段丘の上に築かれていてます。「川越記」などの戦記物には天文6年、扇谷上杉朝定が13歳の若さで父・朝興の跡を継ぎ、北条氏に備えて、この城を再興したと記されているようです。
第三郭は現在テニスコートになっていて、二郭と一郭の間に堀切があり土橋がかかっています。一郭は城址の雰囲気を良く残していて、周囲に土塁も残っています。

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スティクラ

東京駅に寄ったついでに散策 (2024/12/08 訪問)

東京駅到着後に少し時間があったため、皇居周辺を散策。
イチョウ並木がキレイで、風もほとんどなかったため、水鏡がとてもキレイでした。
桜田門とかも行きたかったが、時間がなく断念…。

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T-Shionoya

南側が見逃せない武節城 (2024/09/28 訪問)

今回も道の駅を併設した三河山間部の城。
翌週の講演会&武節城ウォークの予習で訪れた愛知県豊田市の武節城。

美濃・信濃との国境エリアで、街道の交差点となる三河の山里。
その平地部へ南から突き出た比高約50mの尾根の先端部に築かれた城で、狼煙による情報伝達を担った模様。

1500年代初期に田峰城主の菅沼定信が支城として築き、1575年には長篠の戦いに敗れた武田勝頼が落ち延びたと伝わります。
その後、徳川方の奥平氏の城となり、1590年の奥平信昌の関東移封に伴い廃城とのこと。

現在は農地や墓地、そして本丸物見台には城山神社が鎮座。
訪問時、雨が降ったり時々日が射したりの空の下、北西側の登城路からスタート。中腹のゲートボール場跡地の平地は道の駅の案内図になく、後から削平されたものでしょうか。
全体的に要塞感は薄いものの、本丸南側の空堀は大きく、本丸東隅部や外曲輪の南側は横矢を掛ける構造にも見える興味深いポイント。

南側が見逃せない印象の武節城が、私の城郭巡りの187城目となりました。

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いたち

山城へ行こう!へ行ってきました (2024/12/08 訪問)

本日12月8日に可児市のイベント、山城へ行こう!に参加しました。午前中に加藤理文先生、中井均先生、春風亭昇太師匠他による楽しいシロトークを聴いて、気持ちが昂ったところで美濃金山城へ!午前中の雨が上がり、澄み切った青空と紅葉の山城は、秋の休日の思い出となりました。
山城は初めてでしたがよく整備され、迷わず登れました。シロトークで予習出来たおかげで、破城の痕跡と綺麗に積まれた石垣、天守からの眺めなど格別でした。
今回はイベント会場からシャトルバスが運行されアクセスの心配はありませんでしたが、普段は車が必要だと思います。

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コウマくん

忍城おもてなし甲冑隊楽しい (2024/11/17 訪問)

東側の水堀から御三階櫓が雄大、忍城おもてなし甲冑隊の演舞がとても面白かった。火縄銃の実演も楽しかった

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すけきよ堂

2024年度の発掘調査 (2024/12/07 訪問)

本年度の発掘調査は二ノ丸虎口付近の発掘で、虎口付近の石垣や階段、薬医門の礎石が確認されました。

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カズサン

もみじまつり前日-3/8 天守曲輪編 (2024/11/15 訪問)

 もみじまつり前日-2/8 備中櫓の2/2編の続きです。

 天守曲輪は本丸西側に天守閣をぐるっと囲む様に構、備中櫓近くの5番門から入り、太鼓塀、雁木、西側にコの字の様に、南、西、北に多門櫓が構えていました、多門櫓の南西角と北西角は二階櫓が聳え、北の7番門枡形から裏中門へ、北東に長櫓を控えた8番門から本丸へ、東側には雁木が備わった石垣が防御強いました、太鼓塀と天守台の間には6番門が在り天守曲輪東エリアへの抑えと成っていました。
 案内板が多門櫓解説板、5番櫓と土塀解説板として設置されています、多門櫓跡には地面表示され又二階櫓の角には色の違いで表示されています。
 4層5階の天守閣を守ってる天守曲輪、西に張り出し角に二階櫓を控えた多門櫓、南に張り出した備中櫓と城下より目立って見えた事でしょう。
 
 もみじまつり前日-4/8 天守台編に続く。
 

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カズサン

もみじまつり前日-2/8 備中櫓の2/2編 (2024/11/15 訪問)

 もみじまつり前日-1/8 備中櫓の1/2編の続きです。

 備中櫓は復元されて今年19年目に成ります、本丸側、天守曲輪、天守台からの眺め北面と西面、備中櫓内部に登り、二階の上段の間、格天井などの写真を投稿致します、小雨でしたが登城者はそれなりに多く賑わっていました。

 もみじまつり前日-3/8 天守曲輪編に続く。
 

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カズサン

もみじまつり前日-1/8 備中櫓の1/2編 (2024/11/15 訪問)

 もみじまつり前日いつ見ても素晴らしいの続きです。

 津山城と言えは復元備中櫓です、桜に覆われた備中櫓と一二三段城塁が津山城の顔に成っています、当日は津山城もみじまつり開催の前日で小雨が降ったり止んだりで撮影には不利な条件、表門から表中門、鶴山館、二の丸で備中櫓を下から南側を眺めて、切手門跡、辰巳櫓枡形で東面を眺めた写真を投稿します。
 復元備中櫓は平成17年3月に完成し平成18年には西隣の天守曲輪南側にある復元太鼓塀が完成しました。

 もみじまつり前日-2/8 備中櫓の2/2編に続く。
 

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いんげん丸虫

諏訪山北城 栃木県鹿沼市 (2024/11/10 訪問)

近年確認された城なのでしょうか。
10年前に尾根続きにある諏訪山城は訪れて
いたのですが、わかりませんでした。
標高170m程の山城です。詳細不明ですが
連続する虎口など諏訪山城と似ているので、
同じ築城者なのでしょう。
主郭は北端の岩場の上にあります。
広い曲輪が段々にテラス状にあったり、
土塁の配置など技巧的ですね。
両城ともに見応えありますので未訪の方は
是非どうぞ。
諏訪山城から尾根続きで500m。
諏訪山北城だけ訪れるには東の麓のトイレ
のある小さな広場から山麓の獣避けを跨い
で20分位直登します。

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朝田 辰兵衛

バーター訪城で… (2024/10/26 訪問)

沼平館,左沢楯山城のアトのバーター訪城。この日の〆の整理体操的な意味合いでやってきました。
完全に住宅街に埋もれてしまっていましたが,なぜか本丸跡地は誰も手をつけず…。しかし,本丸跡地最高所エリアは整地されていました。何か計画があれば嬉しいのですが,期待ウスな感じがしました。
そうそう,しんちゃんさんが投稿されていた城址碑は見つけることができず…<泣>。
移築門のある巨海院が閉門してしまうとショック大となるので,城址碑散策はあきらめました。

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土岐悪五郎 (2024/12/07 訪問)

 久しぶりの久々利城です。可児市広見地区センターで「山城に行こう2024」が開催されていて無料シャトルバスが出ていたので登城してきました。
 土岐康貞が築城したと伝わっていますが、詳細は不詳です。谷を挟んだ東西の尾根に築かれていて主要な曲輪は東側にあります。東尾根に登城口から登って行くと曲輪が展開し天空見張台となっている曲輪の背後に2重堀切があり見どころです。東尾根から登城しましたが、帰りは西尾根を通り東禅寺へ下りてきました。途中に2カ所堀切がありました。この東禅寺へ下りるルートは以前登城したときにはなかったと記憶しています。当時は二重掘切の背後の竪堀のような地形を確認して引き返しました。カズサンの投稿を見ると整備されたのは5年くらい前ということでしょうか。いい登城路ができていましたね。
 全体的によく整備されていて気持ちよく散策できました。

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