かりやすかじょう

苅安賀城

愛知県一宮市


旧国名 : 尾張

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城址碑のみがたたずむ
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しんしんちゃん

あたたた (2024/03/10 訪問)

苅安賀城は苅安賀自動車学校のあたりに築かれていたようです。現状は車校、城址碑がぽつんとたっていますが、気づかず素通りしてしまいました。この日は、こんな城址ばかり廻っていて、なんとなくお墓詣りのハシゴをしているような気になってきました。お墓かあ‥‥‥(このお城は〇んでいる?)  あたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたた! 苅安賀城 おまえはすでに〇んでいる! 失礼しました。いかんな、こういう悪いノリは。気を取り直して、
苅安賀城は近江浅井氏の一族・浅井高政がこの地に移って築いたとされています。東西約76m、南北約58mの平城だったようです。高政の子・田宮丸は織田信雄に仕え、三家老の一人として要職にありましたが小牧・長久手の戦いの際に伊勢長島城で羽柴秀吉に謀殺されたそうです。苅安賀城はその後、廃城になったそうです。

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ぴーかる

苅安賀城 (2023/07/22 訪問)

【苅安賀城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡碑前の道路は広いので僅かなら停車できます。
<交通手段>名鉄苅安賀駅から徒歩

<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾10城目。苅安賀城は1561年に浅井氏庶流の浅井政貞によって築城したとされます。浅井政貞は織田信長に仕え赤母衣衆となります。後に織田信忠付の武将となりますが本能寺の前に亡くなったようで子の長時が継いでいたようです。本能寺の変ののちは織田信雄に仕えますが秀吉との内通を疑われ殺害されます。信雄は殺害を命じた森久三郎に苅安賀城を与えます。現在城跡は石碑があるのみで説明板も遺構も残っていません。

<満足度>◆◇◇

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キンヤ

岩倉城落城の後、山内一豊が頼った浅井政高の城 (2020/11/28 訪問)

尾張浅井氏の政高による築城とされます。
政高は岩倉織田氏の家老 山内盛豊の従兄弟で、岩倉城落城の後、盛豊の息子である一豊が頼って行ったとも云われる城です。

かつては二重の堀を巡らせていたそうですが、遺構は残っていません。
城跡は珍しく自動車学校となっており、その端に立派な石碑が建っています。

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尾張浅井氏の城 (2019/08/10 訪問)

 「かりやすか」と読みます。名鉄苅安賀駅より徒歩5分くらいの所にある自動車学校の前に碑があります。遺構はありません。尾張浅井氏の城です。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 浅井政貞
築城年 永禄4年(1561)
主な城主 浅井氏、森久三郎
遺構 消滅
再建造物 石碑
住所 愛知県一宮市大和町苅安賀字火口止外