きよすじょう

清洲城

愛知県清須市

別名 : 清須城
旧国名 : 尾張

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ミヤちゃん

ちょっと出発遅かった (2022/03/12 訪問)

この日は、体を動かしたいからトレーニングジムに行こうと思って、迷いに迷って諦めて清洲城に行き先を決めた優柔不断なわたしが出た日です。(汗)
この日はあまりにも遅かったので、城は登れなかったんですが、販売所で御城印をもらって帰って来ました。
城の脇にある公園を一通り回って来ました。

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刑部

清洲会議の城 (2023/08/11 訪問)

ここは、初めて来た?何度か新幹線で城址の中を突き抜けてたからどうなんですかね?最寄りの駅から徒歩で約15分縄張りに入りウロウロそして天守へ。
今日も暑くてしんどい中、城址公園を探索しました。

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移築門 (2023/07/08 訪問)

 名古屋市と尾張旭市にある清州城より移築されたとされる門へ行ってみました。

良福寺山門
 織田信長、織田信雄からは保護されていた寺ですが、豊臣秀吉の検地では旧産を没収され小牧長久手の戦いで兵火にあって荒廃しました。初代尾張藩主徳川義直により中興され現在に至っています。このときに清州城の城門の一つ(裏門)を譲り受けたと伝わっています。尾張旭市にあり名鉄瀬戸線「印場駅」より徒歩約2分の場所にあります。

長久寺山門
 もともとは松平忠吉が忍城下にあったものを清州に移した寺です。清州越しの際に名古屋へ移ってきた寺です。山門も清州越しの際に清州城から移されたと伝わっています。名古屋市内にあり名鉄瀬戸線「尼ヶ坂駅」より徒歩約10分の距離にあります。

含笑寺山門
 織田信秀が生母・含笑院の菩提を弔うため現在の清須市に建立したお寺が始まりです。清州越しのときに名古屋へ移転して山門は清州城より移築したと伝わっています。織田信長の祖母でもある含笑院の墓もあります。名古屋市営地下鉄東山線「新栄駅」より徒歩約10分の場所にあります。

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トク

⑦【関ケ原の26人 】(3)福島正則 (福島正則と清州城) (2022/11/30 訪問)

(3人目)は「福島正則」です。
関ケ原当時の居城、「清州城」を訪れてきました。

清州城と言えば、織田信長を思い浮かべる方が多いと思いますが、関ケ原当時は福島正則の居城でしたので、正則の気持ちになり登城してきました。

実は、この清州城から対峙する、石田三成が籠る大垣城やその後攻める岐阜城が正則にはどう見えたのかが気になって、天守に登り眺めてみました。もっと近くに見えるのかと思っていたのですが、意外と遠く感じました(岐阜愛知に来たのは初めてですが・・・いや~濃尾平野は広い!)。大垣城はビルに囲まれ見えませんでした(当時はかすかに見えたと思いますが・・)。岐阜城も山の上に小さく点のようにしか見えませんでした。(写真⑩)

正則は秀吉とは姻戚関係にあったため(正則の母は大政所の妹とも)、縁者であるがゆえ武功で認められたい気持ちが人一倍強かったようです。しかし、縁者でも武功もない三成が自分より秀吉にかわいがられ、石高も多かった事にかなり嫉妬していたのかもしれません。

小山評定では黒田長政におだてられ、「三成を討つべし!」と一番に声を上げ皆を鼓舞します(しかし家康からは信用されず😩~)。清州城では徳川家康から忠誠の証を求められ、真っ先に岐阜城攻めに向かいます(しかし池田輝政に先を越される😩~)。関ケ原でも先鋒1番槍を務めます(しかし井伊直政に抜け駆けされる😩~)。何でも1番が好きな人だったようです。何が彼をそこまでかきたてていたのでしょうか? そしてこの清州城天守から、どのような気持ちで三成のいる大垣城を見つめていたのでしょうか?

次は「福島正則陣跡」を歩きます。
 

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 型式不明[階層不明/1586年築/解体]、複合式望楼型[3重4階/1989年築/RC造模擬]
築城主 斯波義重
築城年 応永12年(1405)
主な改修者 織田信長、織田信雄
主な城主 斯波氏、織田氏、福島氏、徳川氏
廃城年 慶長15年(1610)
遺構 移築櫓(名古屋城)、土塁
再建造物 模擬天守、石碑、説明板
住所 愛知県清須市清洲古城、清州3他
問い合わせ先 清洲城管理事務所
問い合わせ先電話番号 052-409-7330