(3人目)は「福島正則」です。
関ケ原当時の居城、「清州城」を訪れてきました。
清州城と言えば、織田信長を思い浮かべる方が多いと思いますが、関ケ原当時は福島正則の居城でしたので、正則の気持ちになり登城してきました。
実は、この清州城から対峙する、石田三成が籠る大垣城やその後攻める岐阜城が正則にはどう見えたのかが気になって、天守に登り眺めてみました。もっと近くに見えるのかと思っていたのですが、意外と遠く感じました(岐阜愛知に来たのは初めてですが・・・いや~濃尾平野は広い!)。大垣城はビルに囲まれ見えませんでした(当時はかすかに見えたと思いますが・・)。岐阜城も山の上に小さく点のようにしか見えませんでした。(写真⑩)
正則は秀吉とは姻戚関係にあったため(正則の母は大政所の妹とも)、縁者であるがゆえ武功で認められたい気持ちが人一倍強かったようです。しかし、縁者でも武功もない三成が自分より秀吉にかわいがられ、石高も多かった事にかなり嫉妬していたのかもしれません。
小山評定では黒田長政におだてられ、「三成を討つべし!」と一番に声を上げ皆を鼓舞します(しかし家康からは信用されず😩~)。清州城では徳川家康から忠誠の証を求められ、真っ先に岐阜城攻めに向かいます(しかし池田輝政に先を越される😩~)。関ケ原でも先鋒1番槍を務めます(しかし井伊直政に抜け駆けされる😩~)。何でも1番が好きな人だったようです。何が彼をそこまでかきたてていたのでしょうか? そしてこの清州城天守から、どのような気持ちで三成のいる大垣城を見つめていたのでしょうか?
次は「福島正則陣跡」を歩きます。
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