室町前期に斯波義重が築いた城で、中期以降は守護所として尾張国の中心地となりました。長らく守護代・織田大和守家の居城でしたが、織田信友が織田信長に討たれると信長が入って小牧山城に移るまでの約8年間居城としています。本能寺の変の後は清須会議により織田信雄が城主となって大改修するも、豊臣秀吉による国替えに応じずに改易され、豊臣秀次領を経て福島正則の居城となりました。関ケ原の戦いでは東軍の拠点となり、戦後に正則が安芸国に移封になると松平忠吉が入りましたが、忠吉が病死すると徳川義直に与えられました。その後、名古屋城の築城に伴い城下町ごと名古屋に移されて(清洲越し)、廃城となっています。
信長に側近く仕えた金森長近にとっても清洲城はゆかりの深い城だろう、ということで金龍紀行の一環として約7年ぶりの登城です。清洲公園駐車場(無料)からまずは清洲古城跡公園へ。遺構はほとんど失われていますが、古城跡公園には本丸土塁がわずかに遺り、土塁上には信長を祀った社と2つの清洲古城跡の石碑が建てられています。土塁の裾には説明板もあります。堀代わりだった五条川沿いに出ると、河川改修時の発掘調査で確認された胴木を土台とした本丸石垣が復元されていました。
五条川越しに模擬天守を眺めながら、城跡を分断するJRの線路をくぐって清洲公園にも。信長は清洲城から桶狭間の戦いに出陣していることから、清洲公園には桶狭間に出陣する若き信長像が立てられています。後に出陣する信長を見守るように濃姫の像も立てられ、二人の愛と希望の丘として夫婦の絆・立身出生(原文ママ)・必勝祈願のパワースポットになっているんだとか。パワースポット云々はともかく、長近も信長に付き従って清洲城から出陣したんでしょうなぁ。また清洲公園には今川義元本陣の桶狭間山に模した築山も設けられています。
最後に大手橋を渡って模擬天守にも。桶狭間の戦いの戦勝により熱田神宮に奉納された信長塀が周囲に復元されています。そして庭園を抜けて天守に入る…つもりでしたが、閉館まであまり時間がなくじっくり見て回ることができなさそうなので、天守内はまたの機会に。金龍紀行としては天守は特に関係ありませんしね。
…ということで、さすがに歴史に大きく関わった城だけあっていろいろと見るところはあり、遺構はほとんどなくてもそれ相応に楽しませていただきました。また、この日はカメラ修理中でスマホのみでの撮影でしたが、慣れないながらも特に問題なく撮れたのも収穫でした。
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