きよすじょう

清洲城

愛知県清須市

別名 : 清須城
旧国名 : 尾張

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宗春

清洲城 (2019/08/14 訪問)

清洲城は3度目ですが、今回は御城印を頂きに登城しました。

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響ちゃん

晴れ (2019/08/11 訪問)

金シャチ触れるっぽい

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五条川の畔 (2019/08/10 訪問)

名鉄新清洲駅もしくはJR清州駅から、どちらも徒歩10分くらいです。城跡には発掘した石垣が復元展示してあります。

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くろもり

人間五十年 (2015/06/28 訪問)

日本人なら歴史に疎い方でもなんとなく知っている「織田信長が桶狭間の合戦に向かう前に、敦盛(人間五十年~の歌です)を舞ってから出陣した」と伝わるのがここ清洲城です。

江戸時代に入ってしばらくして、清洲越しと呼ばれる城下町毎名古屋へ引っ越した為、城も廃城となってしまいました。現在、遺構はほとんど残っていませんが、なかなか立派な模擬天守が建っており、平成8年の五条川の護岸工事で発見された石垣を清洲古城跡公園に移築復元してあります。また、線路を挟んで南側の清洲公園に桶狭間の方角を見据える信長の像とそれを見つめる濃姫の像があります。

清洲城について書かれた本で1冊だけ紹介させてください。遠藤周作先生の『埋もれた古城』に収録されている「タイム・マシンで見た清洲城」です。遠藤周作先生の作品は『沈黙』『海と毒薬』『深い河 ディープ・リバー』等、宗教観や倫理観の重い題材をテーマとしたものが有名ですが、こちらの『埋もれた古城』はとても同じ人間が書いたとは思えない程、ユーモアに溢れた作品となっており、特に「タイム・マシンで見た清洲城」での織田信長と狐狸庵先生(遠藤先生)との掛け合いは爆笑で、信長のイメージが「第六天魔王」から「ヤケのヤンパチの信長」になってしまいましたw 他にも『埋もれた古城』を書くきっかけになった世田谷城や切支丹に深く関わった日之枝城等の短編が収録されており、城や歴史が好きな方なら楽しんで読めると思います。

織田信長が敦盛を舞って桶狭間に出陣したのも、若き秀吉が石垣の修理で信長の目にとまったのも、織田家の命運を決めた清洲会議もここであったと思うと感慨深い所でありました。

長文の後ですいませんが、カズサンさんへ。
確かに昨日の夜は次の写真への表示遷移にいつもより時間がかかっていました。先程確認した所、今日は通常と変わらないくらいの時間で写真が表示できています。城マップの表示も問題ないですが、まだ問題あるでしょうか?
城マップの表示は以前と変わって地域別の遷移機能等が新しく追加されていたので、『城びと』サイトの機能の更新による一時的な問題ではないかと思います。問題解消されないようでしたら、『城びと』サイトに直接問い合わせてみるといいと思いますよ。以前、私が『城びと』さんに問い合わせた際のメールアドレスを記載しておきます→shirobito@shirobito.jp

朝田 辰兵衛さんへ
新潟・山形の地震大丈夫でしょうか?「いいね」で無事を確認させて頂いたので安堵しております。後、村上城心配ですね・・・辰兵衛さんの新潟近辺の投稿楽しみにしていますので、落ち着いたら是非また投稿されて下さい。

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 型式不明[階層不明/1586年築/解体]、複合式望楼型[3重4階/1989年築/RC造模擬]
築城主 斯波義重
築城年 応永12年(1405)
主な改修者 織田信長、織田信雄
主な城主 斯波氏、織田氏、福島氏、徳川氏
廃城年 慶長15年(1610)
遺構 移築櫓(名古屋城)、土塁
再建造物 模擬天守、石碑、説明板
住所 愛知県清須市清洲古城、清州3他
問い合わせ先 清洲城管理事務所
問い合わせ先電話番号 052-409-7330