きよすじょう

清洲城

愛知県清須市

別名 : 清須城
旧国名 : 尾張

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夏の雪だるま

清州会議の城 (2016/09/20 訪問)

愛知県清須市の清洲城です。15世紀初め斯波氏が築き、1476年尾張守護所が戦乱で焼失したことから清州城が守護所となったことから、尾張国の中心地とさて栄えたとされます。その後、尾張下四郡を支配する守護代織田氏の本城となり、1555年守護代織田信友の時、織田信長が守護代織田氏を撃ち、清洲城は織田信長の居城となっています。1563年美濃攻略のため小牧山城に信長は移り、清洲城は城代が置かれ、本能寺の変で信長が亡くなると、1582年跡継ぎをめぐる清洲会議がこの城で開かれています。その後、信長次男の信雄が城主となり、大天守などが造営され城下町も取り込んだ東西1.6km南北2.8kmの規模に改修したとされます。豊臣秀吉の小田原北条攻め後、織田信雄は秀吉の命による国替えに従わなかったため改易、豊臣秀次の所領となった後、1595年には福島正則が城主となっています。1600年関ヶ原の戦いの功績により福島氏は安芸へ転封となり、徳川家康四男松平忠吉が城主となりますが病死したため、1607年家康九男義直が城主となり、尾張藩初代藩主となっています。1609年家康の名古屋城普請の命により「清州越し」と呼ばれた清洲城から名古屋城へ城下町毎移転され、清洲城は廃城となっています。現在城は、新幹線や鉄道により分断、市街化により遺稿はほとんど残っていませんが、模擬天守が城跡に隣接する文化広場に建てられ、線路に分断された城跡の南側の清洲公園に信長像が、北側の清洲古城跡公園に清洲城址碑があります。早朝に訪れたため天守は時間外で入れませんでした。

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todo94

信長夢街道スタンプラリー (2018/12/28 訪問)

青春18きっぷで朝一番の中央西線普通列車で西下して向かったのは清洲城。信長夢街道スタンプラリー目的なのでどうでも良い模擬天守に入らなくてはなりません。この日が年内最終営業日でした。ちょうど門松の設置が完了したところでした。

模擬天守より対岸の石垣展示や清洲古城跡公園の城址碑の方がポイント高いですね。清洲公園の織田信長像にも脚を伸ばしましたが、顔の部分にだけ日が当たっていて今ひとつでした。

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はる

呪いの木

とある木を写真でとろうとしたら友達も私も二人とも携帯を落としました。


という話を友達から聞きました(笑)

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にのまる

清須城から清洲城 (2018/09/22 訪問)

石垣遺構や古城碑が模擬天守のなんかモヤモヤ感を払拭するいい仕事してくれていました。
なんでもありのパワースポットのようですが、信長のパワーは強烈すぎるのでいりませぬ。
新幹線がビュンビュン横を通り過ぎます。
ちょうど日没時に訪れたので西日を浴びた天守のよき写真が撮れるかと思ったのですが、西を向いて建っていたので無理でした。
清洲駅に降り立った時に「清洲城に行くの?」と声を掛けられ、ついに私も巡城人の雰囲気を醸し出せるようになったかとうれしくなりました(* ̄▽ ̄)フフフッ♪

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 型式不明[階層不明/1586年築/解体]、複合式望楼型[3重4階/1989年築/RC造模擬]
築城主 斯波義重
築城年 応永12年(1405)
主な改修者 織田信長、織田信雄
主な城主 斯波氏、織田氏、福島氏、徳川氏
廃城年 慶長15年(1610)
遺構 移築櫓(名古屋城)、土塁
再建造物 模擬天守、石碑、説明板
住所 愛知県清須市清洲古城、清州3他
問い合わせ先 清洲城管理事務所
問い合わせ先電話番号 052-409-7330