といじょう

土肥城

神奈川県足柄下郡

別名 : 土肥城山
旧国名 : 相模

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源頼朝 (2023/10/07 訪問)

 湯河原駅前には土肥実平夫妻の像と土肥氏館跡の石碑があります。土肥城近くには源頼朝関連の史跡がいくつかあります。立石、兜石、源頼朝が石橋山の戦いで敗れて潜んでいたというしとどの窟は土肥城の主郭から25分くらいで行くことができます。土肥城主郭からしとどの窟の入口まではアップダウンも少なく歩きやすい道です。ちなみに真鶴にもしとどの窟といわれている所がありますが、行ったことはありません。その後、主郭に戻り下山。立石、兜石、成願寺を見学して湯河原駅に戻りました。

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土肥実平 (2023/10/07 訪問)

 鎌倉時代初期の土肥氏の城と伝えられていますが、遺構は戦国時代の後北条氏の時代のものではないかともいわれています。主郭から主に東側に曲輪が展開していています。二重堀切などがあるようですが、緑がまだまだ多いこともあるのかよくわかりませんでした。それらしい場所があり写真は撮りましたが、冬に来るとわかりやすいのでしょうか。
この日は草刈りを行っている人たちがいました。おかげさまで歩きやすかった。感謝、感謝です。

 湯河原駅からは城山ハイキングコースを徒歩で登城で行くことができます。ただかなり急坂で時間もかなりかかります。主郭周辺だけを観るなら近くの城山公園ピクニックグラウンドまで車で行くことができます。

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にのまる

後編 (2022/11/12 訪問)

城址碑のある主郭(城山山頂)で10分ほど休憩し、しとどの窟へ向かいました。コースマップでは45分となっています。山道ですが歩きやすく気持ちのいい散策路でした。ただ……長いです。
やっとのことで抜け出た椿台は県道椿ラインの展望所で、ライダーさんたちの休憩スポットにもなっていて、幻の路線バスの停留所もありました。(1/2のみ運行とか。カーブが相当怖そうです。)
椿台から短いトンネルを通った先がしとどの窟への入り口。そこから急坂を400m下りますが、ありがたいことにアスファルトで舗装されていました。くねくねと曲がりくねった坂道を下った先から少し階段を上がってようやく岩窟に到着です。
寂しいと思えばめちゃくちゃ寂しいところですが、真新しい解説板もあって、迎え入れてくれている安心感がありました。
この洞穴の上に大庭の追手が二人いたなとか、梶原景時はこのあたりから覗いていたなとか、大河ドラマの場面を思い出しながら暫しその世界に浸り思いを巡らせました。

これでこの日の探訪は終了。湯河原駅に戻るために再び土肥城を目指します(‘◇’)ゞ
2度目の山頂は午前中には見えなかった初島や大島まで見渡せてラッキーでした。
ピクニックグラウンドまで戻ったところから林道が二方向に分かれているのですが、ウォーキングマップに従い、登ってきた道ではなく西側の宮下林道の方に進みました。林道を下るだけだから楽だろうと思っていたのですが、景色があまり変わらないせいもあってか、林道始点のゲートもなかなか現れず、ものすごく遠く感じました。(写真⑩にそれぞれの距離が書いていなかったのですが、気になって後日山歩きをされる方のブログの写真を見ると西側の林道は湯河原まで5000mの標識があり、わりと遠回りだったことが判明しました。)
でもまぁ、無事に帰れたのでOKです!

ちなみにしとどの窟はこの湯河原のほかに真鶴にもあるそうです。(Googleマップでは土肥椙山巌窟が湯河原。)
真鶴の方はここまで労せずに行けそうなのでそちらも行ってみたいです。

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にのまる

前編 (2022/11/12 訪問)

【ハイキングスタート】
JR湯河原駅から城山ハイキングコースに沿って歩きました。(元箱根行きバスは現在運行していないようです。)ウォーキングマップはDLできますが駅の観光案内所でも同じものがいただけます。
駅前でまず土肥実平夫妻銅像をチェック。ここから城願寺にかけての一帯に土肥氏館があったとされ「城堀」という地名が残っています。
JRのガード手前に「城山(土肥城跡)3,600m」と書かれた最初の案内板。コースマップでは山頂まで約80分となっています。道中長くなりそうなので城願寺には寄らず、ひたすら上を目指しました。
延々と続く坂道を30分ほど登ったところで「近道(急坂)」と「まわり道(ゆるやか)」の分岐に来ました。近道の方を通りましたが、ここまでもずっと急坂だったので特別キツイということもありませんでした。「まわり道」と合流してからは急坂はなく(城堀林道)、眼下の景色を楽しみながら落ち葉の絨毯が敷き詰められた道をサクサクと歩けました。

【伝承① 兜石】
そして10分ほど進んだところでやっと見えてきた「兜石」の案内板。
ハイキングコースを逸れ、草むらをかき分けながら斜面を70m登ります。ここは石橋山の戦いに敗れた源頼朝が逃げまどい彷徨った山。その足跡をたどっているのだと思うと、何者かに追われているような気がしてドキドキしてきます。70mってこんなに遠かったかな?と思いながら歩を進めると、真正面に大きな岩が現れました。
頼朝が休息を取るためにかぶとを脱いで置いたと言われるその石は、石そのものが兜の形をしているためにそのような伝承が生まれたのだろうと思いますが、実際に目の前にすると疲れきった大泉洋さんの姿が目に浮かび、伝承にすぎないと一蹴する気にもならず暫く立ち尽くしてしまいました。

【伝承② 立石】
ハイキングコースに戻り15分ほど歩くと「立石」の案内板です。
案内板から80mほど山道を下りますが、階段を整備してくださっているので難所ではありません。立石は、頼朝が運試しにこの大きな石を投げて垂直に立てばいつか天下を取れるが、立たずに倒れてしまえば自分の時代はなく、このまま滅びるであろうと念じ投げたという謂れのある石です。石は見事、山の中腹に立ち、そのおかげで運が開いて頼朝は鎌倉幕府を築いたと言い伝えられています。
地面に斜めに突き刺さっているように見える大きな石。木の陰から顔を出しこちらを伺っているようにも見えます。一見「力持ち伝説」のようにも思える石ですが、頼朝が運を味方につけて幕府を興したことを語り、伝える石です。事実、この山中から脱出できたのは運以外の何ものでもないと言っても過言ではないようですし。

【主郭に到着】
再びハイキングコースに戻り歩くこと10分。空が近くなり、遂に深い森を抜け出しました。ゴール間近か⁉︎
しかし、案内板に書かれた文字は「山頂まで900m」。
90mか、90.0mの見間違いではないかと近づいてよく見たけれどやっぱり900m。
……ここまでの90分はほんの序章にすぎず、ここからが城域スタートなのでした。
ということで、気を取り直し山頂目指して進みます。
四阿のある広場(ピクニックグラウンド)も郭跡かと思われますが、真鶴半島を眼下にはっきりと捉えることができました。真鶴は頼朝の安房への脱出路。なかなか感慨深い眺めです。
さらに10分進んだところで今度こそ城山山頂、土肥城主郭に到着しました。兜石、立石への寄り道含めて麓から110分の行軍でした。
標高563mからの景色を堪能。背負ってきた最高のごちそう(=コンビニおにぎり)で休憩。次なる目的地へGO!

<つづく>

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 土肥氏
築城年 室町時代〜戦国時代
主な城主 土肥氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、石積
指定文化財 町史跡
再建造物 石碑
住所 神奈川県足柄下郡湯河原町字城山401
問い合わせ先 湯河原町社会教育課
問い合わせ先電話番号 0465-63-2111