といじょう

土肥城

神奈川県足柄下郡

別名 : 土肥城山
旧国名 : 相模

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朝田 辰兵衛

🐶トクさん,レスありがとうございましたm(__)m (2024/08/12 訪問)

トクさん,レスありがとうございましたm(__)m
トクさんは(九州地方ではエリートとされる)「に●●つ」社員と推察しました。違っていたらスミマセン。
おそらく,天神バスターミナルから九州地方へ出ている高速バスは全系統乗車したと思います。ほぼほぼ,ドライバーの真後ろの席に座っていました。その節は,大変お世話になりましたm(__)m
現在,休止している島原線も,2度お世話になりました。思い出深いのは「平戸きっぷ」です。佐世保まで高速バスで行き,佐世保から路線バスに乗り換えて平戸へ…というのがセット券となっているものです。平戸の主要観光地に提示すると特典もあったと思います。あいにくの雨に見舞われましたが…<苦笑>。
また,SUNQパスのお知らせ,ありがとうございます。機会があれば,利用したいと思います。

さて,土肥城ですが,朝から35℃超。雨男が晴れる時はだいたい猛暑になります。主郭到着時点で持参の水分量がカツカツとなってしまったため,しとどの窟へは行けませんでした…<泣>。
そもそも,この日は私以外の登山者を見かけませんでした。外出すら危険と報じられた日でしたので…。
しかし,この日投函した「たのやく8月号プレゼント」に当選。当選品はチケットフォルダです。攻城の際,基本アナログ派となりますので,チケットフォルダはいくつあっても嬉しいです。スマホは,常時撮影限定。有事の際には情報収集を惜しみなく使います。飛行機はモバイルバッテリーの持ち込みが禁止なので,普段からこのスタンスを崩さずにいます。

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小城小次郎

東に向いた戦国の城とは (2023/11/11 訪問)

土肥実平に連なる小早川家が明治に再興され、時の当主・小早川四郎氏の書による城址碑が立っているのは実平との関連なのだが実平と土肥城を繋げる物的証拠はない。でもこの「東に向いた戦国の城」は何のための城なのだろう。

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源頼朝 (2023/10/07 訪問)

 湯河原駅前には土肥実平夫妻の像と土肥氏館跡の石碑があります。土肥城近くには源頼朝関連の史跡がいくつかあります。立石、兜石、源頼朝が石橋山の戦いで敗れて潜んでいたというしとどの窟は土肥城の主郭から25分くらいで行くことができます。土肥城主郭からしとどの窟の入口まではアップダウンも少なく歩きやすい道です。ちなみに真鶴にもしとどの窟といわれている所がありますが、行ったことはありません。その後、主郭に戻り下山。立石、兜石、成願寺を見学して湯河原駅に戻りました。

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土肥実平 (2023/10/07 訪問)

 鎌倉時代初期の土肥氏の城と伝えられていますが、遺構は戦国時代の後北条氏の時代のものではないかともいわれています。主郭から主に東側に曲輪が展開していています。二重堀切などがあるようですが、緑がまだまだ多いこともあるのかよくわかりませんでした。それらしい場所があり写真は撮りましたが、冬に来るとわかりやすいのでしょうか。
この日は草刈りを行っている人たちがいました。おかげさまで歩きやすかった。感謝、感謝です。

 湯河原駅からは城山ハイキングコースを徒歩で登城で行くことができます。ただかなり急坂で時間もかなりかかります。主郭周辺だけを観るなら近くの城山公園ピクニックグラウンドまで車で行くことができます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 土肥氏
築城年 室町時代〜戦国時代
主な城主 土肥氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、石積
指定文化財 町史跡
再建造物 石碑
住所 神奈川県足柄下郡湯河原町字城山401
問い合わせ先 湯河原町社会教育課
問い合わせ先電話番号 0465-63-2111