続日本100名城

つのむれじょう

角牟礼城

大分県玖珠郡

別名 : 角埋城
旧国名 : 豊後

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角牟礼城
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橋吉

豊後森藩 (2021/03/26 訪問)

まずは、豊後森藩資料館へ行き、続日本100城スタンプと資料を入手しました。。
わらべの館という建物の2階の奥に豊後森藩資料館はあります。

角牟礼城の三ノ丸には駐車場があり、そこまで自動車で行くことができます。
山道ですから、そこそこ急カーブ急勾配の細い道です。
また、城下町の方も道が狭く、通行するのに気を遣いました。

平成5年から町教委により発掘調査が行われました。
その結果、かつて大手門と思われていたところが西門であったりと新しい発見があり、名城も次のように変更されました。
(伝)本丸→本丸
(伝)二ノ丸→二ノ丸西曲輪
(伝)大手門→西門
(伝)搦手門→大手門
要は(伝)とあるのは以前の表記なのですが、現地には双方の案内板が混在しています。

所要時間は、資料館と合わせて約1時間でした。

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ぴーかる

角牟礼城 (2020/11/27 訪問)

【続百名城44城目】
<駐車場他>三の丸跡駐車場
<交通手段>レンタカー

<見所>曲輪跡石垣・門跡石垣・畝状竪掘
<感想>2泊3日豊後国百・続百名城攻城の旅3城目。現在三の丸と本丸は整備中で入れますが、重機の登り降りで少し見づらい状況になっています。三の丸内は転落石の巨石がゴロゴロとあり、外郭の一部は小さめの石積み遺構で他の石垣とは少し違う雰囲気で前時代のものかもしれないと思った。三の丸を過ぎた大手道右手斜面が畝状竪掘り群になっている。つづら折れの山道を2つ程行くとここからは見事な織豊系の穴太積み石垣が現れてくる。大手門手前の石垣、水の手曲輪、二の丸、大手門周辺、本丸北面等各所に石垣が残存して見応えあります。せっかく整備中なのですから西門跡とその下の門跡の草刈をもう少し行って欲しいと感じた。城跡北斜面から焼不動という火災にあった不動尊を見に降りる途中に猪と遭遇し逃げ戻りました(恐)。焼不動は見れず、城跡内の角埋神社には再造の不動尊が祀られています。

<満足度>★★☆

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カニカニ

所用にかこつけた城巡り 4城目 (2020/11/14 訪問)

前日は 移動と、 ”昭和の町” 豊後高田市、と 温泉の 純然たる観光で過ごした。
近いという事で、角牟礼城へ

豊後森藩資料館駐車場に着くとすぐそばの三島公園で小学生高学年と父兄たちが朝礼をしている。
どうやら本丸まで歩いて登るようだ。

森藩陣屋跡(三島公園)庭園の紅葉と石垣を観賞しつつ、9時開館と同時に資料館に入る。
係りの方から懇切丁寧な説明を拝聴し、村上海賊との関係や来島家が豊後の地に来たいきさつ、
秀吉や福島正則との関係など大いに勉強になりました。  ありがとうございました。
ちなみに地名の”牟礼”の意味を伺ったら、古代朝鮮語で”山”や”丘”を意味するとの事でした。
日本各地にあるということは、はるか弥生の昔から渡来人が住み着いた証なんですね。

下から登るか、三の丸駐車場まで車で行くか迷った挙句、楽な方を選択。
いまこうして自宅に戻り、城びとの皆さんの投稿を拝見して大失敗したことを知りました。
下から登って行った方が、見どころ満載でした。 

三の丸駐車場では本格的な大型ビデオカメラやドローンを持っている人たちがいた。
町の観光ピーアールで甲冑を纏った武将隊の面々が来るので、撮影係りで待機しているそうな。
間近にみるドローンに興味をそそられ、しばしテスト飛行を見学の後、登城開始。
(三の丸の石垣は、車やら撮影機材やらが映り込み、良くないので掲載なし)

(伝)三の丸では破城の痕跡なのか、石がゴロゴロ転がっている。
竪堀を横目に穴太積み石垣、(伝)水の手曲輪の長い石垣を見つつ(伝)搦手門跡へ。
資料館で頂いたパンフには(伝)搦手門跡と書かれているのに、大手門跡の案内板が。
頂いたパンフを見ると、以下のように読み替えをするようにシールが貼ってあった。
 表記   読み替え
(伝)本丸 → 本丸
(伝)二の丸 → 二の丸西曲輪
(伝)大手門 → 西門
(伝)搦手門 → 大手門
搦手が大手に出世したわけだ。
二の丸を歩いていると、ブーン・ブーンと羽音が。
スズメバチのテリトリーに入ってしまったかと身構えるも、音はすれども何とやら…
三の丸上空のドローンであった。

本丸へ行く途中の(伝)大手門跡⇒西門枡形虎口は、かなり荒れていて立ち入りを断念。
その本丸には低い土塁が巡り二の丸や三の丸のような石垣や枡形虎口で防御されておらず
その単純な造りに中世城郭の趣きが感じられる。
ただ北側の斜面は石垣で造られていた。

駐車場に戻ると、女武将もいる本格的な武将隊が十人ほど勢揃い。
なかでも大将は黑一色の胴具足で、面頬までもが黒の ”目の下頬” で固めている。
「弥栄・弥栄・弥栄」 と三唱し、皆で気勢を上げながら勇躍登城していくのを見送った。

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たにgucci

見事な石垣 (2020/10/31 訪問)

本丸への道案内が無い

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城郭情報

城地種類 山城
築城年代 弘安年間(1278〜1288)
築城者 森朝通
主要城主 森氏、毛利氏(藤原氏)、久留島氏
文化財史跡区分 国史跡(角牟礼城跡)
近年の主な復元・整備 毛利高政
主な関連施設 説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、竪堀、虎口、井戸
住所 大分県玖珠郡玖珠町大字森大字太田
問い合わせ先 玖珠町役場
問い合わせ先電話番号 0973-72-1111