高山城からの転戦です。シンボル広場(36.126489、137.231168)に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、1579年(天正7年)頃に三木自綱によって築かれたとも、永禄年間(1558年〜1570年)に自綱の父良頼の頃に築かれたとも云われています。
三木氏は1411年(応永18年)京極高員の代官として三木正頼が益田郡竹原郷に下向したことに始まると云われています。四代三木直頼のときに益田郡の大半を横領して桜洞城を築いて居城としました。
五代良頼の時代になると大野郡へ進出して飛騨国司の姉小路家を滅ぼし、六代自綱のときには高原諏訪城主の江馬氏などを降して飛騨大半を平定しました。
1585年(天正13年)三木氏は秀吉と対立する越中の佐々成政と結んだことから、秀吉の命を受けた越前国大野城主金森長近の侵攻を受けました。
このとき自綱は広瀬城におり、松倉城には秀綱が籠城して金森軍と戦ったが内応者が現れ落城し、秀綱は城を脱して信濃へ逃れる途中に土民に襲われ死んだそうです。
三木氏の後に飛騨に入封した金森氏は高山城を居城として築き、松倉城は廃城となったと云われています。
現在残る主郭部の石垣などの遺構は、他の三木氏に関係する城から高石垣などの遺構が確認できないこともあり、金森氏など織豊系の武将によって改修されたものとも考えられているそうです。
城址に向かう途中に堀切がありますが、ほとんど埋まっています。
石垣が素晴らしいです。一部ブルーシートがかかっています。
北アルプスが見える眺望は絶景です。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=高堂城に向かいます。
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