まつくらじょう

松倉城

岐阜県高山市


旧国名 : 飛騨

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西南角櫓の石垣
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イオ

山上に連なる石垣 (2024/12/01 訪問)

織豊期に三木頼綱が松倉山頂に築いた城で、桜洞城から移って居城としています。金森長近の飛騨攻めで落城した後に改修されましたが、高山城の完成により廃城となりました。

ニッポン城めぐりのオフィシャルツアーで訪れましたが、てっきり山頂付近まで車で行くものと思っていたら山麓から歩いての登城でした。林道が通じているといっても普通車ならともかくバスで上って行くのはそりゃ無理ですよね。山頂手前の松倉シンボル広場(駐車場あり)の登城口からは5分弱で西尾根の堀切に到達。堀切はクマザサに覆われてよく見えませんが、堀切の先には城内最大規模の石材を用いた西南隅櫓の石垣が聳え立っていました。

西南隅櫓北麓を進み、三の丸に上がったところには破却された埋門が発掘調査により確認されています。普段は遺構保護のためブルーシートが掛けられているようですが、この日は特別にシートが外され、調査に携わっておられる加藤理文先生直々に、これが立石、これが天井石と指し示しながら解説いただきました。埋門は本丸外曲輪南西下に位置し本丸外曲輪の石垣が北と東に続いています。西南隅櫓の石垣といい、比高360mの山上だというのに見事な石垣だなぁ…と見とれていると、加藤先生曰く、明智光秀と並んで金森長近の石垣技術は高く、天正期のものとは思えない(慶長期にしか見えない)ほどに綺麗なんだとか。

三の丸と東下の南中間櫓と呼ばれる曲輪の間には出枡形虎口が設けられていましたが、破城により石垣を崩して塞がれています。発掘調査の際、山麓からこの虎口へと至る道をずいぶん探すも見つからなかったそうで、搦手と考えられる埋門との関係も含め、松倉城の登城ルートはまだ不明のようです。

続いて本丸外曲輪の南東隅から本丸へ。本丸からは高山盆地を一望する眺望が開けている…はずながら、この日は朝霧に覆われていて全く見えませんでした。本丸の周囲は石垣で囲まれていて天守台のようにも見えますが、発掘調査では礎石や柱穴は確認されていないようです。そして二の丸から井戸跡を左に見ながら腰曲輪に下りて、二の丸の石垣や旗立台と呼ばれる巨岩を眺めつつ三の丸に戻り、松倉城を後にしました。

山上に見事な石垣が連なる素晴らしい城でした。ツアーで訪れているため、北尾根や西尾根の堀切まで見に行くことはできませんでしたが、その辺はまたの機会にするとして、埋門のみならず加藤先生に解説いただいたおかげで自分一人でめぐるより遥かに理解を深められました。
 

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じゅんじん

16年ぶり (2024/09/08 訪問)

飛騨牛を食べに高山へ。焼き肉前に行きました。石垣美しいし眺めもよきでした。
もちろん飛騨牛最高✨🐮

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しんちゃん

総石垣の三木氏(姉小路氏)の主城 (2024/10/14 訪問)

松倉城は三木氏(姉小路氏)の主城です。これだけの総石垣の城は周辺には無く、まさに別格の貫禄が漂っています。飛騨の里から南に続く林道の途中に駐車場があり、そこから歩いてすぐに城域に入ります。
藪に覆われた堀切の先に三の丸の石垣が出現します。なんとなくジャングルの中にある遺跡のような雰囲気が出ています。さらに進むと主郭の石垣が見えてきます。主郭からの眺望はなかなかのものです。高山の街が良く見えますが、木々に阻まれて高山城の方が良く見えません。この日最後の散策なので、二の丸周辺を散策して引き上げました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)7日目:松倉城 (2023/04/24 訪問)

高山城からの転戦です。シンボル広場(36.126489、137.231168)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、1579年(天正7年)頃に三木自綱によって築かれたとも、永禄年間(1558年〜1570年)に自綱の父良頼の頃に築かれたとも云われています。
三木氏は1411年(応永18年)京極高員の代官として三木正頼が益田郡竹原郷に下向したことに始まると云われています。四代三木直頼のときに益田郡の大半を横領して桜洞城を築いて居城としました。
五代良頼の時代になると大野郡へ進出して飛騨国司の姉小路家を滅ぼし、六代自綱のときには高原諏訪城主の江馬氏などを降して飛騨大半を平定しました。
1585年(天正13年)三木氏は秀吉と対立する越中の佐々成政と結んだことから、秀吉の命を受けた越前国大野城主金森長近の侵攻を受けました。
このとき自綱は広瀬城におり、松倉城には秀綱が籠城して金森軍と戦ったが内応者が現れ落城し、秀綱は城を脱して信濃へ逃れる途中に土民に襲われ死んだそうです。
三木氏の後に飛騨に入封した金森氏は高山城を居城として築き、松倉城は廃城となったと云われています。
現在残る主郭部の石垣などの遺構は、他の三木氏に関係する城から高石垣などの遺構が確認できないこともあり、金森氏など織豊系の武将によって改修されたものとも考えられているそうです。

城址に向かう途中に堀切がありますが、ほとんど埋まっています。
石垣が素晴らしいです。一部ブルーシートがかかっています。
北アルプスが見える眺望は絶景です。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=高堂城に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 三木自綱
築城年 天正7年(1579)頃
主な城主 三木氏
遺構 曲輪、石垣、堀切
指定文化財 県史跡(松倉城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県高山市松倉町城山2059
問い合わせ先 高山市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0577-35-3156