まつくらじょう

松倉城

岐阜県高山市


旧国名 : 飛騨

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本丸入口の石垣
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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)7日目:松倉城 (2023/04/24 訪問)

高山城からの転戦です。シンボル広場(36.126489、137.231168)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、1579年(天正7年)頃に三木自綱によって築かれたとも、永禄年間(1558年〜1570年)に自綱の父良頼の頃に築かれたとも云われています。
三木氏は1411年(応永18年)京極高員の代官として三木正頼が益田郡竹原郷に下向したことに始まると云われています。四代三木直頼のときに益田郡の大半を横領して桜洞城を築いて居城としました。
五代良頼の時代になると大野郡へ進出して飛騨国司の姉小路家を滅ぼし、六代自綱のときには高原諏訪城主の江馬氏などを降して飛騨大半を平定しました。
1585年(天正13年)三木氏は秀吉と対立する越中の佐々成政と結んだことから、秀吉の命を受けた越前国大野城主金森長近の侵攻を受けました。
このとき自綱は広瀬城におり、松倉城には秀綱が籠城して金森軍と戦ったが内応者が現れ落城し、秀綱は城を脱して信濃へ逃れる途中に土民に襲われ死んだそうです。
三木氏の後に飛騨に入封した金森氏は高山城を居城として築き、松倉城は廃城となったと云われています。
現在残る主郭部の石垣などの遺構は、他の三木氏に関係する城から高石垣などの遺構が確認できないこともあり、金森氏など織豊系の武将によって改修されたものとも考えられているそうです。

城址に向かう途中に堀切がありますが、ほとんど埋まっています。
石垣が素晴らしいです。一部ブルーシートがかかっています。
北アルプスが見える眺望は絶景です。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=高堂城に向かいます。

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ぴーかる

残雪の名城跡 (2023/03/19 訪問)

【松倉城】
<駐車場他>登城口の松倉シンボル広場6台程度駐車可能
<交通手段>車

<見所>主要部の総石垣造り・堀切・眺望
<感想>日帰り強行飛騨山城攻めの旅1城目。以前から行きたいマイリストに挙げ、第31回日本100名城・続日本100名城に負けない城で特集されて益々行きたくなっていた城跡でした。
 特集で掲載された縄張り図を手元に登城口から少し登ぼると三の丸東側から城跡に入ります。いきなり三の丸東面の巨石石垣に心奪われます。一応三の丸南側の尾根も遺構が無いのを確認し三の丸の長い石垣を堪能し主要部に入ります。本丸外曲輪石垣は写真通り見応えのある圧巻の高石垣です。本丸から北に伸びる尾根は藪化して途中までしか進めませんでした。二の丸から西に伸びる尾根は大手枡形虎口、櫓台かと思われる方形状の石垣、堀切の遺構が続きます。その先のずっと奥の居館跡の方にも行ってみましたが藪化した谷底がポイントのようでしたので踏み込みませんでした。朝8:30に天守台から見事な雲海と乗鞍岳が眺望でき、城跡を見終えた9:30頃には雲海がすべて無くなり高山の町がよく見え2種の絶景を満喫しました。納得の見応え、マイベストに入るまさに日本100名城・続日本100名城に負けない城でした。

<満足度>◆◆◆

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カズサン

麓は飛騨の里 (2005/10/30 訪問)

 松倉城跡の北側麓に合掌造建屋が有る有料施設「飛騨の里」が有ります。
 住所:岐阜県高山市上岡本町1丁目590 専用駐車場、観光バス駐車場有。

 17年前の平成17年10月下旬、町内のシニアークラブ仲間と観光バスを貸切高山に日帰り旅行、合掌造りの建物も有る、観光施設「飛騨の里」を訪ねました。
 丁度紅葉シーズンで綺麗な飛騨の里も堪能しました。秋の飛騨の里撮影写真を投稿します。
 松倉城登城の後に飛騨の里を訪ねられたら如何でしょうか?

 松倉城跡には飛騨の里の西側の山道を登りつづら折りですが舗装道、約1~2km程で峠に駐車場有、松倉シンボル広場と成ってます。登りの途中に二股に成ってる所が有りますが左に曲がります。
 峠駐車場から左側東側の緩やかな登城路を約200~300m程登って行くと石垣の有る松倉城に到着します。
 平成23年11月中旬初登城しました、熊注意の看板も有った様な記憶も有りますがその時は登って仕舞いました、現在なら引き返すかも?
 最近投稿のヒロケンさんの登城路案内の通りです。
 

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ヒロケン

総石垣造りの山城 (2022/08/14 訪問)

松倉城は観光名所高山市街の西南、標高856m、比高360mの松倉山山頂に建てられた山城です。北は越中、南は岐阜に通ずる街道の要衝にあり、本丸、二の丸、三の丸、出丸から成り、本丸は内曲輪の四方と外曲輪の西側、南側に石垣が現存、二の丸は本丸の東側にあり、東側と南側に石垣が現存、また、旗立石と呼ばれる巨岩があります。三の丸は本丸の南側にあり、西側、南側に石垣が現存、また、西南隅に一段高く櫓跡があります。一段低くなっている二の丸と三の丸の間に隅櫓跡があり、東、南、西に石垣が現存しており、文字通り、総石垣造りの山城です。
戦国時代、飛騨の覇者三木自綱公が築城し、桜洞城を冬城、松倉城を夏城と称しました。天正13年、信長公の命により、金森長近公と可重公の父子が飛騨に攻め込み堅城であった松倉城も家臣の裏切りで落城。その後、金森長近公が入り現在する総石垣の城を整備したと考えられています。

松倉城へは9年ぶり二度目の訪問になります。「飛騨の里」から車で七曲り道を通り3分程で搦手に着きます。7~8台ほど駐車できるスペースとトイレが完備されており、そこから、徒歩5分程で城域の竪堀跡に着きます。
本丸からは、高山城と高山市街が一望でき、成る程、街道が交わる要衝の地というのがよくわかります。

現在は、県指定の史跡に指定されていますが、国指定の史跡を目指し発掘調査が進められています。石垣好きには見所満載の堪らない城跡です(*^▽^*)

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 三木自綱
築城年 天正7年(1579)頃
主な城主 三木氏
遺構 曲輪、石垣、堀切
指定文化財 県史跡(松倉城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県高山市松倉町城山2059
問い合わせ先 高山市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0577-35-3156