一宮城は三菱東京UFJに一角に石碑とプレートが設置してあります。遺構は消滅し石碑のみが、ここがかつて城跡であったことを示しています。
ちゃんと日本城郭大系にも記載があり、かつて尾張国一の宮・真澄田神社の神官・関十郎左衛門によって築かれたとされており、四方に堀と土塁を配した東西およそ50m、南北およそ90mの平城であったようです。
十郎左衛門の子・小十郎長安は小牧長久手の合戦で羽柴勢に属し、池田恒興(鬼武蔵の説もあり)らと共に討ち死にしたとあります。一宮城は天正18年(1590ごろ)に廃城になったようです。関一族のその後の動向は不明です。
+ 続きを読む