むかいよこたじょう

向横田城

島根県益田市

別名 : 首旁之城、片木城、首片木城、頸ヶ滝城
旧国名 : 石見

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①本丸
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征5日目:向横田城 (2026/05/15 訪問)

石見横田駅から徒歩15分ちょっとで、向横田城登城口(34.620589、131.793214)に着きました。

1185年(文治元年)源義家を祖とする石川治部少輔頼恒は、源頼朝の命により、この峯に首旁(くびき)城を築いて居城としました。七尾城よりも8年早い石見最古の築城といわれています。
1221年(承久3年)承久の乱の戦功で吉見義世が鹿足郡を与えられると横田氏を代官として派遣し、当城に入って石川氏の娘を妻にしたと伝わっています。横田氏がのちに能美山城に移ると領家氏が入りました。
1471年(文明3年)領家氏が大内道頓の反乱に加担したため益田貞兼に攻められ降伏し、249年続いた領家氏の時代は終わりました。
楠木正成から5代目に当たり、領家氏と祖を同じくする益田氏の家臣・城市勘助正雄が、1478年(文明10年)この峯に頸ヶ滝城を築いて居城としました。
1551年(天文20年)年の正雄死後も一族の者が領していたようですが、1577年(天正5年)に移封されたため廃城になったようです。
徳川時代は、津和野藩の治下に入り廃城のまま明治維新を迎えました。

城は南の山頂に本丸、北の愛宕山の山頂に出丸があり、その二つの間を尾根が通っているようです。
今回は時間の都合上、出丸には行っていません。
本丸と二の丸には土塁が残っています。本丸には忠魂碑が建っています。
攻城時間は30分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストです。
歩行歩数=33296歩、歩行距離=23.3Kmです。
本日の宿泊先に向かう為、石見横田駅前のバス停から労働会館前までバスで向かい、ホテルで荷物を引き取った後、益田駅に向かいました。
益田前から時間短縮の為、特急を利用して、松江駅に向かいました。

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しんちゃん

出丸 (2025/04/06 訪問)

どもっSちゃんです。今、出丸跡に居ます。向横田城は領家氏の城で南北に長い城い城域の北端の丘陵部に出丸が築かれています。主要部との間の長い尾根上にもいくつかの扁平地があり出丸の下にも堀切と、馬場と呼ばれる扁平地があります。
ところで残っていた清水城、Aさんが攻略しましたか。いや、失礼しました。
城びとだったら3000城すべて自分の城だ!
ぐらいの気持ちでいいと思います。私個人の考えですが、過剰な馴れ合いは要らないと思いますね(気遣いはします)。
和歌山未踏の城、5つのうち2つを攻略されて悔しがるイオさんをちょっと見たかった(4つになっちゃたけど)。
でもそれ以上に涼しい顔をして残り3城を攻略する、カッコいいイオさんを見たかったですね(1つになっちゃた)。
けっこうエゲつない城が残っちゃったけど、
「地元民の責務」と言われたイオさんの決意を、敬意をもって尊重したいと思います。
でも無茶はしないで下さいな、私ごとき外野は無責任にけしかけるだけなので。また要らぬ気遣いだったかもしれません。

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しんちゃん

攻略しました (2025/04/06 訪問)

ど〜もSちゃんです。向横山城に来ています。今、二郭に居ます。イキって島根県に来たものの地元オヤジに入山を拒否られ力がㇲ〜っと抜けました。素に戻ってます。
道標に従って城址に向かって歩いて行くと、熊のふんらしきものがあります。
第三堀切と第一堀切を経て二郭に到着。北に土塁と堀切があり、南に土塁と虎口があります。西側にもうっすら土塁が残っています。大きな堀切を経て、南に主郭があります。
構造的に見るとニ郭が主要な場所であったのでは、と感じます。熊のふんの2つ目がここにありました。
ここから郷に向かったのかな? なんかガサガサ音がしますが威嚇しながら、レポートをしています。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 石川頼恒
築城年 文治元年(1185)
主な改修者 城市正雄(益田氏家臣)
主な城主 石川氏、領家氏、城市氏(益田氏家臣)
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(向横田城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 島根県益田市向横田町
問い合わせ先 益田市文化財課
問い合わせ先電話番号 0856-31-0623