おばたじんや

小幡陣屋

群馬県甘楽郡

別名 : 小幡城
旧国名 : 上野

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チェブ

長いものに巻かれると、静かな時間。 (2023/10/30 訪問)

「小幡陣屋」を検索すると、『織田 信長の次男 信雄の庭園』など、信長さんの七光的です。
織田 信雄さんを検索すれば、『迷走する愚将』など、お父さんが信長さんのわりに~のダメダメ評価。

でも、『名勝 楽山園』を見学すれば 信雄さんのポイントは上がるはずです。
入城料は300円だったと思います。お城関係のパンフレットやチケットを入れる箱の中から見つけられませんでした(;´д`)
復元された中門をくぐれば枡形虎口。もう、「小幡陣屋」を忘れて庭園へ向かってました。
広い庭園に池があり、鯉が集まってきます。エサも無いのに鯉と遊び、疲れたので梅の茶屋へ。
畳が敷いてある茶屋で、上がって良いとの事です。もう、ゴロンとしたくなる感じです。
弓道場が見えて、タイムスリップしたような錯覚。
遠くの山々が綺麗で、春の緑や冬の雪も素敵な眺めになることでしょう。

庭園を終えて「小幡陣屋」へ。
井戸跡や、建物はありませんが、何の間だったかのパネルがあり識別してあり解りやすかったです。
それから、土塁の向こうに長屋が復元されてました。
中は展示物があります。こちらに鯉のエサも売ってます。

信雄さんを検索し、よく最後まで読むと戦国の世を器用に渡り歩いた、とか織田家の血筋を絶やさず繋いだ等、誉めてます。
不器用だけど、一生懸命な信雄さんと、しておきます。
「小幡陣屋」には、織田 信長さんのカラーマンホールがありました。
『信雄さんのだったら写真に写したのに』と、無視しました。
今更ながら信長さんマンホールの写真、写しておけば良かったと後悔する「小幡陣屋」攻めでした。

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しんしんちゃん

手に入らなかった天下の代わりに築いた小さなユートピア。‥だったのか? (2023/05/02 訪問)

大阪の陣終結後、織田信雄は大和国宇陀郡3万石と上野国甘楽郡2万石を領し、
甘楽の地に陣屋を築きました。雄側の東岸の御殿跡と庭園が楽山園として整備され
現在も公開されています。陣屋はこの楽山園の周辺に築かれていたようです。
表御門(大手門)を境に南へ約760m、東西は雄川と雄川堰に囲まれた約600m
面積は約34ヘクタール(34万平方m 東京ドーム約7個ぶん)に及び
藩邸、64の藩役所、武家屋敷と二つの神社を備えた広大なもので、各所に小堰が
分配されていたそうです。陣屋というよりは、小さなユートピアのようですね。
平和が一番ってことで。
補足‥ちょっと平和ボケが入ってました。周囲を川に囲まれ各所に水を引いていたということは
それなりの防御力を備えていたということです。北東の小幡八幡宮を詰めの城と考えれば
いざという時の備えは怠っていなかった様子。案外趣味と実益を兼ね備えた城塞だったのかも
しれません。この広さは城ですよね。牧歌的なビジュアルに騙されましたかね?

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三浦の晃ちゃん

織田家 (2023/06/24 訪問)

織田信長の次男、織田信雄が造った、お庭があります。

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小城小次郎

当代一流の風流人 (2022/05/07 訪問)

楽山園ののんびりした優雅な雰囲気は当代一流の風流人であった織田信雄の趣向がふんだんに織り込まれているのだろう。全然関係ないが近くにめんたいパークとこんにゃくパークがあるのもポイント高いように思う。

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城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 織田信昌
築城年 寛永19年(1642)
主な城主 織田氏、松平氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、虎口
指定文化財 国名勝(楽山園)、県史跡(旧小幡藩武家屋敷松浦氏屋敷)
再建造物 門、長屋、土塁、石垣、庭園、碑、説明板
住所 群馬県甘楽郡甘楽町小幡
問い合わせ先 甘楽町教育課文化財保護係
問い合わせ先電話番号 0274-74-3131