上山城は応永年間の初期に羽州探題の斯波兼頼の曾孫・里見満長が虚空蔵山に城を築いたのが始まりとされています。天文4年(1535)に伊達稙宗に奪われた城を満長の孫・武衛義忠が奪還し、新たにこの天神森に城を築いて月岡城と称したようです。
寛永6年に紫衣事件によって沢庵禅師が流されてきて、藩主土岐頼行は松山の高台に庵を建て手厚く向かい入れました。和尚は庵を「春雨庵」と名付け三年をここで過ごしています。藩主や家臣らと親交を行い茶の湯の手ほどきを行った他、松川に沢庵堰を築くための指導もしていると伝わります。
春雨をネットで見ると別のモノばかり出てきますが、天気の方は一時的なもので心地よささえ感じます。和尚にとって上山での三年は春雨のように有意義な時間であったと思います。
他にも館内には地元の出身力士・出羽ヶ嶽文次郎の等身大の銅像があり、非常にインパクトがあります。
+ 続きを読む