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しんちゃん

近世城郭としては短命 (2024/09/14 訪問)

案内板によると佐野城は別名「春日岡城」とも呼ばれ、延暦元年(782)藤原藤成がこの地に春日明神を祀ったことに由来するようです。慶長12年(1607)佐野氏は唐沢山城を配してここ移ったとされ、城下町も整備されましたが、慶長19年(1614)所領を没収され改易となり、佐野城も廃城になってしまいました。どうやら7年ほどしか近世城郭として機能しなかったみたいです(築上からは14年)。
佐野駅の北側の丘陵が城址公園になっていて、その周辺に外堀が巡らされていたようです。丘陵部の南から、三の丸・二の丸・本丸と続き、本丸と二の丸の間には大きな堀切が切られ、堀道となっています。
発掘調査で本丸の東武から見事な石畳の通路が発見されましたが、現在は埋め戻されています。調査に関するパネルは二の丸にある城山記念館で見ることができます。

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じゅんじん

墓地 (2024/10/19 訪問)

眺めは最高ですが、、、

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カズサン

二の丸北東辺りと他を散策 (2024/11/24 訪問)

 電車で城探訪、田幡城と志賀城を徒歩で廻った跡、足の疲れで市バスを利用して名古屋城近くの名城町下車。
 名古屋城の二の丸北東櫓台辺りで、北側の外濠、西に天守閣、本丸搦手馬出の工事作業中も遠望し、二の丸北東部に在る丑寅櫓台を近くで眺めようとするが二の丸東の駐車場辺りが工事中で二の丸東空堀に近づけず少し残念、その代わり大津通りの西側歩道が欅のトンネルが紅葉で奇麗で美しい、二の丸東御門跡から二の丸へ、午後の4時前でしたが大勢の人で混雑、外国人観光客も多く賑わってる、清正公の石曳像前も撮影順番待ち、二の丸と本丸大手馬出間の空堀の奥に黄色くなった紅葉が奇麗でした。
 足の疲れ足裏の痛みも有りましたが近くまで来たので名古屋城に寄って観なくてはの意思で素晴らしい名古屋城を廻りました、何時訪ねても楽しい時間です。

 この後は本丸外周の景観と本丸内部の景観を2編に分けて続き投稿します。
  
 

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さんちゃん

温泉街と湯築城 (2024/09/02 訪問)

月曜が定休日で御城印が買えなかったのがショックでしたが、松山城も見えいい城でした

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近江の城

滋賀県立安土城考古博物館展示リニューアル クラウドファンディング実施中! ~発掘調査や出土品の整理調査など貴重な体験も返礼品に~

安土城考古博物館を「安土城・信長・戦国魅力発信拠点」として、安土城と信長・戦国をテーマとする唯一無二の博物館を目指し展示リニューアルを行うためにクラウドファンディングを実施しています。
安土城全体の姿を、高精細フルCGにより映像で復元。映像は安土城天主と同じ八角形をしたシアターで、国内外でも珍しい五面の多面スクリーンを採用し、当時の世界に入り込んだ感覚で楽しんでいただけるような空間を作り出します。

クラウドファンディングのお礼として、信長が書いた手紙の文言を引用して作成する信長からのお礼状風感謝状や、令和7年3月実施の内覧会へのご招待、現地解説付きの安土城満喫ツアーへのご招待、安土城跡の発掘調査の活動体験、出土品整理調査体験ができるコースなどユニークなギフトが盛りだくさん。
ただご寄附をいただくだけでなく、今回のクラウドファンディングを通して、更なる安土城の価値や魅力を知ることが出来ます。

安土城の魅力を発信する拠点づくりのために、そして滋賀県を元気にするために、皆様の熱い想いのこもったご寄付をぜひ、よろしくお願います。

寄付の詳細やお支払い等については、こちらから
https://readyfor.jp/projects/azuchijohaku2024

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WEST

岡城探訪 (2024/12/04 訪問)

岡城を訪問しました。築城は1185年?とのことですが、現在の高石垣を備えた近代城郭となったのは戦国時代の中川氏からとのこと。
廃城令により、残念ながら建物は残っていませんが、訪問して目を見張るのはやはり石垣群ですね。
今回の散策は岡城一周です。本丸跡からその先の御廟所跡、下原門跡まで、その後は戻って西の丸跡から家老屋敷まで回りました。見どころとして、谷越しから見る高石垣は壮麗ですね。
訪問時は紅葉の見ごろ時期とも重なり、何度見ても飽きない景色でした。お城散策を十二分に堪能できました。
最後に江戸門跡から七曲りにて帰ろうと思いましたが、残念ながら落石により通行止めでしたので大手門跡経由で戻りました。注意してください。
登城後に感じたことは、すぐ近くまで自動車でアクセスできますので、訪問し易い山城と考えていましたが、城内は結構アップダウンがあり、少々大変でした。また、お手洗いも城内に何か所かあり、ゆっくり回ることができました。

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トク

小弐氏の栄枯盛衰(1/3):岩門城① (2024/12/09 訪問)

福岡県那珂川市にある岩門城(龍神山城)は、二度に渡る元寇(文永・弘安の役)で二度とも総大将を務め、九州の御家人たちを束ねて見事に勝利へ導いた、あの「小弐景資(しょうにかげすけ)」の居城です。

景資は、太宰小弐である父「小弐資能(すけよし)」(武藤氏から小弐氏と改名した初代)の二男として大宰府で生まれます。弘安の役の翌1282年、再びフビライに三度目の侵攻の兆しが見えたため、もしも防塁が突破された時に備え、自ら標高192mの龍神山の地に岩門城を築城し、ここを居城としたようです。

国道385号線山田交差点そばの、「裂田溝公園」(トイレ自販機あり)の駐車場に駐車し、まず岩門城を見上げました(写真①)。ここから山頂の本曲輪まで徒歩50分です。左の溝沿いを行き、右に曲がりまた左へ曲がり(標識あり)、まっすぐ登ると高津神社下です(写真②③)。軽自動車やバイクの方は、そこまで上がれそうです。

(写真③)右の神社の鳥居をくぐって急な階段を登ってもいいですが、私は左の落葉の上がきれいで楽そうに見えたので、左から登りました(写真④)。でも落葉の道はすぐそこまでで、右に折れると結局は急な傾斜が始まりました(写真⑤)。しかし三瀬城と異なりこの先落葉はなく踏ん張れたので、きついですが歩きやすかったです。

途中、高津神社からとの合流点がありました(写真⑥)。さらに登ると茶臼岩がありました(写真⑦)。こんな岩の上から矢を射掛けられたらたまりませんね! しかも回りは深い竪堀があり、やられたら一気に滑り落ちそうです(笑)。さらにその先は三の曲輪(写真⑧)、二の曲輪(写真⑨)、本曲輪(写真⑩)、北の曲輪と続きます。曲輪の間は大きな堀切で仕切られていました。これは攻めづらい城だと感じました。そしてやっと本曲輪へ到着です。

その先、岩門城②へ続きます。

P.S 高津神社下からのルートとは別に、車で背後(葬祭場)手前の石像前に車を止め尾根沿いの高低差なしの徒歩20分で楽に行けるルートもあります。写真②の赤ルートです。満足度はいまいちだったので、私は神社下から苦労して登るルートをオススメします(笑)。
 

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天守無しがアツい

短期間で消えた模擬天守 (2024/12/13 訪問)

(高天神城 参考サイト)
https://takatenjinjyo.com/

静岡県掛川市…掛川駅からタクシーで15分ほどの所に、高天神城があります🏯 本当はバスで行きたかったけど…最寄りのバス停を通るバスを見つけられなかったので、楽な手段(タクシー)を選んだ私🚕

その代わり片道3000円…往復6000円少しの出費を強いられました💸 北口の駐車場で降ろしてもらい、鳥居を潜ると…城全域の想像図という大きな案内板が(1枚目) これを見て「予想してたより城の規模がデカい🫢」と思えました

奥へと続く道は階段が石を敷き詰めた造りになったおり、少し上がっただけなのにもう腿にくる…肉体的疲れを伴いました🚶‍♂️ ある程度進むと道が2つに分かれており…片方が本丸行き…もう片方が高天神社行き⛩️ でした

城巡りに来たからには…まずは城跡…本丸を見学したかったので、そっちから行くことに🚶‍♂️ 途中にこの城の歴史…誕生から武田氏の拠点になり…それから武田勝頼と徳川家康の抗争の場となり…最後は1581年に徳川方の攻撃を受けて落城🏳️ 直後に廃城となり現在に至る…流れを紹介した年表が左手にあったので少し目を通したりもしました

本丸には天守は無く…石垣さえ存在しませんでした(2枚目)。ただし西側は土塁(少し離れた所にクランク状の土塁があり)…東側は絶壁となっており、天然の要塞。案内板の説明によると、籠城に備えて食料や武器などを収納した倉庫のような建物がこの辺りにあったそうです

この付近に石碑が色々建っており…日清戦争において掛川から出征した陸軍歩兵のものがありました。高天神城とは直接の関係は無いんじゃ…とツッコミたくもなりますが、それでも何故かあるのです😅

本丸→三の丸へ向かう途中に徳川方の居城跡が見えるスポット(3枚目)が写真付きで紹介されていました。火ケ峰砦という(3枚目右上に見える丸い球状の森)場所などがそれ…そこを拠点にここ高天神城を攻めていた

高天神城アプリというものをインストールしていれば(3枚目左下に写る)指定の場所にスマホを置いただけで…当時の様子を復元した映像が流れるそうです。けれど私はそのアプリの存在を知らない…のでそれを見ることはありませんでした

御前曲輪跡(4枚目)…ここも本丸と三の丸の間に位置し、しかもここには二層の模擬天守が存在していたそう🏯 昭和9年に建てられるもの昭和20年に落雷が発生して焼失⚡️🔥 今は(ご覧のとおり)天守台だけ残る小さな場所

本丸には天守どころか天守台さえ無かった…「やはり天守が無いとお城として満足できない…よし、こうなったら作っちゃえ😁」というノリで戦前の軍医少尉が建てたらしいのですが…史実に反するというか、史実を捻じ曲げる存在にさえなってしまうと思うので…(どうせ短期間で無くなってしまう運命だったのだし)造らないほうがよかったんじゃないですかね?😅

入口から本丸まで向かう際…実は分岐点があり、左は本丸…右は三の丸および個室が使用不能なトイレと表示されてました。まずは本丸へ向かい…再びその分岐点に戻ってきたので…今度は三の丸方面を選び…そして辿り着きました

三の丸に存在する休憩スペース(5枚目)。この城が現役だった頃は…この辺りにも食糧や武器を収納する建物があり、武田勝頼の家臣である小笠原与左衛門により、250騎という僅かな手勢で徳川軍の侵攻を迎え撃っていたそう

おそらく相手の方が数では勝っていた…けれど土塁や空堀、崖という天然の要塞を生かして、味方は少数でも…何年も耐えていたのでしょう。それでも度重なる攻撃と数の暴力に耐えきれず…武田氏滅亡の前年に落城🏳️

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しんちゃん

足立右馬充遠元 (2024/05/06 訪問)

三ツ木城はかつては雑木林となっていて周囲はドブ田に囲まれていたようです。現在周辺は城山公園として整備され、見違えるほど立派になりましたが、肝心の城址は雑木林のままのようです。城山公園と名がついていますが、今 城址に入れば、はたから見るとただの変人に見えるでしょう。そんな状況になっているんですね。
別に今さら失うものもないので、周囲の親子連れの視線を無視して雑草のなかに分け入って城址に入ります。主郭は雑木林となっていますが周囲に土塁が残っています。基本的に単郭で周囲を土塁と堀に囲まれた城址でした。
三ツ木城の城主は平治元年(1159)に右馬充に任じられた足立遠元とされ、平治の乱においては源義朝に従い、源氏が敗れた後は東国にひそみ、源頼朝が挙兵した際に隅田宿へ真っ先に駆けつけたということです。

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しんちゃん

無量寿寺 (2024/05/06 訪問)

野本氏館は延喜15年(915)に鎮守府将軍に任じられた藤原利仁の居館であったとする説もありますが、現地の案内板には源頼朝の信の暑かった野本基員を初代とする野本氏の一族の居館と記載が有ります。現在、館跡は無量寿寺の境内に土塁と堀の一部を残すのみになっています。

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しんちゃん

ロキソニン (2024/05/06 訪問)

石戸城は15世紀後半ごろに上杉氏の家臣・藤田八右衛門によって築かれたとされています。北上してくる北条氏の脅威に備えるため、岩槻城、松山城、河越城を結ぶ防衛線の一部を担っていたと考えられられています。
四の郭の周辺には土塁と堀らしきものが残っているようです。一の郭、二の郭を散策している際に足の豆がつぶれて、めっちゃ痛かったのでロキソニンを飲んでやり過ごしました。そんなわけで東にある一夜堤までは行っていません。

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じゅんじん

旧小学校 (2024/10/18 訪問)

眺めよしです。
城趾碑がありました。
神社もよきです。

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TNK

熱中症寸前 (2024/08/12 訪問)

最寄駅から城までの高低差を調べず夏休みに行きました。
途中の旧東海道石畳の急坂で、脈が異常な早さになり、意識も朦朧。
誰もいないこの道で命の危険を感じ、麦茶を飲み、木陰で少し休みながらようやく辿り着きました。
もう一度飲み物で補給し、空堀や曲輪を散策。
城からの眺めは最高!
遠くに大井川、下車した金谷駅から延びるJRと大井川鐵道の線路。
こんなに登ってきたのか!と、真夏の無謀さに反省。

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じゅんじん

河内の中心 (2024/10/18 訪問)

若江公民館近くに城趾碑と説明板があります。近くの若江鏡神社は城主畠山氏の崇敬を受けてます。

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じゅんじん

旭神社 (2024/10/18 訪問)

お社がいくつかあり城趾碑もありました。

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TNK

10月なのに暑すぎ! (2024/10/19 訪問)

この日は本佐倉城と佐倉城のはしご。
電車と徒歩でまわったが、炎天下で駅まで速歩でギリギリ乗車。
成田からの外国人乗客だらけの車内で、1人汗だく乗車。

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赤い城

畝状竪堀 (2024/12/07 訪問)

この日は福山で忘年会。
早めに入り、行けそうな城を訪問しました。
まずは楢崎城、県道56号線沿いに無人販売所があり、駐車できるスペースがあります。
ここから安全寺を目指します。
安全寺の西側の登城口から登っていきますが、登城路は整備され、歩きやすくなっています。

程なく城域へ、切通状の堀切に。
まずは左手に進んでみましたが尾根道になっていて遺構はなさそうです。
引き返し主郭方面に。

主郭の下の郭には井戸跡、さらには石垣も残ります。
主郭には東屋と祠、石碑が建っていました。
主郭から降りて下の郭を奥に進むと畝状竪堀群が。
畝状竪堀は実際にみると凄いのですが写真に入り切らないのが難点です。
地味な存在の城ですが、なかなか見どころも多いと思います。



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さんちゃん

夏の福山城 (2024/08/07 訪問)

夏新幹線に乗る前に立ち寄りました。新幹線のホームからもよく見えかっこいいです。中の設備や説明も分かり易く一番好きな城です

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カズサン

【尾張 志賀城】愛知県名古屋市北区 信長守り役平手政秀宅跡 (2024/11/24 訪問)

 織田信長の守り役と言われてる平手政秀屋敷跡が田幡城跡の金城小学校東門前の通りを北に約6、700m程行くと志賀公園がその故地となる。
 平手政秀邸址石碑と彰徳碑は志賀公園の中心地に樹木、四方石柱垣に囲まれて存在しています。

 住所:愛知県名古屋市北区平手町2(志賀公園)
 駐車場:公園南側の金城コミュニティセンター駐車場が有る。
 参考資料:城郭放浪記さん(志賀城名は城郭放浪記さんの呼称による)グーグルマップに依る。

 平手政秀は若山富三郎、織田信長は中村錦之助の時代劇?を思い出させますが、田幡城跡・金城小学校を訪ねた折り近くに平手政秀屋敷跡と有ったので、足の裏が痛み始めましたが徒歩で進行。野球場も有り、池の在る回遊式庭園も有り、森林浴をする林も有る広い公園です。

 公園の西端が大津通りに繋がって居ましたので南進して名古屋城登城を目指しましたが、歩きがつらく丁度市バスが来ましたのでバスを利用し名古屋城近くまでバス利用。
 
 

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TNK

屋根・石垣の造形、紅葉美に感動 (2024/12/13 訪問)

建物が多く残っていて、入り組んだ屋根と石垣の造形に感動です。
もちろん紅葉も!
ロープウェイは使わずに徒歩で往復。
お陰で身体は暖まり、色々な角度から景色も楽しめた。

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