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足助重範 (2025/01/13 訪問)

 鎌倉時代から南北朝時代に足助氏が居城した城で巴川が足助川と合流する地点の南東にある飯盛山が城址です。足助氏が衰退した後は鈴木氏の支配となりました。主郭は南北30m、東西15mほどで、その下に曲輪を配置しています。山の中腹にも削平地が見られ曲輪の跡と思われます。麓にある香積寺が居館跡で土塁の一部が残っています。主郭からは足助城(真弓山城)の高櫓が見えました。
 香嵐渓バス停から徒歩5分くらいで登城口、主郭までは登城口から約15分くらいでしょうか。駐車場近くから登城し、香積寺へ下りて来ました。登城路は整備されていて歩きやすかったですね。前回、時間の都合で主郭まで行けなかったので、ぶらりと行って来ました。

 しんちゃんさんが投稿されていたように、この城のある香嵐渓は紅葉で有名な場所でシーズンには多くの観光客が訪れます。東海地方では秋の紅葉シーズンになると、どこの局も必ずTV中継しています。夜間ライトアップもあり車はかなり渋滞しますが、それだけの価値はあると思います。冬季の今は葉は落ちて紅葉は楽しめませんが、観光客も少なく車の渋滞もなくゆっくり散策できます。

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とばつびしゃもん

南北朝合戦の舞台となった城 (2024/11/05 訪問)

鞆の浦福山市営渡船場隣接の有料駐車場に車を駐車。そこから数分歩くと円福寺がありここが城跡。遺構らしきものは確認できないが、穏やかな瀬戸内海の景色を見渡し心も穏やか。

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しんちゃん

河崎基家 (2024/12/22 訪問)

年末年始と車中泊で関東・東北の城をざっくり回って来ましたが、この三連休は風邪でダウンしています。インフル・コロナ以外の風邪でも今年のはしつこいので、皆様ご養生くださいませ。
河崎氏館は平安時代の後期に桓武平氏の流れを汲む秩父氏の一族・河崎基家(平武綱)が当地に築いた館とされています。河崎氏館は、もとは平武綱・秩父武綱とも名乗っていて、前九年の役・後三年の役では源頼義・義家父子に従い、仙北金沢の柵で清原武衡らを滅ぼしたとされています。
河崎氏館は現在、稲毛神社になっていて、多くの参拝者が訪れていました。
境内には第六天大明神の社も有ります。第六天魔王と同じ扱いになるのでしょうか? 第六天ははじめは釈迦を惑わす悪魔だったようです。釈迦に誘惑を仕掛けますが、通じず降伏し、やがて仏法を守護する神になったということです(成願寺サイトより)。
つまり織田信長は厳密には仏敵ではなく、守護をする対場でもあったわけですか(ただし逆らうと容赦しない)。

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しんちゃん

遺構が残っているらしい。 (2024/12/22 訪問)

篠原城は正覚院の裏手の山が城址になるようです。小田原北条氏家臣の一人として「小田原衆所領役帳」に名の見える、金子出雲が城主を務めていたそうです。
現在立ち入り禁止になっているようですが、墓地の裏手から一か所だけ入れる所がありました。ガードの切れ間に崩しがあって、そこを降ると堀切らしい場所に至ります。そこで引き返してくるわけですが、はたから見るとただの怪しい人なので、訪問には十分注意を払いたいと思う今日このごろです。

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カズサン

清水御門発掘現場と天守台発掘現場 (2025/01/10 訪問)

 令和7年登城始めの駿府城、坤櫓からの雪を被った富士山の遠望眺望を体験楽しみ、二の丸堀に廻って坤櫓ビューポイントへ、現在はライトアップ工事中、南西から西に廻り西門より入城、西門は元清水御門跡、年末に城びと駿府城公式投稿されいた清水御門跡の発掘調査現場説明会が12月14日に有りました。
 報告会当時の説明会資料が発掘情報館きゃっしるに有るのでは?との予測にて「きゃっしる」に立寄り、展示資料、遺物を見学閲覧、するとパネル2枚で清水御門発掘と本丸北面発掘の現地写真と解説がなされていました。
 同パネルの現地説明会資料を頂きたく係りの方に尋ねると、ここに有りますと資料ラック棚にA3両面印刷三つ折りの資料が多くあり、1枚「駿府城跡発掘調査現場説明会資料R6.12.14」を頂きました。
 きゃっしるの東前に今回の発掘現場である清水御門・仕切石垣根石部の露出部を見る事が出来ました、この場所は清水御門北の仕切石垣は南北に有り西喰違御門と成っており、北側の石垣を発掘調査されたものです。
 投稿写真①~④清水御門発掘現場と展示パネル、⑤は清水御門立看板、⑥~⑩は天守台発掘現場です。
 
 清水御門発掘調査現場説明会資料もゲットし、坤櫓からの富士山の眺望も良く観えて、令和7年登城始めは約1時間半寒い中でしたが楽しい時間を過ごさせてもらいました。
  
 ※ 福岡のトクさんへ 福岡城復元三の丸潮見櫓の完成まじか写真投稿拝見しました、以前より竣工公開したら是非訪ねたいと思っており今春の予定公開後、大刀洗平和記念館の震電と合わせてと思っております。写真投稿ありがとうございました。
 

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ぴーかる

まるごと将軍山城 (2024/12/08 訪問)

【城域2:曲輪群[2-2]】
<登城路>大山祇神社から比叡山に至る旧道をひたすら進みます。道は倒木はありますがハイキングコースで谷の底部を進むので比較的楽に行けます。城域2の手前数百mに土橋に上がって京都一周トレイル東山60番を東方向(向かって右手)の比叡山へ進みます。明らかに城跡の虎口みたいな枡形と土塁があるゾーンに入った所が城域2になります。「北白川消防分団18」の赤札が木に掛けてある南側の尾根一帯が曲輪群[2-2]になります。

<感想>尾根に沿って小さな曲輪群が連なった城塞で北東隅の登り口付近の斜面に土塁遺構が良く残ります。最頂部付近は逆に灌木が多く生えて少し散策しづらい、最頂部の東下段にコの状の土塁が残っています。曲輪群[2-2]と[2-3]の東側に緩やかな谷の斜面が広がっていて土砂が堆積したか、当時は武者溜まりだったか判別がつかない場所になっています。このゾーン、編集時のトラブルで写真が消えてしまったのであまりいいのが生き残っていません。次の投稿は曲輪群[2-3]です。

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todo94

1月2日の攻城 その1 (2025/01/02 訪問)

年末年始の帰省を終え、帰着するにあたり、少しだけ回り道をして立ち寄りました。現在は高崎市になっていますが、合併前は吉井町だった地に、あの奥平氏のルーツがあったとは、全く知りませんでした。城びと登録の城を巡っているとこういうことがたくさんあってとても勉強になります。

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まさお

甲府市 甲府城跡 (2025/01/04 訪問)

年末に車を入れ替えたので、新車チェックを兼ねて山梨県甲府方面にドライブしました。
要害山城・武田氏館・甲府城を訪ねる予定でしたが、初詣時期で大渋滞に巻き込まれ
要害山城跡には辿りつけませんでした。
甲府城はJR甲府駅を挟んで大規模でよく整備されていました。
帰りも中央道の事故渋滞に巻き込まれてしまいました。
今年は「名城巡り」2年目ですので頑張りたいと思います。

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まさお

甲府市 武田神社 (2025/01/04 訪問)

初詣客で大渋滞。大混雑でした。

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しんちゃん

TERAO (2024/12/22 訪問)

く~もりガラスの向こうは風の街 ♪♪ (中略)あなた~を失ってから~♪
・・寺尾あき〇です(ボカッ!)
寺尾城は諏訪三河守五代(約140年間)の居城とされ、諏訪氏は小田原北条氏に仕えていました。永禄12年(1569)武田信玄が小田原城の北条氏康を攻めた際に、城主諏訪馬之助が、小田原城に出向いていた隙に城は廃城になってしまったようです。
現在は城山公園になっていますが、立入禁止箇所が多く、土塁などの遺構を発見することは出来ず、かろうじて郭を確認できるくらいでした。案内板は各所に設置され、付近の住宅地の中に立派な城址碑がありました。

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しんちゃん

坂の上の城 (2024/12/12 訪問)

標柱に書かれている由緒書きによると、江戸時代、筑土八幡神社の西側は御殿山と呼ばれ寛永期(1624~44)三代将軍家光が鷹狩の際に仮御殿を設け、御殿坂(ごでんさか)の名はそれにちなんでいるとのことです。
当然のように遺構は無く、標柱が立っているのみです。こんな標柱しか無い城址は夜襲で十分でしょう。
御殿山城「あたたた!」 ポカポカ!
いたたた、本当のこと言っただけじゃん・・

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しんちゃん

旗本・小笠原氏 (2024/12/22 訪問)

池辺陣屋は徳川家康四男・松平忠吉に仕えた小笠原宗忠の陣屋で、宗忠寺の西側に位置する「大陣屋・小陣屋」という場所に築かれていたようです。位置的に阿弥陀堂のあるあたりと見られ、フェンス越しに周囲より高所にあることが解ります。
宗忠寺は通称「殿様寺」と呼ばれ、宗忠が父・長隆の菩提を弔うために建立したと伝わっています。

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宗春

年末年始に帰省先でちょいと城攻めしよう その④岡崎城 (2025/01/03 訪問)

年末年始は開いていない城も多かったのですが、何とか訪問出来るところを探して攻めてみました。

4城目は岡崎城。JR東海のEX会員限定の御城印が目的で訪問したのですが、何度来ても新しい角度からお城を見る事が出来ます。今回は武将隊の演武を初めて見ました。

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とばつびしゃもん

因島の中心にある城 (2024/11/04 訪問)

因島に上陸し城へ向かう途中、時間の都合で攻城を断念。
青影城の近く、片苅城の一角とされる跡に建つ因島水軍城へ。駐車場から長い登り階段の先にある本丸から青影城の全景が望める。水軍城資料館には因島村上氏に関する資料を中心に展示されている。
鞆の浦温泉で宿営。

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しんちゃん

ウシとの遭遇 (2025/01/03 訪問)

宮沢城は大崎氏の家臣・岩崎讃岐美久の城とされています。本丸跡地には鹿島神社があり、土塁が残っています。道中に酪農場があり、近くを通りがかると牛が三頭、こっち側に集まって来ます。めっちゃこっち見てますね・・三頭の牛にガン見されています。
いくらおとなしい牛といえ、三頭にこれだけガン見されると少しビビりますね(汗)。俺、なんかしました? 人間がよっぽど珍しいのかな? 少し焦りましたが、城址やその周辺で動物の写真を写すのが好きな私としては少しウシシです。
今年はウシ年・・ではなくヘビ年です。良い意味でヘビーな年にしたいですな!

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しんちゃん

秋の金山城 (2024/12/07 訪問)

美濃金山城の残りの写真です。金山城に来るのは3回か4回目ですが。良い城は何度来ても良いです。この日はイベントの関係で、駐車場まで車で行けないので普段より時間がかかりましたが、たまには麓からじっくり登るのも風情があって良いかも知れません。
まだ各所に紅葉が残っていたので、秋の金山城を楽しむことが出来ました。行けるのであれば左近屋敷も訪れてみたいです。

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しんちゃん

二重堀切を味わう。 (2024/12/07 訪問)

年末年始と車中泊をしながら、関東・東北の城を廻って来ました。初めてスノータイヤを装着してから7年くらいたっているけど、雪道をガッツリ走ったのは今回の旅が初めてです。慣れるとけっこう楽しいもんですわ。
一番槍の城も九つくらい訪問しています。大迫城は山城で直登になりそうなので今回はパスしました。ちょっと残念ですが、無茶は禁物です。今回は雪の城攻めのよい練習になったと思います。でも雪の登城は危険をはらむので、やはり気候の良い時期に訪れたいですね。

久々利城の本丸を訪問した後は、北東の郭と見張り台を訪れ、二重堀切を見に行きました。この先の遺構は前回見ているので、今回はここまでにして引き返しました。久々利城の遺構で一番おいしいのは、この二重堀切だと思います。


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T-Shionoya

青海山の北面に築かれた大野城 (2024/12/09 訪問)

前回投稿した大草城とセットで訪れた愛知県常滑市の大野城。

伊勢湾の東岸、河口に大野湊を擁した矢田川南の青海山の北面に築かれた城。
室町初期から知多半島の支配者が拠点としてきた地で、戦国期には大野湊が水軍基地に。

築城者は1350年頃の一色氏と伝わり、1400年代末からは佐治氏4代が居住。
小牧長久手の戦いの後の佐治氏追放や、水利の悪さから廃城に至ったとのこと。

現在は中央部が城山公園として整備され、本丸北側には模擬天守、南側の櫓台には佐治神社が鎮座。

実際に訪れることで、北駐車場から本丸までの比高が50m近くあり、本丸北側は巨大な堀切で青海山(現在は住宅地)から切り離され、その堀が本丸の東西に巡らされた構造であることを理解。
また古絵図によると、城山公園の東と西の尾根も城郭だったとのこと。

滞在時間は約1時間半。
今は児童公園の雰囲気が強いが、案外壮観な城だったのではないかと感じた、私の城郭巡りの190城目でした。

※写真2と5は2025年1月の撮影

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シェル

本丸までなんとか登頂!! (2024/11/14 訪問)

 JR高尾駅北口の1番バス停のバスに乗車し、「霊園前・八王子城跡」のバス停で下車。そこからガイダンス施設まで約15分。京王線の高尾駅ですと、JRの改札を経由するか、大回りしないとバスが発着する北口に出ることができないので、鉄道の場合は、JR線の方の利用を推奨します。
 バス停からガイダンス施設へ移動。ガイダンス施設に散策MAPや100名城スタンプが設置されています。バス停からガイダンス施設の道中に八王子城主の北条氏照の墓があります。
 城跡は御主殿跡周辺の居館エリアと本丸などの要害エリアの二つに分かれます。
 御主殿跡→登山口→金子丸→柵門跡→八王子神社→本丸の順に見学
 御主殿周辺は石垣や冠木門などが復元され、非常に見ごたえがありました。また御主殿跡の奥の方で発掘調査が行われていました。
 御主殿跡を見学後は、要害のエリアへ
 要害エリアは「登山」です。かなり険しい山城になっています。本丸までは40分ほどかかりました。とても一気に登るのはきつかったので、途中の金子丸や柵門跡などに設置されているベンチで休憩しながら登りました。豊臣軍はこの城を一日で陥落させたというのだから、驚愕です。
 八王子神社の到着の手前に、展望できる場所があります。あいにく曇り空でしたが、八王子市街方面はしっかり眺めることができました。そこから登り、八王子神社にご挨拶をして、ついに本丸に到着。「本丸は狭い」というお話を聞いていましたが、本当にその通りで、かなりコンパクトでした。しかし道中が険しい分、達成感もひとしおでした!!
 要害エリアをこれから見学する方は、登城路がなかなか険しいので、登山用の装備を準備することを推奨します。また秋の訪問でしたが、本丸までの道中、野生動物のようなにおいがしたので、念のため熊鈴も準備しておいた方が安心だと思います。

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Ninja

何とかたどり着きました (2024/12/31 訪問)

始めGooglemapに従うと愛知県側から登城する道を案内され行ってみましたが、途中で行き止まりになり、引き返しました。浜松側からの道はGoogleに表示されないのでyahoomapにある道を見て引佐北部小中学校の横を入り少し先を登って行きました。ところが途中から舗装してないだけでなく枝や落石が多く、スポーツバイクのninjaではかなり厳しい道のりでした。タイヤが滑って転びそうになったりずっと一速で急勾配を登り続けて警告灯がついたりと、途中でくじけそうでしたが何とか登城することができました。浜名湖北に点在する南北朝時代の山城の1つですが、看板等はほとんど無く結構大変でした。山頂は標高650mほどで、周りに木や草がなければ浜名湖や遠州灘まで見渡せると思います。大きな鉄塔が2つあり広く平らなスペースがあります。帰りの下りで転ばないか恐怖でしたが、途中で渋川に行く分かれ道があり、そちらを選択しました。すると、その後ずっと舗装された林道で無事集落までたどり着きました。2024年の締めくくりとしてはハードな登城となりましたが、終わり良ければ全て良しでした。

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