過去の城郭巡りの振り返り第30弾は、先週投稿した松本城の翌日に訪れた長野県長野市の松代城。
長野盆地の南部、藤沢川・蛭川・神田川により形成された扇状地の扇端部に築かれた城。
江戸中期までは城の北側を千曲川が接して流れ、天然の要害であったとのこと。
この地に侵攻した武田信玄がvs上杉の前線基地として1560年頃に海津城を築城。築城者は山本勘助で初代城主は高坂弾正昌信。
武田滅亡後は支配者が森長可などに度々変わり、1622年の真田信之入城以降は幕末まで真田氏10代が継承。
城名も1600年以降、待城、松城、そして1711年に松代城と改名されました。
現在は三の丸や外堀は失ったものの、平成の大普請で二の丸から内側を江戸期の姿に復元した100名城の城跡。
また城下エリアには江戸末期に建てられた藩主邸と藩校が残り、今後は鉄道の廃線に伴い馬出と三日月堀の復元を計画中。
訪問時は"城"をメインに散策。
曲線的な土塁もあれば石垣づくりの枡形虎口と天守台的な櫓台もある姿は、中世と近世がミックスされた世界観。
今回改めて写真を見ると、太鼓門は一の門と二の門がオフセットして平行に並ぶタイプだが、北不明門はL字に折れるタイプで、建物付きで2タイプの枡形が揃う城は意外と珍しいかもしれない。
更に同じく武田が信濃の拠点とした松本城とも、共通点が多々ありそうに見えてきた松代城です。
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