松代城の前身である海津城は武田信玄と上杉謙信の間で行われた川中島合戦の拠点として武田方によって築かれました。武田氏滅亡後は織田氏家臣の森長可が入り、北信濃の侍(武田遺臣ら)や農民から人質を集めましたが、信長の死去に伴い信濃を去る際に、善光寺街道の猿ケ馬場峠で人質を全員殺害して去って行ったようです。とんでもないサイコ野郎ですな。
元和8年(1622)真田信之が13万石で入り、松代城は松代藩の藩庁として明治まで続きました。現在は宅地化が進み、本丸周辺に水堀が残り、北不明門や太鼓門が再建されています。
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