日本100名城

まつしろじょう

松代城

長野県長野市

別名 : 海津城、貝津城
旧国名 : 信濃

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松代城
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ニコ・ロビン

松( ・᷄ㅂ・᷅ )代 (2018/04/12 訪問)

やってきました( ・᷄ㅂ・᷅ )海津城!
スゲー来たかった名城!
川中島の戦いの武田方の拠点!
ここに来たら、近くの真田御殿は豪華絢爛!
粋だね( ・᷄ㅂ・᷅ )見るべし

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うさ

松代城 (2022/10/15 訪問)

子供のコンクール応援で寄らせていただきました。
土曜日でしたが見学しやすく、駐車場も近くにあるので利用しやすかったです。
美しく土塁が復元されていました。
城とは関係ないですが、とても立派な柳の木?がありました。

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海津城 (2022/10/13 訪問)

 久々の登城です。城址は丁寧に整備、管理され散策しやすいです。海津城といわれたころはどんな風景だったのでしょうか。

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POYO58

長野旅行PART1 松代城 真田信之 (2022/08/16 訪問)

福井旅行を終えたばかりでしたが、祖父母と長野旅行に行ってまいりました。
最初に松代城に行きました。松代城はもともと武田信玄が川中島の戦いの際に本拠地とするため海津城という城を築城した場所です。そこから時代を経て、江戸時代になると、大阪の夏の陣で激戦が起こります。その際、真田信之は徳川方に、幸村は豊臣方について戦いました。上田城は信之が侵攻した時、幸村は自ら上田城を捨て、砥石城へ逃れたため、この時は上田城は信之の城でした。幸村は敵を次々と突破し、徳川家康の本陣にたどり着きました。しかしここで幸村は限界となり、討ち取られました。(鹿児島に生存していた説もあります。またここで徳川家康は幸村に討ち取られ、それ以降の家康は影武者だったという説もあります。実際にその家康の墓が大阪にあります。)その後、真田信之は上田から松代へ本拠を移し、海津城の場所に新たに松代城を築きました。信之の死後も、真田家は受け継がれていきました。
松代城は城全体を石垣や水堀、土塁で囲み、城内には御殿があったと考えられています。石垣や土塁は復元がほとんどですが、石垣は一部現存しています。松代城の見どころは復元された太鼓門と復元された戌亥櫓台ですかね。太鼓門は復元ですが、枡形虎口となっていて城の堅固さを物語っています。また戌亥櫓台は復元のようですが、使われている石は当時のものです。加藤清正流の勾配がとても美しいです。
また松代城もいいですが、隣にある真田邸を行かなければ、松代を攻城したことにはなりません!この真田邸も重要です。ここには真田家が建てた御殿が現存しています。これを見ないと損!

評価
遺構★★★
建物★★★
行きやすさ★★

攻城時間
真田邸も併せて1時間10分程度
真田邸なしなら30分程

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概要

武田信玄が北信濃を支配するため千曲川東方に築いた海津城が前身で、川中島合戦では武田方の拠点となった。信濃松代藩の3代藩主・幸道の頃に松代城と改められた。本丸大手口にあたる太鼓門や、搦手口を守る北不明門が近年になって復元され、武田流築城術の特徴を物語っている。

城郭情報

城地種類 輪郭式平城
築城年代 永禄3年(1560)
築城者 武田信玄
主要城主 武田氏、森氏、真田氏
文化財史跡区分 国史跡(松代城跡附新御殿跡)
近年の主な復元・整備 田丸直昌、森忠政
天守の現況・形態 不明
主な関連施設 太鼓門、堀、石垣、土塁、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)
住所 長野県長野市松代町松代44地
問い合わせ先 松代文化施設等管理事務所
問い合わせ先電話番号 026-278-2801