日本100名城

まつしろじょう

松代城

長野県長野市

別名 : 海津城、貝津城
旧国名 : 信濃

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松代城
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AJ

お兄ちゃんの悲哀 (2024/07/06 訪問)

歴史好きには真田推しが多い。小勢力でありながら、戦国の世を大胆に突き進んだ印象が強いからでしょうか。それにしても、あれだけ徳川と事を構えておきながら後世に家名をつなげたのはなぜか。それは偏にこの男の忍耐のおかげかもしれません。

真田信之ーー。絶大な人気を誇る真田信繁(幸村)の兄で、父は戦国一喰えない男との呼び声が高い昌幸。関ヶ原前夜、家名を残すために信之だけが東軍の徳川に臣従したエピソードはこの親子を語る上で外せませんね。

そんな信之が約9万石で松城(後の松代城。長野市)に入るのは1622年。父祖の地である上田(長野県上田市)から引き剥がされた格好でしょうか。というのも上田は真田家発祥の地であると同時に、徳川にとっては思い出したくもない惨敗の地。それが原因で関ヶ原に遅参したと言われる2代・秀忠の意図が透けて見えるような気もします。

それはともかく、松代は名城。本丸はかつて武田信玄が北信濃攻略の拠点とした海津城の主郭をほぼ踏襲して築かれたと推定されます。城の北側を流れる千曲川を自然の要害とした梯郭式の平城で、武田流築城術の特徴である丸馬出とその外側の三日月堀が近世以降も取り込まれています。信玄と上杉謙信の宿命の地・川中島からも程近く、両者にとって最大の激戦となった「八幡原の戦い」(1561)は、海津城の存在が発端だったといいます。

たしかに北の要害に違いありませんが、真田が治めた頃の松代はすでに安定期の城。少なくとも遺構からはそういった印象を受けます。現存する石垣の中で最も高く、最も古い様相(16世紀末。算木積未発達)なのが戌亥隅櫓台。天守台相当の規模ですが、天守はなかったと推定されます。

その後、廃藩まで約250年間、真田氏10代が松代藩主を務めます。信之は子孫安泰のための礎を見事に築きますが、一方で華々しく散った弟の陰に隠れることが少なくありません。すでに高齢となったお兄ちゃんが上田からの移封を内心どう捉え、そして耐えたのか。2つの城を歩き比べながら思いを馳せるのも一興かもしれません。

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AJ

聖地巡礼 (2024/07/06 訪問)

江戸時代の後半にはすでに観光地化していたといいます。川中島古戦場(長野市)。遡ること16世紀中頃、領土拡大を目指した武田信玄と、その被害を訴えた豪族を助けに赴いた上杉謙信が何度か衝突した地としてあまりに有名ですね。

風林火山ブームというのは、徳川幕府が甲州軍学を教育現場で採用した頃にもあったようです。家康が武田の旧臣を多く召し抱えたことと無関係ではないでしょう。この頃編纂されたのが軍記「甲陽軍鑑」。幕臣をはじめ、広く庶民に読まれた物語で、そのクライマックスの信玄vs謙信の一騎打ちのシーンは浮世絵などで描かれ、講談でも派手に語られたといいます。わくわくの止まらなかった人々はその足で当地を訪れたのだと思います。今で言う「聖地巡礼」ですかね。

軍鑑の史料的価値については、これまで何度か触れたので割愛しますが、そこに描かれた両雄の一騎打ち(川中島第4次。八幡原の戦い。1561)の信憑性についても疑いが残っていますので、付け加えておきます。

というわけで、すっかり“巡礼者”の仲間入りを果たした小生。大会戦におけるひとつひとつの場面の真偽はともかく、決戦の地の空気感や距離感、高低差、そして海津城(現在は松代城。真田の本拠ですね)はしっかり味わってから帰ります。

*隣接する長野市立博物館内に「川中島の戦い」の常設展示あり。入館料一般300円。

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甚右衛門

須田城から転戦(九城目) (2024/05/18 訪問)

須田城攻略後まだ一つ二つ攻略出来そうだったので、霞城を狙うが、アクセス道路が狭く分かりづらかったのて、今回は断念して、松代城へ。駐車場も無料なので真田宝物館と併せて見学。時間の関係で真田新御殿は断念したので、後日再訪予定。朝から動いて九城攻略したが、流石にもう同じような数は厳しい気がします。

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JPN-AZE

Mostly finishes (2024/03/03 訪問)

2024年3月3日、長野県長野市松代町にある、松代城へ登城。この日は、近くにある、象山神社の流し雛を見る為に来たのですが、先に城に寄りました。結構静かで、ウォーキングの方が一人か二人いるだけでした。この雰囲気、好きです。早朝なのもあったのか、天守台から、霞が見えました。橋の架け替えが、もうほぼ終わりの様な感じでした。

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概要

武田信玄が北信濃を支配するため千曲川東方に築いた海津城が前身で、川中島合戦では武田方の拠点となった。信濃松代藩の3代藩主・幸道の頃に松代城と改められた。本丸大手口にあたる太鼓門や、搦手口を守る北不明門が近年になって復元され、武田流築城術の特徴を物語っている。

城郭情報

城地種類 輪郭式平城
築城年代 永禄3年(1560)
築城者 武田信玄
主要城主 武田氏、森氏、真田氏
文化財史跡区分 国史跡(松代城跡附新御殿跡)
近年の主な復元・整備 田丸直昌、森忠政
天守の現況・形態 不明
主な関連施設 太鼓門、堀、石垣、土塁、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)
住所 長野県長野市松代町松代44地
問い合わせ先 松代文化施設等管理事務所
問い合わせ先電話番号 026-278-2801