日本100名城

まつしろじょう

松代城

長野県長野市

別名 : 海津城、貝津城
旧国名 : 信濃

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松代城
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ジェイド

とても整備された城跡です (2022/11/16 訪問)

真田宝物館がおすすめです。
100名城のスタンプは真田邸の入口にあります。
無料の駐車場が至る所にあるので、車で行っても困りません。とても整備された城跡です。

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しんちゃん

攻めと守りのエクスタス (2025/11/23 訪問)

松本城の喧騒も捨てがたいですが、松代城の侘び寂び感も実に良い。この静寂さ・・心に沁みる。いや、褒めてるんですよ。
天守台からの眺めも良いが北と南の枡形が実に良い。南の櫓門を振り返ると土塀の鉄砲狭間に二段撃ちされている。鉄砲狭間から狙い撃ちされる自分を想像すると、ちょっとエクスタシーを感じてしまう。
なるほど、攻める時はM・・守るときはSなのか・・城攻めにそんな要素があったとは。さて・・手裏剣の練習してビールで一杯やるか。
今日はつかれたな

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しんちゃん

静けさや・・ (2025/11/23 訪問)

松代城の前身は武田信玄の命で築かれた「海津城」とされています。近くには同じ長野県の日本百名城・松本城がありますが、松本城の喧騒に比べて松代場周辺はとても静かです。
二日も続けてあんな混雑する城は疲れてしまうので、松代城の静けさはとても助かります。太鼓門や南北の櫓門、石垣などが復元されており十分に楽しむことが出来ました。

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T-Shionoya

松代城訪問 (2006/11/22 訪問)

過去の城郭巡りの振り返り第30弾は、先週投稿した松本城の翌日に訪れた長野県長野市の松代城。

長野盆地の南部、藤沢川・蛭川・神田川により形成された扇状地の扇端部に築かれた城。
江戸中期までは城の北側を千曲川が接して流れ、天然の要害であったとのこと。

この地に侵攻した武田信玄がvs上杉の前線基地として1560年頃に海津城を築城。築城者は山本勘助で初代城主は高坂弾正昌信。
武田滅亡後は支配者が森長可などに度々変わり、1622年の真田信之入城以降は幕末まで真田氏10代が継承。
城名も1600年以降、待城、松城、そして1711年に松代城と改名されました。

現在は三の丸や外堀は失ったものの、平成の大普請で二の丸から内側を江戸期の姿に復元した100名城の城跡。
また城下エリアには江戸末期に建てられた藩主邸と藩校が残り、今後は鉄道の廃線に伴い馬出と三日月堀の復元を計画中。

訪問時は"城"をメインに散策。
曲線的な土塁もあれば石垣づくりの枡形虎口と天守台的な櫓台もある姿は、中世と近世がミックスされた世界観。

今回改めて写真を見ると、太鼓門は一の門と二の門がオフセットして平行に並ぶタイプだが、北不明門はL字に折れるタイプで、建物付きで2タイプの枡形が揃う城は意外と珍しいかもしれない。
更に同じく武田が信濃の拠点とした松本城とも、共通点が多々ありそうに見えてきた松代城です。

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概要

武田信玄が北信濃を支配するため千曲川東方に築いた海津城が前身で、川中島合戦では武田方の拠点となった。信濃松代藩の3代藩主・幸道の頃に松代城と改められた。本丸大手口にあたる太鼓門や、搦手口を守る北不明門が近年になって復元され、武田流築城術の特徴を物語っている。

城郭情報

城地種類 輪郭式平城
築城年代 永禄3年(1560)
築城者 武田信玄
主要城主 武田氏、森氏、真田氏
文化財史跡区分 国史跡(松代城跡附新御殿跡)
近年の主な復元・整備 田丸直昌、森忠政
天守の現況・形態 不明
主な関連施設 太鼓門、堀、石垣、土塁、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)
住所 長野県長野市松代町松代44地
問い合わせ先 松代文化施設等管理事務所
問い合わせ先電話番号 026-278-2801