日本100名城

まつしろじょう

松代城

長野県長野市

別名 : 海津城

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松代城
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くろもり

旧松代藩鐘楼 (2014/10/18 訪問)

松代城の南東に旧松代藩の鐘楼が残っており、往時は火の見櫓として使われていたようです。

かなり大きかったので、最初は復元したものかと思いましたが、現存建造物だそうでとても驚きました。

松代城から徒歩10分もかからない所にあったので、時間に余裕のある方は是非。

川中島古戦場巡りの際に訪れたので、海津城(松代城)からの妻女山の眺めが特に印象に残りました。

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todo94

3度目の日本100名城スタンプラリー97城目 (2019/01/20 訪問)

スタンプ置き場は真田邸になっていました。折角なので真田邸も見て行きましたが、私の他に観光客は1人もいませんでした。NHKから寄贈されたという「真田伊豆守信之」の書が展示されていましたが何とも寂しいものがありました。大河ドラマ「真田丸」の年には、便乗してスタンプラリーなどもやっていて結構賑わっていたのですが。肝心の松代城も、濠に氷が張り小雪がちらつく天候で閑古鳥が鳴いている状態でした。

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夏の雪だるま

川中島の戦いの信玄の拠点城 (2016/06/18 訪問)

長野県長野市の百名城の一つ松代城です。いつ頃築城されたかは定かでありませんが、武田信玄の前進基地として整備した海津城の名が1560年頃確認されています。上杉氏の拠点飯山城から40km、武田氏の本拠甲府から140kmの位置、上杉謙信と武田信玄が何度も戦った川中島の地にあり、信玄の軍師として知られる山本勘助が網張したとも言われ、武田信玄軍2万と上杉謙信軍1万3千が激戦を戦った第四次川中島の合戦の武田氏の重要な拠点として、海津城と呼ばれていました。武田氏滅亡後は織田氏、本能寺の変後は上杉氏の領地となり、その後も領主が頻繁に代わり1600年関ヶ原の戦いの時に城主となった森忠政が二の丸・三の丸を整備し土塁を石垣に築きなおしたとされます。1620年真田信之が上田城より移封となり松代城と改められ真田10万石の居城となり明治維新まで続いています。城は北西を流れる千曲川を自然の要害として作られた平城で本丸・二の丸・三の丸・花の丸などの曲輪を備え水堀で囲まれていました。明治維新により廃城となり城は破却されましたが、平成16年土塁・堀・太鼓門・不明門などが復元されています。松代城の本丸は9時開城で、朝6時前に着いたため城門が閉まっており、本丸周辺だけの散策となりました。

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オレんじ

2018年12月終盤の松代城 (2018/12/30 訪問)

この時期松代城は寒く、お堀の水が凍ってました。
観光客も少なく、寂しい印象があります。

城の目の前にある旧松代駅の駅舎が昔の繁栄を偲ばせる町の象徴であり、静かに時を刻んでいました。

当時は駅から歩いて3分のこのお城も、今ではマイカーか、路線バスでアクセスするが他ありません。
城ファンとして、間単に落とせない城にり、敵は違えど本来の城の目的(落としにくい)には近づいたのかもしれません。

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概要

武田信玄が北信濃を支配するため千曲川東方に築いた海津城が前身で、川中島合戦では武田方の拠点となった。信濃松代藩の3代藩主・幸道の頃に松代城と改められた。本丸大手口にあたる太鼓門や、搦手口を守る北不明門が近年になって復元され、武田流築城術の特徴を物語っている。

城郭情報

城地種類 平城
築城年代 永禄3年(1560)ころ
築城者 武田信玄
主要城主 武田氏、織田氏、上杉氏、田丸氏、森氏、松平氏、松平(越前)氏、酒井氏、真田氏
文化財史跡区分 国指定史跡
近年の主な復元・整備 平成16年に本丸太鼓門・太鼓門前橋・北不明門、二の丸土塁の復元が終了
天守の現況・形態 天守台(戌亥隅櫓台)のみ残る
主な関連施設 真田宝物館、真田邸(附新御殿跡)、文武学校、旧白井家表門、旧横田家住宅、象山記念館
主な遺構 本丸、二の丸、堀
住所 長野県長野市松代町松代44地
問い合わせ先 松代文化施設等管理事務所
問い合わせ先電話番号 026-278-2801