(1回目の訪問)
当初、私は鈴鹿サーキットでF1レースを観戦しようかと思っていました。しかし現地を訪問する前日に、台風の本土上陸に備え、レースを中止するという知らせがHPでアップされたのでした…🌀
「レースが無いなら、行っても仕方ないな…。別の場所にしよう。」と私は思い、選んだのが伊賀上野市にある、忍者屋敷でした。まず名古屋まで新幹線で移動し、そこから私鉄を乗り継いで(名古屋から2時間ほどかかったと思います)伊賀上野に到着🚃
名古屋から直通のバスもあるそうなのですが、それも台風のせいで運行中止…。台風は人々を色々と不便にさせます…。でも忍者屋敷はいつもどおり営業しており、中を見学させていただきました。くのいちに扮したスタッフが中を案内してくれました。
からくり屋敷とも言えるこの屋敷は、扉が回転したり、隠し部屋があったりしました。何せここ伊賀は忍者伝説の地ですから、ここは忍者の生産地、つまりナルトで言えば「木の葉隠れの里」みたいなものだったのでしょう…🥷
スタッフの案内が終わった後、忍者道具(手裏剣や槍)の展示物を見たり、ビデオで忍者の格闘術を見ました。剣を持った相手を無手で倒すという技です…。色々技がありましたが、どうやら忍者というものは(一日100km移動しても平気という説があるから)持久力も戦闘スキルも必要だったようです
つまり、忍者にならマラソン大会なんてフルマラソンでもへっちゃら。筋肉痛なんて少しもならなかったのではないでしょうか…(笑)
忍者屋敷の近くには「伊賀上野城」という城もあり、そこも入ってみました。小さめの城でしたが、甲冑を体験できたので試着してみました。総量5kgのレプリカでしたが、そのわずか5kgでも結構重かったです。実際は20kgのを装着していたと、年配のスタッフが語っていました。
大将クラスだとより良い甲冑を装着していたそうです。それは一般的な甲冑よりも重いと予想できるから、少なくとも20kgを超える重さだったようです…。
「あんな重い甲冑を着ながら馬に乗ったり、刀を振るったり、弓を引いたり…。当時の人間の体力は現代人離れしてないか…?」とかなり感じました。
駅前にはうどん屋があり、そこで忍者うどんをいただきました。うどんの下に具がたくさん埋まっている(隠されている)…
つまり軒下に身を潜める忍者をイメージしたのではないでしょうか…?その中に入っていたお餅が美味しかったですね。
(2回目の訪問…1回目から10年ほど経過)
あの時の補完をしに…ここも是非御城印購入と100名城スタンプを獲得したいところだったのですが…とうとう念願の再訪問
天守の入場券売場にてチケットと一緒に御城印を購入🎫 城主の藤堂高虎武将印も販売されていたのでそれも一緒に買いました。印帳(彦根城で入手)を持参してきたので、買ったばかりの御城印をホルダーに収納して撮影(1枚目右)
100名城スタンプはチケット売場左手に用意されており、一期一会のチャンスという事で逃さずに押印。どちらも天守(2枚目)の手前で済ませられたので、天守に入る必要は必ずしも無かったと思われますが…せっかく来たので(上記のとおり)買ったチケットで中に入りました🏯
天守は3階建て🏯 一層には(3枚目の)藤堂高虎像が来場者をお出迎えしてました。高虎は関ヶ原の合戦では(当時親交あった関係で)家康側…東軍の一員として活躍したため、その後32万石の大名となり、伊賀上野城と津城…両方の主になった…と説明書にありました(4枚目)
天守は(高虎が城主になる前)慶長期の頃は五層…5階建て…つまり現在のよりもゴージャスな造りだったそうです(4枚目に写る模型がそれ)。しかし(はっきりとした説明はされてませんでしたが)自然災害でそれが倒壊してしまい…現在の天守は1935年に民間の手で復興したもの(である事ははっきりと紹介されてた)
今回は甲冑体験は無く、2階には国内にある他の天守ありの城が写真展示。3階には伊賀市一帯のジオラマがありました。この城は木造のギシギシ鳴る階段のみが上の階と下の階を繋ぐ唯一のルート…昭和感のある天守と言えるでしょう🏯
見学が終わり外に出ると、少し離れた場所に天守台が。どうやら五層の天守があった頃に使用された場所と思われます。行ってもよかったのですが…次の場所に行くために時間に余裕無かったので遠くから眺めるだけにしました
+ 続きを読む