さんのへじょう

三戸城

青森県三戸郡

別名 : 留ヶ崎城
旧国名 : 陸奥

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織田晃司

模擬天守に惑わされないで (2019/05/01 訪問)

模擬天守と復元の綱御門位かと思っていたら鍛冶屋門跡の石垣など遺構も多く残ってます。見落とさないで。
訪問した日はさくらまつりで屋台目当ての人が多い中、遺構目当てにうろうろ。周りから見れば異様な人だったかも…

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刑部

お祭りで賑わう城址 (2019/05/01 訪問)

城址訪問というより屋台とかお祭りで賑わっているので私は場違いのようでした。発掘調査途中の場所があるのでこの先城址として魅力的になるでしょう!

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くろもり

三日月の丸くなるまで (2013/11/10 訪問)

岩手県の盛岡城を築城した南部氏が、盛岡城に移る前に本拠としていた城です。比高約90mの小高い山城ですが、鍛冶屋御門跡に古い崩れかかった石垣が残っており、天守を模した三戸城温故館からの景色は、往時の南部騎馬軍団が野を翔ける様を連想させてくれました。

城址にある三戸城のイラスト地図は、「三戸御古城之図」と、新渡戸稲造氏の父である盛岡藩士・新渡戸十次郎氏らが作成した「三戸郡三戸御古城御縄張測量の図」を元に作成されているそうです。※8枚目の写真

城と三戸駅との間にある法泉寺に三戸城の搦手門、龍川寺に三戸城の伝・表門(どこの門かは不明とのこと)が移築されています。※9,10枚目の写真

南部氏の隆盛を称える「三日月の丸くなるまで南部領」という言葉、子供の頃は「三日月が満月になるから領土が3倍か4倍くらいに増えたんだ!」なんて思っていましたが、三日月が満月に変わる「時間(約12日)」と「距離(南部領内)」を掛け合わせて、南部領内は移動に約12日かかるほどの広さと謳っていると知った時に、とても感動した記憶があります。誰が思いついたのか知りませんが、そのセンスしびれます・・・

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夏の雪だるま

戦国南部氏の居城 (2015/09/11 訪問)

青森県三戸町にある南部氏の戦国期の本城の三戸城です。三戸盆地の中央、馬淵川と熊原川の合流点の標高90m急峻な斜面の独立丘陵に永禄年間1558~69年に三戸南部晴政が築城した要塞堅固な山城です。城は、丘陵頂部に長さ1200m幅400mの規模で、本丸、二ノ丸、家臣屋敷を配した要害です。南部氏は最盛期に青森県・岩手県北部・秋田県鹿角郡・仙北郡まで勢力下に置き「三日月の丸くなるほど南部領(三日月の時に南部領に入ると毎日歩いても満月になるまで領内を抜けられない)」と言われるほどの広大な勢力圏をもっていました。しかし、戦国末期の津軽氏の独立や秋田安東氏の鹿角侵略などや、晴政亡き後の跡目争いによる一族九戸氏の南部当主信直への反乱による豊臣秀吉の天下統一最後の戦い九戸城の戦いにつながります。九戸の乱鎮圧後、三戸城は南部氏が居城を九戸城、そして盛岡城を築き移ったため、三戸には城代・代官が置かれ、明治維新を迎えてます。城は現在、城山公園として整備され、二ノ丸に模擬天守閣が建てられ、資料館として利用されています。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 独立式層塔型[3重4階/1967年築/RC造模擬]
築城主 南部晴政
築城年 永禄年間(1558~1570)
主な改修者 蒲生氏郷
主な城主 南部氏
廃城年 貞享年間(1684~1687)
遺構 曲輪、横堀(空堀)、腰曲輪、石垣、土塁、門、御台所、
指定文化財 町指定建造物(龍川寺山門、法泉寺山門、観福寺山門、すべて移築城門)
再建造物 模擬天守(三戸町立歴史民俗資料館)、石碑、説明板
住所 青森県三戸郡三戸町梅内城ノ下
問い合わせ先 三戸町立歴史民俗資料館
問い合わせ先電話番号 0179-22-2739