さんのへじょう

三戸城

青森県三戸郡

別名 : 留ヶ崎城、三戸高城
旧国名 : 陸奥

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三浦の晃ちゃん

休館日 (2024/08/13 訪問)

模擬天守閣で、内部は資料館になっています。行った日が、祭日の翌日で、休館日でした。すぐ近くまで、車で上がれます。盛岡の南部家は、もともと、この地域の出らしいです。

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しんちゃん

実は桜の名所 (2017/05/03 訪問)

三戸城は熊原川の南に位置する河岸丘陵の上に築かれています。北東から南西に城域が伸び中央が膨らんだサツマイモのような形状をしています。やや北寄りの中央の小高い所に本丸が配され、南西の南部政直邸の跡地に天守に似せた温故館の建造物が建てられています。
実は桜の名所で、このいささか能天気な建造物も市民の良い憩いの場になっているようですが国の史跡に登録された関係で将来的な撤去を要求されているようです。たしかにこの模擬天守はどうかと思いますが何も無くなってしまうと地元の人も少し寂しいのではないでしょうか?やはり人は山の上に城を造りたがるんですね。
三戸城は天文8年(1539)に本三戸城(聖寿寺館)が焼失した後にこの地に南部晴政によって築かれたとされています。家臣が増えすぎてしまったためスペースに余裕のある当地に白羽の矢が立ったようですね。森岡城が築かれるまでこの地域の中心的な城郭として機能しましたが、盛岡城に居城が移った後は代官の支配下に置かれたそうです。
※盛岡城に移る前に九戸城に拠ってますね。あんな縁起の悪い城になんで移るのでしょうか?不始末をやらかしたので太閤さんから罰ゲームを喰らったのでしょうかね。

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昌官忠

東北遠征 (2020/07/03 訪問)

本丸駐車場(40.381912、141.265850)に駐車し攻城。案内図を後から見ると、ここは模擬天守だけでなく、復興された網御門や土塁、石垣などが見所のようですが、模擬天守以外、全て見落としてしまいました。機会があれば再攻城したいと思います。攻城時間は20分位でしたが、見所をほとんど見ていないので参考になりません。

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カズサン

南部氏城廻りⅠ (2015/05/25 訪問)

 青森県は飛行機で桜装う弘前城、北海道の五稜郭、松前城を巡って以来一城のみ5年前の平成27年5月家内とフルムーンパスを利用して南部氏の主な城跡を巡りました。
 東北新幹線はやてで八戸駅、レンタカーで先ずは三戸城へ向かう、山や丘、街道は白い房成りのアカシヤの木々で覆われ新緑と相まって美景素晴らしい道中です、近付くと城山と分かる独立丘陵そのころからワクワクして来ます、レンタカーで丘陵上部本丸へそこは駐車場に成って居り周辺の空いた所に停める。
 城郭ハンドブック等に載ってる模擬天守、石垣城門を探すが分からず余湖図コレクションさんの俯瞰図を元に探訪、模擬天守閣、資料館と巡り当日は月曜日で休館、入場出来ず、本丸跡、三階櫓跡、搦手側、鶴池、亀池、車で下って路駐し有名な綱御門、物見台と巡る。
 三戸城は丘陵全体を城域とし半日で4城こなすには広すぎる城郭です、中世城館と近世石垣を使用した城跡と合わさった城郭で大切に保存管理もされており大事にしたい城です。
 南部氏は甲斐源氏の出身で山梨県南部町に故郷が有ります南部町には大きく南部氏発祥地と看板が有り、頼朝の奥州藤原攻めで功績が有り南部氏が甲州南部氏と奥州南部氏と分かれ奥州南部氏宗家は三戸城から蒲生氏郷が修復した九戸城を経由して南部領地の中心地岩手県盛岡城に移転、盛岡城の石垣も豊臣家臣などに指導を受けた様子。
 三戸城は以後城代、代官を置いて明治まで継承された。
 桜の時期は全山桜の覆われ約1600本の桜花でさぞ見事な事でしょう!

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 独立式層塔型[3重4階/1967年築/RC造模擬]
築城主 南部晴政
築城年 永禄年間(1558〜1570)
主な改修者 蒲生氏郷
主な城主 南部氏
廃城年 貞享年間(1684〜1687)
遺構 曲輪、腰曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、門、御台所
指定文化財 町指定建造物(移築門[龍川寺山門、法泉寺山門、観福寺山門])
再建造物 模擬天守(三戸町立歴史民俗資料館)、石碑、説明板
住所 青森県三戸郡三戸町梅内城ノ下
問い合わせ先 三戸町立歴史民俗資料館
問い合わせ先電話番号 0179-22-2739