三戸城は熊原川の南に位置する河岸丘陵の上に築かれています。北東から南西に城域が伸び中央が膨らんだサツマイモのような形状をしています。やや北寄りの中央の小高い所に本丸が配され、南西の南部政直邸の跡地に天守に似せた温故館の建造物が建てられています。
実は桜の名所で、このいささか能天気な建造物も市民の良い憩いの場になっているようですが国の史跡に登録された関係で将来的な撤去を要求されているようです。たしかにこの模擬天守はどうかと思いますが何も無くなってしまうと地元の人も少し寂しいのではないでしょうか?やはり人は山の上に城を造りたがるんですね。
三戸城は天文8年(1539)に本三戸城(聖寿寺館)が焼失した後にこの地に南部晴政によって築かれたとされています。家臣が増えすぎてしまったためスペースに余裕のある当地に白羽の矢が立ったようですね。森岡城が築かれるまでこの地域の中心的な城郭として機能しましたが、盛岡城に居城が移った後は代官の支配下に置かれたそうです。
※盛岡城に移る前に九戸城に拠ってますね。あんな縁起の悪い城になんで移るのでしょうか?不始末をやらかしたので太閤さんから罰ゲームを喰らったのでしょうかね。
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