2024年GW前半の攻城はクセ強なお城を巡りましたが,当たり前に公園化されてることがこんなにありがたいとは…と感謝しながらの散策でした。地元の方たちの散歩コースになっているようでした。
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2024/07/01 20:39
2024/04/23 20:00
城名は茅ヶ崎 けれど所在するのは横浜市 (2024/04/22 訪問)
(茅ヶ崎城の御城印に付いていた解説文)
横浜市都筑区にあった丘城。鶴見川の支流・早渕川を北に、南を正覚寺谷に囲まれた天然の要害になる。城は六つの郭と複数の平場からなり、東郭・中郭・西郭が東西に並んで城の中核を形成する。築城は室町時代後半と戦国時代前半の二期にわたり、戦国期以前の地域の様子を示す遺跡として興味深い。文献資料は正覚寺に天正十八年(一五九〇)の豊臣秀吉禁制が伝わる。近世になると多田山城主行綱の伝説が付随していく
センター南(横浜市営地下鉄ブルーライン)から徒歩10分ほどの場所に小高い丘の森があります🌳🌳 そこにあるのが茅ヶ崎城址。茅ヶ崎と言っても同じ神奈川県の茅ヶ崎市とは関係なく、横浜市都筑区の中にそういう地名があるのです。まず4月下旬に1度目の散策をしました
1枚目が城址入口にある案内板。城址の全体図がここに表示されてます。ここは大きく分けて…北郭・中郭・東郭・西郭の4つで構成。腹ペコで長時間の見学が厳しかったのと、「いっぺんに回るよりも後日分に分けて見学した方が面白いかもな…」と思えてきて、この日は北郭と中郭を見物することにしました🚶♂️
2枚目は中郭…土塁や曲輪に関する解説文が立ってました。土塁らしきものが現存しており、敵が攻めてきた際にここから弓矢を放ったりして応戦…実際に戦闘で使われたかまでは分かりませんが、防御機能の1つとして設けられたのは確かでしょう…
現在は隅にベンチがあるだけのだだっ広い芝生の生えた広場…雨が降り終えてからそれほど経過してなかったので、郭内を歩いていたら履き物に草や泥が付着してしまい、後で拭き取るのが面倒でした👟
3枚目の左が茅ヶ崎城の御城印。販売場所は横浜市歴史博物館。(他の横浜市内における城跡のと一緒に)まとめ買いしたものの1つ
2度目は6月上旬…西郭と東郭を巡ったのですが、西郭は目を見張る物は特に無く、撮影の必要も無いと思えたので、少し見渡しただけで次へ行きました。西郭→東郭の道の途中に4枚目の看板が…古代中世においてこの辺りの人々がどういう生活をしていたかが紹介されてました
現在のように甘いジュースやチョコレート菓子が無かった頃…人々は果樹を水菓子として🍓…甘みを味わい糖分を摂取していた。栗は栄養価が高く日持ちも良いことから、兵糧代わり…非常食にもなったそう🌰 一言で言えば今よりも食べ物のバリエーションがかなり少なかった時代…当時の人々はそれを当たり前として身近に生えているものを有用に活用した…と
東郭の近くになると階段になり、一度降ってまた登る…という構造でした。さらにカラスが木の上に留まっており、私のすぐ上を羽ばたきながら通過していったのですが、その衝撃に驚きました…接触したかと思えるくらい🐦⬛
ゴミ捨て場など人里でも見かけることはありますが、すぐ上を飛んだりはしてなかったので、初めてカラスに恐怖心を覚えましたね…「ぶつかったらどうしてくれる?😅」と
そしてとうとう着いた東郭…5枚目がその案内板。ここは茅ヶ崎城における最終防衛ライン。城の最も高い位置にあり物見櫓としての役割を果たすと同時に、戦の際にはここに逃げ込み籠城もできた
案内板とベンチ以外は何もなく、木々や雑草が生い茂っており外の景色もあまりよくみえませんでした。出入り口は1箇所しかなく、(カラスがうるさいので本当は別の道があればよかったのですが)途中までは「カラス…すぐ上をもう飛ぶな😖🐦⬛」と思いながら急ぎめに通過…
曲がり角で中郭・北郭ルートがあったので迷わずそっちを選んだ自分…4月の時に比べて中郭の一面に生えてる草が伸びて少し歩きづらかったですが、何とか通過…そのまま北郭も通って出口まで…こうして私の茅ヶ崎城址巡りはコンプリートしました🚶♂️
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2023/06/18 19:02
分類・構造 | 丘城 |
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築城主 | 扇谷上杉氏 |
築城年 | 室町時代 |
主な城主 | 座間氏? |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀) |
指定文化財 | 市史跡(茅ケ崎城址) |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 神奈川県横浜市都筑区茅ケ崎東2-25 |
問い合わせ先 | 横浜市教育委員会事務局総務部生涯学習文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 045-671-3284 |