日本100名城

はちがたじょう

鉢形城

埼玉県大里郡


旧国名 : 武蔵

投稿する
鉢形城
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

カズサン

【赤色立体地図かるた】 (2011/06/19 訪問)

 ①「荒川と 断崖活かす 鉢形城」(あらかわと だんがいいかす はちがたじょう)

 ②「中世の 馨り豊かな 鉢形城」(ちゅうせいの かおりゆたかな はちがたじょう)

 ③「豊臣を 一ヶ月も耐えた 鉢形城」(とよとみを ひとつきもたえた はちがたじょう)

 14年前の6月日帰りで川越城、杉山城、鉢形城を探訪し鉢形城へは仕事の関係で知り合っていた藤井尚夫さん著書「復元ドキュメント戦国の城」河出書房新社発行の書籍に触発されて訪ねた次第。
 先ず鉢形城歴史館に車を駐めて歴史館へ、藤井さんの書籍に鉢形城の復元にて木製実物大の大櫓門の写真と設計図含めて記載されて居ましたので是非実物を見てみたいと思っており、入館すると欅材の大櫓門が殿と設置されていて、下から、上の階からと眺めまわしました、櫓部、門は透かし門、見ごたえが有りました、鉢形城立体模型も周囲から眺めて、荒川断崖に添った曲輪群、中を流れて荒川に注ぐ深沢川、に囲まれた鉢形城が良く表現されて居ます。

 歴史館から深沢川を渡って本曲輪へ、荒川の断崖を覗き込み、二の曲輪へ、馬出を経て三の曲輪、二の曲輪と三の曲輪間には大きく広い壕が横たわっている、三の曲輪は復元整備が進んで居て、会所建物、庭園、復元石積土塁が西側に長く守っている、南面には模擬城門と続き土塀が復元されている。草刈もされて居て大変探訪し役く成って居ました。

 豊臣氏の小田原征伐時には前田利家、上杉景勝の北国軍約35,000人対3,000人鉢形城側北条氏邦の攻防戦一ヶ月持ち堪えるも開城した。

 歴史館も有り駐車場完備、各曲輪群は発掘調査の上整備復元されて居り日々の草刈保存整備も行きとどき探訪見学しやすい城跡です。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

【赤色立体地図かるた】 (2013/12/25 訪問)

「御殿下 車道が縦断 鉢形城(ごでんした しゃどうがじゅうだん はちがたじょう)」
私が訪問した時の案内板には伝御殿下曲輪を本曲輪と記載してありました。城の中心部を車道が通り、銀人材センターもありますね。ある意味地元の人々の生活に欠かせない城だと言えるでしょう。
戦国期の洗練された土の巨大城郭で、総石垣の近世城郭とはまた違った趣があります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

【赤色立体地図かるた】 (2017/06/27 訪問)

「八高線 防御高める 鉢形城(はちこうせん ぼうぎょたかめる はちがたじょう)」

荒川と深沢川が天然の堀。水運にも利用されていました。唯一の弱点は南側か。現代となり,その南側を塞ぐかのようにJR八高線が走っています。現代に入り,南側の防御力が高まったと思います。

+ 続きを読む

赤い城

【赤色立体地図かるた】

断崖の 上の要害 鉢形城
(だんがいの うえのようがい はちがたじょう)

深沢川と荒川が合流する地点の断崖上にあります。
下流ではゆったり流れる荒川もこの辺りは流れも速いです。
綺麗に復元整備された城跡は歩きやすくなっています。
氏邦桜と呼ばれるエドヒガン桜も有名です。

+ 続きを読む

概要

荒川と深沢川に挟まれた河岸段丘上に築かれ、急流の川を堀とし断崖を防壁とした平山城。曲輪が連なる連郭式で、巧緻な縄張も目を引く。天然の要害と共に堅固さを物語る長さ約300mもの空堀、二の曲輪に復元された四脚門、二の丸と三の丸の馬出なども見ごたえがある。

城郭情報

城地種類 連郭式平山城
築城年代 文明8年(1476)
築城者 長尾景春
主要城主 長尾氏、上杉氏、北条氏
文化財史跡区分 国史跡(鉢形城跡)
近年の主な復元・整備 田丸直昌、森忠政
主な関連施設 門、塀、木橋、石碑、説明板
主な遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
住所 埼玉県大里郡寄居町大字鉢形
問い合わせ先 寄居町生涯学習課
問い合わせ先電話番号 048-581-2121