売店で天たま蕎麦を食べて武将印2枚と城カードを買って準備万端にしてから右側半分…本丸側へ…三ノ丸の道を歩き階段を上り進みます
1枚目の場所へ辿り着き1枚撮影…この辺りは北条氏の居城だった頃は一面赤土…だったようですが、長い年月をかけて植物の花粉やら胞子やらが飛んできて受粉し、芽が出て草木となり…という過程で現在はご覧のとおり、一面緑が生い茂ってます🌱🌱🌲この様子がなんか印象的だなと思えました
本丸から二の丸を結ぶ橋(半分土橋、もう半分は木で出来てる)から見下ろす空堀(2枚目)…何ヶ所か見える凸のようなものは畝といい、北条氏の設ける防御機能の特徴的な存在。緊急時には木橋のみ堀に落とし、敵軍の本丸への侵入を防ぐ役割も果たしたそうです
天守櫓跡(3枚目)…本丸のもう少し先へ歩を進めると…ここに辿り着きます。ここに天守台がかつて存在…そして(スペースからして大きい天守が立っていたとは思えないので)櫓がかつてここにあったと推定はされるが、その柱穴は植樹により撹乱されていたため、確認できなかった…🏯
ちなみにこの城跡(山中城)…当時の建物は何一つ残ってません…売店にトイレ、休憩所があるくらい…(この城は堀を基本とした自然の要塞とは言え)当時建物は多少はあったと思うのですが、豊臣軍が攻め込んだ際に取り壊されてしまったのか…🔥
西の丸(4枚目)…「建物跡は発見されなかった…開墾耕作により撹乱された可能性が高く、あったとしても臨時の小屋程度」と案内文にあります。天守にせよ他の施設にせよ…あったとしても、やはり臨時的な小さい建物だったのではないか…と私も思います。そして北条氏が滅んで豊臣政権も終わり、江戸時代になるとこの辺りで開墾がおこなわれて…城の面影は薄れてしまった…のか😭
ちなみにこの城が落城した際…北条軍4000に対して豊臣軍は170000の軍勢をもって侵攻。一ノ堀…本丸…天守櫓…二の丸…どれを見てもその防御に特化した造りは芸術的でさえあり見事なのですが…それでもまだ未完成のまま備えなくてはならなくなり…深い堀も滑りやすく登りづらい関東ローム層も…数の暴力の前にはなす術がなく半日で落ちてしまった
障子堀(5枚目)山中城を象徴する存在と言える場所…畝が均等に設けられており、この造りは単なる防御機能というだけでなく芸術の領域にまで達するであろう存在…まるで障子の襖の如く造られているから障子堀なのでしょうね
この場所に辿り着いた瞬間…シャッターポイントと直感し撮影する自分がいました。ここを訪れたら逃さず撮るべきでしょう
二の丸には休憩所もあり、そこで荷物整理をして少しだけ腰を下ろし、一旦売店まで戻ることに🚶 買い物もしてから宗閑寺に行きました。ここには豊臣の大軍が攻め込んだ際に奮戦した北条軍の武将…松田康長と間宮康俊の墓があると地図にあったのでそこを見学(6枚目)
しかし…彼らの名前がはっきり書かれておらず、無関係の文字が彫られた墓…苔が蒸した楕円形の墓石しかなく、どれが彼らの墓か分かりませんでした…🪦🪦😅
なので…墓を撮影した(6枚目の)位置で両手を合わせて「どれが松田殿や間宮殿の墓か分からないけど、武士の名に恥じない最期でした…ご冥福をお祈りします🙏」と祈りました
売店では両武将の武将印も(御城印や城カードと一緒に)販売されており、(御城印は以前郵送申し込みして届いたので)武将印を購入。それが7枚目…
売店にはその他にも(山中城の様子がデザインされた)紙ロール…そして障子堀ワッフル🧇が販売…紙ロール100円、ワッフル200円(8枚目)と安かったこともあり買っちゃいました
城特集のテレビ番組で、障子堀を背景にしながらこのワッフルを撮影して食べる…というシーンがあった気がします。それに影響される形もあったかな。まぁ…障子堀とワッフルの形が似てるのはたまたま…翌日食べてみると「やっぱりただのワッフルだった🧇😅」というのが私の感想ですが、外袋(8枚目)はゴミ箱に捨てずにしばらく取っておこうかと思います
宗閑寺で御賽銭をあげて墓参りして…道路を歩いて左手に鳥居あり…通路を歩いたのですが何とお堂がロープで囲まれており…つまり閉鎖されてました
「道路際にもバス停あったから鳥居まで戻って道路を戻るように歩けば着けるけど、どうせなら残り時間10分余りあるから、もう少しだけ城の中を歩こう😀」と思いつき、本丸などを歩きました
途中…9枚目の道に辿り着き…「堀の中を歩くレアチャンス〜😍」と捉えた私はそこを迷わず歩く🚶♂️…急な坂道となっており、気を抜くと転ぶかもなくらい脚が加速しました🦵
ここを見ながら歩きながら…「この土手の上から北条軍は弓矢を放ったり槍を振るう」「対して豊臣軍は坂を登り、足場の悪い中をひたすら進軍」「防御側に有利な地形を活用しながら奮戦し、一定数の豊臣軍を射倒し、堀をよじ登ろうとする者を転がり落とす北条軍」
「しかし豊臣軍は何せ大軍…倒しても転ばせても次から次へと本丸目掛けて迫ってくる」「豊臣軍も矢を放ったり鉄砲を撃ったり応戦したであろう…」「やがて次から次へと守備兵は倒れていき…動ける守備兵の数が減ってしまい満足に迎撃できなくなったタイミングで一斉突撃」「堅固な陣形も次々と破られていき…一ノ堀…二の丸…本丸…そして天守櫓も陥落」
「北条氏が誇る天然の要塞、山中城はこうして僅か半日で陥落してしまった🏳️」という光景が目に浮かぶのでした
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