日本100名城

やまなかじょう

山中城

静岡県三島市

別名 : -

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山中城
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くろもり

渡辺水庵覚書 (2015/02/28 訪問)

山中城は小田原征伐で落城しますが、豊臣方の中村一氏の家臣・渡辺勘兵衛が自身の攻城の体験を「渡辺水庵覚書」に書き残しており、「渡辺水庵覚書」を読みながら城を歩くと、往時の城攻めの疑似体験ができる貴重な城跡です。
例えば以下の記述等。

「三ノ丸と二ノ丸の間に。水堀相見へ。堀の上に十間餘りの欄干橋有之候。それを渡候時は。敵と入ましりて押込候故。」
→三ノ丸と二ノ丸の間に水堀があり、堀に20m程?の欄干橋が架かっており、敵と入り交じり押込みながら渡った。
※三ノ丸と二ノ丸の間に残る田尻の池・箱井戸跡に橋を架けると20mくらいになりそうなので、その辺りでの攻防だったのかもしれません。

「味方。其段の四方から。とつと押上り。其段せはく候へは。敵味方上が上へかさなり。北と西の角堀へ過半なたれ。やくらの段も落居の事に候。」
→味方が曲輪の四方からどっと押し上り、曲輪は狭かったので、敵味方が上に上にと重なり、北と西の角の堀へ多くの兵が転落し、櫓の曲輪(本丸?)も陥落した。

なんとなくの私の訳文なので間違いもあるかもしれませんが・・・間違ってたらすいません。
渡辺勘兵衛を主人公にした、池波正太郎先生の『戦国幻想曲』という小説で山中城の戦いがかなり詳しく描かれているので、気になる方はそちらを読んでみてください。同じく勘兵衛を主人公にした、司馬遼太郎先生の短編『侍大将の胸毛』でも山中城の戦いは出てきますが、こちらは2ページ程しか描かれていません。

三ノ丸跡にある宗閑寺(そうかんじ)に山中城の攻城戦で戦死した山中城主・松田康長、副将・間宮康俊、上野国箕輪城主・多米長定、豊臣方の美濃国大垣城主・一柳直末の墓があるので、後北条方と豊臣方両方の戦没者のお参りも可能です。

また、山中城は東海道の関所を取り込んでおり、東海道の箱根旧街道の復元した石畳の道もあるので、街道好きな方は箱根旧街道の石畳の道を散策するのもよいかもしれません。駐車場のある「山中城跡案内所・売店」の裏の道が箱根旧街道になります。

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ティムール

攻め手にとって恐ろしい土塁の城 (2019/05/04 訪問)

障子堀で有名な山中城へ。
三島駅からバスで40分くらい。
さっそく見事な空堀がお出迎え。飲料水確保のためのため池を回り左右を高い土塁で囲まれた道を登る。
土塁は保護のまめに芝生で覆われており独特な雰囲気を醸し出しているが、本来は土が剥き出しだったらしい。
二の丸から西の丸に登るといよいよ障子堀が見えてくる。
一つ一つの堀が意外と深くてハマったら脱出には時間がかかり、弓矢鉄砲で簡単に狙い撃ちされてしまう。見た目は美しいけど攻め手にとっては恐ろしい堀だ。後北条氏の巧みな築城術には感嘆する。見所満載のお城です。

ここからは個人的な意見です。随所に生垣が整備されていてとてもきれいなのですが、少し過剰かと。もしかしたら芝と同様に土塁の保護のためなのかもしれませんが。。
また、GW真っ只中だったので三島駅から乗るバスが激混みで乗せてもらえないこともあります。帰りも近くにある三島スカイウォーク付近の渋滞で1時間近く遅れていました。午前中に行ったため山中城自体は人も少なくゆっくり散策を楽しめましたが、土日祝日は時間に余裕をもって計画を立てた方がよいと思います。

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スミヤキ

小田原北条氏が残した遺産 (2019/03/30 訪問)

期待どおりの城です! 久しぶりに時間を忘れ、わくわくしながら歩きました。整然と並ぶ畝堀・障子堀がとにかく美しいです。

小田原宿から箱根山を越えて三島宿に至る箱根八里の旧街道を城内に取り込んだ造りで、標高580m の箱根山麓西側、外輪山より派生した尾根上を利用、さらに北側、南側の極めて深い急峻な谷地形を巧みに使い分けた連郭式山城です。

三代氏康さんの頃、本拠小田原の西方防衛拠点として築城され、秀吉との決戦が不可避な情勢になった1587年以降、大改修が施され南側に岱崎出丸を新設するなど迎撃態勢を整えますが、1590年3月29日豊臣軍の兵力と火器量の圧倒的な差の前に数時間で落城。小田原開城と同時に廃城に。
 
昭和、平成の発掘調査と復元整備事業により、土塁・空堀など土造りの中世築城術をくまなく歩いて確かめることが出来ます。現代までよく残してくれました。堪能させてもらいました。

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Mizuki

山中城 (2013/08/13 訪問)

家族旅行中の別行動。
ここで力尽きる。

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概要

戦国末期に小田原北条氏と豊臣秀吉が激戦を繰り広げた城。石垣のない土造の城で、落とし穴のような複列型障子堀や単列型障子堀を曲輪の周囲に配することで防御性を高めていた。急斜面に造られた一の堀の畝堀や、畝を掘り残した西の丸の障子堀などが復元整備されている。

城郭情報

城地種類 山城
築城年代 永禄年間(1558~70)ごろ
築城者 後北条氏
主要城主 後北条氏
文化財史跡区分 国指定史跡
近年の主な復元・整備 平成24年度から平成30年度までの予定で、法面の崩落が著しい西の丸・本丸西堀・御馬場曲輪・一の堀の再整備を実施している
主な遺構 障子堀、土塁
住所 静岡県三島市山中新田
問い合わせ先 三島市教育部文化振興課
問い合わせ先電話番号 055-983-2672