おばまじょう

小浜城

福島県二本松市

別名 : 下館
旧国名 : 陸奥

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大内定綱 (2023/09/29 訪問)

  大内氏の居城で主郭は公園として整備されています。吉川弘文館から発売されている「続・東北の名城を歩く」を見ると18の郭があるようですが、主郭からざっと見渡すとそれらしい地形を見ることができます。ただ整備もされていなく私有地のような感じでしたので散策はしていません。
 ここの城主であった大内定綱は紆余曲折あり、最終的には伊達政宗の重臣となるのですが、興味のある武将のひとりです。

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ぎりょう

政宗の仙道制覇への拠点となった城 (2022/09/10 訪問)

二本松・三春方面の4か所目は小浜城。宮森城から2km程北へ向かうと東安達地方の中心地、旧岩代町小浜に出る。両側に丘陵地が迫る細長い商店街が続き、近世以降は商業の街として栄えた小浜の有様を今に伝える。街の北端から城址に登るが比高70mの最高所に主曲輪(一ノ郭)があり、その周囲を大小の曲輪が囲む。また谷を挟んで南側から東側へも多数の曲輪を配し、その規模は東西1000m、南北1200mに及ぶと云う。現在公園化された主曲輪に切岸、虎口、堀切、会津蒲生氏の支城となった慶長期に構築された石垣の遺構を見ることができる。
この城は文明3年(1471)に大内氏によって築城されたと伝わり、天正13年(1544)に定綱が伊達政宗に攻められ、二本松、さらに会津に敗走するまで大内氏が城主であった。同年9月には政宗が入城し、翌天正14年7月に輝宗拉致事件を起こした二本松畠山氏滅亡まで攻撃の拠点とした。

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モト

僅かに残る石垣に大興奮 (2021/05/06 訪問)

本丸跡に残る石垣に興奮してしまいました。
僅かではあるんですが、こういう石垣ってらしくて見応えあると思います。
残った石垣から昔はここにも石垣があったんであろう、ここが堀かなど想像しながらの攻城でございました。
本丸跡には案内板がありました。

近隣では二本松城が有名ではあると思いますが訪れた際にはぜひ小浜城も寄ってみてください。
ついでに寄ったつもりでもそれ以上の満足を得られるのではないでしょうか。

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小城小次郎

大内定綱のイメージとは異なる城だ (2021/07/17 訪問)

表裏比興の梟雄的な印象が強い大内定綱の本拠地は意外なくらい求心性に乏しい群郭式のお城だった。生死を賭けて外敵から地域を守り抜く地域連合の惣領というのが、定綱の真の姿なのだろう。織豊系の石垣はおまけということで。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
天守構造 不明
築城主 大内宗政
築城年 文明年間(1469〜1487)
主な改修者 蒲生氏郷
主な城主 大内氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏
廃城年 寛永4年(1627)
遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀)、堀切
再建造物 石碑、説明板
住所 福島県二本松市小浜字下館
問い合わせ先 二本松観光協会
問い合わせ先電話番号 0243-55-5122