福山城は3回目の訪問ですが、北面に鉄板が張られリニューアルされてからは初めての訪問です。外壁も塗り直され屋根や内装もとても綺麗に生まれ変わっていたのでビックリしました。中は歴史博物館になっていて、春風亭昇太さんが解説するビデオなどもあり、とても楽しく分かりやすい展示でした。また見入っているとホテルウーマンのような制服を着た方が来て説明してくれたので、何やらちょっと緊張しました。まるで高級ホテルにいるような雰囲気です。そういえば現在はキャッスルステイもできるそうなので、どなたかぜひ宿泊体験を!(一泊2名で132万円)。でも入場だけなら500円です(笑)。
築城者の「水野勝成」は家康の従弟にあたり、関ケ原や大坂の陣での活躍で福山10万石を賜り、伏見城の伏見櫓は家康からプレゼントされ移築したようです。またわずか10万石にもかかわらず50万石に相当するようなこのような大城郭を築けたのも、家康からこれで西国を監視せよとのお墨付き(金銭援助)があったからだとか。これで当時は外様しかいない西国大名たちに「おれは譜代、しかも従弟だぞ!」と自慢したのかもしれませんね。
幕末の城主、日米和親条約を結んだ事で有名な「阿部正弘」は、江戸で生まれ福山には1回しか帰れなかったと知りました。でもその時は農民一人一人にも笠をとって手を振ったとか、温厚な人柄が偲ばれます。しかしそれ以降、ペリーの対応に忙しく激動の時代に老中首座を務め、その心労からか37歳の若さで亡くなったそうです。さぞかし無念だっただろうと思いました。
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