藤岡城は承平2年(932)に平将門によって築かれた花岡館が前身のようです。天慶3年(940)将門が討たれると廃城になり、寛仁2年(1018)足利成行が中泉城として再興し一族の佐貫太郎重光に守らせました。後に藤岡城と称されますが、豊臣秀吉の小田原攻めにより落城し、廃城になったようです。
本丸跡が三所神社として残され、他は田畑になったようです。
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2025/01/22 23:04
2024/07/04 11:18
平将門の絡みも有る藤岡城 (2024/06/07 訪問)
小谷城を終えて西に約7km程、栃木市小山市2城目の藤岡城を初登城。
駐車場:無し、光和化成第二工場東前三角コーナー路側帯に路駐(36°15'25"N 139°38'39"E h=20m)
参考資料:城郭放浪記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。
東武日光線藤岡駅を東から北に廻り込む様に西側のネクスタパッケイ(株)栃木工場の南側の小道に藤岡城への案内指示板が出てる、小道には轍が有るが私の車では無理、周辺を探して路駐場所に車を駐めて、徒歩で案内板に従って約200mの三所神社、藤岡城跡へ初登城、西側の水田から一段高い丘に藤岡城跡がある、現在は三所神社として祀られている、鳥居の前に私製印刷の様な案内板が有り、平将門の名前が出て来てびっくり、将門との絡みが有ったのでしょうか?それにしてもロマン感じる藤岡城です。
西側に降りて西から南の周辺を水田、曲輪法面現在は工場群を眺めて終了。
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2023/12/30 16:52
藤岡城に行ってきました!! (2023/12/29 訪問)
城までの案内が所々にある藤岡城。
この城は、932年(永平2年)平将門が花岡館として築城した城です。
その平将門が940年(天慶2年)に討たれると廃城になりますが、
1018年(寛仁2年)に藤原秀郷の子孫である足利成行が中泉城として再興、
佐貫太郎重光に与えました。
その後、藤岡城と改めましたが、
1590年、小田原征伐時に、北条に見方し、廃城となりました。
【城情報】
・形式 ❙平城
・築城年 ❙932年
・廃城年 ❙1590年
・築城者 ❙平将門
・最後の城主 ❙茂呂久重?
・廃城理由 ❙小田原征伐時に北条に味方し落城したため
・主な城主 ❙平氏、佐貫氏、足利氏、
・遺構 ❙ なし。周りが一段下がっているのは痕跡か?
・主な建築物 ❙三所神社
・説明看板、石碑 ❙説明看板のみ
・駐車場、トイレ ❙駐車場無し
・天守 ❙無し
・保存状態(自身判断)❙何も残っていなく、地形が微妙に痕跡として残っている?と感じるほど
・城レベル ❙1(詳しくは新ろくべえのプロフィールへ)
・備考 ❙・道の所々に経路案内の柱が有り、いきやすい。
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2023/01/29 10:06
現在進行形のお城。 (2023/01/03 訪問)
「藤岡城」は住宅と田畑の中に、ポツンとありました。
932年、平将門さんが花岡館を築城したのが始まりのようです。
一端は廃城しましたが、足利氏が再興しました。
秀吉さんが活躍した時代には、小田原征伐で落城します。
車1台が、通れるか?と、不安なくらい細い道です。
途中に「藤岡城」の案内柱がありました。
ナビで通り抜けできるか確認し、前進します。
本丸跡に『三所神社』がお祀りしてました。そちらに「藤岡城」の説明板があります。
この説明板の文章が、『~なります。~します。』とやさしい感じです。
『ここで○○がありました。』の過去形でない表現。「藤岡城」が伝承の中で語り継がれてきたお城で、地元の方々が守ってきた感じが伝わります。
調べてみたら、近年「藤岡城」の再検討が進められているそうです。
石垣があって天守が残って、どんな歴史があったのか分かっているお城も、もちろんですが、、、。
地元の方々が大切にしている「藤岡城」のような未知のお城も、同じくらい素晴らしいです。
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 平将門? |
築城年 | 承平2年(932) |
主な改修者 | 足利成行 |
主な城主 | 平氏、藤岡(足利)氏、茂呂久重 |
廃城年 | 天正18年(1590) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
再建造物 | 説明板 |
住所 | 栃木県栃木市藤岡町藤岡 |